神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

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佳い歌を作る人は年を重ねるに従って、より美しくなる

2016年05月31日 20時11分48秒 | 短歌
私が短歌をやっているからいうのではないが、いや、やっているから言うのであろうが、佳い歌を作る歌人というのは、年を重ねるに従ってより美しくなるようにお見受けする。

まだまだ現役であられる馬場あき子さん然り、尾崎さえ子さん然りである。

馬場あき子さんは、河野裕子さんのお別れ会のときに、歌友から紹介されて、一緒に写真も写させていただいたが、御年、90歳近い人とは、とても思えなかった。

馬場さんのほうから、私の背中に手を回して、抱きかかえるようにして撮影に応じてくださった。そのときの、その手の力強さを今でも忘れることができない。

尾崎さえ子さんは直接お目にかかったことはないが、仲良くしていただいている歌友によると、今でも見とれるほどの美しさなのだそう。

テレビなどで拝見しても、美しいことは美しいが、しかし顔の造作が並外れて美人という美しさではない(と思える)。

尾崎さんの美しさは、年を重ねたことによる美しさが加わっているのだろう。

先年亡くなられた熊本在住の安永蕗子さんも美しい人であられたらしい。

安永さんは、正真正銘の 美人タイプの美人であられたようだ。

安永さんは、お若い頃に結核で闘病されておられたらしい。

美人薄命というか、病気にもかかりやすい佳人であられたのだろう。

見た目だけでなく、残された歌も美しい。

いま手元の安永さんの『冬麗』という歌集の中から、いくつか。

  「ほたる橋」

  夕芭蕉打ちて落ちくる夏の雨肥後一統志未完の涙

  一冊の本を探して辿りつく東都巣鴨のとげぬき地蔵

  ひとしきり匂ふ傍への花茗荷非業非命に斃るる高さ


漢詩の素養のある安永さんの歌の漢語の調べが心地よい。
  
  大橋に続く小橋もほたる橋ま夏ま昼のだまされ橋か


この「ほたる橋」というのは、実際にある橋ではなく、蛍の出る橋ということらしいですね。

余談ですが、私の故郷の高知市には「蛍橋」という路面電車の停留所があります。

  ふるさとの蛍橋はも往年は蛍たくさんゐた橋ならむ  biko

  安らへる安永蕗子のほたる橋だまされ橋なら騙されてみむ  biko
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母担当のケアマネージャーさんからメールが

2016年05月30日 20時20分20秒 | 家族
土曜日に初めてお会いした母担当のケアマネージャーさんからメールが入った。

そのときも、「お会いできてよかったです」と言ってくださったが、今日のメールにも、そういうふうに書かれてあった。

たぶん、ケアマネージャーさんも困っておられたのだ。

母は、以前から娘の私には世話にならないと公言していた人だから、ケアマネージャーさんは連絡しようがなかったのだろう。

かといって、兄亡き後の兄嫁も、母のことには関わろうとしないから、誰に話をしていいのか困っておられたのだ。

現在、母のことは、世話をしてくれているおばちゃんが取り仕切ってくれている。

金曜日に退院してから毎日打たなければならない注射の説明も、看護師さんが、そのおばちゃんにしてくれた。私は、横で聞いていただけだった。

これは無責任でそうしているのではなく、私は近居しているわけではないから、注射の説明を受けても注射してあげることができないからだ。

兄嫁は、最初から話を聞こうともしないので、結局、赤の他人のおばちゃんが聞いて、してくれることになったのだ。

兄嫁は、母のことは、そのおばちゃんから間接的に聞くだけである。

兄嫁は、わがままな母には、できるだけ関わりあいたくないのだ。その気持ちは私にも分かる。

母が私の世話にならないと公言していたのは、私が難聴で、役に立たないということもあったし、それ以上に、私は、これは実の娘だからこそ言うことなのだが、母にとって、耳に痛い言葉を吐くから、私のことが煙たいということもあった(だろう)。

今回も退院を前に母に説教していると、母は突然怒り出して、「なぜ帰ってきた」という。

「○○さん(兄嫁の名前)が連絡してきてくれたから」というと、「○○さんは何故そんないらんことをしてくれたか」と、今度は兄嫁に対して怒っていた。

が、怒っても、すぐに忘れて、私に、あれこれ頼む。

帰宅後、冷蔵庫のことで揉めたとき、私が、12年前、母が脳梗塞で倒れたあと、その頃あった大型冷蔵庫2台の中身も、大型冷蔵庫2台そのものも処分した、その話をした。

12年前に、小さい冷蔵庫に買い換えたのだった。

そうしないと、母は、いくらでも食べ物を溜め込んでしまうから、

その話を母にすると、また怒り出して、「どうして、そんな嫌なことばかり私に聞かせるか?」と言う。

その以前の話から説得し始めないと今回の冷蔵庫整理の説得もスムーズにいかないと思って私はしたのだが、母は聞きたくない話だったようだ。

が、そのときも、母は怒ったすぐ後で、おばちゃんに、「昔、bikoは、坂本龍馬の直系の子孫という人に気に入られて、どうのこうの」と、娘の私の、過去のあったこと、なかったことを自慢して言うのだ。

その様子は、三歳児が、さっき泣いたと思ったら、もう笑っているというような他愛なさだ。

やはり認知症なのだろう。

と、母の最近のエピソードはこのくらいにして、

それにしても、便利な世の中になったものだ。

聴覚障害があって、リアルな世界ではスムーズに話のできない私でも、こうしてネットを通じて、ケアマネージャーさんとも連絡を取り合えるようになったとは。

このやり方なら、兄がいなくても、私でも、何とか母のこれからを模索していけそうだ。

世間の人が見れば、兄亡き後、嫁いでいるとはいっても、やはり実子である私が、母のことを決めていくべきと思うだろう。

私自身も、できるだけのことはしていかなくてはならないと思う。

できるだけのことをしていれば、あとは神様がいいようにしてくださるだろう。

  ネットとふ連絡方法あるゆゑに難聴われもなんとかなる世  biko
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きのう帰宅後、兄嫁からメールがあって、あろうことか、冷蔵庫から出した食品を母が元に戻したと。

2016年05月29日 14時59分25秒 | 家族
一昨日、実家の母の冷蔵庫を綺麗にするため、いつもお世話してくれているおばちゃんとヘルパーさんとが、冷蔵庫の中身を出して徹底的に掃除してくれた。

その際、中に入っていたものは全部廃棄することにして、大きな透明のゴミ袋に入れていった。ゴミの日は月曜日だというので、その日に捨てるようにお願いして、私は実家を後にした。

なぜなら冷蔵庫の中身は、2月初めに母が入院したときのままだったから、冷凍食品も含めて全て廃棄することにしたのだった。

それなのに、昨日の兄嫁のメールによると、捨てたはずの食品を母がまた綺麗になった冷蔵庫に戻したらしいと。

それを兄嫁に教えたのは、いつも世話してくれているおばちゃんだ。

おばちゃんにすれば、御礼はもらっているとはいっても、せっかく苦労して掃除した冷蔵庫に、捨てたはずの食品を入れ直されたのでは、何の苦労だったかということになる。

母は、戦時中の人間だから物を捨てない。

が、それも限度がある。母は、病的なくらい捨てないのだ。

戦後、亡兄や私を食べさせるのに苦労したことは知っている。

しかし、今は時代が違うのだ。

そのことを、いくら説明しても、母は聞く耳を持たない。

それでいて、変なところで無駄遣いをする。

今回、私が帰省することになったのは、ただ単に母の退院時の世話をするためだけではなかった。

兄嫁がメールで「お母さんは退院にあたってのお返しに桁違いの品物を買っています。その請求書の金額が23万5千円だったので、驚いてbikoさんに連絡しています」と。

お返しやお礼用に佃煮と素麺をセットで上げるように手配したようだが、素麺だけでも100個も注文していたそう。

それは異常だ。やっぱり認知症か。

冷蔵庫の中身を元に戻したのは、以前から母は物を捨てない人だから、その延長上のようにも思えるが、しかし、異常だ。

兄嫁には折り返し、申し込みを頼んだグループホーム以外も探して、いくつかの施設に同時平行して申し込みをするように返信した。

兄さえ生きていてくれれば、私が、こういう采配を振るう必要もなかったのにと思う。

母の母(祖母)も、その息子(母の弟)に先立たれたが、亡くなった叔父の息子が医師だったこともあって、最後まで、その孫(私の従弟)が世話をした。

兄亡き後、頑張って商売をしている甥達に、従弟が祖母にしてくれたようなことを期待するのは、土台無理というものだろう。しかし、私も嫁いでいるし・・・。

  いつまでも母と思(も)ひたきわたくしに母は”困つた老母”を見せる  biko
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昨日のカンカン照りから一転、今日は、また雨・・・ 郷里高知から帰る

2016年05月28日 22時15分47秒 | 旅行
                   (高知駅)

昨日が蒸し暑かったはずだ。今日は、また朝から雨。

駅前のホテルから直接高知駅前のバスターミナルに向かう。

雨のせいか安芸市から来たバスは定刻5分前に到着。乗り込めば、すぐに出発した。

前日に切符を買っておいてよかった。土曜日のせいもあって、ほぼ満席だった。

バスに乗る前に駅の名産センターで買いこんだ品々。

焼き鯖寿司


土佐の地鶏弁当


土佐かつおめし弁当


これは「一口鰹なまりぶし」と「鰹はらんぼ」・・・夫へのお土産だ。

「鰹はらんぼ」は鰹のトロの部分。

これはこの名産センターで売っている作りたての「いもケンピ」

柔らかくて、とっても美味だ。大きいのが600円、小さいほうは400円。

高知駅バスターミナルの次駅、一宮停留所を出れば、あと乗り込んでくる乗客は居ない。



朝食を食べていなかったので、バスに乗ってからすぐに「土佐かつおめし弁当」を食べはじめる。その後、いもケンピ小も開けて食べる。いもケンピは食べるとき少し音がしたので、ご迷惑をかけたかも。

最初のトイレ休憩の吉野川SAでコーヒーを買って飲んでから、眠ったようで、次に気がつくと、有馬温泉。

往路もよく寝たが、帰路も乗車中、ほとんど寝てしまった。

列車と違って、高速バスは乗り換えがないので、安心して眠れる(笑)。

  目覚むれば有馬温泉停留所高速バスで高知を出でて  biko
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5月27日 母の退院付き添い~はりまや橋商店街~京町

2016年05月28日 21時24分21秒 | 家族
                 (はりまや橋商店街)

一昨日の土砂降りから一転、昨日27日は朝から強い日差し。

約束通り、午前10時に母の入院先に行く。

母は病室にいなかったので、病室にあった荷物をまとめて、ゴミも纏めたりしていると、いつも母の世話をしてくれているおばちゃんと母が病室に戻ってきた。

朝のリハビリがあったという。

その後、退院をするのだが、その前に薬剤師さんからの自宅で毎日打たなければならない注射の説明、看護師さんの退院後気をつけることの説明等があり、いよいよ退院かと思っていると、これからがまた大変だった。

こんなことは本当はしてはいけないのだが、母はお世話になった看護師さん達だけでなく、お掃除の人にまでお礼の品物を準備してあったので、それを渡して挨拶するのに大分時間をとった。その後、記念撮影も・・・。(苦笑)

前日までに、母の世話をしてくれているおばちゃんが何往復もして荷物を運んでくれてあったらしいが、まだいっぱい残っていて、それをタクシーに積み込んで帰宅するのも大変だった。

帰宅するとすぐにケアマネージャーさんが来てくれて、薬剤師さんの説明と同じ説明を、もう一度してくれて、それから、「さて、その注射液を冷蔵庫で冷やして、注射液を持ち運びするときに必要な保冷剤を冷凍して仕舞う必要がありますが、冷蔵庫を見せてください」ということになった。

冷蔵庫の中は、入院したときのまま、つまり2月初めのままだった。それだけじゃなく、庫内が清潔でないのを見たケアマネージャーさんが、「小さいのでいいですから新しい冷蔵庫を買って、薬は別に保管してください」ということになった。

が、兄嫁に相談すると、お店に冷蔵庫が2台あるから、お薬はそこに保管してくれることに。

これで冷蔵庫を買う必要はなくなったが、冷蔵庫そのものの掃除はしないといけないということになり、お世話してくれているおばちゃんと定期的に来てくれているヘルパーさんの二人で冷蔵庫の大掃除をしてくれた。

私はというと、狭い台所に三人も入れないので、昼食を摂ってくるという理由で実家を後にした。

そして、高知市内の繁華街を歩いた。

上の”はりまや橋商店街”は、昔は”中種”という名称だった。

それが”はりまや橋商店街”に変わったのは、そのほうが全国的にも通りがよいからだろう。

”はりまや橋商店街”を渡ると、”京町”という商店街になる。

ひさしぶりに歩くと、ずいぶん様変わりしていた。

”京町”の角は片桐書店という高知県で一番大きな書店だったはず。(写真右側角)

それが土産物店になっていた。

私にとっては軽いカルチャーショックだった。

少し歩いて次の角は「小川」という呉服店だった(はずだ)。

私達の若い頃から既に呉服は斜陽になっていたから、洋服も扱っていたが。

私の娘がこの店で母に成人式の振袖を作ってもらったのが、今から20年あまり前。

それが跡形もなく更地になっていたのには驚いた。


”京町”の突き当たりには、昔は”ねぼけ”という大衆食堂があった(はずだ)。

それが、ティファニーのお店になっているのにも、驚いた。


ここを折れると新京橋という短い通りだ。

短い新京橋を北向きに少し歩いて曲がれば帯屋町という文字通り帯のように長い商店街なのだが、私は、ここで曲がらないで、まっすぐ追手筋という通りまで出た。

追手筋は、毎日曜日に日曜市という朝市の立つ大通りだ。

昨日は金曜日だったので、朝市は立っていず、足元を見ると、舗道にこんな絵タイルが埋め込まれてあった。可愛い顔をしているが、土佐闘犬の絵だ。


何か食べようと思って歩くのだが、昼食時をずれた時間帯は「準備中」の札の下がった店ばかり。

大阪などなら、昼食時を過ぎていても、何か食べようとしたとき、すぐにお店が見付かるものだが、営業している店が見付からないのが、田舎の田舎たる所以かと思った。車で郊外に行けばあっただろうか?

仕方ないので、このあと、私は駅前のホテルに戻ってシャワーを浴びて、買っておいたパンを食べて昼寝をした。

  様変わりしたる故郷の繁華街歩けば新たな発見多し  biko

  昼食の時間外せば食べさせてくれる店なくさ迷ひ歩く  biko
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大阪梅田から高知駅まで~その後、グループホーム見学、実家、母の入院する病院へ

2016年05月27日 00時06分48秒 | 家族
午前11時発の高速バス「よさこい号」に乗ってすぐに持参の穴子寿司と巻き寿司を食べると眠くなって、いつのまにやら熟睡していたようだ。

目覚めるとトンネルの中を走っていた。

ということは、もう高知県?

我ながらよく寝たものだと思っていると、最初の一宮停留所、まもなく高知駅バスターミナルに到着。



降りると、どしゃぶりの雨。

母の病院に行くのは後回しにして、ホテルに直行して一休みした。

その後、パソコンで調べておいたグループホームに行って、館内の案内をしてもらった。

丁寧に説明してくださったが、入所するには何年も待っていただく必要があると。

その後、実家に行き、グループホームのことを兄嫁に説明したあと、母の入院する病院へ。

母は夕食も終わっていて、しばらく雑談したあと、明日10時に迎えにくることを約束して病院を後にした。

と、ここまでガラケーで入力したが、はたしてどんな記事になっただろう(^-^)。

  ガラケーで写真を写しガラケーに文字打ち込みて投稿すなり biko
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母が退院するというので、帰省します

2016年05月26日 06時01分39秒 | 家族
昨日、兄嫁からメールが入って、母が退院したがるから27日(金)に退院することになったと。

私は3月末に見舞いに帰ってから会ってないので、どれだけ回復しているのか分からないが、兄嫁に言わせれば、まだ治療も終わった段階ではないのに、本人が帰りたがるから、これからは通いの治療になるのだそう。

2月初めに首の骨を折って、最低半年は頭を固定する器具を装着する必要があるといわれているから無理ではないかと思うが、母は言い出したらきかないので退院することになったのだろう。

退院すると、早速食事その他の心配があるが、ま、向こうに行って母の様子を見てから考えるようにしよう。

そういうことで、今日午前中の高速バスで帰省します。

泊まるところは、昨日のうちに、病院と実家いずれにも近いホテルを2連泊で押さえておきました。

荷物は、造ったり持ったりするのは面倒なので、下着以外は着の身着のままです。

  これからをだうすることも考へず退院すなり九十歳(きうじふ)の母は  biko
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昔Junior & Seniorは中学生と高校生を指す言葉であった

2016年05月25日 09時17分25秒 | 思い出
最近、老人のことをシニアということが多い。

私は、これには少し違和感を覚える。

というのが、私の出身中・高校の制服は、セーラー服であったが、そのセーラー服のスカーフ留めに、中学生は”Sinior"、高校生になると”Senior"という字を刺繍してあったことが記憶にあるから。

中学生の”Junior"は赤い糸で、高校生の”Sinior"は白い糸で刺繍されていた。

そして、まだ子供子供していた中学生時代は、少し大人びた高校生のお姉さまたちが眩しく見えたものだった。

と同時に、その胸のスカーフ留めに白い糸で刺繍された”Senior"の字が輝いて見えた。

その憧れだった”Senior"=シニアを、年寄りの名称に使うことに、どうも違和感を覚えてしまうのだ。

と言いながらも、最近は私も、自分を含めた年代を「シニア」とまとめてしまうこともある。

まだ「シルバー」とは言いたくない。

若い人達から見れば、十分シルバーなんだろうけれども・・・。

「シニア」という言葉は堂々とシルバーと自称できるまでの時間を猶予してくれる便利な言葉のような気もする。

  先輩の”Senior"の文字に憧れた”Junior"時代のわれの制服  biko

  いつのまにシニアすなはち老人を意味する言葉になりはてしかな biko

おまけ

  県内の男子生徒の憧れの制服なりきあのセーラー服は  biko
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一昨日の夜中(=昨日)の記事でご紹介した川西能勢口駅東口のチロリン村

2016年05月24日 22時16分47秒 | 近所
               (駅から5、6分歩くとチロリン村の灯が見えてきます)

夕方、明日のお米を買いに出たついでに、

一昨日夜中(昨日)の記事「夜の散歩」でご紹介したチロリン村を写してきたのでアップします。

以前も書きましたが、昔は、現在の東出口がメインの出口だったので、現在の東口から東側は店舗、食堂、さらに飲み屋などが連なっていました。

が、阪急電車が高架され、駅も高架されるとともに西側に移り、さらに西出口もできたので、東口は寂れてしまいました。

ところが、どういうわけか、駅から少し離れた場所のこの飲み屋街、チロリン村は残ったのです。残ったということは常連さんがいるということなのでしょうね。

どの店も昭和に建てられた建物らしく、町全体がレトロな雰囲気です。


小さな村なのに一人前に脇道もあり、脇道にも飲み屋、カラオケ屋が連なっています。


私は飲み屋もカラオケ屋さんも入ったことがないのですが、中華料理店だけは、義母の整形外科医院通院の付き添いのあと、夕食を摂るために入ったことがあります。

お世辞にも綺麗といえるお店ではなかったのでしたが、中華料理は、そんな店のほうがおいしかったりするので、期待して入ったのでしたが、期待に反して、あまりおいしくはありませんでした(苦笑)。

チロリン村をぐるっと回ると、国道に面したところにも屋台があって、ビニールハウスよろしくビニールに囲われて、


「黒毛和牛焼肉一枚90円」と看板に書かれてありました。


この写真は、チロリン村の脇道を国道側から写したものです。


  能勢口の東にチロリン村はあり今も昭和の灯が灯(とも)るなり  biko
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昨日の記事「枡添東京都知事の母校八幡高校校訓」へ追伸

2016年05月24日 17時22分43秒 | 私の意見
昨日の記事「枡添東京都知事の母校、福岡八幡高校校訓」に対して、やっほさんというハンドルネームの方からコメントを頂戴しました。

何でも、枡添都知事のお母様が外国の人であられるらしいと。

で、私もネットで検索してみました。

すると、出るわ出るわ、たくさんのサイトがヒットしました。

それで、コメント返しに、「もし、それが事実なら、とても日本の首都を任せることはできませんね。」と書きました。

が、落ち着いて考えてみると、

単にお母様が外国の人だからと言って、非難はしてはいけないと思い直しました。

片方の親が半島出身の人であっても、この国の首都東京のことを真剣に考えてくれるのなら、問題ないと思います。

が、結果的に、そうでなかったから、余計さまざまに言われるのだと思います。

世間の人たちは、とかく人の粗探しをするものです。ことにネットという本名を名乗らなくてもいい世界では。

だから、なおさら清潔である必要があるのです。

  母親が半島人といふ噂あればなほさら清くあれかし  biko
 
  混血と言はるる君にこの都政託しし都民の溜息聞こゆ  biko

  東京のことを考へ都政するならば何人なりても都知事  biko

枡添さんが天に誓って潔白だと言えるのなら、その証しを見せていただきたく。
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ネット時代のタレントは「絵に描いた餅」ではなくなった

2016年05月24日 12時22分53秒 | 私の意見
タレント活動をしていた大学生がファンに刺されて重体だとか。

私達の若い頃は、映画俳優などのことはスターと呼び、それこそ夜空に輝く星のような遠い存在だった。

が、インターネットで世界が繋がるようになって、有名無名の誰彼とも瞬時に繋がれるありがたい世になった。

俳優やタレントでなくても、昔は小説家と読者というのは、お互い遠い存在だった。

売れっ子小説家というのは、これも夜空に輝くスターであった。

が、近年は、この人たちもごく身近な存在になった。

現に、今月も、私が、とある作家の小説の読書感想をしたためると、その作家の方から直接私のブログにコメントが届いた。

昔なら考えられないことだ。

作家も今や手の届かない空に輝くスターではなく、手の届くところにいる身近な存在に替わったのだ。

そんなことを考えると、今回事件のあったタレントさんも、ファンの方からは、ごく身近な女性に思われたのだろう。

それが、タレント側のというより、芸能プロダクション側の目論見であったろう。

だから思いつめたファンの男性が、手の届くところにいるはずの女性に素気無くされたことに対して恨みを抱いたのだ。その気持ちは私にも分からないでもない。

しかし、身近に感じられたとしても、それは向こうの戦略であって、現実ではなかったということだ。

が、ファンのほうは生身の人間、好きという感情をコントロールすることは至難の技だ。

  すぐそこにゐるかのような錯覚を誘ふネットのタレントの笑み  biko

  錯覚を誘ふネットの微笑みに誘はれしファンの一途さ痛し  biko

  私にも小説書けるかもしれぬさう惑はせるサイトもありて  biko  
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枡添東京都知事の母校、福岡県立八幡高校校訓

2016年05月23日 14時51分11秒 | ニュース
先ほどの記事に付け足して、

枡添さんのウィキペディアを読ませていただいていると、母校は福岡県立八幡高校となっていました。

で、どんな高校だろうと調べさせていただくと、こんな校訓が紹介されてありました。

ちよろづの教えのもととまもれ人
誠ひとつのひとすじの道


朝夕に磨けとてこそ仰ぐなれ
心の鏡くもりなきまで


すばらしい校訓ですね。

・誠ひとつを一筋の道として全ての教えの元として守っていくように。

・心の鏡を曇りなきまで朝夕磨いて仰ぎなさい。

というようなことを、毎日、枡添少年は学んでいたのですね。

そして、同窓会名も「誠鏡会」と称しているらしいから、卒業後も、その同窓会名に恥じない行動を目指していられたのでしょう。

そのことを考えれば、最近の自分さえよければという行動は、何かに血迷った一時的なものなのでしょう。

私達は、あなたの学んだ校訓の”鏡”が蘇ることを祈っています。
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枡添君、ダメじゃない!(怒)~同じ団塊の世代の私より

2016年05月23日 13時58分31秒 | 私の意見
あなたと私は同じ昭和23年生まれ、だけど、私は2月生まれだから、あなたより一学年上よ。

で、今日は、あなたに言いたいんだけど、あなたほどの秀才が、なぜあんなせこいことをいろいろしたの?

あなたは神様から知力という武器をいただいているのに、あんなにセコイことをしてどうするの!

いちいち書かなくても、したことは本人のあなたが一番ご存知よね。

その知力というか頭脳を世の中のために使わないでわが身のために使うことほど恥ずかしいことはないと私は思うの。

あなたも私も、同じ団塊の世代、みな切磋琢磨して生きてきましたね。

そんな仲間なのだから、私は、あなたが、自分だけがいい思いをしようと、ずるいことをしたことを悲しく思います。

都民の皆さんは、あなたの優秀な頭脳で素晴らしい都政を行って欲しいと投票したはずです。

それなのに・・・(涙)。

せめて、今までの裏切りを洗いざらい吐き出して、都民の皆さんに心より謝るようにしてほしいです。

したことは消えませんが、あなたが心より謝ることで、あなたという人は一新します。

一新して、綺麗な枡添さんになって、また返り咲きませんか?

今のままだと、都民の皆さんの、あなたに対する怒りは溶けないと思います。

それは、都民の皆さんの不幸であるばかりでなく、あなた自身の不幸でもあると思うのです。

どうか目を覚ましてください。

この私の小さな声が、同じ団塊世代の枡添さんに届きますように!
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夜の散歩

2016年05月23日 02時50分48秒 | 日記
最近、また夜の散歩を復活した。

これは健康のためとかいう殊勝なものではなくて、クーラーをまだ入れない今の時期、夜になると外のほうが涼しいから外に出たくなるという、それだけのことだ。

夫は夕食が終わると、テレビを付けたまま、すぐに食堂のソファで眠ってしまう。

私は、それを見計らって、そっと外に出るのだ。

昨夜は満月だった。

満月を見ながら自宅のある一角を歩いて、その後、駅のほうに行って飲み屋街を歩いてきた。

阪急の川西能勢口駅を出て東に5、6分歩くと、チロリン村と呼ばれている飲み屋街がある。

どの店も年季が入っていて、ノスタルジーをそそる一角だ。

駅の西のほうに向かうときもある。

昼間は人の往来の激しいショッピングセンターのあたりも、夜になると、まばらになって寂しくなる。

そんなところを一人で黙々と歩いてくるのだ。

幸い、膝は歩き始めるときには、まだ少し痛いが、何とか歩けるようになった。

ところで、老年にさしかかった私は、何をするにも気ままになった。

食べるものもそうだが、こうした散歩なども、ずいぶん気ままにする。

一昨日来た、大阪のマンション時代の知人夫妻の奥さんが言っていた。「人生七十代が一番いい年代なんですって」と。

現代は、70代になって、やっと世の中のしがらみから解放されるのだそうだ。

私は、あと2年で70歳になる。

70歳と聞いても、いったいどちらのお年寄りのこと?と一瞬思いそうになるが、それが自分の年齢になるのだ。ああ。

  満月に誘われ夜の街に出る七十歳とはどなたの齢?  biko

  まだ母もいませば己は娘なり娘のわれに七十歳(ななじふ)が来る  biko

目が覚めたからブログを書いたが、また眠くなったから寝よう。

  年寄りは気ままなるべしブログ書き眠くなりせばまた寝る気まま  biko
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執念深さは欠点でしかないのか

2016年05月22日 17時27分25秒 | わたしのこと
前にも書いたが、私は情の深いところがあって、それが執念深さになることもある。

だから、スマートに生きられない。

執念深さは欠点だろうか?

世の中の犯罪は、大抵、執念深さから発しているように感じる。

私も、これさえなければ、現在も幸せではあるが、もっと幸せになれるような気がする。

でも、器質だから換えようがない。

人のことも、思い込んだら忘れられない。いいことも、悪いことも。

もっと外に出かけて、いろんな人と触れ合えば、忘れやすくなるだろうか?

  このわれの執念深さは欠点か欠点としてもわれは直せず  biko

  思ひ込みやすき性(さが)にて人よりも重くこの世を生きゐるわれか  biko

  この重き生を愛しみつつ生きるわれとも思ふマーガレットよ  biko  
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