神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

箕面の紅葉

2014年11月29日 17時16分57秒 | お出かけ
夫が昼食後、「今日は箕面の紅葉を見に行こう」という。時計を見ると、またも2時頃だ。

箕面は我が家からは特にお出かけするというほどの距離でもなく、ちょっとドライブにというときにいつでも行ける近所である。

しかし、紅葉のシーズンは、電車で行くに限る。なぜなら、ドライブウエーは渋滞で車が動かなくなるから。

↓阪急箕面駅前の足湯でいただいた地図。


↓今日は午前中小雨がぱらついたせいか、シーズン中にも関わらず人出が少ない。



↓箕面川は落ち葉の錦に彩られていた。


  箕面川もみぢ落ち葉にいろどられ錦となりて流れてゐたり  biko

ご参考
  嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり    能因法師

↓箕面の瀧が見えてきた。


↓いつ来ても霊気溢れる瀧。
瀧の傍の店で売っていたおでんを食べたくなって、買って、滝つぼの近くのベンチに座って、瀧を見ながらいただいた。

 滝つぼの水を見ながら食べてをり卵こんにやく大根ちくわ  biko

↓「紅葉のてんぷら」を買って帰途についた。これ、意外とおいしいのでお奨めだ。


  てのひらに似たるてんぷら買はむかな箕面のもみぢ見て帰るさに  biko

インターネットの功罪

2014年11月29日 03時46分38秒 | パソコン
               ↑ 食堂のポトス

夜中に目覚めたので、書いておこうと思う。

私がパソコンの操作を覚えたのは、平成14年の夏だった。

最初の動機は、短歌の結社のインターネット歌会に参加させていただくためだった。

短歌を趣味としながらも、難聴の私は生の歌会に出られなかった。

それでその代わりの手段として、インターネット歌会への参加を思いついたのだった。

丁度その頃住んでいた大阪市は、市民のために、1週間限定の無料パソコン講座を各小学校区ごとに提供してくれていた。

私は、その講座でパソコンの基礎の基礎を教わった。

その後は、パソコン通の夫にわからないところを教えてもらいながら、マスターしていった。

まだまだ初歩の域を出ないが、それでもこうしてブログをするほどになれたことは、聴覚障害者の私には大きな幸いである。

健聴者にも、パソコンの恩恵は計り知れないところがあると思うが、私のような聴覚に障害のある者には、言葉では言い尽くせないほどの恩恵がある。

知らないことを調べられるという百貨辞典的効用は言うに及ばず、それより一番大きな恩恵は、人とバリアフリーで繋がれるということであった。

が、物事には、必ず、光りの当たる明るい面と陰の暗い面がある。

パソコンでの交流の楽しさに目覚めた私は、当初のインターネット歌会参加のみに飽き足らず、郷里の高知新聞社のメーリングリストにも参加させていただいた。

昨日書いた「感情の問題」は、この、新聞社のメーリングリストで起こった事件だった。

私は、ここ数年で、インターネット世界の天国も地獄も味わわせていただいたと思っている。

まあ、それは、インターネットの世界といえども、人間の関わっている世界だから、究極この世の縮図なのだろう。

  陰湿な人も混じれるパソコンのインターネットの画面かがやく  biko

  (陰湿な人というのは、もちろん私のことです(^^)

「感情の問題」

2014年11月28日 12時20分00秒 | 日記
                ↑ ご近所の庭の紅葉

毎日読ませてもらっているブログに、かめおかゆみこさんのフォーカスチェンジがある。

今日のテーマは「感情の問題」。

思えば、ここ10年近く、私は苦しんできた。

何度も書いているが、さるメーリングリストでの出来事がトラウマとなって、私を苦しめてきたのだ。

その参加者の一人、Yさんのブログに私が実名で訪問したことから事件は起こった。

訪問の直後には、Yさんは、DMで、「今日はご訪問くださり、ありがとうございました」とメールをくれていた。なのに、ある日突然、皆の読むメーリングリスト上に、その実名の訪問をなじる書き込みをされた。

元来、真面目で気の弱い私は動転した。(こういう文章では、はっきりした性格のように思われるかもしれないが、実際の私はしごくおとなしい。それだけに一つのことを思いつめる傾向はある。と自分では思っている)

Yさんとは、ネットを離れての会、いわゆるオフ会で親しくお話させていただいたこともあった。そのときYさんが私の卒業高校の先輩ということも分かり、私は親しみを込めてそのブログを訪問させていただいたのだった。その証拠に私の残したご挨拶の文面は何の問題もなかったはずだ。

だから、何も大勢の読む場で私を糾弾することはなかったのにと今でも残念に思う。

迷惑であれば、DMで返信くださったときに私のコメントを削除する旨お伝えくだされば、私は素直に受け入れられたと思う。

私も沈黙していればよかったのに窮鼠猫を噛むよろしく少し反論を試みた。が、古参で仲間のいっぱいいたYさんに比して新参の私の立場は弱かった。

後で知ったことだが、そのメーリングリストでは特に、会員のブログに実名を出すことを問題視する風潮が強かったようだ。とにかく、そういうわけで、そのメーリングリスト内は大騒ぎになった。ネチケット違反を犯したと、まるで犯罪人かのような扱いをされた。

最近の、フェイスブックなどの、実名での交流を考えれば、それほど大騒ぎするほどのことでもなかったとも思うのだが、どうだろう。

それが原因でそのメーリングリストは退会したが、私の心にはそれ以来強いしこりが残った。そのメーリングリストが故郷と関係していたのが、しこりを消しにくい遠因にもなったと思う。私の母や兄に関係した人達も参加していたから。

その後、精神薬を服用したのも、そのときのトラウマが根にあったからだ。

だが、今日の、かめおかさんのフォーカスチェンジを読ませてもらって、そうだ、他人が何といおうと自分は自分、自分の感情は、自分でしか癒すことはできない、と思った。

現在スピリチュアルにハマっているのも、元はといえば、このトラウマから逃れるためもあった。

生きていれば、いろいろなことが降りかかってくる。

私は降りかかった災難と思っているが、逆の受け止め方をしている人もいるだろう。

スピリチュアルの世界からみれば、どんな体験にも無駄なものは一つもない、という。

私の、ここ数年の苦しみも、決して無駄なものではなかったはずだ。

昨年末から今春にかけて精神薬で大変な目にあったことさえも・・・。

また、Yさんには、私にもそのうち理解できるときが来るかもしれないが、Yさんなりの、そうせざるを得ない理由があったはずだ。

  苦しむも苦しまざるも自在にてわれのこころはわれのみのもの biko

ダイエー来月上場廃止

2014年11月26日 16時20分28秒 | 思い出
いま配達された産経新聞夕刊の見出しを見ると、「ダイエー、来月上場廃止」とある。

ダイエーが実質的に力を無くして久しいが、こういう記事を見ると、改めて時代の趨勢を思い知らされる。

私が結婚した昭和47年は、川西市にはまだ大きなスーパーがなく、大きな買い物は、猪名川を越えた隣市である池田市のダイエーに行っていた。

当時ダイエーは、梅田のデパートに行かなくても、何とか間に合わせられるという存在だった。その翌年、昭和48年に川西市にジャスコができるまでは。

もともと川西市は、北阪神地区では、後発の住宅地であったため、東隣市の池田市や西隣市の宝塚市や、はたまた南隣市の伊丹市より田舎であった。

そのため、池田市にあるダイエーは、川西住民には憧れのスーパーだったのである。

中内功のダイエーは、その頃が昇り龍の時代だったと思う。

ダイエーといえば、私の記憶に残る、その草創期の頃のことも書いておきたい。

私が小学生のころ、母の妹、つまり叔母は、大阪市旭区千林の住宅地に住んでいた。

叔母の家は、叔父さんがなかなかのやり手だったので、当時、お手伝いさんもおいて、比較的裕福な暮らしをしていた。

その千林の叔母の家には、母に連れられて、春休みなどに、高知から、また父の転勤に伴って暮らしていた香川県高松市から何度か行った。行けば、1週間ほど滞在した。

叔母の家から京阪電車の踏切を越えた向こう側は(今もあるが)商店街になっていて、当時できたばかりのダイエーがあった。

その頃のダイエーは、まだチェーン店になる前で、ドラッグストアのような薬局だったと記憶している。それがダイエー1号店だったということは、ずっと後に知った。

その古い古い記憶と、結婚当時の古い記憶をあわせると、ダイエーに対する重層的な思い出が蘇ってくる。

余談だが、ダイエーの創始者、中内功の祖父、栄は高知県出身者である。現在の阪大医学部を出て神戸で眼科を開業していたという。父、秀雄は、現在の阪大薬学部出の薬剤師で、その秀雄が薬局を始めたらしい。功が千林でダイエー薬局を始めたのは、昭和32年という。ダイエーの前身のサカエ薬品、のちの大栄薬局は、祖父、栄の名前から取ったといわれている。

  ダイエーの上場廃止されるとふ 中内いさをの祖父の名さかえ biko

専業主婦

2014年11月26日 10時17分52秒 | 日記
               ↑ご近所の庭の山茶花

鬱である。

朝目覚めると胸騒ぎがして起きられない。

何もかもが億劫で、しんどい。

精神薬の後遺症かとも思ったりするが、鬱気味なのは、元々の私の性(さが)だから、季節的なものかもしれない。

私と対照的に、夫は、現在、超多忙で元気である。

仕事に熱中するあまり、昼食も何時に降りてくるか分からない。

鬱の現在、それが私のストレスになる。

なぜなら、降りてきたとき、すぐに食事を出さないといけないから。

これから冬に向かって何度も何度も温め直しながら待つことになる。夫は冷めた料理を特に嫌うから。

夫は、「すぐに食べられないときには待つから」と口では言ってくれてはいるが、降りてきたとき、すぐに食べられなかったら、また2階にUターンしてしまうことはしょっちゅうだ。

そうすると、またいつ降りてくるか分からないので、私としては、降りてきたときに食べてもらえるようにスタンバイすることになる。

こんな具合だから午前中は外出がしにくい。朝、洗濯物を干し終えたら、すぐに昼食の支度にかかることが多い。

ま、その合間に、時間を盗みながら、こうしてブログを書くこともあるが・・・。

今にして思えば、夫が勤めに出ているときは、もっとまとまった自由時間があった。

ぜいたくな悩みのように見えるかもしれないが、専業主婦というのも、けっこうしんどいものなのである。

  晩秋の鍋をあたため直しつつ暮れてゆくのは主婦のくれなゐ

ブログの閲覧数と訪問者数

2014年11月25日 20時04分46秒 | ブログについて
現金なもので、一日書かなかったら、ブログの閲覧数も訪問者数もガタンと落ちる。

もちろん、たくさん読みにきてくださるのは嬉しいが、そのために無理をしようとは思わない。

本当に増やそうと思えば、Facebookやmixiに繋げばいいが、これは、一度やってみて止めた。

あまり訪問者数が多いと怖い。しょうもないことを書いているから恥ずかしいというのもある。

現在、ブログランキングなるものに一応参加はさせていただいているが、しかし、これも無理してアップしようとは思わない。

じゃ、何のためにブログをやっているかと言われそうだが、何ででしょうね。(笑)

自分の備忘のためかな?

そういえば、こういうブログのない頃は、「日記は誰のために書くのか」ということがよく言われたものだ。

そしてそのとき、「純粋に自分のためだけに書いていると言えるか」ということが問題になった。

なぜなら、死後、誰かの目に触れることを想定して書くことは絶対ないと言い切れないから。

その昔の日記と比べると、この現代のブログなるものは、はるかに他人に読まれることを意識せざるを得ない媒体である。

人は、基本的に、他人に理解してもらいたいという願望を持っている。

その願望を満たすに打ってつけなのが、このブログという媒体であろう。

人はブログという媒体があるから書くのか?

書きたがる人が多いからブログという媒体ができたのか?

  書きたがる人おほくしてブログなる日記とびかふ日本の空を biko

嵐山に来ました

2014年11月23日 16時43分59秒 | 日記
昼食後、夫が急に紅葉を見に行こうと言い出した。もう午後2時過ぎだった。

私は出かけるなら現在ハマっている瀬織津姫関連の宝塚の清荒神に行きたいと言ったのだが、夫は、それなら西宮の門戸厄神に行こうという。

「もう、こんな時間なのに」と思ったが、どちらかが折れないと行き先が決まらないので、夫に従った。

川西能勢口の駅で電車を待っているときに、今度は、急に京都に行こうということになった。

「え、こんな時間なのに? 門戸厄神なら、まだしも」と思ったが、従った。



↑阪急嵐山駅に到着したときは、午後4時半を過ぎたばかりで、まだそれほど暗くはなかったが、駅には電灯が灯っていた。



↑嵐山駅から少し歩いて渡月橋の方角(暗くて分かりにくいが)を見ると、こんな時間帯なのに、人が鈴なりだった。



↑渡月橋を渡る寸前に写真を撮った。橋の上は超満員で、ぞろぞろ歩いた。



↑それでも、せっかく来たから紅葉の写真も撮った。



↑朝とか昼間だったら、ずっと綺麗に撮れただろう。

以下、天竜寺で。↓


皆が争うように写真を撮る。↓


天竜寺の境内の、そこここに紅葉がある。↓


天竜寺境内にある松巌寺 ↓



  嵐山その山陰(やまかげ)の紅葉(もみぢば)はゆふべゆつくり夕闇に消ゆ biko

何語れるや

2014年11月23日 12時22分12秒 | 短歌
また、現在進行中のインターネット歌会の私の発言を引用させていただく。

前回説明したように、歌の全部を出すと作者の方が何かに発表されるとき、既出の歌ということになって問題になることがあるので、一部を伏字にさせていただく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

33:○○の右も左もどつと笑ふ ま向ひの人何語れるや

これは、私と同じ聴覚障害の方の作られた歌ではないでしょうか?

私などは、日常茶飯に体験することです。

いみじくも、○○さんも初回コメントで書かれていますが、たとえば、
「塔」の全国大会などに参加した場合を考えていただくとよく分かる
と思うのですが、昼間の歌会の学びも勿論楽しいものですが、それ
より数倍楽しいのは夜の懇親会などでの会話ではないでしょうか?

笑いというのはその中でも最重要なもので、人と人の心を繋ぐ鍵と
なるものです。

この作者の方はその皆が心底楽しんでいる場にあって、一人だけ
孤独を噛み締めておられるのでしょう。

それを柔らかく「何語れるや?」と疑問形にされたところに哀しみが
凝縮されています。

(註)「塔」の全国大会の歌会では、一人の聴覚障害の会員の方の
    ご尽力で、要約筆記がつけてもらえるようになっています。

『瀬織津姫伝説』

2014年11月22日 10時04分15秒 | 読書
何かのご縁で、この本のことを知った。

瀬織津姫・・・今まで聞いたこともなかった。何でも、天照大神の后(天照大神そのものだったという説も)だった方だそう。

川の早瀬のように穢れを清める神様なので、水の神様でもあり、滝、川の神様でもあられるそう。

私の住んでいる兵庫県川西市の隣市の宝塚市にある清荒神にも、瀬織津姫を祭った社があるらしいから、今度行ってみようと思う。

瀬織津姫は、古事記、日本書紀以前の神様で、政治的な理由から、表向き封印されたらしい。

著者の山水治夫さんは、この姫を求めて全国を行脚しておられる。

山水さんが姫を祭ったお社の傍にくると、どこからともなくよい香りがしてくるのだそう。

スピリチュアルに関心のない人が聞けば、眉唾めいた話だが、私には信じられる。

この本は瀬織津姫のシリーズ4冊目にあたるそうで、姫を初めて知った私には少しわかりにくいところもあった。

この本を図書館に返す前に、シリーズの一冊をアマゾンから買おうと思う。

もちろん図書館にあれば、それを利用するのだが、川西図書館には山水さんの著書はこの一冊しかなかった。

この本を読み終えたら、日本の神様の全体を客観的に勉強するために、河合準雄氏の『神話と日本人の心』を読むつもりだ。もう既に図書館から借りてきてある。

「茶色の小瓶」

2014年11月19日 10時52分16秒 | 思い出
現在、インターネット歌会中である。

さっき、その歌会に書き込んできた文章をこちらに貼り付けてみる。

掲出歌はメーリング形式の歌会の歌なので、私がここに書くと既発表ということになり、作者の方が何かの賞に応募するときなどに失格ということになりかねないので、歌の一部を伏字にした。

             記

歌のコメントというより、雑談ですので、忙しい方はスルーしてください。

> 24:○○○○○父の口笛聞こえこし機嫌よき日の「茶色の小瓶」

この「茶色の小瓶」には思い出が詰まっています。

昨年9月14日に亡くなった私の兄は、高校時代はブラスバンド部に所属していてアルトサックスを吹いていました。

そのころ、この「茶色の小瓶」も演奏したらしく、家では繰り返し繰り返しグレンミラー楽団演奏のこの曲のレコードを掛けていました。

兄が部屋の明りも点けないで、真っ暗な中で、じっと聴き入っていた様子が昨日のことのように思い出されます。

その後、兄は慶応大学に入って、大学ではジャズクラブに入りたかったようでしたが、当時国家公務員だった父の給料は薄給であったため、東京に遊学させてもらった上、さらに高価な楽器を買ってほしいとは親に言えず、結局入部はあきらめたようでした。

亡くなった日も高校時代のブラスバンド部のOB会があり、アルトサックスを演奏してきて、帰宅後シャワーを浴びた直後に倒れて、裸のまま昇天してしまいました。

ええ、数年前から腎臓を悪くしていて、人工透析を受けていたので、演奏が体に負担になったのでしょう。

しかし、好きなことをしたあとでの急逝だったので、本人は幸せだったかも、と思っています。

そんなわけで、この歌の作者のお父様も、私の兄くらいの年代の方かなと思いながら読ませていただきました。

歌の鑑賞からは逸れてしまいましたが、歌を鑑賞させていただくということは、時には、自分の境遇に引き寄せて、共感、あるいは、懐かしさを覚えながらということもありうると思いながら、この歌にコメントを付けさせていただきました。

紀伊万葉ウォーク

2014年11月16日 10時54分21秒 | 旅行
今日は、昨日の「全国万葉フォーラムin和歌の浦」の続き、第3部 紀伊万葉ウォークだ。

集合場所の新和歌遊園のロープウェイ下より見る朝の和歌の浦。写真の上方手前に見えるのが、紀伊の「天橋立」こと片男波海岸。(註・・・この新和歌遊園というのは昔あった遊園地の名称だそう。現在は、そのときのロープウェイも綺麗さっぱり撤去されて遊園地の跡形は何もなかった)

そしてこの新和歌遊園というのは高津子山という山にあったので、後方に写っているのがその頂上であるらしい。

(ここで集合した後、一行は、この山に自生する万葉植物の説明など聞きながら山頂に向かった)

小さな小山が並んだようにみえるのが、玉津島。

  玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため 藤原卿

歌意は、「玉津島はいくら見ても見飽きることはない。だからこの景色をどのようにして包んで都へもっていこうか。(都で留守番をしていて)見ることのできない人のために」だそう。

和歌浦天満宮。

ピラカンサがいっぱい実をつけていた。

天満宮の境内側から神社の門のほうにカメラを向けると和歌の浦が見えた。

天満宮から見る和歌の浦も素晴らしかったが、逆にここから階段を下って、今度は和歌の浦のほうから見上げる、この高津子山の中ほどに建つ天満宮の姿も、また素晴らしかった。

  あさもよし紀の天神ゆ見下ろせば水面(みなも)光れる和歌の浦見ゆ biko

  小春日の高津子山を見上ぐれば紀の天神に石蕗(つはぶき)の黄  biko

全国万葉フォーラムin和歌の浦

2014年11月15日 15時50分09秒 | 短歌
以前ネットで知り合った人の活動している会のイベント「全国万葉フォーラムin和歌の浦」に参加させてもらった。

1日目の今日は、第1部 シンポジウム、第2部 万葉ミュージカル であった。

どんな内容だったか、お伝えすることができればいいのだが、難聴の私には、ほとんど聴き取ることができなかった。

こうなることはわかっていたから、そのために夫に付き添ってもらっていたのだったが、あいにくシンポジウムはスライドを多用する関係上、館内は照明を落としていたので、要約筆記をしてもらうことができなかった。

聞くことができていれば、一応歌詠みのはしくれの私には有意義なお話であったはずだが、残念!



第2部の万葉ミュージカルも、舞台の演技は見ることができたのだが、肝心のせりふが聞き取れなかったので、チンプンカンプンだった。残念!



この日、和歌山市では、これ以外にも、ロボットコンテストがあったりして、行事が目白押しだったようで、なかなかホテルがとれなかった。JR和歌山駅のホテルグランヴィアが一部屋のみ空いていたのはラッキーだった。

夜は、ホテルで教えてもらった有名な和歌山ラーメン店に行った。

おいしかったかって?

う~ん、私の年齢のせいであるとは思うが、少し脂っこい感じがした、というのが正直な感想だ。

楽天カード

2014年11月12日 19時16分05秒 | ニュース
夫のことですが、皆様も注意をされたほうがいいと思うので、本日ダブルで発信します。

2週間ほど前、使った覚えがないのに、夫の口座から15万円ほど引き出されていると言っておりました。

現在、夫は、仕事が立て込んでいて、とても忙しいので、とりあえずそのカード(楽天)をストップしてもらって、詳しく調べることはせず、そのままにしておりました。

すると、数日前、楽天のほうから電話があって、「最近、あなたの口座から身に覚えのない引きだしがなされていませんか?」という。すでに同様の被害がかなり出ていると。

テレビでは、そういう類のニュースはよく聞くが、まさか我が家にそんなことが起こるとは思ってもいませんでした。

皆様も、身に覚えのない引き出しがあったときは、ちゃんと調べたほうがいいかもしれません。

それにしても、物騒なことですね。

老母のこと

2014年11月12日 12時11分51秒 | 家族
実家の母は今年6月に89歳になった。数え年は90歳である。

が、まだまだ行動力が旺盛で、この9日(日)に、お正月に我が家に来てもらおうと夫に電話してもらったが、何回かけても出てこない。

翌10日(月)にケイタイに掛けてもらっても出てこない。

年が年だけに、少し心配になって、兄嫁のケイタイにメールで問い合わせた。

すると折り返し、兄嫁から、「おかあさんは、(活け花の)小原流80周年式典出席のため、9日早朝から神戸に行っています。今日夕方帰宅の予定です」と返信があった。

な、なんと、89歳の老婆が一人で神戸御影の小原流会館まで?

まあ、今年の春、私が精神薬で寝たきりになっていたときは、はるばる高知から何度か見舞いに来てくれたくらいだから驚くには当たらないが・・・。

それにしても、認知症でこそないが、歩くのも頼りないし、話し方も頼りない。

見かけた人は、放っておけないと見えて、荷物を持ってくれたり、手を引いてくださったりするらしい。

そんな老体で、あちこち出かけられて困っているのは兄嫁である。

世間の人は思うだろう、あんな年寄りをよく一人で外出させると。

私は、お正月は、少しでも兄嫁の負担を軽くしてあげたいと、誘いの電話をかけたのだが、本人は、そんな年寄りという自覚がないから、「年末まで仕事が一杯だから」などとのたまう。

元気でいてくれるのは、有り難いことなのかもしれないが、年寄りとしての自覚のない老人というのも、これもまた困ったものだと思う。

能勢町に来ています

2014年11月10日 16時44分12秒 | 日記
以前にも書いたと思うけれども、バブルのころ宅地を買うことができなくて、その代わりに大阪府能勢町に山林を買って宅地造成をした。

当時住んでいた大阪市内のマンションが狭かったので、この山林にプレハブを建てて物置として利用していた。

バブルの弾けた現在、その山林は二束三文になってしまったけれども、住宅を建てて住み着いた人たちもいる。

大阪市内からは車で一時間余り、川西市からは30分余りで来ることができる。

大阪市に住んでいたころは必要に駆られて(季節ものの入れ替え等)時々来ていたが、川西市に引越してきてからは、収納は自宅のクローゼットで間に合うようになったこともあり、近くなったにも関わらず、めったに来なくなった。

今日久しぶりに来てみると、以前植えた、(たぶん)山茶花が綺麗に咲いていた。

山茶花が咲くのは関西では大体11月下旬頃と思うが、ここ能勢町は大阪の北海道といわれるくらい気温が低いので、早く咲くのだろう。

主がめったに来ないけれど、植えておけば、時期がくれば、こういうふうに健気に咲くと思うと愛しい。

菅原道真の歌ではないが、「匂ふごと能勢の山茶花赤く咲け主なしとて冬な忘れそ」

  東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ 菅原道真

12月下旬になれば、赤い椿、白い椿も咲き始めると思う。



↑こちらは色違いの山茶花。

この柿の木は自然に生えてきたものだが、渋柿で、おまけに実があまりにも小さいので、吊るし柿にすることもできない。