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神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

好きなことだけしていれば鬱にはならない

2018年03月23日 09時55分08秒 | 精神医療
鬱勝ちの私が自信をもっておすすめできる鬱対策は

「好きなことだけをする」「したいことだけをする」
です。

現実には、それができないから鬱になるのです。

社会制約上、それが許されないから、鬱になるのです。

まあ、言ってみれば、鬱病というのはわがまま病なのです。

皇太子妃の雅子様が、公務がおできにならないのは、ご病気だと思います。

確か昨年あたり、雅子様も、躁鬱2型と診断されたように記憶しています。

それが事実なら、雅子様も、したくないことができないご病気、すなわちわがまま病です。

私は、自分がそうであるから、恐れ多くも、雅子様のことが理解できる、かもしれません。

が、それなら、次期皇后陛下になられることは辞退されたほうが、ご本人のためです。

国民のためでもあります。

いつ出てこられるかわからないお出ましは国民に迷惑であるし、
公務がこなせないことを国民に責められることは雅子様にとっても不幸であります。

この際、雅子様を全力でお守りすると約束された皇太子殿下も、
天皇陛下になられることをご辞退されたらいかがでしょうか。

もちろん天皇陛下になられないようでしたら、現在の宮廷費は支給されなくなると思いますが、
しかし食べるために働く必要のない暮しができるのなら、それだけでも恵まれていると考える
国民は多いと思います。

幸い、現在の皇室には秋篠宮殿下、妃殿下がいらっしゃいます。

秋篠宮家には、皇室典範を改正しなくても天皇陛下御資格に適う悠仁様もいらっしゃいます。

私は、来年の明仁天皇ご譲位に合わせて秋篠宮殿下に次期天皇をお譲りされたらと思います。

現皇太子徳仁殿下と妃殿下のお住まいは
現在の東宮御所に、譲位される現天皇陛下、妃殿下とご一緒にお暮しになられては?

御所には、天皇陛下になっていただきたい秋篠宮ご一家が住まわれたらと存じます。

そう思っている国民は多いと思います。

どこに申し上げればよろしいかわかりませんので、
とりあえず自分のブログでつぶやいておくようにします。

かしこみて

 
辞退で思い出しましたが、辞退してほしい人がもう一人います。

眞子様とのご婚約が内定されている某氏です。

あなたは、次々期天皇の義兄にはふさわしくありません。

説明の要はありませんね。

ですから、

この際、ご婚約を辞退くださいますよう、進言させていただきます。

谷田茂作「闇 病からの奇跡の復活三部作」を読ませてもらって

2016年12月16日 15時18分00秒 | 精神医療
プロカメラマン、詩人、小説家、谷田茂氏のブログ「愛詩tel by shig」で小説を読ませていただいた。

小説の題は、「闇 病からの奇跡の復活三部作より」である。

小説の形態はとっているが、精神薬の問題点を浮き彫りにした問題作である。

3年前に精神薬で酷い目に遭った私には、ものすごく共感できる作品であった。

ただし、それはこの小説の前半部分である。

後半部分は小説であるのでハッピーエンドに導いているから、それはそれで感動的であるが、私が共感したのは前半部分の、自殺したくなるような気持ちにさせる精神薬の副作用である。

精神薬は、飲むことによって、治るどころか、より不安を掻きたてるような薬効がある。

その状態が実にリアルに描かれているのである。

小説なので少し長いが、過去、精神薬で酷い目に遭った方、あるいは、ご家族に、そのような方のおられる方には、ぜひ読んでいただきたい記事である。

実は、数日前にHNカモミールさんという方のブログ「そよ風のささやきを聞きながら」の「発達障害について」の記事にもコメントさせていただいてきたのであるが、それは、 精神薬の恐ろしさを知らない人たちにも知っていただきたいとの思いからだった。

最近は、ちょっと悩み事があるだけで、すぐにメンタルクリニック=精神科に駆け込む。

それは、「心の風邪を引いたら、すぐに心療内科、精神科へ」という宣伝がいきわたっているせいであると思う。

実は、私も、とあるメーリングリストでのトラブルで夜眠れなくなってメンタルクリニックに駆け込んでしまった人間である。

結果、恐ろしい精神薬を処方されて、その副作用に驚き、やめてからは、地獄のような離脱症状に苦しんだ。

精神薬には、覚せい剤などと同様の依存性がある。

急にやめると、覚せい剤の禁断症状と同じような離脱症状という症状が現れる。

こんなことは処方された段階では説明もされていないから、患者は、わけもわからず、ただ苦しむことになる。

私は、幸いネットで調べて、その恐ろしさに気づけたから、苦しみながらもやめられたが、医師の処方を疑いもせず、飲み続けていたら、廃人のにならされるところだった。

患者が、なんだか変だと思って医師に訴えても、医師は、「それは、あなたのもともとの病気が悪化しただけです」と答えるのが回答のパターンであるらしい。

ここで疑問を持たなかったら、医師の、あるいは製薬会社の餌食になるだけである。

医師自身も、このような恐ろしい実態をよく知らずに、製薬会社の説明を鵜呑みにして処方しているケースもあるようだ。知って処方しているとすれば、犯罪だ。

外国では、とうの昔に販売中止になっている精神薬が、日本では、堂々と売られている実態が、日本の精神医学会のいい加減さ、厚労省の無責任さを証明している。

これらを告発したブログもたくさん存在するが、私は、特に、フリーライターかこさんの「精神医療の真実」をお勧めしたい。

書き手のかこさんがプロのジャーナリストで、文章が上手く読みやすいからだ。

と、説明が長くなったが、今回ご紹介した谷田氏の小説も、お時間のあるときに、ぜひ読んでいただきたいと思う。谷田氏にはリンクの許可をいただいて、ご紹介させていただいた。

  体験をせねばわからぬ精神薬あやうく痴呆になりかけたわれ  biko

  悩みなど時間がたてば消えるなり消えぬは精神薬後遺症  biko

  処方せし医師を殺してやりたきが思ひだすのも嫌で放置す  biko

  お薬が病ひを作ること多したとへば子宮頸がんワクチンなども  biko

  抗がん剤がんには効かぬお薬といふだけでなく命縮める  biko

  病ひもつ人を癒すが医師なりと思ひてゐしがそうでもなくて  biko

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こちらも、ご参考までに。

精神医学 悪質なカルト

ランタナとパンダスミレ

2016年06月27日 09時10分57秒 | 精神医療
鬱病、そしてその後の精神薬による副作用、後遺症、離脱症状の地獄にいた頃に、それまで世話をしていたお花は全部枯らしてしまった。

いや、枯らす前に能勢町の我が家の物置のある山に持っていったから、放棄したのだった。

それからは、季節ごとのお花を植えていなかった。

が、今年の3月に生協に入ってから、注文書でお花の苗、野菜の苗も注文できるようになったので、ぼちぼち注文をしている。

上の写真はオレンジランタナ。

鬱病になる前は、和歌山から苗を取り寄せて、赤、オレンジ、黄色、白と様々なランタナを植えて楽しんでいた。

が、先月注文したのは、オレンジ色だけ。

下の写真は、パンダスミレというスミレ。

また小さいが、これからどんどん大きくなって、雨の日を楽しませてくれるだろう。



鬱病になる前は、毎年梅雨時になると、雨に合う紫色や白いロべりアを植えて楽しんだものであった。

↓こちらは、鬱病の間ほったらかしにしていたゼラニウム。


駐車場の車の後ろに置いてあるプランターの手前にピンク、向こう側に赤い花が勝手に咲いてくれる。

普段は車に隠れているが、夫が車で出かけている間だけ眺めることができる(笑)。

今こうして心の平安を取り戻して、いかに心の健康を保つことが大事かということを知った。

  ランタナもパンダスミレも夏のはな夏には夏の花を楽しむ  biko

  忘れゐしプランターより初夏(はつなつ)に思ひ出してと咲くゼラニウム  biko

「兄妹の絆」~NHKハートネットTVより

2016年01月07日 15時30分26秒 | 精神医療
昼食後、NHKテレビを付けたままにしていると、1時から国会中継になった。

国会中継も見たいのだが、字幕がつかないので、難聴の私は諦めざるを得ない。

それで、Eテレに替えた。

折りよく手話ニュースをやっていたから、手話は分からないが、ニュースを観た。

そのままにしておくと、今度は「ハートネットTV」という番組が始まっていた。

テレビを消そうとリモコンを手に取ると統合失調症がどうのこうのという字幕が出たので、少し興味を覚えてそのまま観た。

何でも、堤万里子さんという方のお兄さんが統合失調症で、ずっと入院されていたのを病院から引き取ったとか話されていた。

お兄さんは、古賀靖紘さんという方で、70歳とか。

妹の万里子さんは6歳下のようなことを言われていたから64歳か。

お兄さんの靖紘さんは、とても頭がよく、昔はトップ高校に通学されていたという。

それが16歳のときに精神分裂症(=統合失調症)を発病されて、精神病院に入院させられたという。

そんなに長い間入院していた人を、いくら兄妹とはいっても、引き取るのは大変なことだったろうに、万里子さんはそれをなさった。

引き取って一緒に暮らしている間に、だんだんお兄さんは病状がよくなってこられたと。

それで、台湾旅行にも連れて行ってあげたと話されていた。

ところが、せっかく台湾旅行で自信を取り戻しかけていたお兄さんだったが、手の震えを抑えるため、薬を替えたことから不眠になられたという。

お兄さんが眠れないと万里子さんも眠れない。

それで、ついお兄さんを傷つける言葉を吐いたと。

お兄さんは自信をなくしてしまって、せっかくよくなりかけた症状が元に戻りかけたと。

これだけお兄さん思いの万里子さんのことだから、すぐに気づいてお兄さんに謝った。

だいたい、こういう流れだったとおもうのだが、私は、この万里子さんのお兄さんを思う優しさに心打たれた。

いくら血を分けた兄妹でも、ここまでしてあげる人はいないと思う。

と同時に、一昨年精神薬で酷い面に遭った私には、この古賀靖紘さんに対する治療は適切であったかどうかということも思った。

天下のNHKですら、精神薬に対して疑いを持っていないということに私は疑問を感じている。

統合失調症がどんな病気かもよくしらないが、しかし、適切な治療はなされたのだろうか?

手が震えるというのは、私も、たった数ヶ月服用した精神薬で体験したので、古賀さんの手の震えは薬の副作用だったように思うし、不眠症になったのは薬を中止したことによる離脱症状だったのではないか。

私は、ジプレキサというお薬を何の疑問ももたずに9ヶ月間服用し、糖尿病の副作用が出たので中止し、その後まったく眠れない不眠症になった。急に薬を止めたことによる離脱症状だった。その体験から、憶測してしまうのだ。

現在は、まったく正常に戻れたが、精神薬の怖ろしさは体験してみないと分からない。

古賀靖紘さんは、万里子さんというお兄さん思いの妹さんがついておられるから本当に幸せだ。

願わくば、薬なしでも生活できるまでに回復されるよう、お祈りさせていただきたく思う。

  薬などなくても治る鬱病に薬を処方されて地獄に  biko

  鬱病の苦しみよりも苦しみし薬を止めて元に戻れり  biko

精神科について

2015年08月20日 22時20分45秒 | 精神医療
ネットのトラブルで鬱病になった私が飛び込んでしまった精神科の精神医療については、もう私の中では終わっている。個人的には忘れたいと思っている。

が、今日、毎日読ませていただいている駅前糸脈さんの記事のタイトルが「社会の医者は無理な相談か」で、精神科について書かれていたから、糸脈さんの記事の主旨には合わないと思ったが、精神科について思うところをコメントさせていただいてきた。

糸脈さん自身も医師であられるから、私のコメントは迷惑かもと思ったので、「没にしてくださってもかまいません」と断りを入れておいた。

一昨年から昨年前半まで精神薬の副作用、離脱症状、後遺症に悩まされた私にとって、精神薬は害のみあって益になることはひとつもなかった。

しかし現代医学にとっぷり浸かっていられる医師、薬剤師さん達に精神薬の薬害を訴えても聞いてもらえるとは思っていない。

が、それでも声を上げなければ泣き寝入りになる。

それで、糸脈さんの記事の文脈には関係ないと思いつつもコメントを残してきたのだ。

私のように、毒牙から逃れられた者はまだよい。

だまされたままの人、気がついても薬の離脱症状が恐ろしくて断薬できない人、さらに今後その毒牙につかまるかもしれない人たちのことを考えれば、多少でも体験した者の勤めとして、声を挙げていかざるを得ない。

じっさい被害者はたくさんいて、さっきも、「ベンゾジアゼピン、離脱症状」という言葉を入れて検索すると、すぐにいくつかヒットした。

そのひとつを貼り付けさせていただく。

安易に処方される薬の恐しさ ~ベンゾジアゼピン~

全然存じ上げない方のブログで、勝手にリンクを貼らせていただいていいのか分かりませんが、フェイスブックでシェアしてもかまわないみたいですので、貼らせていただきました。

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何一ついいことのない精神医療でしたが、しいて利点をあげれば、あの鬱病の苦しみを霞めてしまうほどの強烈な苦しみを得たことでしょうか。

あの頭が呆けていく恐怖、離脱症状の怖さを知らずに、断薬して(させられて)しまったあとの体調の悪化による苦しみ、それらの苦しみによって、私は鬱病の苦しみから解放されたのです。

これは治療といえるものではありませんでしたが、結果的に荒療治にはなったと思います。

それ以来、私の人生観も変わりました。

私がガーデニングを止めた理由

2015年05月19日 18時42分09秒 | 精神医療
一昨年、精神薬ジプレキサ錠を服用して、11月に服用を止めたあとに起こった一連の離脱症状の地獄、その後、昨年2月から3ヶ月ほど服用した別の精神薬、デパケン錠とリチオマールによる副作用。

遠い昔のような気がするが、ほんの一年前のことである。

ジプレキサを止めたあとの吐き気、震えが離脱症状からきたものとは夢にも思わなかった。

あまりにも異常な体調が続いたから、また別のメンタルクリニックに行って処方されたのが、デパケン錠とリチオマールであった。

こちらは服用始めて1ヶ月ほどで頭が呆けてきた。

考え事ができなくなって、食事の支度もできなくなった。

感情が鈍磨してきて、本が読めなくなっただけでなく、テレビも視聴することができなくなった。手が震えて字がかけなくなった。

それでいて、不安感は異常に強くなって、しなくていい片付けをしたり、しなくてもいい投資信託の解約をしたりした。

死にたくてたまらなくなって、踏切のそばを通るのが怖かった。

飛び込むことを抑えられないような精神状態になっていた。自分で自分が怖かった。

夫は、私一人をおいて外出できなくなっていた。

仕事で外出するときも、私を車の助手席に乗せて目を離さないようにしていた。

私は呆けかけた頭で精神薬のことを一生懸命調べた。ネットのない時代だったら今でも分からないままだったと思う。

最初の異常はジプレキサの離脱症状、その後の異常はデパケンとリチオマールの副作用ということまで掴んだ。

あとは止めることのみだったが、その止めることがなかなかできなかった。

それほどジプレキサの離脱症状の苦しみは強烈だった。その苦しみが怖くて止められなかったのだ。

それでも、知り合いの精神科医に相談して、止めることができたのは昨年5月25日。

止めると薬の後遺症で睡眠障害が残ったが、数週間の不眠に耐えて睡眠薬も止めた。

結局、本当に全部が止められたのは、昨年の6月末ごろだった。

まだ1年経っていない。

が、遠い昔のような気がする。

その薬で呆けていた間に育てていた植物は全部枯らしてしまった。

上の写真は、一昨年の秋、まだジプレキサを服用していて、偽りの安定状態のときに撮影した写真。

2階の夫の寝室前のベランダに植えてあったランタナの花だ。

この花のみならず、丹精込めていた植物すべて失ってしまった。

いや、水遣りができなくてほったらかしにしておいても全部が枯れるということはなかったと思うが、我が家は市街地の関係上プランタで育てていたので、見た目が見苦しくなるので、全部能勢に持っていって、植え替えをしたのだ。だから、能勢の冬の寒さに全滅したというのが正しい。

が、頭の方は、まだ一人で外出するには多少不安が伴うが、何とか回復した。

また、そろそろ花をと思わないではないが、枯らしてしまった花々に対する哀悼の意をささげるため、もう少し我慢することにしよう。

しばらくは、他人様のブログで季節季節の花を楽しませていただくことにする。

ここまで回復できたことは神様の助けあってのことと思う。

薬を処方した医師、その他に恨みがないといえば嘘になるが、しかし、私が出向いて診察してもらったのだから、私も悪い。

原因となった鬱病を引き起こしたトラブルも、私に隙があったから付け入られたのだろうから私が悪い。

すべて私が悪いのだから、もう誰も恨まない。

むしろ、この苦しみの中で、神様を感じることができたのは、福音と思う。

何度も書いているが、皆様も安易に精神科にかかることは避けていただきたいと思う。

鬱病は、薬を飲まなくても時間が解決してくれます。

投資信託&精神薬

2015年04月19日 15時04分04秒 | 精神医療
旅行の話が続いたので、今日は投資信託というか、お金の話を。

同年輩の皆さんは年金の話題が多い。

私は若い頃、2年間銀行勤めしただけで、あとは概ね専業主婦だったので厚生年金はないに等しい。

いや、結婚後、一度だけ、一年足らずフルタイムで働いたことがあったが、家事との両立は難しく、さらに第三子=次男を身ごもってしまったので退職した履歴がある。、

我が家は、お金のことは全て夫が管理し、私は夫に従っている。夫のほうが私よりも経済観念が確かということもあって・・・。

結婚以来ずっと、私は必要最小限の生活費をもらうだけ。

それで今まで不満にも思わなかったし、生活ができることだけをありがたく思って暮らしてきた。

夫の性格からして、妻の私に任せることをよしとしないということはわかっていたから、それでよかったのだろう。

夫も(私もだが)特に無駄遣いする人でもなかったので、私もその夫に従ってきたというわけだ。

が、11年前に実家の母が脳梗塞で倒れた後、母ももしものことを考えてだろう。財産分けをしてくれた。

それで、そのとき、たまたま訪ねてきた若い証券会社の人から国債を買った。

その後、大阪市から川西市に引越してからも大阪の証券会社の人が来てくれていた。

証券会社の担当者は、だいたい3,4年ごとに替わる。

引越してきてまもなく担当者が替わり、今度は中年の担当者になった。

その人が、日本の国債では儲けがないからと、ヨーロッパ国債を買うことを勧めてくれた。

ヨーロッパ国債は利回りが凄くよかった。

が、まもなくリーマンショックがきた。

大損をした。

が、その後また担当者が替わって、アメリカの投資信託とかいろいろ買い換えさせられながらも、いつのまにやら儲けさせてくれていた。

元手がたいしたことないから、儲けたといってもわずかだが・・・。

証券会社の投信とは別に、高校時代の友人の一人が離婚して生活が大変そうだったから、友人の仕事を応援するべく、その友人の勤めている保険会社のドル建ての保険にも投資した。

が、投資したあと円高が進んだので、大分目減りしていた。

ところがである。

最近円安が続いているから、ほっておけば、かなり儲かったはずなのだが、私は一昨年からの精神薬の副作用で、精神状態が不安定になっていた。だから昨春、まだまだ円高の時期にドル建てを全部、円に換えてしまった。

その手続きは、当時、私の頭が呆けかけていたので、夫に銀行に同行してもらった済ませた。

証券会社の投信のほうも腕のいい人が担当になってくれていたから、不景気の間も儲けさせてくれていただけでなく、一昨年は、これからは日本株がよくなるからと「日本株戦略」という信託をすすめてくれて、投信していた。

そのままにしておいたら、かなり儲かっていたはずなのだが、やはり精神的に不安定になっていた私は、その有能な人に(その人にすすめられて投信したわけではなかったのに)、以前にヨーロッパ国債で大損したことをなじって、全部解約してしまった。

儲けさせてくれた担当者だったのに、本当に申し訳ないことを言ってしまったし、してしまったと思う。

日本株が急上昇したのは、それからのことだった。

ドル建ての保険も投信も放っておけば大儲けしたところだったが、後の祭りだ。

なぜあんなに何もかも不安になったかと今になれば訝しく思うが、それが精神薬のなせる業だったのだ。

が、差し引き損はしていないので、これでよしとしよう。

儲け損ねたことは残念だが、現在の私は昨年の精神薬の離脱症状の地獄を考えると、いま現在平穏な気持ちでいられることが何よりなのだ。

お金はたくさんあるに越したことはないが、しかし贅沢はできないが、衣食住に事欠く生活をしているわけでもないので、これ以上を望んだら罰が当たるだろう。

  夜ねむれご飯がおいしくいただけてこれ以上は何もいらない  biko


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皆さんも、何かあっても、絶対精神薬には関わらないようにしてください。

お金より大切なものは、よく言われているように健康。

それも、体の健康も大切ですが、それ以上に大切なのは精神面の健康だということを、私は鬱を患って、さらに精神薬で苦しめられて悟りました。

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でもね、投信に限っていえば、経済観念のない私のほうが、あるはずの夫よりも損していないのですよ。これって、なんでしょうね?(笑)

「うつ病が治らないあなたへ」

2014年09月28日 11時51分03秒 | 精神医療
私が最近よく読ませていただいているフリーライターかこさんのブログにタイトルにした番組の紹介があった。

なんでもNHK Eテレの「きょうの健康」で、明日9月29日から10月2日まで4日間連続で放送されるのだそう。
       ↓
「うつ病が治らないあなたへ」

以前の私なら、天下のNHKの番組だからと疑問も持たずに観たと思う。

しかし精神薬で酷い目にあってからは騙されない。

そもそも鬱病の薬に根本的に鬱病を治す効能はない。服用すればするほど悪化するというのが現実である。

それに対して、「あなたは実は躁鬱病でした」と診断名を変えるのが、精神科医の常套手段なのだ。

私も最初は鬱病の診断だった。それがなかなか治らないというので、躁鬱2型に病名が変わった。

最近流行っている(?)躁鬱2型は、いわゆる躁鬱病、躁鬱1型と比べて解りにくい。

なぜなら、躁の状態は軽躁で、ほとんどが鬱というのが、その病態であるらしいから。

極端な話、それなら、誰にでも当てはまる。

結局、患者とされた人は麻薬より恐ろしい精神薬を処方されて被害を蒙るのみである。

こういうからくりを仕掛けているのは、ほかならぬ、薬を売って利益を得ている製薬会社である。

精神科医は、そのお先棒を担がされているというと言いすぎになるだろうか?

というのが、私自身の体験から鑑みて、精神科医には、この精神薬の副作用、後遺症の実態が分かっていないところが見受けられたから。

ん?分かっていて処方している?  それなら犯罪である。

インターネットのなかった時代ならいざ知らず、現在は、実際に被害にあった人たちも声を挙げ始めている。

私も、インターネットで、「なんだ、変だと思ったら、薬の副作用だったのか」とか、「薬を止めて起こった一連の恐ろしい症状は離脱症状だったのか」とか気づいた口である。

天下のNHKは、こういう体験者の声を聞いたことがないのだろうか?

私は精神薬の被害が社会問題になるのは時間の問題だと思っている。

私は、もうなんとか薬害被害から抜け出せたから、そ知らぬ顔をしていていいのだが、体験したのに黙っていることは自分の良心が許さないし、あれほどのペテンは野放しにできない、とも思う。

だから、皆さんにもご紹介させていただいた。

医薬分業

2014年08月03日 12時58分42秒 | 精神医療
私の娘は薬剤師である。いや正確にいうと薬剤師の資格を持った、現在は専業主婦である。

薬剤師になることを勧めたのは私である。 

娘が薬科大学在学中は、「これからは医薬分業の時代がくるから薬剤師の地位向上が望める」とかいわれていたから、大いに期待していた。

ところが、昨年から今年にかけて、私は、この”医薬分業”に失望してしまった。

たしかに、以前は医院で出されていたお薬が、現在は薬局に処方箋を出して受け取る仕組みにはなっている。

が、ここで、薬剤師が、薬剤師の権限でチェックしているかというと「?}である。

薬の効能のみの簡単な説明はしてくれる。

しかし肝心の副作用の説明はなかった。離脱症状に至っては患者の私が教えてあげたくらいだ。

医薬分業というのなら、薬剤師は薬に関する医師より詳しい正確な情報をわれわれに提供してくれなければならない。

なのに、たとえば私の通ったメンタルクリニックの門前薬局の一つは、「だんだんとよくなりますからね」と医師の処方を応援するような言葉を発しただけだった。

薬の専門家の薬剤師も、医師と同様、向精神薬の(本当の)副作用、離脱症状を知らないのだろうか?

これでは何のための医薬分業だろう??

娘のころは4年制だった薬科大学が、現在は医師と同じ6年制となり、しかも、薬剤師国家試験は難易度を増して、今春などは6割の合格率だったと聞くにつけても・・・。

              *

娘は現在子育て真っ最中なので専業主婦をしているが、孫に手がかからなくなったら、また薬剤師をする気満々である。

しかし、私は、もろ手を上げて賛成することができない心境に陥っている。

*

諸悪の根源は、儲け最優先で、薬の副作用、離脱症状を隠蔽しようとする製薬会社にあり、医師、薬剤師は、その片棒を担がされているというのが真相だろうか?

「精神医療の改善、メンタルヘルス政策の見直し」の要望書

2014年07月30日 06時49分20秒 | 精神医療
ネットサーフィンをしていると下記のようなサイトを見つけたので、紹介させていただく。

              ↓

         「精神医療の改善、メンタルヘルス政策の見直し」の要望書

          

         精神医療過誤、向精神薬害問題の基本

心療内科および精神科について

2014年07月23日 21時18分43秒 | 精神医療
最近、心療内科および精神科のクリニックが増えた。

私の住んでいる最寄駅にも、あらたにこの八月に開院予定のクリニックがある。

すべてのクリニックに問題があるというわけではないと思うが、中には仁術より算術に重きを置いたクリニックもあるようだ。これは、ネットでさまざまの薬害被害者のブログを拝見していて、私自身が体験してみて、実感することである。

たしかに薬で急場をしのげた人もたくさんいるとは思うが、大半は薬の要らない患者だった可能性が高い。

現に私も平成11年の大鬱病の急場は薬でしのげたと思っているし、感謝もしている。

が、昨年(平成13年)の鬱は、カウンセリングなどで治せたレベルの鬱であったと思う。

なのに、躁鬱2型などという一生薬を服みつづけなければならない病名をつけられたら嫌でも一生薬漬けになってしまう。

脳に働きかける精神薬は、服用している間も副作用があるが、長期間服用していると耐性ができて、だんだん効かなくなるだけでなく、止めるときに離脱症状という禁断症状が起きる。

ほかの科では、薬の処方にあたって、薬の副作用を説明してくれることが多いが、こと精神科に限っては、どの医師も、説明がなかった。ただ「続けて服み続けてください」というだけだった。

薬局でもらう説明書も主に薬の効能が書かれてあるだけであった。あっても、「眠気を催しますので、車の運転は避けてください」くらいのものだ。

これは、どういう理由からであろうか?

思うに、怖ろしい副作用の説明をすると服用する人がいなくなるからではなかろうか。

副作用もだが、医師からの説明がなくてわれわれ患者の蒙る被害で特筆するべきは、断薬後の”離脱症状”である。

これは、”医師自身もよく知らない”という事情があると、あるサイトに書かれてあった。

薬そのものは断薬後2週間ほどで抜けるらしいが、薬にならされていた体が急な断薬で薬の作用の逆の状態になって問題を起こしてしまうのだ。

たとえば睡眠薬だと、患者の体は筋弛緩作用で眠らされていたわけだから、薬が切れたら反動で全く眠れなくなってしまう。

離脱症状は、だいたい服薬していた期間続くといわれているが、それ以後も、すっきり消えてしまうものではないらしい。

そんな事情を知ってか知らずか、製薬会社の説明を鵜呑みにして、「服用を中止しても大丈夫です」などという医師が多いらしい。

製薬会社の売らんかなの思惑に疑問を持たずに、これら劇薬を処方する医師の自覚の足りなさも困るが、”知っていて処方”するのなら、これは犯罪行為だ。

こうなると、われわれ患者は、自ら勉強して、自らを守るしかない。

私は今回、初めて医療が犯罪?に繋がることを知ったが、しかし11年前の心臓弁膜症では施術によって一命をとりとめたし、7年前の大腸がんも然りである。

医学の恩恵には十分浴してきた私だが、今回初めて医療の暗部を見たような気がしている。

             *

人口減少が取りざたされている日本だが、こうした精神薬の薬害で自殺する人も多いと聞く。

若い有為の人たちをこうした精神薬で廃人、または死に至らしめることだけは避けなければならないと思う。

デパケン、リチオマール

2014年07月21日 06時28分02秒 | 精神医療
2月7日から精神薬のデパケン200、リチオマールと睡眠薬のソレントミン0,25mg、ビビットエース1mgを服み始めた。

そのころは、まだc医師に対して不信感がなかったので、それら精神薬と睡眠薬を服み続けた。

が、ひと月ぐらい服み続けていると、どうも頭がぼんやりしてきたような気がする。

と同時に感情が鈍磨してきて、テレビのドラマなどを見る気がなくなってきた。本好きの私なのに、読まないというか読めなくなった。新聞も。

何もする気が起こらず、一日中黙ってソファに座っていた。まるで痴呆のお婆さんだ。

わずかだが、手も震えるようになって文字が書けなくなった。

体の芯が異常に熱い。なのに、手足は冷たく、寝るとき足元に電気あんかを置かないと寒くて眠れない。さぞ高体温だろうと体温を測ってみると平常だった。

目の奥というか目の玉が痛くなり、耳は激しい耳鳴りがした。

それと、洗髪のときの抜け毛が凄い。6年前大腸がんで抗がん剤を服用していたときの抜け毛に負けないくらいの量だ。

そして、極め付きは、もともと心臓の悪い私だが、動悸が酷い。睡眠薬で眠っていても飛び起きてしまうほどの激しさだった。ひょっとすると急死するかもしれないと真剣に思った。夫には死んだあとのことをいろいろ頼んだりした。

次回の診察時にそれらのことを先生に言うと、先生は涼しい顔で、「そんなことはないと思います」といわれる。現に服用している私が言っているのだから、間違いないことなのに・・・。

ついでに私のことを躁鬱病と診断した理由を尋ねると、「そうふうにいろいろ言うところが躁の証しです」といわれる。そんな・・・(絶句)。私は、ただ薬に疑問をもって質問しただけなのに・・・。

さらに、もらった処方箋を見ると、何と私の訴えたことを無視したかのように、薬の量が増やされている。

ぼんやりしてきた頭で考えても「これ、どういうこと?」と疑問に思ったので。処方された薬を薬局で受け取りはしたものの、その後増やされた分は服まず、それまでの服用量を維持した。

そのころから、ネットで薬の副作用について調べたり、離脱症状という言葉を学んだりもした。

デパケンにも、リチオマールにも、頭を呆けさせる副作用があるらしいことが分かった。

というより、主作用というべきか。

というのが、呆けさせることで、余計なこと(実際は余計なことではないのだが)を考えて鬱にならないようにしたり、意欲を殺いで躁にならないようにするのだから。

抜け毛はデパケンの副作用だった。そのころから一日中下痢ばかりしていたが、これはリチオマールの副作用だということが分かった。

その他の異常も、この頃はさまざまな薬害被害のブログを読むようになっていたから、いずれかの薬の副作用だということを知ることができた。インターネットがなければ、今でもこれらの症状が薬害であることを知ることができなかったと思う。

私は心臓関係のお薬も8種類ほど服用しているから、薬同士の相互作用で精神薬の副作用も強く出たかもしれない。が、プロの医師ならお薬手帳を見た段階で判断できるはずだから、漫然と処方したのは無責任ではないか。

ただちにこれら精神薬を断薬したいと思ったが、そのころ離脱症状の怖ろしさを学んだ直後だったので、すぐに踏み切ることができなかった。

12月、1月と、不眠、強烈な不安感、悪夢で私を苦しめたのが、その前に服用していたジプレキサの急な断薬によるものであったと気づいたころでもあったから。

しかし今止めないとますます止めにくくなって大変なことになると思ったので、少しずつ薬を減らしていくことにした。

4月初旬からまず朝晩の服用を夜だけにした。

この頃は、デパケン、リチオマールを服んだあとに、下痢、動悸が激しくなるので、薬の副作用を確信するようになっていた。

4月中旬には一日おきの服用にした。

そのころの私は、薬による食欲不振と睡眠薬による不自然な睡眠のせいで体力を消耗して急激に痩せてきていた。

顔の表情も尋常でなくなっていたようだ。昼間もほとんどベッドで寝ているような状態になっていた。頭も正常に働かなくなって、食事作りが困難になって、夫が仕事の合間に馴れない食事作りを担ってくれたりしていた。

こんな状態の私を心配した私の母は、また別のメンタルクリニックで診ていただいたらと言う。こんな言い方があるかどうかは分からないが、三軒目のクリニックだから”サードオピニオン”というべきか。このクリニックは、先生の奥さんが母の活け花のお弟子さんだった関係で良心的に診ていただけるのではないかと。

電車で1時間ほどの距離があったが、夫に付き添ってもらって受診に出向いた。

その先生の診断というかアドバイスは、

・ちょっと見ただけで躁鬱病と診断を下すことはできない。

・断薬は、現在服んでいる量であれば、一気に止めても差し支えない。ただ睡眠がとれないと体力の消耗が激しいから、自力睡眠ができるまで睡眠薬は続けたほうがいいと思う。

というものだった。

これで安心して、睡眠薬以外の断薬することができた。4月25日のことだ。

薬の怖ろしさが身にしみていた私は、その後、睡眠薬も断薬することにした。離脱症状が怖いので、一日1錠ずつ2種類服んでいた睡眠薬を毎日1種類1錠ずつに半減して、2週間後には、さらに1種類を半錠ずつにして、だんだん減らしていき、約1ヶ月で断薬した。

この睡眠薬の減薬で一日2、3時間しか眠られない日が続いたし、断薬してからは3日間くらいまったく眠れない日が続いたりしたが、頑張った。

5月15日に初めて睡眠薬無しの自力で1時間ほど眠れたときは、おおげさだが、天に昇るほどの嬉しさだった。当たり前のことがこんなに嬉しいとは。

自力睡眠できるようになってもしばらくは1時間単位くらいの細切れの睡眠しかとれなかったが、やっと最近、連続して眠れるようになってきた。

それにしても精神科医は、副作用の説明無しにお薬を出し、その薬を断薬したときに、どんな(怖ろしい)離脱症状が現れるかを説明しないのは無責任すぎないか。

私は、いま会う人ごとに精神薬の怖ろしさを伝えている。

ふたたび離脱症状

2014年07月20日 11時18分13秒 | 精神医療
私が本当に躁鬱病2型であったかどうかは未だに疑問だが、一応躁鬱病のお薬ということで、Bメンタルクリニックのb医師に処方されたジプレキサは、平成13年3月から11月まで、約9ヶ月間服用した。が、糖尿病を誘発させたので中止したことは書いた。

問題は、ここからだった。

服用を中止して1週間ぐらいして、猛烈な吐き気が襲ってきて食事が摂れなくなった。と同時に全く眠れなくなった。今から思えば急に薬を止めたことによる典型的な離脱症状だったのだが、そのことを知らなかった私は焦った。

信頼感をなくしていたBメンタルクリニックには行きたくなかったが、仕方なく、また予約して出向いた。

b医師は、どういうわけか嬉しそうに、「ほら、薬を止めたから鬱が酷くなったでしょ」と違うお薬の処方箋を。

そのときのお薬は、エビリファイ錠3mg、プリンペラン錠5 5mg、リーマス錠200 200mgである。

服みたくはなかったが、ほかに為す術もなく、服用した。

が、よくなるどころかますます体調が悪くなる。疑問に思ったので服用を中止した。

それからひと月は、不眠、吐き気、疲れ果ててたまにうとうとすれば、ものすごい気持ちの悪い夢が襲ってきて悲鳴を上げたりもした。それに不眠といっても、ただ眠れないだけでなく、起きている間中そわそわしてじっとしていられない。で、しなくていい片付けを始めたりするのだが、頭が混乱しているから、まったく捗らない。しかし何かしていないと気が変になりそうになる。これらは全部離脱症状からくるものだとは、あとでネットを検索していて偶然知りえたことだ。

たまりかねて、忘れもしない今年の2月7日、以前お世話になったAメンタルクリニックに駆け込んだ。

あいにく以前お世話になったa先生の担当日でなく、別の先生の診断を受けることになった。以前診察してくれた女先生は、じっくり話を聞いてくれて信頼できる先生だったが、今回のc先生は、人当たりこそ決して悪くなかったが、私の話はろくに聞かず、お薬手帳の過去の記録を参考にして診断した。これは、あるいは、診断名を変えることは、医師同士の仁義にもとるという考え方からであろうか?これではセカンドオピニオンを期待しても意味がないではないか。

そして結局、「b先生と同じ種類のお薬を出しておきます」と言われて、リチオマール200mgとデパケンR200mgと、睡眠薬としてソレントミン0,25mgとビビットエース1mgが出された。

離脱症状で気が狂いそうなくらい苦しんでいた私は助かりたい一心で、処方箋に疑問を持つゆとりもなく、それらを服用した。睡眠薬のせいで睡眠だけは何とか確保された。

(続く)

ジプレキサ

2014年07月18日 10時23分26秒 | 精神医療
平成11年7月から12月まで服用した鬱薬ならびに睡眠薬はいったん中止していたが、その後数ヶ月続いた高血圧、高体温、頭痛は、今から思えば、薬の離脱症状だったと思う。が、その時点では、離脱症状などという言葉はおろか、お薬に副作用があるということも思わなかった。

そのまま薬なしでいればよかったのだが、ときどき襲ってくる過去のトラウマが、また私を違うメンタルクリニックに行かせた。平成13年3月のことだ。

同じところに行けばよかったのだが、鬱が長引いたので、(今から思えば鬱というほどのものではなく、ただのメランコリーという程度のものであったのだが)インターネットで探した別のクリニックに行った。

それが大きな間違いだった。

最初の診察で、私の話も十分聞かないで、躁鬱2型と病名を付けられた。あとで、その先生は、誰にでもその病名をつけるので有名ということを聞いたが、後の祭りだった。

で、ジプレキサ2,5mgというお薬を処方された。

特に効いたとも思わなかったが、日中眠くなる以外は特に不都合もなかったので、先生の診断を信じて、3月から11月まで服用した。途中、ジプレキサザイディス5mgが追加されたが、先生を信じきっていた私は、何の疑問も持たずに規則正しく服用した。

が、私は、過去心臓弁膜症の手術を受けているので、毎月か2ヶ月に一度、循環器科の定期健診がある。そこでジプレキサを服用するようになってから毎回、「最近血糖値が上がっています」と注意を受けていた。そして11月の検診のときに、「もう糖尿病になってしまっています」と宣告されてしまった。

ここで呑気な私も初めて処方されていたジプレキサに疑問をもった。そして帰宅してネットで調べてみた。

何とアメリカでは多くの糖尿病患者を生み出している欠陥薬で、訴訟だらけの問題薬ということが判明した。

で、次回そのメンタルクリニックに行ったとき、そのことを告げた。すると、その先生は、「あ、あなたは糖尿体質だったんですね」と、いかにも私に問題があったといわんばかりの対応であった。そもそもこんな問題薬なら処方するのが間違っているし、処方をするならその危険性を説明してから処方するべきだと思うのだが、どうだろう。

で、この時点で私はこの先生に不信の念をもってしまった。

その日は「別の薬を出します」と種類の違う薬の処方箋を出してくれたが、私は薬局で受け取りはしたものの、それらのお薬は服用せずに捨てた。

これで終わりであればよかったのだが、ここから地獄が始まった。

(続く)

精神薬、離脱症状

2014年07月17日 16時35分50秒 | 精神医療
13日の「コサージュ」で少し書いたが、今日から精神薬の怖ろしさについて少し書いてみる。

私が最初に精神薬を服んだのは今から10年あまり前である。

インターネットの某メーリングリスト上でのトラブルがきっかけであった。私がパソコンの操作を覚えてまもなくの頃のことである。

原因は、ささいなことといえばささいなことである。私が、さる人のホームページに実名で訪問して、さらにその人の実名を書き込んだことから起こった。その人に、個人的にならともかく、大勢の人の読むメーリングリスト上でネチケット違反と糾弾されてしまったのである。根が気が小さく、真面目な私は衝撃を受けた。

しかし、今でも思うのだが、それほど糾弾されなければならないことであっただろうか。

余談だが、短歌の世界では、ネットの世界でも、実名を名乗ることにそれほども抵抗はない、ように思う。よしんば、ネチケット違反としても、何も大勢の前で糾弾しなくても、個人的に教えてくださり、静かに削除してくださればよいことではなかったかと今でも思う。お会いしたこともあった人だったから、なおさら。

既に何度も書いているけれども、私は、難聴という障害を持っているのと、私の生来の気質から普通の人よりインターネットに嵌りすぎてしまっていたところはあったと思う。が、ともかく、この事件で、私は、夜眠られないくらい衝撃を受けた。

そのメーリングリストを退会したあと、私は、さる大病院の心療科で鬱薬(メイラックス)を処方してもらって数ヶ月服用した。この頃は、まだお薬手帳を持っていなかったので、今となると、どの程度服用したかは不明だ。

その後、義母の介護のため夫の実家の現在地に引越してきたので、しばらく鬱からも薬からも離れていた。

ふたたび服用したのは、平成23年、止めておけばよかったのに、そのメーリングリストに再入会したあとだ。

なぜ再入会したのかは、私自身も「?」である。たぶん、私のどこかに名誉挽回したい気持ちが残っていたのだろう。

が、新たに私を非難する声を聞いた(読んだ?)ため、ふたたび鬱になってしまった。1週間以上、何も食べられず、夜は一睡もできないという状態になり、現在の住いの近くにあったメンタルクリニックに駆け込んだ。

そのときに処方されたのは、ジェイゾロフト25mg錠、睡眠薬として、レンドルミン0,25mg、ロヒプノール11mg錠であった。これが平成11年7月のことである。そのまま12月まで服薬量を増やしながら通院した。12月に処方されていたのは、ジェイゾロフト50mg、リスペリドン0,5g、ミルナナシプラン塩酸塩15gと睡眠薬レンドルミン、ロヒプノールなどである。

このあと、高体温が続き、血圧も170ぐらいに上がったため、通院と服薬を中止した。ちなみに、それまでの血圧は概ね120未満であった。

お薬手帳を見ると、翌平成24年2月には近くの内科医院で降圧剤と熱を下げる頓服を出してもらっているので、ずっと高血圧と高体温は続いていたのだろう。3月には近くの総合病院で脳のCT撮影もしてもらっているから、酷い頭痛がずっと続いていたと思う。

(続く)