神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

家でゆっくり過ごすのも連休の過ごし方のひとつ

2016年04月30日 07時08分57秒 | 私の意見
さきほど、さる方のブログを読ませてもらっていると、その中に「連休はどこにも出かけないで、家で過ごすのもひとつの過ごし方」とあった。

それを読んで膝を打った。

もともと家居の好きな私は、連休だからといって出かけることの馬鹿らしさを以前から思っていた。

連休中は、どこに行っても人が多い。料金が高い。おまけに道中渋滞する。

何のいいこともないと思う。

子供がいると、子供を喜ばせるためには、疲れるのは分かっていても、その渦中に身を投じるのだろう。

しかし、どこにも行かないという選択肢もあるはずだ。

たとえ子供がいても、ふだん遊んでくれない父親が近所の公園で遊んでくれるだけでも子供達は嬉しいのではなかろうか。

母親は食事の支度が大変かもしれないが、こんなときは、お休み中の家族に手伝ってもらって、自分に楽させてやればいい。

子供のいない人たちは、思い切り読書に打ち込むという選択肢もある。

読書に飽きれば近くを散歩すればいいのだ。

今時分は、遠出をしなくても、日常住み慣れた街にも花は咲き乱れているはずだ。

勤め人の目には、普段はベッドタウンにすぎない近所の風景も、しみじみ見れば新鮮に映るのではなかろうか。

そんなことをつれづれに思った。

もっとも、毎日が日曜日のわれわれリタイヤ年代には関係ない提言?だが。

  人込みを避けてどこにも行かないと五月(さつき)散歩と家居で過ごす  biko

もういらないと電気保温湯沸しポットを仕舞ったら寒いので、ガスで湯沸し

2016年04月29日 20時38分41秒 | 日記
今日は肌寒い。

最近、お茶もペットボトルのを飲むようになったから、もういらないと冬の間中お世話になった保温湯沸しポットを片付けたところへ、この肌寒さだ。

またポットを出すのは面倒なので、今日は薬缶を出して、その都度ガスで沸かしているが、手間だ。

朝コーヒーを飲むのに沸かし、おやつを食べるときに飲む緑茶を入れるのに沸かして、食事時のお茶を入れるのに沸かしてというふうに、一日に何度もガスでお湯を沸かさなければならない。

食事のときは、おかずを作りながらお湯も沸かさないといけないから気ぜわしい。先日から、ご飯も土鍋で炊いているから余計に。

冬の間は、暖かいご飯を食べたいから電気炊飯器でご飯を炊くが、温かくなると土鍋で炊く。

同じころ電気湯沸しポットも仕舞うのが例年だが、こう肌寒いと、また出したくなる。

年取ってくると、とかくわがままになってこらえ性がなくなってくる。

こらえ性がなくなってくるのに、その対処をするのが億劫になってくる。

その結果、だんだんだらしなくなってくる。

もともとだらしないかもしれない私が、これ以上だらしなくなったら手に負えないが、寄る年波には勝てない。

もっとシンプルな暮らしができるように工夫する必要がありそうだ。

  初夏(はつなつ)と思へるほどの晩春(おそはる)の暑さのなかにこの肌寒さ  biko

母校の会員名簿が届いて読み耽ってしまう

2016年04月29日 11時35分33秒 | 日記
朝一番に母校の会員名簿が届いた。

このプライバシー保護の厳しい昨今、よく出してくれたと感謝する。

前回から8年ぶりの出版だとか。

現校長先生の挨拶文に今年113回目の卒業生を出したとある、歴史ある母校である。

もちろん、これは旧制女学校の卒業生を含めての回数である。

私の在学中に挙行されたのが確か60周年式典だったから、私達も旧い会員になったものだ。

        校庭の向こうに
        高知城が見える
          ↓    


見ているとというか、読んでいるとというか、とにかく眺めていると、つい時間を過ごしてしまう。

私の従姉妹達は全員、この母校を卒業しているから、いま従姉がどこに住んでいるかの確認ができるだけでなく、眺めていると、友人のお姉さんと私の従姉が同級生だったことなど、新たに発見することも多くて、読んでいるうちに時間が経つのを忘れるのだ。

私達の母校は、勉強一点張りの進学校ではなかった。

それより、女らしい上品さを躾けられたと思う。

私自身がその母校の意図したふうに育ったかどうかはさておいて、友人達を見ていると、そのことが納得できる。

先週末に我が家に集ってくれた友人2人も例外でなく、集まると華やぐ。

同窓会などに行っても、往年の乙女チックな雰囲気がそこここに漂っていて、私も昔の乙女に戻れるのである。

兄の通っていた高校は県下一の進学校であったが、その兄の友人達も、われわれの母校の制服は憧れの象徴だったと、今でも言ってくれる。

こうして母校の名簿を見ていると、母校よ永遠なれと祈りたくなる。

  プライドをもつこと教へたまひしは故木戸耕作校長先生  biko

ここ数年いろいろいやなこともあったが、また昔を思い出して、新規まき直しを図ろう。

歌友から斎藤茂吉の『赤光』と『長塚節歌集』を賜る

2016年04月28日 17時18分03秒 | 短歌
最近、短歌に対する情熱が失せた。

やめようと想いながら、ブログには、その日の記事に併せた即詠の歌を載せているが、以前のような情熱は湧いてこない。

創意工夫して歌をつくろうとも思わない。

だいたい、結社の選者が若返ったのが、私にはおもしろくない。

人生経験の乏しい人たちに選歌してほしくないという気持ちが強いのだ。

が、自分の年齢からすると、もう年上の先生を求めること自体むずかしい。

それなら、一匹狼で独学でやっていこうと思ったりしていたのだが、そのことを話したら、とある方が、「また心機一転、短歌に向かってください」と、タイトルにした斎藤茂吉の『赤光(しゃっこう)』と清水房雄氏の『長塚節(ながつかたかし)歌集』を送ってきてくださった。

最近は、歌を作るより、ブログを書くことのほうが楽しい。

しかし、ブログは、書いても書いても、何も残らない、かもしれない。とも危惧している。

が、読みに来てくださる方はいるし、まあ、私は書くこと自体が好きだから楽しい。

と、気の向くままにそうしているのだが・・・。



  歌友からもらひし茂吉の赤光と長塚節歌集読まねば  biko

今年は何度も筍をいただく&南海地震を心配している

2016年04月27日 16時57分41秒 | 料理
私は筍好きなので、筍の季節になると猪名川町にある「道の駅いながわ」に新鮮な筍を買いに行くのですが、今年は買わなくても、ちょうどの頃合にいただきます。

昨日も夫が朝の山登り仲間からいただいてきたので、昨日のうちに茹でておきました。

↑その筍の穂先の柔らかい部分で酢の物、根っこの堅い部分をキンピラにしました。

↓主な部分は、いつもどおり昆布と鰹節で土佐煮です。


今夜の主菜は、また高知の明神丸水産の「かつおたたき」です。

鰹たたきの上に、スライスした新玉ねぎをたっぷり載せました。

こちらは、昨日のおかずの鰈の煮付けの汁が残っていたので、厚揚げを煮ました。

いつも書いている通り、お魚やお肉を煮た汁は絶対捨てません。その汁で一品できるから。

こうして、私達は食べたいものを食べられますが、被災地の方々は我慢していられると想うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ネットの情報で当てにはできないかもしれませんが、24日の日曜日は、郷里高知県の黒潮町で、もぐらが大量に地上に出て死んでいたとか。

南海地震の前触れでないことを祈るばかりです。

  いつか来る必ず来るといはれゐる南海地震(なゐ)を恐れつつ待つ  biko

生協の配達は人を一人雇っているくらい助かる

2016年04月26日 20時16分19秒 | 生活の知恵
今日は生協の配達日だった。

配達してもらうようになって、約1ヶ月たったが、これまで利用していなかったのが悔やまれるくらい、助かる。

が、少々買いすぎてしまうのが、欠点といえば言えるだろうか。

前回の支払額は15000円くらいだった。

今回は10000円くらいだったが、やはり多すぎると思う。

なぜなら冷凍庫がいっぱいになっているから。

しかし、それにしても、この配達は、人を一人雇っているくらい助かる。

といっても、私自身は人を雇った経験はない。

行儀見習いという、お手伝いさんのような体験はあるが、あまり役に立つお手伝いさんではなかった。

母の実家や、母の妹(叔母)の家のお手伝いさんを見ていた体験から、生協の配達の有り難さを思う。

ほしい品物に印をつけておくだけで、翌週、きちんと勝手口に揃えておいていってくれる、こんな有り難い恩恵を今まで受けたことがなかった。

人を雇ったら、その人にも気を使わないといけないが、配達は、そのときに「ありがとう」というだけで済む。

  恩恵は計り知れなくありければ配達員に最敬礼す  biko

特に助かるのが、半調理品だ。

忙しいときとか、やる気のないときの助っ人になる。

今までは、そういうときは外食していたが、外食に出るのも面倒なときもある。

そういうとき、さっとできる惣菜が冷凍庫に入っていると地獄に仏だ。(笑)

先生という職業の適性は?

2016年04月25日 23時08分27秒 | 友人
昨日帰った友人Nさんは、大学卒業後、中学校の英語の先生をしていたらしい。

そのころは、私自身が、自分の就職、結婚などで忙しく、このNさんとも、あまり会ってはいなかったから、そのことは知らなかった。

昨日聞いたところによると、Nさんは、先生になって半年後くらいに、教務主任のような先生に、「あなたは先生に向いていません」と宣告されたそう。

それで転職しなければと、また保育士の資格などとって、幼稚園の先生もしたらしいが、これも向いてないと止めたと。

その後、いろいろな仕事をしたらしいが、OLだけはしたくなかったという。

一方、一昨日来ていた、もう一人の友人Mさんは、地元の国立大学教育学部を出て、地元の小学校の先生を1年したらしいが、自分で、自分は先生に向いていないと自覚したそう。

二人の話を聞いていて、それでは、いったいどんな人が先生には向いているのだろうと考えた。

Nさんは、確かにちょっと頼りない感じのするところがあり、それが私には長所に見えるのだが、先生には、あるいは向いていなかったかなとも思える。

が、Mさんのほうは典型的な優等生タイプだったから、どこが不向きだったのか分からない。

先生に向いたタイプって、どういう人だろう?

これは、自慢でも何でもなく、白状をするが、私は、どういうわけか、短大時代、教授に先生タイプだといわれたことがある。

が、私自身は、ぜんぜん先生をする気などなかった。

というより、当時から難聴だったから、できるはずもなかった。

が、教授にそういわれたのは、なぜだったろうと、時々考えることがある。

教えること自体は好きかもしれない。

短大時代は、休日になると、叔母の家に行って、当時中学生だった従弟の勉強をみてやって、叔母から家庭教師代をいただいていた。

従弟の家庭教師は、私が短大を卒業した年、すなわち従弟が中学2年までした。

従弟は、私などが教えなくても、もともと勉強のできる子だったから、成績がよかったのであるが、その後、塾にもいかずに学区のトップ公立高校に合格して、それは私のお陰だと、叔母にはお礼を言われた。

しかし、従弟の合格は私のお陰でないことは私が一番よく知っている。が、教えることが楽しかったことは確かだ。

私は、希望の大学も受からなかった劣等性だったが、しかし、優秀だった従弟は、私が教えても、教えなくてもできる子だったのだ。

それにしても、先生に向いている人とは、どういうタイプの人のことを言うのだろう?

一昨日、昨日と、先生に向いていないといわれた、あるいは、そう自分で思った友人たちのことを思い浮かべながら、思案している。

  先生に向いた人とはどのやうな人をいふのか答へよ先生  biko

友人と24時間一緒にいて、話し続けて精魂尽き果てた(笑)

2016年04月25日 21時04分45秒 | 友人
友人は、昨日のお昼ご飯を食べてから帰途についたが、延べ24時間余りを一緒にいて、目覚めている間、喋り続けたので、精根尽き果てた。

私は、昨日友人を送ってから、一日以上、呆けたままだ(笑)。

まだまだ話したいことはいっぱいあったが、友人は名古屋に住んでいる妹さんに昼過ぎに行くと言ってあったらしく、妹さんから電話が入って、別れざるを得なくなったのだ。

友人は数年前に医師だったお父さんを亡くしてからは高知に帰ってないと言っていた。

高知にはお姉さんがいるけれど、それほど仲がいいわけでもないから、帰省するより、私とか、一昨日来ていたMさんと会うほうがよっぽど楽しいと。

そんなものかもしれない。

私も、母が亡くなれば、高知に帰ることはなくなるだろう。

ふるさとは親があってのふるさとで、親のいないふるさとなんてという感じなのであろう。

  ふるさとはすなはち父母であるゆゑに父母なくなればふるさともなし  biko

それにしても、疲れた。

友人は、しゃべるだけでよかったが、私は、しゃべるのと平行して三度の食事の支度もしなければならなかったから。

外食をすればよさそうなものだが、私は補聴器をつけているので、静かな自宅内でなら何とか会話ができるが、レストランなどのような、他の人たちの会話が入るところだと、全然聞き取れなくなる。

補聴器は、音を選別せずに、友人の声も、その他の人たちの声も、等しく私に聞かせるから。

それでも、補聴器をつけていれば、条件つきではあるが、なんとか会話ができるから、文明の恩恵を蒙っているといえるだろう。

友人には、私が両方の耳に補聴器をつけてからのほうが以前の片耳の補聴器のときより、ずっと聞こえているように思うと言われた。

私自身は、ここ数年、聴力が目だって落ちたと自覚しているだけに、友人の感想は意外だった。

その意味では、両方の耳に補聴器をつけたことは、大正解だったのだろう。

  右ひだり補聴器つけてゐるわれの耳は頑張る右も左も  biko

友人とは今度いつ会えるか分からないが、別れるときに、「今度は、私の家に来てね」と何度も言われたから、今度、娘のところに行くときは寄らせてもらおうと思う。

昔の友達というものは、本当にいいものだ。

会えば、一気に、中学時代、高校時代に戻れる。

  旧友に会へば昔のわたくしが現れあなたに語りてゐたる  biko

夫は、一昨日の夜行バスで広島に行き、宮島、江田島などを見て回り、昨夜遅く帰ってきた。宮島ではロープウエイに乗らずに徒歩で弥山に登ったから疲れたと。

今回の広島行きは、夫は前から計画していたのだったが、友人は、自分が来たせいで夫が気を利かせて出かけたのではないかと気にしていた。

そうではなかったが、しかし、夫が留守だったから、心置きなく語り合えたのは事実だ。

友からのお土産が先に到着~友人とは夜中の2時まで話し込んでしまった

2016年04月24日 18時54分52秒 | 友人
昨日は、東京の友人Nさんの到着の前に、そのお土産が届いた。

そして、Nさんの前に、私と同じ阪急沿線に住んでいる友人Mさんが来た。

一緒に来ると思い込んでいた私が、「あら、Nさんは?」と聞くのと同時にNさんからメールが入った。

「JRの電車に乗り遅れたので、15分遅れます」と。

え、飛行機で来ると言っていたから川西能勢口駅から我が家までの地図を送ったのに、なぜJrの駅?

と、思っていると、Mさんが、「Nさんは新幹線っで来るって言ってたわよ」と。

まあ、それならそう連絡してくれないとと思ったが、Nさんに何か事情があったのだろうと待つことに。

それから20分ほどして、Nさんはタクシーで来た。

JRの川西池田駅は阪急川西能勢口駅よりは遠いが、それでも徒歩10分くらいだから、タクシーで来るほどでもないのにと思ったが、それにも事情があったのだった。

あとで聞いたことだが、Nさんは、昨年12月に脳梗塞を起こして右半身に少し麻痺が残った。

それで、お土産も先に送付して、駅からもタクシーで来たのだった。

Nさんは、今年1月に心臓の手術をしないといけないとメールくれていたから、そのことだけを私は心配していた。

が、その時は、脳梗塞のあとの話だったのだ。

目に見えるほどではなかったが、確かに歩くのは遅くなっていたし、少し頼りなくなっていた。

が、それより脳梗塞を起こしたことを私に言わないで心臓手術の話をメールしてきたり、飛行機で来ることを変更して新幹線にしたことを私に連絡しなかったり、こっちのほうが少し変だと思った。

新幹線で来ることをMさんに連絡して、私にもしたように思い違いをしていたことなど、以前のNさんにはなかったことだ。

と、そういうことはあったが、昨日の午後は、Mさんの持参してくれた、たねやのお饅頭やバウムクーヘンをいただきながら、この高校時代のクラスメイト3人で思いきりしゃべった。

先日母の送ってきてくれた高知の鰹たたきや、鶏肉を解凍するために、ほんの少し席を立つこともできないほどに、私は話に熱中した。

気がつけば午後5時、急いで冷凍品にお湯をかけて解凍しようとしたが、手ごわい。

Mさんは帰宅しないといけないと言い出して、私とNさんは川西能勢口駅に散歩がてら見送りに。

1時間くらい散歩してから、解凍された鰹たたきを盛り付けして出して、鶏肉で、「栗原はるみさんの揚げ鶏の葱ソースかけ」を作って出した。

実は、友人は、散歩の途中で、「どこかで外食しない?」と言っていたのだったが、この料理は、よほどおいしかったようで、3人には多すぎる量だったが、ほとんで平らげた。母の送ってきてくれた鰹たたきもおいしかったので、友人は大満足の様子だった。

喜んでもらえてよかった。

栗原はるみさん、ありがとうございました。

その後、夫は夜行バスで広島に行ったので、友人と夜中の2時まで話しこんで、倒れるようにベッドへ。(笑)

  話しても話してもなほ尽きることなく話したり数年ぶりに  biko

  三人の子を褒められて難聴であれど幸福さう思はねば  biko

阪急川西能勢口駅東出口

2016年04月23日 06時06分29秒 | 日記
昨夜、お腹が空いて、夫の朝食用に残してあった食パンを私が食べてしまったので、夜明け前に駅の向こうの24時間スーパーに買いに行ってきた。

まだ夜が明けきっていないが、私のいつも利用する阪急電鉄川西能勢口駅の東口を撮影した。

↓パンを買った帰りに、読者サービスで(笑)、西口も撮影。


昼間は大勢の人の行きかう通路も早朝は閑散としている。


ついでにエスカレーターを上がって、西口改札口を撮影。


さらに、東口まで行って、東口改札口も撮影。


ということで、軽い朝の散歩ができた。

  早朝の能勢口駅の東口西口もどりまた東口  biko

今日は、この東口経由で東京から友人が来宅してくれるのだ。(わくわく)

数日前に、駅からの地図を葉書に描いて送っておいたから、迎えに来なくても来宅してくれると思う。

髪の毛染めは何歳まで?

2016年04月22日 20時07分41秒 | 日記
                   表通りのハナミズキの花

夫が今朝、私の髪の毛の分け目が白くなってきたと言った。そしてそろそろ毛染めをしてもらってきたらと。

私の身なりに関心を持ってくれるのは嬉しいが、私は、自分ではもう毛染めはやめたいと思っている。

それを言うといつも夫の機嫌が悪くなるので、美容院に行って毛染めしてもらってきた。

ご近所の花

最近は、私より若そうな人でも、毛染めしていない人を見かける。

だいたい、人は、何歳くらいまで毛染めをするのだろう。

現在は入院中だが、私の母は、今もまだ毛染めしている。

それだけにとどまらず、髪の毛が薄くなっているから、カツラも作っていて、時と場合に応じて、カツラを被って出かけることもある。

口さがない兄嫁は、「お母さんはいいつもりかもしれませんが、カツラはおかしいです」と言うらしい(笑)。

私も変だと思うが、しかしカツラを被って写した写真は若返って写ることは確かである。

私は今より年取っても、カツラは被りたくないし、現在も毛染めをしないで自然のままでいたい。

夫は、私が化粧しないことには文句を言わないのだが、毛染めをしないのは認めない。

化粧は、むしろしないほうがいいと言うくらいなのに、なぜだろう?

ご近所の庭の木


  不自然を不快に思ふ齢にて化粧も毛染めも決別したし  biko

鹿児島在住の友人にメールを送ると、鹿児島もずいぶん揺れたと

2016年04月21日 21時06分12秒 | 友人
今週末に東京から高校時代の友人が来てくれることが楽しみでたまらない私は、やはり高校時代の友人で、現在鹿児島在住の友人に、そのことをメールした。

すると、鹿児島からの友人の返信は、「熊本の地震の影響で、こちらも毎日揺れています。いざというときのために毎日片付けをしています。お風呂もゆっくり入れません」とあった。

驚いた。ニュースには鹿児島の「か」も出てこないから、大丈夫だと思っていたから。

あわてて、折り返し、お見舞いのメールを送ると、「我が家はマンションの13階だから、余計揺れるのかもしれませんが」と。

それでも、そんな事態になっているとは知らず呑気なメールを送って申し訳なかった。

私には、鹿児島県には、短大時代の友人もいる。

今回の地震が、もし鹿児島県まで延びた場合、危険視されている鹿児島川内市に居住しているから、こちらの友人のことは、心配していた。

が、まだ連絡は取っていない。

私は、電話ができないので、よほどにならないと連絡を取ることができない。

そう、夫に電話で聞いてもらうしか方法がないから。

こんなことがあるから、だんだん私の交友関係は狭められていくのだ。

友人のことを心配する気持ちは失せていないけれども、ちょっとした連絡はとれない。

こんなことも、難聴が進んだことによる障害である。

天災も悲しいが、身体障害による障害も、負けず悲しい。

  災害の安否も安易に友どちに問へぬ己の難聴かなし  biko

熊本地震の避難者の体調悪化とか

2016年04月21日 14時00分43秒 | ニュース
さきほどネットのニュースを見ていると、熊本地震の被災者の体調が悪化していると。

現在、一時的なものだとは思うが、あまり体調のよくない私には他人事とは思えない。

そのニュースを見るまでも、私は心配していた。

大きな地震には一度遭遇しただけでも、遭遇した者には、かなりの衝撃になる。

それが、一度きりではなくて、いつまでも続くのが今回の地震の特徴である。

これで体調が悪くならないほうがおかしい。

自宅が倒壊したり、半壊した人の精神的衝撃は計り知れない。

地震に文句をいっても仕方ないが、国のほうで、早く何とかの手立てをと思う。

私は、テレビのニュースで、またはネットのニュースでしか現況を知ることができないが、見えない部分、伝えられない部分も想像することができる。

想像していると、私のほうまで息苦しくなってくる。

四六時中、人の目を気にしながらの避難生活。

トイレも気持ちよく用を足すことができない。

食べたいものが食べられないだけでも私などにはストレスになるが、その食べ物自体が十分でないという。

お年を召した方々には、どれほどのストレスになるだろう。

今は熊本だけだが、この地震の余波は、どこに飛び火するか分からない。

現在いわれている中央構造線上に広がっていくかもしれないし、回りまわって南海地震になるかもしれない。

きのうは、また東北でも地震があった。

日本の背骨(中央構造線)は現在、とても感じやすくなっている。

中央構造線上にはパワースポットが多いと聞く。

ひょっとすると、日本の神々が、われわれに何かを伝えようとしているのかもしれないと思ったりもする。

  いたづらに怖るることでもなかりしが今はおろがむ神、仏様  biko

昨日は友人のためのベッドメーキングをしただけで疲れて夕食が食べられなかった

2016年04月21日 06時31分41秒 | わたしのこと
このごろの、この疲れやすさは何だろう?

きのうは、お天気がよかったから、今週末に来る友人のために、客間の布団を2階のベランダに干して、客間においてあるソファベッドにベッドメーキングした。

食堂のソファに掛けてあるカバーとクッションのカバーを外して洗濯機で洗って、やはり2階のベランダに干して、取り込んでカバーリングした。

たった、これだけのことに疲れたのか、夕食は作ったけれども食べられなかった。

で、ジュースを飲んだだけで寝た。

本当に、このごろ疲れやすい。

義母は、確か私の歳に東京の義弟の第三子の出産の手伝いに行った。

さすがに疲れたとは言ってはいたけれど、私は、この体力では、最初から、そんなことはしてやれそうにもない。

昨年結婚した次男には、これから子供ができるはずなのに・・・。

実は、次男のお嫁さんのお母さんは、かなりの晩婚で、偶然私と同い年である。

が、幸い、あちらのお母さんは、まだお元気で、お父さんと登山を楽しんでいらっしゃるというから、出産の手伝いとかはやってくださると思う。

義弟のほうは、その奥さんのお母さんがキャリアウーマンで、仕事を続けていらっしゃったから、義母が手伝いに行ったのだった。

思い出してみれば、義母も元気な人であった。認知症になるまでは・・・。

私の母も元気な人だった。12年前に脳梗塞を起こすまでは・・・。

私も元気でありたいとは思っているが、最近は、ちょっと何かをすると呼吸が苦しい。

平地を歩くのはいいが、昨日のように、階段を上り下りすると、酷く疲れる。

こんなブログ更新のような、体力の要らないことなら、いくらでもできるが・・・。

兄亡き後、母より先に亡くなってはいけないと思っているが、さて、どうなることだろう。

  母よりも長く生きねばなるまいと生きてはをるが生きてをれるや  biko

もし、もやしが一袋300円だったら?

2016年04月20日 12時03分34秒 | 料理
もやしは料理方法によっては、とてもおいしい。しかも安い。

もし、もやしが一袋300円だったとしたら、あなたは買いますか?(笑)

私は、今のように頻繁には買わなくなるかもしれないが、やはり買うと思う。

上の写真は丁寧に髭をとって男前になった?もやし君。テーブルを拭いたティッシュ君も写っていますが、無視してください(笑)・

それを電子レンジにかけて、しょうゆとごま油をたらせば、もやしナムルの出来上がり。



  もしもやし一袋の値が三百円すればあなたは買ふか買はぬか  biko

食べ物は、高いからおいしいのではなくて、おいしい食べ物だからおいしいのである。

安くて、栄養があって、ま、好き嫌いはあるかもしれないが、おいしい食べ物といえば、納豆だが、私は、服用している薬が効かなくなるから食べることができない。

食べることができなくなってから猛烈に食べたくなるときがある。昔は好きでもなかったのに、あの臭い、あの舌ざわり・・・(笑)。

で、ときたま禁を犯して食べることもある。

かように、人は、何らかの理由で禁止されると、余計食べたくなったりするものである。

禁止ではなくても、例えばマツタケなどは、高価すぎて食べられない食べ物だ。

母に言わせれば、昔は普通に食べていたと。

そのころでもおいしかったらしいが、今のようなプレミアム感はなかっただろう、たぶん。

そうそう、高くておいしくて栄養があるといえば、うなぎ。

これも、あるとき、猛烈に食べたくなって、値段の高さには目を瞑って食べに行くこともある。

夏の土用などには、暑い夏を乗り切るためと自分に言い訳をしながら・・・。

と、長々と食べもの談義をしてしまったが、今日のお昼は、ハンバーグ。

下の写真は、ガスコンロで製作中のハンバーグ、土鍋で炊飯中のご飯、昨日の残りのかき玉汁の温めなおしである。



  昼食の支度に使ふガスコンロ三口すべてを使ひまはして  biko

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(註)納豆を食べられないお薬は、血液をさらさらにするワーファリンというお薬です。