また気づいたことがあったので、連投します。
タイトルにしたように、
ブログでは、誰もが小説家であり、詩人であり、かつ批評家であると思います。
さらに、事件記者であり、カメラマンであり、芸術家でさえあるかもしれません。
それほどブログという媒体は包容力があるということだとおもいます。
だから、それぞれ、好きな役割を果たしたらいいと思います。
私は実録を書いていますから、ノンフィクション作家かな。
これは上手いとか下手とかは関係なく、その持ち味が何であるかということです。
私は、本当は小説を書きたいのかもしれません。
が、小説を書くほどの人生経験がないから、仕方なく自分周辺のことを書いている
ノンフィクション作家なのです。
もっと文筆力があり、社会経験も豊富であれば、小説を書きたかったですね。
が、幸運なことに、現代は、こういうブログという媒体があります。
それに乗っかって発表すれば、
小説もどきの文章も読んでもらえますし、純粋な実録も読んでもらえるのです。
こんなパラダイスのようなブログという媒体のある現代に生きられることは、
なんと幸せなことでしょう。
あ、まだ書き忘れている職業?がありました。
ブログ発、料理番組というのを主宰しているブログ料理研究家の方もいますね。
これは料理が得意な主婦が担っています。
ある意味、こうした主婦料理家のほうが
プロの料理家より、経済的な料理の紹介をしてくれるから
社会の役に立つかもしれません。
経済といえば、ブログ経済評論家もいますね。
ブログ政治評論家もいれば、ブログ国際評論家もいます。
そうそうブログ芸能評論家もいます。
私がほぼ毎日読ませていただいているブログに、
このブログ芸能評論家のブログがあります。
たかが芸能といっても、生き馬の目を抜く社会の縮尺版といった趣もあって、
勉強させていただくことは多いです。
まだありました。
ブログ宗教家です。
これは、特定の宗教を主宰しているということではなく、
スピリチュアル関係ですね。
私は、いわゆる宗教家と言われる人たちよりも、
こういうブログ宗教家のほうが信頼できます。
大概のスピリチュアル宗教家には、お金が絡んでいないから。
私は、いくつかのスピリチュアル関係のブログをほぼ毎日拝読させていただいています。
まこと、ブログという媒体は、百花繚乱だと思います。
私は、それを利用させていただける幸せを日々噛み締めています。
タイトルにしたように、
ブログでは、誰もが小説家であり、詩人であり、かつ批評家であると思います。
さらに、事件記者であり、カメラマンであり、芸術家でさえあるかもしれません。
それほどブログという媒体は包容力があるということだとおもいます。
だから、それぞれ、好きな役割を果たしたらいいと思います。
私は実録を書いていますから、ノンフィクション作家かな。
これは上手いとか下手とかは関係なく、その持ち味が何であるかということです。
私は、本当は小説を書きたいのかもしれません。
が、小説を書くほどの人生経験がないから、仕方なく自分周辺のことを書いている
ノンフィクション作家なのです。
もっと文筆力があり、社会経験も豊富であれば、小説を書きたかったですね。
が、幸運なことに、現代は、こういうブログという媒体があります。
それに乗っかって発表すれば、
小説もどきの文章も読んでもらえますし、純粋な実録も読んでもらえるのです。
こんなパラダイスのようなブログという媒体のある現代に生きられることは、
なんと幸せなことでしょう。
あ、まだ書き忘れている職業?がありました。
ブログ発、料理番組というのを主宰しているブログ料理研究家の方もいますね。
これは料理が得意な主婦が担っています。
ある意味、こうした主婦料理家のほうが
プロの料理家より、経済的な料理の紹介をしてくれるから
社会の役に立つかもしれません。
経済といえば、ブログ経済評論家もいますね。
ブログ政治評論家もいれば、ブログ国際評論家もいます。
そうそうブログ芸能評論家もいます。
私がほぼ毎日読ませていただいているブログに、
このブログ芸能評論家のブログがあります。
たかが芸能といっても、生き馬の目を抜く社会の縮尺版といった趣もあって、
勉強させていただくことは多いです。
まだありました。
ブログ宗教家です。
これは、特定の宗教を主宰しているということではなく、
スピリチュアル関係ですね。
私は、いわゆる宗教家と言われる人たちよりも、
こういうブログ宗教家のほうが信頼できます。
大概のスピリチュアル宗教家には、お金が絡んでいないから。
私は、いくつかのスピリチュアル関係のブログをほぼ毎日拝読させていただいています。
まこと、ブログという媒体は、百花繚乱だと思います。
私は、それを利用させていただける幸せを日々噛み締めています。