神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

遅ればせながら羽生結弦君の演技は神がかっていたと思う

2015年11月30日 23時36分11秒 | ニュース
フィギュアスケートは好きだが、難聴で音楽を聴くことができないのでチャンネルを合わせることは少ない。

その上、私が見ていても夫が興味を示さないで勝手にチャンネルを替えてしまったりもする。

が、一昨日、浅田真央ちゃんの演技は見た。

彼女は、少し迷っているというか、その前に見せてくれた演技より固さが感じられた。

羽生君の演技は残念ながら見逃した。

が、昨日はニュース等で持ちきりだったので、遅ればせながら、今日、ユーチューブで見せてもらった。

息を呑んだ。

完璧だった。

踊った「陰陽師」の安倍晴明が乗り移ったようだった。

安倍晴明は大阪市阿倍野区で生れている。

母親は狐だったという言い伝えがある。

羽生君にも、狐が乗り移ったかもしれないとも思った。

とにかく人間業とは思えなかった。

ここまで限界に近い演技をしたあとは、どうなるだろう。

逆にそのことを心配してしまった。

  陰陽師おどれる羽生結弦君に安倍晴明は現れたりき  biko

「高齢者向け住宅」は老人ホームとは違うのだろうか?

2015年11月30日 14時10分27秒 | 老い
昨日の夕方、買い物に行くとき、ふと見上げると、高齢者向け住宅と書かれた垂れ幕が見えた。



近くに行ってみてみると、サービスつき高齢者向け住宅と書かれてある。

老人ホームとはどう違うのだろう?

まだ母存命の私には関係ないように思えるが、今からいろいろ調べておくのは悪いことではないだろう。

家に帰ってネットで調べてみた。

アルファ川西能勢口駅前

やっぱり老人ホームのようだ。

一瞬こんな狭い部屋に閉じ込められたら息苦しくはないかと思ったが、共用スペースがあるので、そうでもないかもしれない。

しかし、気の合う人がいれば天国かもしれないが、逆にいやな人がいたら、地獄になるだろうな、というようなことも考えた。

食事の支度をしなくてよくなるのは大歓迎だが、しかし食事が不味かったら、これも地獄だろうな、と思った。

やはり、自分の足腰が立つ間は、夫が亡くなっても、自宅での一人暮らしのほうがいいだろうと思った。

反対側からも撮影しておいた。



  遠からず訪れてくる足、腰の立たぬ己を思ふこのごろ  biko

  まだ母のいませば今は他人事と思へる老いはすぐに来るらむ  biko

子供達には子供達の生活があるから、なるべく世話は焼かせないで死にたいと思う。

菊地直子さん~中川智正死刑因&短歌、俳句の短詩型文学

2015年11月29日 04時08分06秒 | ニュース
                  11月28日産経新聞朝刊記事)

一昨日はオウムの菊地直子さんが逆転無罪になったというニュースが駆け巡った。

菊地直子さんのためにはよかったと思う。

しかし、知らなかったとはいえ、事件に加担したことは間違いないことなので、これまで同様、加害者としての自覚は持ちながら生きていってほしいと思う。

それにしても、人生、どんなことで暗転するか分からない。

自身の足の治療のためオウムのヨガにかかわったのが入信のきっかけと聞けば、誰にでも起こりうる話である。

当時、彼女は高校3年生で、まだ未熟な年齢であったことを思えば尚更。

少なくとも、私には、彼女を責める資格はない。

人は弱いものである。

私も、いい歳をして、鬱病になり、そのお薬のため、一時は大変なことになっていた。

お薬があんなに恐ろしいものとは初めて知った。

事情は少し違うが、菊地直子さんが足の治療のためオウムにかかわったことは誰にも責められないと思う。

自分の意志でオウムに入信したといっても、悩み事でもあれば唯々諾々と従ってしまうこともあるだろう。

私も、鬱病で苦しんだあと、スピリチュアルに関心をもつようになった。

特定の信仰はしていないが、時間が許せばスピリチュアル系のサイトを読んでいるし、本も読んでいる。

子供の頃から優秀だった彼女も、高校時代に成績が伸び悩んだらしいから、その悩みから入信したのかもしれない。

それがオウムだったから運が悪かったのだ。

昨日はあるサイトで、やはりオウムに関わってしまった中川智正死刑因の話も読んだ。

彼のお母さんは彼より一年でも長生きするのが夢なのだそう。

なぜかといえば、彼の死刑が執行されたあと、「連れて帰りたい」からだという。

「連れて帰って」骨壷を仏壇においたままにしておいて、自分の死後自分の骨を一緒に入れてもらいたいのだそう。

私も人の親である。

中川死刑因のお母様の気持ちを慮るといたたまれない。

凶悪犯罪を犯したといっても、彼もある意味、被害者でもあったのだから。

オウムに入信するまでは、医師にもなった自慢の息子であったろうに・・・。

オウムの被害に遭って亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせていただくとともに、犯罪に手を染めてしまった人たちの魂も救われんことをと思う。

中川死刑因は、現在俳句に凝っているという。

  先知れぬ身なれど冬服買わんとす  中川智正死刑因
  
願わくば、私が短歌を詠むことから救いを得るように、彼も俳句に救われてほしい。

そういえば連合赤軍事件の坂口弘死刑因は短歌に拠り所を見つけている。坂口弘の歌

  足にかかる脱ぎし肌着の温(ぬく)もりに妻なる肌膚(はだへ)のぬくもり思ふ
                      坂口 弘

短歌や俳句のような短詩型には、そういう功徳もあることを思う。

  取り返しつかざることの後悔を慰めるべし短歌、俳句は  biko

お粗末ですが、今日の昼食です

2015年11月28日 11時48分36秒 | 料理
このごろ写真を入れていなので、お粗末ですが、今日の昼食を写しました。

上から、

             常備菜に作ってある「肉味噌」


                          味噌汁に入れた大根の皮で作った
                              即席漬物

         大和芋、金時人参、オランダ豆、油揚げの煮物


                             厚焼き玉子
 

                大根の味噌汁
 

です。

肉味噌は、
豚ひき肉にニンニク、生姜の細切れを入れて、味噌、砂糖、酒、味醂で味をつけてあります。

即席漬けは、
味噌汁に入れた大根の皮を厚くむいたため捨てるのはもったいないから昆布を加えて醤油、酢をかけて漬物にしました。

煮物は、
昆布と鰹をたっぷり使ったおだしで煮たから、見た目よりおいしいです。

大根の味噌汁も、
上記のだしで作ったから、おいしいです。

厚焼き卵は
以前は一人あたり2個ずつでしたが、ドクターストップがかかったので、このごろは2個焼いたものを半分ずつ分けることが多いです。つまり一人卵1個ずつ。

質素ですが、だしに力を入れていますから、見た目よりおいしいと思います。(笑)

最近、私も夫もコレストロールが高めなので、質素にしているという理由もあります。          

  高齢になりて高めの数値なるコレストロール下げむとすなり  biko

  食欲も減じたる身にご馳走はたまさかでよし卵もしかり  biko   

夫はサユリストだった

2015年11月28日 11時24分13秒 | 思い出
自分のブログの過去の記事「渋谷区西原」を読み返していると吉永小百合さんのことを書いています。

夫は、昔(今も?笑)サユリストでした。

それでそのころの夫の目がどうかしていたと思うのですが、私と結婚した理由が「吉永小百合に似ていたから」でした。

吉永小百合さん、ごめんなさい。私は全然あなたに似ていません。(きっぱり)

だけど、夫が、夫は視力はいいのですが、見間違えてくれたお陰で、私は夫と結婚することができました。

当時から難聴だった私との結婚は、義母が大反対をしたようでした。

それで、私と結婚してからも、テレビに吉永さんが出るたびに、「この人のいったいどこがいいの?」と私に聞こえよがしに言っていました。

よほど夫が私と結婚したのが、いやだったみたいです(笑)。

でも、吉永小百合さんって、今でもお綺麗でいらっしゃいますね。(うっとり)

彼女は、外見の美しさだけでなく、それ以上に中身が美しいんだろうと思います。

外見の美しさだけだったら、すぐに飽きられます。

現に、テレビにはおびただしい美人が毎日画面を賑わせています。

その中で子役から活躍して、70歳を超えた現在も活躍し続けている人が何人いることでしょう。

彼女は美人であることに胡坐をかいていないで日日ご自分を磨かれていると思います。

そうでなければ、いくら美人でも飽きられます。

よく言われる成句で、「美人も三日見れば見飽きる」というのがあります。

それが現実だと思うのです。

男は飽きやすい動物です。

それは雄としての生物学的理由も絡んでいると思います。

そんな男性にも飽きられない吉永小百合さんは正に女性の鏡です。

  七十路(ななそじ)を越えてこれほど美しき吉永小百合さんにうつとり
               biko

短歌の友人(男性)で、吉永さんと同じ早稲田大学を出られた方がいらっしゃるのですが、彼がいうのに、「吉永さんは学生時代、彼女は夜間部で、われわれが帰るのと入れ替わりに登校していたが、いつも地味な格好で、目立たないように、食堂の隅で夕食をとっていた姿が忘れられない。吉永さんを教えていた教授が、『彼女は、よく勉強する優秀な学生です』と話していた」

そのお話を伺ってからますます吉永さんのことを好きになり尊敬するようになりました。

同じ聴覚障害をもった歌友への返信

2015年11月28日 07時35分18秒 | 聴覚障害
昨日、インターネット歌会に投稿した文章を転記しましたが、それを読んだインターネット歌会のメンバーから個人メールをいただきました。

それはお見せできないのですが、それに対する私の返信を転載します。

インターネット歌会はだいたい毎月30名前後が参加します。黙って読まれている人数は、その倍くらいいると思いますが。

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○○○○さま

個人メールをありがとうございます。

そうですか!○○さんも・・・。

でも、しっかりした文章を書かれるから、全然気付きませんでした。

耳鳴りは、やっかいですね。私の場合は静かな場所にいると聴こえる
ことが多いです。

私も音というか人の声は聞こえているのですが、何を言っているのか
聞き取れないことが多いです。

それで、つい引っ込み思案になって家に篭もりがちになります。

e歌会では活発に発言しますが、実際は、聴こえないこともあって寡黙
です。

神様は私に何を学ばせようとして、この難聴を与えられたかと考えます。

私は難聴であるだけでなく心臓は弁膜症の手術を受けて人工弁ですし
大腸がんの手術も受けました。最近は鬱病も・・・。

でも、その都度、助けられてきましたから、悪運だけは強いようです。笑

私もいつか○○さんにお目にかかれることができればと思っております。

こちらこそ、どうぞよろしく。

biko

幻聴から考察した聴覚障害について(インターネット歌会より)

2015年11月27日 11時19分25秒 | 聴覚障害
さきほどインターネット歌会に書き込んできたものを、こちらに転載します。

まだ今月の歌会は終わっていないのですが、総括というコーナーに入ったので、歌会中、話題になった幻聴について書きました。

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おはようございます。bikoです。

歌とは全く関係ないのですが、幻聴について雑談です。関心のある方のみ
お読みください。

> 11:耳といふ迷路に響く(中略) ショパン・ノクターン

難聴者の私の耳鳴りの場合を書かせていただきたいと思います。

○○さんの書かれているように、私にも幻聴のようなものがあります。

それはどういうときに現れるかというと、静かな場所に一人でいるようなとき、
誰でもそうでしょうが、つい耳を澄ましてしまいますね。

そんなとき、感音性難聴で特に高音域の聞き取りにくい私に高音域の音が
聞こえるときがあるのです。

こういう幻聴で困るのは、聴力検査をするときなどです。

密室に閉じ込められて聞こえの検査をしていただくのですが、検査時間中は
ずっとごく弱い高音域の音が聞こえるのです。

聴力検査は、音が聞こえた時に手元のボタンを押して、それを検査する人が
カウントしてデシベルを決定するのですが、

でも、自分でも幻聴ということが何となくわかりますので、ボタンを押すべきか
どうか迷うのです。

デシベルとは、失われた聴力を表すバロメーターです。

たとえば、60デシベルだと正常な人の聴力の60パーセントほど失っていると
いうことになります。私達聴覚障害者が一喜一憂するバロメータとも言えます。

幻聴によって、そのバロメータに誤差が生じるのではないかと、私達は危惧を
するのです。

ちなみに私は現在70~80デシベルくらいです。100デシベルくらいになると
聾といわれます。

(ご参考)聴覚障害の基礎知識

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(註1)該当の歌は未発表の歌をネットに出すのは違反ですので(中略)にしました。

(註2)文中の「○○さん」とは、私と同じく聴覚障害をお持ちの方です。○○さんは私の発言の前に次のような発言をされました。

なぜ耳鳴りがするかというと、耳が悪くなって聞こえなくなった周波数の音が耳鳴りとして聞こえるらしい。

つまり、聞こえなくなった周波数を受け持つ脳のある部分が実際には出していない音をこれまで通り聞こうとして発する信号が耳鳴りとして聞こえるらしい。

だから、高音部分が聞こえない人はキーんという高音の耳鳴りが、低い周波数の音が聞こえない人はジージーというような耳鳴りが聞こえるらしい。

腕を切断した人が無い指先が痛むように感じることがあるそうですが、それと同じようなものかと。

健康のため、自転車で遠方のスーパーまでお買い物に行こうかと思います

2015年11月26日 17時56分56秒 | わたしのこと
難聴で家に篭り勝ちなので、どんどん脚が衰えているような気がしています。

といっても、わざわざ散歩に行くのは面倒だし・・・。

で、一昨日、少し離れたスーパーに自転車で行ってみました。

自転車は、主に買い物用なのですが、最近乗ったことがありませんでした。

歩いていけるところにスーパーがあるので、歩いていくからです。

が、駅の高架下にあるこのスーパーは、品物も揃っていていいスーパーなのですが、お値段が高めです。

2人暮らしといっても、朝、昼、晩と毎日三食食べるので、食材もたくさん要ります。

それで、ときどき夫に車で最近流行りの業務スーパーに連れていってもらっていました。

一緒に行ってもらうと、重い食材の運搬も手伝ってもらえるから一石二鳥なのですが、でも、昨日は自転車で一人で行ってみました。

安いので、ついあれもこれもと買ってしまいます。

精算してもらった籠は3個でした。

自転車まで運ぶのだけでも大変でした。

それを自転車の前籠と後ろ籠に分けて乗せて、ふらふらしながら帰ってきました(笑)。

疲れました~。

でも、運動にはなったと思います。

これからは、ときどき自転車で行くようにしようかなと昨日は思いました。

でも、高齢者の仲間入りした身には、ちとキツイかも。

余談ですが、自転車の後ろ籠は、私が車の運転ができないので、孫が来た時に乗せられるようにとつけてあるのですが、一度も孫を乗せたことはありません。孫は自転車に乗せるには、大きくなりすぎてしまいました。

業務スーパーは、以前は業者の方が利用するスーパーと思って入ったことがなかったのでしたが、一度入ってみると、安いので驚きました。それで、品質も悪くありません。それから病みつき(?笑)になりました。

母の世話をしてくれている人

2015年11月25日 22時08分26秒 | 家族
2年前に実家の兄を亡くしてから、ずっと母のことが気になっている。

が、世の中には親切な人がいて、現在、母の通院に付き添ってくれたり、ご飯を作ってもってきてくれたりする人がいる。

私より10歳くらい年長の人だが、元々は、お掃除を頼んで来てもらっていたが、見るに見かねてだろう。最近は、上記したとおり、通院から食事の世話までしてくれている。

もちろん、ただでしてもらっているわけではないが、それでも、わがままな母の世話は、なかなか骨が折れると想うのに、いやな顔ひとつせずに、してくれているから、ただただ感謝である。

兄嫁は、お店をしていることもあって、朝、昼、晩と外食をするので、90歳になった母は食事にも事欠いていた。

こう書くと兄嫁が悪いようだが、しかし、そうならざるを得ない事情もあるにはある。

母がわがままで人使いが荒いので、まともに付き合っていたら振り回されるから、兄嫁は母と関わらないようにしているという事情もあるのだ。

現在来てくれている人は、近くのお店にお掃除に来ていた人で、母が頼んで、実家のお掃除に来てもらうようにしたのだが、最近は、朝一番に通院に付き添ってくれて、それが終われば一旦帰って、今度は昼食用と夕食用の2食分のお弁当を作って持参してくれる。

そして、午後は、お掃除を中心にして、母の頼んだことを細々してくれている。

つまり一日中、母に勤めてくれているのだ。

母はわがままな人で、人使いが荒い。

気に入らなかったら、すぐに怒る。

が、その人は、怒られてもニコニコと受け流して仕えてくれている。

兄嫁にも私にも手に負えない母であるのに、本当に頭が下がる。

経済的には恵まれない人らしく、実は、私の母に借金をしている。

その借金を返す代わりに働いてくれているという格好だが、しかし、それだけでもないのだろう。見るに見かねてというところもあると想う。

料理は上手だし、話をすれば、ことの分かった人である。

  わがままなわが老い母の世話をしてくれる人ありただただ感謝  biko

こういう人に世話をしてもらえる母は運がいいと想う。

京都の町を歩いていると自分が外国の街を歩いているかと錯覚を起こす

2015年11月24日 08時21分26秒 | 私の意見
昨日、京都の町を歩き回って感じたこと。

いろんな国のいろんな人種の人達が歩いているから、自分が外国にいるような錯覚を起こす。

白人や黒人の人たちは分かりやすいのだが、中国、韓国の人は日本人と区別がつかないことが多い。

じっと見ていると、しぐさや言葉で、そうと知れるが、黙っているとまず分からない。

東南アジアの人たちもわりに分かりやすいが、しかし日本人の中にも東南アジアふうの人はいるから、ややこしい。

東南アジアの人と思って見ていると、日本人だったりすることもままある。

だいたい日本人そのものが、単一民族といっても、さまざまな顔をしている。

モンゴル系の人が一番多いと思うが、韓国系の人、中国系の人、東南アジア系の人、はたまた西洋人のような顔をした人もいる。

それだけでも面白いのに、最近は京都のような観光地に行くと、本物の外人さんがいっぱいいるから本当に多彩だ。

国際結婚も増えたと感じる。

今日も何組か見た。

こうなると、ますます人種の見分けがつかなくなってくる。

私は、いろんな国の人たちを観察させてもらうのが好きだ。

いや、別に異国の人に限らず、人を観察させてもらうのが好きといったほうが正しいか。

  アジア人、ヨーロッパ人、黒人をこきまぜ古都は国際的に  biko

  肌黒き人も黄色き人もゐて清水寺の参道たのし  biko

  貸し着物と看板かかる清水寺(きよみず)の参道の店見ながら歩く  biko

  日本人しかし違ふと見てをれば中国の人はた韓国の人  biko

  白人のむすめさんたち着物きて京都の町を歩く初冬(はつふゆ)  biko

  背の高い舞子さんたち笑みながら産寧坂を登りてゆけり  biko

  外国の人のひときは多ければわれが異国にゐる心地する  biko

  高台寺もみづる木々に見え隠れするのは異国の人等の笑顔  biko

  外国の子と見てをれば母親は日本人なり子は父親似  biko

  このごろの国際結婚多きことこの古都京都で実感をせり  biko     

豊国神社~清水寺の音羽の瀧~高台寺~四条河原町

2015年11月24日 01時30分49秒 | お出かけ
国立博物館で琳派を観たあとは以前から行きたいと思っていた太閤さんの豊国神社に行った。

こちらは比較的、人出が少なくて、ゆっくり拝むことができた。



↓結婚式が執り行われていた。


↓豊国神社の成り立ちを書いた立て札が立っていたから撮影したが、ガラケーなので綺麗に撮れない。


その後、清水寺に向かったが、こちらも人出が多かった。↓向こうに清水寺の赤い門が見える。


清水の舞台に立った後、清水の名の由来になった音羽の瀧に降りていく。

  清水寺(きよみず)の名の由来なる瀧の見ゆ音羽の瀧は清水寺(きよみず)の瀧  biko

↓音羽の瀧から「清水の舞台」を見上げる。


  見下ろしてゐる人達を見上げゐるわれら音羽の瀧の辺(へ)に立つ  biko

↓音羽の瀧にも長蛇の列。


瀧は三本あり、それぞれ学業の瀧、健康の瀧、ご縁結びの瀧と。

  三本の滝水それぞれ学業の、はた健康の、ご縁結びの  biko



↓いよいよ順番が来た。


  三本の滝水ほそしその細き滝水を汲む柄杓の柄ながし  biko

  長き柄をつけて汲まむとする水は清水寺の音羽の瀧の  biko

↓音羽の瀧から下る清水寺の参道に大勢の人が。


  大勢の人の行きかふ清水寺(きよみず)の参道どこか産道に似て  biko

紅葉の京都~京都国立博物館で琳派を鑑賞~でも人が多すぎて

2015年11月23日 23時54分38秒 | お出かけ
従弟が素晴らしかったというので、連休最後の今日は今日まで京都国立博物館で開催されていた琳派を夫と観にいった。

川西の家を8時前に出たが、阪急四条河原町駅でバスを乗り間違えて、博物館に到着したのは10時を少し過ぎていた。

すでに長蛇の列ができていたが、並んだ。



並びながら、博物館の庭の紅葉を楽しんだ。

↓われわれの後ろにも、こんなに長い列ができている。


建物の中に入っても長い列だったが、並びながら窓の外の列を写した。
蟻の列のように黒く写っているのが並んでいる皆さん。

↓建物の中に入れば、展覧会場に入るまで、廊下のところどころでビデオで作品を紹介していた。


展覧会場に入っても凄い人出で、ゆっくり観られなかった。人いきれで暑かったし。

私は、作品を鑑賞するより先に疲れてしまって、早々に外に出た。

なんだか骨折り損のくたびれ儲けだったような気も。

展覧会場は撮影できなかったので、外に出たところにあった、今回の展覧会の看板を撮影した。


夫が会場から出てくるまで、外の公園で建物を撮影しながら待った。

↓こちらは、旧博物館。


↓こちらが、現在の博物館


  ゆつくりと観たきがそれが許されず外に出でたりよく観ぬままに  biko

  絵画より神の描きし絵がよろし曇天の下もみぢが炎(も)ゆる  biko

(1)帰省、川西能勢口駅~高知市はりまや橋まで(11月18日)

2015年11月22日 04時34分33秒 | 旅行
今日から帰省して、昔勤めていた銀行の同期だった仲間達との同期会に出席する。

まず、自宅の最寄り駅である、阪急川西能勢口駅から撮影した。

11時ジャスト発の高速バスに乗るために10時過ぎに自宅を出た。

途中、コンビニからキャリーバッグを宅急便で送って、身軽になってから駅まで来た。


阪急電車で梅田まで来て茶屋町口で降りればホームの下が阪急高速バスターミナルなので、この階段を降りればすぐだ。


↓バスの切符は買っていなかったので、午前11時発の「よさこい号」の切符を買う。


もし買えなかったらJRバスターミナルに行けばいいし、最悪の場合は新幹線で行けばよいから手前から買うことはしない。

↓バスは、待つ間もなく、すぐに入ってきた。


↓直前に買ったにも関わらず、座席は「1A]だった。一番前の一等席だ。


↓いざ出発。乗客は私を入れて、たった4名。途中で停まる停留所が表示される。


↓新大阪で一人乗車したが、それでも5名。こんなことで採算が取れるのだろうか。

宝塚インターで3名が乗ったが、それでも合計8名だ。

↓昨年の改正で有馬温泉にも停まるようになったようだ。


↓明石大橋はあいにくの雨でけぶって景色がよく見えない


車中で昼食用に持参したお寿司を食べる。車中なので、余り臭うものは食べないほうがいいかも。

最初のトイレ休憩、北淡パーキングエリアで停まったとき、車内にサービスで置かれてあるコーヒーをセルフサービスで入れて飲む。


コーヒーを飲んだあと、しばらく眠った。

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(註)時系列を逆にしてアップしたので、番号をつけました。

逆に新しい記事から順に読んでいただくと時系列0になります。

(2)はりまや橋バスターミナルに到着(11月18日)

2015年11月22日 04時17分43秒 | 旅行
大阪梅田で乗った「よさこい号」は、はりまや橋バスターミナルに到着。午後4時18分。

いつもは真っ直ぐにはりまや町の実家に行くのだが、今日は寄らないで直接同期会の会場へ向かう。

↓はりまや橋バスターミナルの傍にある河田小龍生誕地に立っている石碑を眺める。


↓こちらは安徳天皇のお祖母さまの二位禅尼の祀られている水天宮だったところらしい。現在有馬神社になっている。

ここらあたりは昔は土佐橋という橋が架かっていて堀川が流れていた。「土佐橋」という電停もあった。

その昔、私の安芸市の親戚の人達は、ここの電停で電車を降りて、中種という商店街から京町、帯屋町と順番に巡って買い物を楽しんだものであった。


↓土佐橋を少し西に行くと、宮尾登美子の小説『陽暉楼』の舞台、陽暉楼、後の得月楼がある。
私の実家は、昔は祖父が手広く商売をしていたので、お正月とか何か行事のあるときは、得月楼の芸者さんたちに来てもらって、座敷に花を添えてもらっていた。芸者さんたちは三味線を抱えて歩いて来てくれたものだった。来てくれていたのは、あまり若い芸者さんはいなかったように記憶する。ベテランの方達に来てもらっていたのだろうか。



↓はりまや橋交差点の南東角、昔土電会館というデパートのあった土地に新しくできたパチンコ店。

かつてのはりまや橋交差点の賑わいを間近に見ていた人間には悲しい変貌である。

↓はりまや橋交差点の南西角に建つ四国銀行本店。私は、ここに勤めていた。



↓四国銀行本店側からパチンコ店を撮影。


↓そのまま西に歩いていくと、大丸百貨店があるのがわかるだろうか。

大丸百貨店の前は堀になっていて堀には舟が浮かべられていて、その舟は、夜は赤提灯のつく飲み屋であった。飲み屋の赤い灯が夜になると堀水に映って綺麗だった。


堀があったのは、写真の「土佐てらす」のあたりである。

「土佐てらす」の道路を隔てた真向かいあたりに「葉牡丹」という飲み屋がある。安くておいしいという評判のお店だ。

(3)大橋通り~料亭「臨水」まで(11月18日)

2015年11月22日 04時00分57秒 | 旅行
堀詰めというところから大橋通↑の前まで歩いてきた。ピンボケだが、アーケード街がお分かりいただけるだろうか。相変わらず雨が降り続けている。

大橋通アーケード街を北に抜ければ私の母校がある。

が。左折して、それとは逆の南向きに歩く。

昔、ここらあたりは片町と呼ばれる街であったらしい。看板があった。


↓天神橋のたもとに到着。

この橋を渡れば、筆山の麓に菅原道真の令息、菅原高見さんの潮江天満宮がある。

↓橋のたもとに、また昔の町名を書いた看板が。

朝鮮から連れてきた人たちを住まわせていたから、西唐人町と呼ばれていたらしい。


↓橋のたもとから見る鏡川。


↓ここを右折すると築屋敷(つきやしき)というお金持ちの屋敷が並ぶ鏡川沿いの町になる。


↓今日の集まりが開催される「臨水」という料亭もこの中にあった。

「臨水」の前にタクシーが停まった。よく見えないが昔の仲間達だろう。


↓「臨水」の前の鏡川は、文字通り、鏡のようだ。川向こうの山は山内家の墓所がある筆山。


↓暗くなる前に、もう一度「臨水」を撮影。左側の高い建物は三翠園ホテル。


このあと、「臨水」の建物の中に入った。