神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

やってみなはれ

2013年07月31日 09時55分55秒 | 日記
けさponsunさんからいただいた、昨日のこのブログに対するコメントの題が「やってみなはれ」だったので、今日は、この言葉について書いてみる。

夫と長女は、川西市のお隣の宝塚市雲雀丘にある雲雀丘学園を卒業している。夫は、小・中・高を、長女は中:高を在籍した。学園は、ここからは駅一つの近さであり、徒歩でも通える近さが学校選びの決め手になった。

この学園はサントリー創業の鳥井家の造った学園で、代々鳥井家一族が理事長を務めている。

そして、この学園の校訓は、ponsunさんからいただいた「やってみなはれ」である。

この学校は偏差値的には決して優れた学校ではない。しかし、のびのびと自由に育ててくださる、こじんまりした学校である。

夫は、たまたま勉強好きな子だったので、勉強を頑張り、国立大学に進学したし、長女も同様に勉強好きな子だったので、薬科大学に進学した。

また学校が宝塚市にあり、宝塚歌劇が近くにあるせいか、夫の同級生にも長女の同級生にも、宝塚音楽学校に進学した人がいた。

皆、それぞれ自分の得意分野に進んだのである。夫が現在、会社を興して頑張っているのも「やってみなはれ」の精神かもしれないし、長女が現在、薬学の、漢方の分野の勉強を続けているのも、「やってみなはれ」の精神の具現かもしれない。

「やってみなはれ」は、「やってみなさい」とは違って、本人の意志に任せているような感じのするところがいいのでしょうね。

大阪都?

2013年07月30日 14時24分02秒 | 日記
最近、大阪府を大阪都にしようという案が出ている。

大阪府も過去の栄光を取り戻して、東京都に負けない都市にしようというのが、この案の発端のようだ。

都市名を変えるだけで過去の栄光が取り戻せるかどうかは、私には、よく分からないのだが、それより、私は、私の住む川西市を大阪府(大阪都)に組み入れてほしいと思う。

たとえば、この川西市は、県都である神戸市に行くには、阪急電車だと、宝塚駅で阪急今津線、西宮北口駅で阪急神戸線と2つの駅で乗り換えして、合計、1時間くらい掛けなければならない。大阪の梅田には乗り換え無しに20分あまりで行けるし、JRだとさらに早く17分くらいで行けるというのに・・・。

そこで私は思うのだ。川西市、伊丹市、尼崎市などのように、大阪府に接している市は、この際、大阪府(大阪都)に編入すればどうかと。

兵庫県は広い。

県外に行って「兵庫県川西市から来ました」というと、城崎温泉のある豊岡市などを話題にされて面食らうことがある。豊岡市と川西市は全く気候が違う。それなのに、冬などに「雪は大丈夫ですか?」などと心配されることもある。川西市に雪が降るのは年に1,2度だ。豊岡市などのように、積もることはまずない。同じ兵庫県といっても、かように違うのだ。

川西市は、隣接する宝塚市、伊丹市などと同様、大阪市のベッドタウンである。このことが県外の人には通じない。

だから、いっそのこと大阪府(大阪都)に編入させてもらえたらと思う次第。

(註)阪急今津線は、ベストセラーになった『阪急電車』の舞台になった路線です。山沿いの住宅街を走るので、時間のある時であれば、沿線の景色を見ながら乗っているのは、なかなか乙なものですが・・・。

お食事会

2013年07月28日 12時36分07秒 | 聴覚障害
今日は、難聴の会「耳の会」と要約筆記ボランティアグループ「サマリー」の人たちとの合同お食事会だった。

私は阪急川西能勢口駅から徒歩5分くらいのところに住んでいるが、阪急電車で梅田とかに出かけることはあるが、川西能勢口駅が始発駅の能勢電にはほとんど乗ることがない。

上の写真は能勢電の日生中央行きの電車である。梅田行きと同じホームの向かい側から発車する。

日生中央駅までの駅は、川西能勢口駅、絹延橋、滝山、鶯の森、鼓ヶ滝、多田、平野、畦野、山下、日生中央となるのだが、それぞれの駅名には、それぞれ歴史的な意味合いがある。

たとえば、「鼓ヶ滝」駅は、昔、このあたりに摂津名所であった鼓ヶ滝があったから命名された駅名だ。その後、その滝は切り開かれて滝の上にあった大きな沼の水が流された。沼のあとには、たくさんの田んぼができたので、「多田」という地名ができたという具合だ。



↑日生中央駅に着いたので、既に到着していた「耳の会」のメンバーの方に写真を写していただいた。



レストランは日生中央駅から3分ほど歩いたところにあったが、中に入ると突き当たりの窓の向こうが人工の滝になっていた。



料理を注文するにも、私達「耳の会」のメンバーは、いちいちサマリーの方々のお手を煩わして書いていただく。私達の注文も筆記だ。



料理が運ばれてきた。たくさんの材料を使っているので、体によさそうだ。

私達は、食べながら雑談するときも、その都度、サマリーの方々はお箸をおいてペンに持ち替えて内容を書いてくださる。

障碍者を助けるボランティアもいろいろあるが、この要約筆記のボランティアは、かなり大変なボランティアの一つと思う。

皆さん、嫌な顔ひとつせず、気持ちよく書いて助けてくださるので、本当に助かる。

ボランティアしてくださる方々が、助けてあげているという態度もいっさい見せないで書いてくださるので、私達、聴覚障害者はのびのび楽しく会話ができ、食事もできた。

それにしても、今日も蒸し暑く、私は食事を摂っただけで疲れてしまって、少し早めに退出させていただいた。

サマリーの皆様、今日は、本当にどうもありがとうございました。

要約筆記者養成講座

2013年07月27日 10時14分42秒 | 聴覚障害
昨日は本年度の要約筆記養成講座の初回だったので、朝から出かけた。

これは難聴者および聾の人たちのために話を要約して伝えるボランティアを養成する講座である。

私は自身が難聴者であるから受講するのではなく見学に行っていたのだ。

次回2回目に「難聴者体験談」の時間が設けられているから、そのとき体験談を発表をするために、今日も見学をしてきたというわけだ。

この頃の日中は非常に暑い。朝出かける時は日陰を探しながら歩けるのだが、帰りは炎天下の中を帰ることになる。帰宅すると汗びっしょりである。

次回の養成講座は来週の金曜日、8月2日である。まさに暑さの盛りである。それまでに一雨降ってくれないかと今から心待ちにしている。

祈り

2013年07月25日 10時48分35秒 | 日記
今日の産経新聞の「正論」に筑波大教授、村上和雄氏が「祈りとは『生命の宣言』である」という記事を書いていられる。

印象に残った部分を転記してみる。

                     *

日本語の「いのり」という言葉の語源は「生宣り(いのり)」だと解釈されている。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)と同じで、宣言を意味している。だから、「いのり」は生命の宣言なのである。

            (中略)

まごころを込めて深く祈ることが、祈る人、祈られる人の遺伝子のスイッチを入れ、その思いが天に通じたときに祈りはかなえられる、と私は思っている。



                  *


私は深く共感した。

予言

2013年07月23日 19時40分31秒 | 読書
江原啓之氏の『予言』を読んでいる。もう終盤だ。

心に残った箇所を少し書き出してみたい。

スピリチュアルの視点では、たましいの喜びとしての「天職」と、生きていくためのお金を得る「適職」がの両方が大切だといつもお話しているのですが、経済至上主義で生きてきた時代には「適職」だけで走り続けてきた人も多かったように感じます。これからは、趣味でもいいですから、あなたのたましいが喜ぶこと。社会に貢献できることなどの「天職」を見つけて生きていくことで、心を豊かにするこもできるのではないかと思います。

多くを得ることを求めるのではなく、いかに心、そして、たましいを満たすか。そこに主眼を置けば、私たちは「足るを知る働き方」ができるのではないでしょうか?


私は、いわゆる経済活動をしていないので、肩身の狭い思いをすることも多い。が、江原氏のいう「天職」なら、私にも見つけることができる、はずだ。

「塔」誌の校正に

2013年07月21日 20時25分35秒 | 短歌
一昨年、とあることで鬱病になってから、ずっと休んでいた短歌結社「塔」の結社誌の校正に行ってきた。

「塔」の発行所は結社の主宰者の自宅で、京都市左京区岩倉にある。

ふだんは電車と地下鉄とタクシーを乗りついて行くのだが、今日は夫が主宰者の自宅まで車で送ってくれた。

帰りも、私が校正をしている間、滋賀県の長男の家で時間をつぶし、終わるころに迎えに来てくれた。

暑い日中を歩かなくてよかったので、助かった。

夫は夫で、私が鬱で家に篭もりがちなことを心配してくれているので、少しでも気晴らしになればと協力してくれるのだ。

有り難いことだと思う。

久しぶりに参加した校正だったが、皆が温かく迎えてくれて嬉しかった。また毎月行くかどうかは私の体調次第だが、とにかく今日は行ってよかった。

大阪府能勢町

2013年07月20日 12時41分51秒 | 日記
今日は朝から大阪府能勢町に行きました。大阪府といっても、川西市より北になりますから、大阪市からは川西市より遠いのです。この写真はバブルのころに買ったその能勢町の山林です。山林といっても周辺には住宅が何軒が建っているので雛壇型の住宅地のようになっています。我が家も写真の通り宅地造成したので、宅地のようになっています。



以前住んでいた大阪市内のマンションが狭かったので、ここに小屋を建てて物置にしていました。現在も、その小屋は残っています。

川西市から30分くらいで来られる地の利を利用して畑でもしようかと見に行ったのです。



帰途、川西市の水がめになっている知明湖べりをドライブして帰りました。

術後十年

2013年07月19日 10時08分16秒 | 病気
富山県を旅行中であったが、7月14日は心臓手術を受けて丁度10年目だった。

10年前は死ぬことを覚悟していた。便箋に家族一人ひとりに遺言も書いた。

前年から体調が悪く、脚が腫れたり、急激に痩せたりした。心臓の背後の背中が揺れるほど脈打つので変だなあと思っていたが、病院の通常の検査では異常なしだった。

忘れもしない2003年7月9日、超音波で心臓を調べていただくと、重篤な心臓弁膜症ということが分かった。

そのまま大阪中津の済生会病院に入院した。心臓の弁に大きな血の塊ができているので、絶対安静といわれた。

入院したのは水曜日だったが、今週中に手術しますといわれた。そのくらい緊急を要する病態であったらしい。

が、結局手術を受けたのは週明けの月曜日だった。

手術で大動脈弁と僧帽弁が人工弁になって現在に至っている。

現在は、手術を受ける前よりも元気になっているが、それでも普通の人のようにはいかない。

しかし死を覚悟したのに、その後10年生かせてもらったことは感謝しなければならないと思っている。

よく健康は失って初めてその有り難さが分かるといわれているが、健康な皆様もご自愛ください。

  葉の陰に灯るトマトの恥ずかしさ術後十年まだ生きてます biko

氣比神宮

2013年07月15日 14時53分40秒 | 旅行
朝もおいしいお魚いっぱいの食事をいただいて、宿を後にしました。

来るときは高速バスだったので、帰りはJRの電車で帰ることにしました。

急いで帰る必要もないので快速と普通を乗り継いで帰ることにしましたが、けっこう乗り継ぎの便がよく、そのまま帰れば日の高いうちに帰りつきそうなので、途中、敦賀で途中下車して、気比神社を参拝してきました。



午後7時過ぎ帰宅。

敦賀で買ったマス寿司と焼き鯖寿司を夕食にしました。

富山に来ました

2013年07月14日 11時24分26秒 | 旅行

朝7時過ぎに富山駅前に到着しました。台風のフェーン現象なのか、とても暑かったです。

夫は、さっそく観光自転車を借りて市内観光をしましたが、私は暑さに弱いので、そのあいだ喫茶店で読書をしていました。

その後、高岡市に移動しましたが、そこでも、夫は自転車を借りて市内観光。私は喫茶店で読書。

次は氷見市に向かいました。氷見市に向かう列車には、富山県出身の藤子不二夫の漫画が描かれてありました。



氷見市に到着すると、まず観光案内所に直行して、今日の宿を確保しました。

氷見市は、丁度お祭りの日だったようで、街のいたるところでおみこしを見かけました。



↓これは藤子不二夫の漫画のキャラクターでしょうか?



京都の祇園祭を模しているようで、さまざまなおみこしを見かけます。



↓これは植物を飾っています。



↓人形を飾っているおみこしもありました。



↓日宮神社



↓今日の宿、民宿「あお」に到着。





夕食は食べきれないほどのご馳走でした。


グランフロント

2013年07月13日 18時31分53秒 | 旅行
三連休の初日、どこかに行こうということになったのだが、なかなか行き先が決まらない。

結局、4月開業以来一度も訪ねていないグランフロントに行こうということになって、家を出たのは午後3時過ぎ。

梅田に着いてから、ふと思いついて今夜の夜行バスでどこかに行きませんかと夫を誘った。

まず乗車券をと最寄の阪急バスターミナルのチケット売り場に行った。予想通り私達が行きたいところは全部売り切れだった。

方向転換して、JRバスのチケット売り場に出向いた。すると富山行きの夜行便があるという。で、さっそく買い求めて、バスの発車時刻の午後10時20分まで、梅田を散策することにした。



グランフロントの屋上から旧梅田貨物引込み線を写す。ここはまだ何にするかを計画中らしいが、ぜひ公園にしてほしいと思う。



グランフロント北側の梅田スカイビルを写す。

ここも、出来た当初はずいぶん話題になったものだが、最近の梅田北側の再開発ラッシュに影が薄くなり、過去の遺物のような存在になりつつある。

この後、新装あいなった阪急百貨店梅田本店を地下から屋上のビアガーデンまで探索をする。夕食は梅田地下街で摂った。

さすがに疲れたので、午後9時頃からはJRバスターミナルの待合室で休みながら富山行き高速バスを待った。

私も夫も着の身着のまま、ハンドバッグだけの荷物でバスに乗り込んだ。

夫は一度自宅に戻って荷物してからと言ったのだが、いったん帰宅するとまた出るのが面倒になると言って強引に乗り込んでしまった。着替えなど必要なものは旅先で買えばいいとおもったし・・・。

宝塚市役所で

2013年07月12日 15時59分35秒 | 日記
今日は、朝一番に宝塚市にあるメンタルクリニックに行ってきた。前回までは午後に行っていたのだが、あまりにも暑かったので、今日は朝一番の予約にしてもらったのだ。

帰途、昼食の材料と夕食の材料を買って帰って、大急ぎで昼食の支度をして、昼食後は疲れたので、昼寝をした。

さきほど夕刊の投函があったので、リビングで読もうと郵便受けから抜き取ると、一面の見出しに「宝塚市役所 火炎瓶で放火」と、でかでか出ていて驚いた。

なんでも、市職員の応対に怒った男がカウンター越しに火炎瓶を投げつけたということだ。

幸い大事には至らなかったようだが、怖いと思った。

容疑者は納税の相談に来ていたというが、どういうやりとりがあったのだろう?

市役所職員の応対に失礼な対応はなかっただろうか?とか、いろいろ考えさせられる。

            *

今日も特に書くこともないからブログはお休みしようと思っていたが、少し驚いたので、話題にした。

君もコクリコわれもコクリコ

2013年07月10日 20時02分13秒 | 短歌
夫の仕事が忙しいので、食事作りの合間は本ばかり読んでいる。

旅行もしたいし、もっと出かけたいのだが・・・。

昨日、今日は、渡辺淳一の与謝野鉄幹、晶子夫妻のことを書いた『君もコクリコ、われもコクリコ』を読んでいる。

ご存知の方も多いと想うが、これは晶子の歌の

  ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ

から来ている。コクリコとは雛罌粟の花のことである。

与謝野晶子は11人の子どもを生み、9人を育て上げた人だ。子煩悩な人であったらしいが、それでも、夫の鉄幹がフランスに逗留していたときは夫恋しさで、その当時7人いた子ども達を日本においてパリに赴いている。

晶子の若い頃の激しい恋愛は有名だが、この本は中年以後の夫婦の葛藤なども取り上げて詳しく書き込んでいる。

文章の中に、晶子、鉄幹の歌もたくさん挿入されているので、一応歌詠みのはしくれの私には大いに勉強になる。