結社のインターネット歌会のお仲間である飛鳥井和子さんから歌集の贈呈を受けた。
飛鳥井さんは、63歳まで京都の私立校の先生をしていられた方らしい。
歌会でも、ときどき発言されるから、私と同年輩くらいの方かと思っていたが、お歌から推測するのに、80歳くらい方のようだ。
年齢的にも、ひねった詠い方はなさらないから、すんなり読み取れる歌がメーンだ。
とはいっても、若い人たちには理解の及ばない歌も多いかもしれないと思った。
すんなり読み取れるのは、私も老人の仲間入りをしているからだろう。
テーマは、生、老、病、死ということになるだろうか。
現在は、車椅子を使っておられるから、ご家族の迷惑にならないように老人ホームに入所しておられるようだ。
という著者の飛鳥井さんのご紹介はさておいて、その作品のご紹介を。
ーーーーーーーーーーー
プロ野球の開幕を見ては冬越せる喜びとせし夫いまはなし
という歌から、お連れ合いは、もう鬼籍に入られていることが窺われる。
長年連れ添った夫婦というものは、お互い、相手の喜びが己の喜びに感じられるくらい同体化していくものかもしれない。
現在は、春になっても開幕戦を喜んでいた夫がいない不在ばかりが思いやられる。
枕辺にいつもバッハを聴きゐたる君の孤独の今迫り来る
一人きりで部屋にいるときなどに、今は亡き夫の闘病中のころの孤独がひしひしと身に迫ってくる。
今、飛鳥井さんは、その「君」に成り代わってその部屋に存在しているのかもしれない。
一点の紅と化し夕陽落つ夫の鼓動もかく止みたりき
連れ合いの臨終をこのように美しく詠われるくらい飛鳥井さんの心は静かに澄み切っていられたのだろう。ある覚悟のようなものも読み取れると思う。
このままに包まれゐたしここちよく夫の好みし古き浴衣に
いかに仲のよいご夫婦であられたかが伝わってくる。
お連れ合いは、この着古した浴衣のように、飛鳥井さんになじんだ、優しい方だったのだろう。
老いぬれば賀状の多弁もふむふむと整理終へたり蝋梅香る
私の夫などは賀状は簡潔に限るというのであるが、しかし、一年の無沙汰を賀状で取り戻そうといわんばかりにたくさん近況を書いてくる賀状もよくある、
飛鳥井さんは、そこのところも理解しながら、ふむふむと近況を聞き終えて、その年の賀状を束ねたのだろう。結句の「蝋梅香る」が年賀状整理の時期の空気を運んでくる。
口ゆがめ重たき鍵をかけてゐるをかしな顔をドアは見てゐる
いつも鍵をかけるのに難儀していられるのだろう。
それを客観的に自虐化して詠われているからユーモアの歌に仕上がった。
あかり消しま夜の湯ぶねに想ひをり春生るる児は今いかならむ
連れ合いを亡くして一人暮らしを余儀なくさせられていても、人生には何らかの喜びが付録として備わっているものだ。
飛鳥井さんにとっては、孫の誕生、成長がそれなのだろう。
とはいえ、
さびしさは集ひの後に襲ふなり灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ
という日もある。
その集いが楽しいものであったなら、なおさらその後の寂しさは強いのである。
「灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ」に身の置き所もないほどの寂しさが伝わってくる。
歌集中には回想の歌も多い。
それが今の歌と並べられてあったりするから時系列が定まらない感もあるが、しかし、生きてこられた年代の重みとして感じられる面もある。
乳房一つくいくいと飲み笑む吾子にお地蔵様と母は呼びかく
などは回想の歌であろう。
あるときは現在形のお孫さんを詠みながら、過去の自分の子育てを回想したりしているのだ。
あるいは、過去を回想しながら、現在の自分の境遇をかみ締めている。
病の歌も多くある。
高校教諭の職を引かれてからすぐに髄膜腫の手術を受けられ、その後、お連れ合いを亡くされた後、腰部脊柱管狭窄症、さらに脳内出血と。
老いに病はつき物とはいうものの、まさに、生、病、老、死を見据えた歌集ということもできるかと。
しかし、その老、病の中で歌作が生きがいになったようで、このように詠われている。
はじめての欠詠号はさびしかり「塔」六月号の光あびながら
私のように確信犯的に欠詠している者からみると、あっぱれというほかない。
ということで、飛鳥井さんのますますのご健詠をお祈りさせていただきたきながら、この記事を『けやき道まで』の感想とさせていただきたい。
また、私も、たくさん病気してきたから、個人的にも、たいへん共感できる歌集だったということも付記しておきたく。
老、病の進行形の歌集かも飛鳥井さんの『けやき道まで』 biko
やがてわが行く道筋の歌集かもとも思ひつつ読み終へにけり biko
飛鳥井さんは、63歳まで京都の私立校の先生をしていられた方らしい。
歌会でも、ときどき発言されるから、私と同年輩くらいの方かと思っていたが、お歌から推測するのに、80歳くらい方のようだ。
年齢的にも、ひねった詠い方はなさらないから、すんなり読み取れる歌がメーンだ。
とはいっても、若い人たちには理解の及ばない歌も多いかもしれないと思った。
すんなり読み取れるのは、私も老人の仲間入りをしているからだろう。
テーマは、生、老、病、死ということになるだろうか。
現在は、車椅子を使っておられるから、ご家族の迷惑にならないように老人ホームに入所しておられるようだ。
という著者の飛鳥井さんのご紹介はさておいて、その作品のご紹介を。
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プロ野球の開幕を見ては冬越せる喜びとせし夫いまはなし
という歌から、お連れ合いは、もう鬼籍に入られていることが窺われる。
長年連れ添った夫婦というものは、お互い、相手の喜びが己の喜びに感じられるくらい同体化していくものかもしれない。
現在は、春になっても開幕戦を喜んでいた夫がいない不在ばかりが思いやられる。
枕辺にいつもバッハを聴きゐたる君の孤独の今迫り来る
一人きりで部屋にいるときなどに、今は亡き夫の闘病中のころの孤独がひしひしと身に迫ってくる。
今、飛鳥井さんは、その「君」に成り代わってその部屋に存在しているのかもしれない。
一点の紅と化し夕陽落つ夫の鼓動もかく止みたりき
連れ合いの臨終をこのように美しく詠われるくらい飛鳥井さんの心は静かに澄み切っていられたのだろう。ある覚悟のようなものも読み取れると思う。
このままに包まれゐたしここちよく夫の好みし古き浴衣に
いかに仲のよいご夫婦であられたかが伝わってくる。
お連れ合いは、この着古した浴衣のように、飛鳥井さんになじんだ、優しい方だったのだろう。
老いぬれば賀状の多弁もふむふむと整理終へたり蝋梅香る
私の夫などは賀状は簡潔に限るというのであるが、しかし、一年の無沙汰を賀状で取り戻そうといわんばかりにたくさん近況を書いてくる賀状もよくある、
飛鳥井さんは、そこのところも理解しながら、ふむふむと近況を聞き終えて、その年の賀状を束ねたのだろう。結句の「蝋梅香る」が年賀状整理の時期の空気を運んでくる。
口ゆがめ重たき鍵をかけてゐるをかしな顔をドアは見てゐる
いつも鍵をかけるのに難儀していられるのだろう。
それを客観的に自虐化して詠われているからユーモアの歌に仕上がった。
あかり消しま夜の湯ぶねに想ひをり春生るる児は今いかならむ
連れ合いを亡くして一人暮らしを余儀なくさせられていても、人生には何らかの喜びが付録として備わっているものだ。
飛鳥井さんにとっては、孫の誕生、成長がそれなのだろう。
とはいえ、
さびしさは集ひの後に襲ふなり灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ
という日もある。
その集いが楽しいものであったなら、なおさらその後の寂しさは強いのである。
「灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ」に身の置き所もないほどの寂しさが伝わってくる。
歌集中には回想の歌も多い。
それが今の歌と並べられてあったりするから時系列が定まらない感もあるが、しかし、生きてこられた年代の重みとして感じられる面もある。
乳房一つくいくいと飲み笑む吾子にお地蔵様と母は呼びかく
などは回想の歌であろう。
あるときは現在形のお孫さんを詠みながら、過去の自分の子育てを回想したりしているのだ。
あるいは、過去を回想しながら、現在の自分の境遇をかみ締めている。
病の歌も多くある。
高校教諭の職を引かれてからすぐに髄膜腫の手術を受けられ、その後、お連れ合いを亡くされた後、腰部脊柱管狭窄症、さらに脳内出血と。
老いに病はつき物とはいうものの、まさに、生、病、老、死を見据えた歌集ということもできるかと。
しかし、その老、病の中で歌作が生きがいになったようで、このように詠われている。
はじめての欠詠号はさびしかり「塔」六月号の光あびながら
私のように確信犯的に欠詠している者からみると、あっぱれというほかない。
ということで、飛鳥井さんのますますのご健詠をお祈りさせていただきたきながら、この記事を『けやき道まで』の感想とさせていただきたい。
また、私も、たくさん病気してきたから、個人的にも、たいへん共感できる歌集だったということも付記しておきたく。
老、病の進行形の歌集かも飛鳥井さんの『けやき道まで』 biko
やがてわが行く道筋の歌集かもとも思ひつつ読み終へにけり biko