神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

帰省その1 瀬戸大橋、大豊町 6/27(1~13まで時系列を逆にしました)

2015年06月30日 07時40分18秒 | 旅行
高知に住む母が6月22日に満90歳になったので、卒寿をを祝うため帰省することに。

いつもは明石大橋~淡路島経由だが、今回はルートを変えて瀬戸大橋から帰ることにした。

↓香川県が見えてきた。


  児島から瀬戸内海を越えてゆく瀬戸大橋の向かう坂出/biko

↓讃岐富士が見えてきた。


  坂出に近づくしるしに見えてくる讃岐富士なる山の山容/biko


↓瀬戸大橋を渡りきると讃岐富士が目の前に。


  瀬戸大橋わたれば迫りくるやうな山なり讃岐富士といふ山/biko

↓今回のもう一つの目的。高知県大豊町にちょっぴり持っている山林の境界線の確認をするためだ。だから、まず大豊町へ。


  徳島ゆ高知に向かふ途中なる大豊町といふ山の町/biko

↓その作業は大豊町商工センターの建物で。ずいぶん年代がかかった建物だった。

 
  過疎化して町の商工センターも寂れて見ゆる大豊の町/biko

↓土地の境界を確認するための大きな地図が準備されてあった。


  境界を確かめさせるため床に広げられたる地図に人々/biko

帰省その2 大豊町の山林 6/27

2015年06月30日 07時39分41秒 | 旅行
大豊町の山林の境界線を確認したあと、現地も確認しておくことに。

↓紫陽花があちこちに咲いていた。


↓山林内には人の住んでいた跡があって、池の跡のようなものもあった。


↓次回のために、目印になる石を撮影した。


↓これは地元で建石と呼ばれている石。


帰省その3 華珍園(中華料理) 6/27

2015年06月30日 07時39分04秒 | 旅行
昼食はどこにしようかと探し回ったが、市内で一番おいしいと定評のある”華珍別館”のランチにすることに。

ここの料理は、大阪でも見つけることができないくらいおいしい。

だから、帰省したら必ず一度はいく。

帰省その4 高知駅近くの楽屋さん 6/27

2015年06月30日 07時38分12秒 | 旅行
土曜日で、ホテルの予約が難しかった。かろうじて高知駅前のホテルがとれた。

そのホテルの紹介で、鰹がおいしいという”樂屋”という和食店にいった。

上の写真の突き出しとビールと下の写真の”川海老のフライ”はサービスだった。



↓お待ちかねの鰹たたき。


↓土佐巻き


↓鰺の干物も注文


あと、鰹のニンニクステーキ焼きというのも注文して食べたが、撮影しそびれてしまった。

写真はないが、鰹たたきより、このお店の場合は、こちらのほうがおいしかった。

帰省その5 お城下、日曜市、母校 6/28

2015年06月30日 07時37分43秒 | 旅行
梅雨の中休みの日曜日、お城下に足を向けた。

↑遠方で解りにくいかもしれないが、高知城が見える。

↓高知城のお城下には日曜日ごとに市が立つ。その長さは1,3キロに及ぶ。


日曜市と呼ばれて300年以上の歴史を持つ。主に地元でとれた農産物が売られているが、それ以外にも

↓土佐の特産物の一つ、刃物も売られている。


↓土佐寒蘭などの珍しい植物も売られている。


↓これはミニチュア盆栽。


↓ウチョウランその他


↓日曜市の傍には、観光客に人気の”ひろめ市場”もある。


↓私の母校もある。


↓私の在校時から変わらない外観。


↓冬のマラソンは、お城までのことが多かった。

帰省その6 高知県立追手前高校&日曜市続き 6/28

2015年06月30日 07時37分10秒 | 旅行
↑ご覧いただけるかどうか、はちきんいじーさんの母校の高知県立追手前高校を撮影。

↓追手前高校の前身は旧制高知県立一中。


  前身は高知一中なりしかば今も晴れ晴れ立つ時計台/biko

帰省その5の日曜市に戻って、追手前高校の前の追手筋通り。

↓海産物も売られている。(ピンボケになってしまったけれど)


  土佐湾を抱ける土佐の朝市に並ぶ海産物の香りよ/biko

↓南国の日差しをいっぱい受けたトマト


  まつすぐの日差しを受けし土佐トマト真赤に熟れて売られてゐたり/biko

↓漬物もいろいろ売られている。


  漬物は土佐の女の手の植えた大根ぬかに漬けて作らる/biko

↓手作りの小物も。


  はちきんと呼ばるる土佐の女たち働き者にて小物も作る/biko

↓しょうがの入った”あめゆ”。夏、従姉妹たちと鏡川で泳いだあとなどに街で売られているのを見つけて飲んだものだ。だから懐かしい。


  飴湯とふ飲みもの飲みし土佐の夏けふも日曜市で見つけて/biko

↓追手前高校の向かいの追手前小学校は廃校になり、更地になったあとに重機が。


↓その後、母の卒寿のお祝いをするために、今夜の宿、”三翠園ホテル”へ。


このホテルは土佐藩主、山内容堂公邸跡地に建つ。上の写真は幕末に作られた大門。

  大門は山内容堂公邸の門なりき今さんすい園の/biko

↓三翠園ホテルの玄関。


  幕末の大門くぐり現代のホテルの玄関あけるわが足/biko

帰省その7 三翠園ホテル 6/28

2015年06月30日 07時36分34秒 | 旅行
部屋に案内された。

↓窓が広いから開放感がある。


部屋の真正面は筆山。筆山には山内家の墓所がある。

↓和室12畳だから広い。


↓目の前が鏡川で、その向こうが高知球場。


↓窓から東の方向を見ると天神橋が見える。


天神橋を渡ると、菅原道真公とその嫡子、菅原高見公の祀られている潮江天満宮がある。

↓西方向手前に山内神社の杜が見える。


↓窓から右下を見下ろすとホテル駐車場と長屋門が見える。


山内家の長屋門とは足軽屋敷を兼ねた塀のように見受けた。中には当時の武家、庶民の生活用具などが展示されている。

↓真下を見下ろすと駐車場と日本庭園が見える。


↓左真下を見下ろすと、こんな具合。


↓床の間のお花もついでに撮影。

帰省その8 歴代山内家 6/28

2015年06月30日 07時35分56秒 | 旅行
館内の一部には、山内家の博物館のミニチュア版のようなコーナーが設えられている。

撮影が拙いので、わかりにくいと思うが、関心のある方は現地で確認してください。

上の写真は、山内家の家系図。

↓歴代藩主の肖像画


↓歴代藩主肖像画 続き


↓山内家の歴史の説明板も。


↓国の天然記念物である尾長鳥の剥製(?)も飾られてあった。


帰省その9 三翠園ホテルの夕食 6/28

2015年06月30日 07時35分25秒 | 旅行
三翠園ホテルの夕食をアップします。

↓さすが三翠園さんの料理だけあって、どれもこれも、おいしかったです。


↓チャンバラ貝、烏賊の酒盗、どろめなど高知ならではのものが盛り付けられて。


↓大きな海老(?)と季節の野菜のてんぷらも揚げたてでおいしかったです。


↓これは何という料理でしょうか?お餅のようなものに餡をかけたもの。


↓鍋物


↓ご飯と吸い物


↓最後のデザートは、土佐小夏のゼリーでした。

帰省その10 三翠園の朝風呂 6/29

2015年06月30日 07時34分52秒 | 旅行
昨夜に続いて、朝も温泉に入ることにした。

↑お庭を見ながら、渡り廊下を歩く。

↓廊下には百合の花が生けられていて、いい香り。


↓これが一箇所ではなく、次々とだから花の香りも続く。


廊下を渡ったところにある三翠園温泉に到着。ここからは撮影して、お見せできないので悪しからず。

三翠園温泉の女湯”千代の湯”の”千代”というのは山内家初代藩主、山内一豊公の奥様のお名前。

帰省その11 三翠園ホテルの朝食 6/29

2015年06月30日 07時34分07秒 | 旅行
三翠園ホテルの朝食もレポート

朝食はバイキングだった。

↓私は、朝はあまり食べないから、控えめに。


↓窓から昨夜泊まった部屋が見える。


バイキング料理は和洋折衷

↓和風のおかず


↓洋風のおかず


↓売店から、いつもいろいろ送ってくださる短歌の友人に土佐小夏を送った。


ほかにもお土産を買った。


帰省その12 母に付き添って銀行、高知県立美術館、母校 6/29

2015年06月30日 07時33分22秒 | 旅行
三翠園ホテルを出てから、母の用事で、銀行へ。

私は、ロビーの椅子に座って待っていたが、ふと見ると、カウンターの下に、来る南海地震に備えてだろう、救命衣が見えたので、撮影した。

この銀行は、新堀川という川に接しているが、新堀川は浦戸湾に繋がっているから、地震で津波襲来となったときのことを考えて、こういう準備をしてあるのだろう。

↓新堀川(高知駅からの幹線道路を作るため、そのほとんどが暗渠になったので、川水の見られるのはこのあたりのみ)


↓救命衣に近づいて撮影


その後、高知県立美術館へ↓


↓美術館入り口


↓建物の周辺は浅い池になっていて、水面に囲まれたおしゃれな美術館だ。


館内のパンフレット立てには、8月に作品展を開く、祖母の従弟の画家のパンフレットも入っていた。↓


↓ロビーに飾られてあったオブジェ




その後、私の母校に行って、母校の現校長先生にもパンフレットをお渡ししてきた。

↓写真は母校創立者の前田松寿女史のレリーフ


帰省その13 やっと帰宅  6/29

2015年06月30日 07時31分13秒 | 旅行
6月29日夕刻、やっと無事帰宅しました。

無事とは書いたけれども、実は途中でスピード違反で捕まってしまったので、まったくの無事ではありませんでした。でも、事故を起こしたわけではなかったので、無事だったということに。

スピード違反で捕まったのは、明石大橋を越えた直後のトンネルの中でしたが、私は、疲れて座席で眠ってしまっていたから、何がなにやら訳が分かりませんでした。

あとで夫に聞くと、明石大橋が空いていたから、ついスピードを出してしまったと。

喜寿のおじいさんがスピード違反で捕まるなんて、元気過ぎですよね。(笑)

覆面パトカーに追いかけられて、サイレンを鳴らされて、車道の端に誘導されて、夫はパトカーに乗り移り、始末書を書かされた模様。

スピードを出していたのは事実だったらしいので、仕方ないですね。

私も、疲れていたとはいえ、助手席で眠ってしまっていたことに若干責任を感じました。

皆様も気をつけてくださいね。

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長い旅日記になってしまって読みにくいと思うので、時系列を逆にして、今回の最後の記事が最初になるようにしてみました。

そうしたほうが、全部を通してお読みいただくとき、下り順に読めると思いますから。

一生贅沢ができる生まれ合わせの人とそうじゃない人

2015年06月21日 11時01分14秒 | 気づき
               (食堂のトポスが繁りすぎ?笑)

一昨日の「郷里に帰って母の世話をするべきか否か」で書きましたが、

私と亡兄は、同じ両親の元で生れた兄妹だったのに、兄は昔から贅沢で、お小遣いをもらってもすぐに遣ってしまう人でした。

一方、私は、無駄遣いをしないで貯めておくほうでした。

夫のほうも、夫の弟はわりあい贅沢なのですが、夫は、贅沢はしません。

最近思うのは、贅沢にできる人は、その状況がどんなであっても、贅沢をしてしまうし、それで通してしまうところがありますね。

義母もそうでした。

義母は、これは「まだ早いけれど、父の日のプレゼント」で書きました通り、身長が163センチあり、顔が小さく典型的な八頭身美人でした。

そのためか、美に対する執念はすさまじく、認知症になってデイサービスに通うようになっても、お迎えがくるまでに一通りのお化粧をしておかないと気のすまない人でした。

認知症になってからも、季節季節には服を欲しがって、買いに行くくらいの執念をもっていました。

しかもいいものを買いたい人なので、デパートでの買い物になります。

私達が子育てでやりくりが大変なときでも、お中元、お歳暮は、お金を包んで上納しなければなりませんでした。

私など、子育ての間中、というか現在もですが、服を買うことはめったになかったのですが、義母はお金に糸目をつけずに買うところがありました。

だから、近所でも、きれいなおばあちゃんで通っていました。

これは義母がそうできる生れ合わせだったのかもしれないと思ったりもします。

自分の親のことだから、言いにくいのですが、私の母もかなりの美人でしたが、母は、父が凄い贅沢な人だったから、その煽りを食って、経済的には随分苦労したようです。

ちなみに私は父親似なので美貌は普通(笑)です。ブスと書こうかと思ったけれど、ブスでもないし・・・と思っていますが、どうなんでしょ?(笑)

母は、その頃のその癖がついてしまったのか、現在でも、なかなかの倹約家です。

母は、自分が切り詰めたお金を私達子供や孫にたくさん出してくれました。

我が家が子供三人を大学や大学院まで卒業させられたのには母の陰の助力が大きいのです。

母は、今でも切り詰めた生活をしていますが、母は、こういうふうな暮らしをする生まれあわせだったのかもしれません。

母も義母も、いずれもかなりのお嬢さん育ちです。

母の実家は、母の嫁入り前は、祖父が女工さんがいっぱいいるような生糸工場を経営していたから、嫁入りのときに持たせてもらった着物も大変な枚数だったらしいです。

が、戦後の食糧難のときに、父の浪費もあって、次々と質に入れてしまったようです。

義母のほうも、そのお父さんが保険会社を経営していたとかで、裕福だったようです。

結婚してからも、義父がエンジニアで高給取りだったので、贅沢できていたのですが、義父が勤めをやめて会社経営を始めてからは、あまり収入がよくなかったのでしたが、それでも、服を買うことはやめなかったようですから、そうできる生れ合わせだったのでしょうね。

義父の会社の経営のよくないときは、義父のお姉さん(夫の伯母さん)で、大阪市内の医院の奥さんだった人が、子供もいなかったため、ずいぶん援助してくれたようです。

そうそうこの伯母さんも身長が163センチあって美人だったので、高知市の一番大きい写真館が店のショーウインドウに飾る写真のモデルになってほしいと頼みにくるほどだったようです。義父のお母さんの系統が美人系だったようです。

その義父のお姉さんは、贅沢はいっさいしない人で、弟である義父の家族、つまり夫の家族のために死ぬまで尽くしてくれました。

私が夫と結婚したころも、季節季節には私を洋品店に連れていって、服を買ってくれたりしていました。

ということを考えていると、世の中には、贅沢ができる生まれあわせの人というか、どんな状況のときでもする人と、できてもしないというか、できない人がいるように思えます。

和歌山みかんジュレ

2015年06月20日 20時10分38秒 | いただきもの
昨日、夫が仕事で出かけたときに、以前部下だった方からいただいてきたものをアップします。

小さいビンが和歌山みかんのジュレ。

冷やしておやつにいただきましたが、あっさりしておいしかったです。

大きいビンのほうは、有田みかんのシロップ漬け。

こちらは明日いただこうと思います。

製造者は

(株)早和果樹園

646-0432
和歌山県有田市宮原町東321

です。

別に謝礼をいただいているわけではないのですが、おいしかったので、ご紹介させていただきました。