神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

おのころ島神社

2015年03月31日 13時32分58秒 | 旅行
淡路島は、いざなぎ神宮だけでよかったのだが、ついでに日本国生みの神様といわれている「おのころ島神宮」にも行った。

この神社の大鳥居は日本三大鳥居の一社なのだそう。ちなみにあとの二社は京都の平安神宮と広島県の厳島神社(安芸の宮島)。

この「おのころ島神宮」の鳥居がどれだけ大きいかは、写真の大鳥居の足元のあたりに写っている人の大きさで推し量れると思う。

↓大鳥居をくぐると、すぐに階段になる。


↓それを上がり詰めると、すぐに拝殿。


鳥居の大きさのわりには、社の規模は小さい。

↓鶺鴒石と呼ばれている石。


↓昔いざなぎといざなみが石の上で夫婦の契りを交わしている鶺鴒を見て、夫婦の道を開いて国生みをされたという。


↓その説明が書かれてある説明板


↓拝殿


↓拝殿から振り返って大鳥井を撮影。


  度肝抜くおのころ島の大鳥井春の日差しを浴びてあかあか  biko

淡路島いざなぎ神宮

2015年03月31日 11時49分53秒 | 旅行
                  ↑上の写真は淡路島にあるいざなぎ神宮大鳥居

ケイタイで撮影してアップしてあった写真に記事をつけます。

3月31日は夫の仕事に空きができたので、急に帰省することにしました。

いつもは淡路島は通過するだけなのですが、今回はワカヒメさま繋がりで拝観させていただきたいと思っていた淡路島一宮、いざなぎ神宮に寄りました。

いざなぎ神宮は、いざなぎ様の晩年の幽宮(かくりのみや)であるらしい。

↓漢字で書けば、こういう字


↓「君が代」の歌の書かれた傍に歌の中にある「さざれ石」の見本の岩が


なるほど、さざれ石が巌(岩)になっている。

↓このいざなぎ神宮と伊勢神宮の緯度は同じらしい。


だけでなく、このいざなぎ神宮は、島根県の出雲神社と和歌山県の那智神社を結んだ線上にあるらしいし、諏訪大社と宮崎県の高千穂神社を結ぶ線上にもなるらしい。

↓伊勢神宮との関わりについて


↓さらに近づいて撮影させていただく。表神門


↓これが拝殿


↓髪は神に通じるとかで、髪の毛の神様が祀られてあった。


↓これがワカヒメさまの神社。右側の大木がご神体の連理の楠木。


↓元々2本の木だったものの根元が一体となってできた連理の楠木。


  淡路島いざなぎ神社の夫婦木の大楠木の岩楠神社  biko

  ワカヒメは岩楠神社にいませられ祀られてゐる昔も今も  biko

「ダウントン・アビー」に学ぶ警句

2015年03月30日 13時24分45秒 | テレビ番組
毎週日曜日に放映されるダウントン・アビーというドラマを楽しみに観ている。

私は、日曜日に観ることは、ほとんどなくて、大概、その翌日の月曜日の午前中に観る。

というのが、リビングのテレビのチャンネル権は夫がもっているから、基本的に、私は夜は好きな番組を観ることができないのだ。

しかし、録画は私優先にさせてもらっている。夫は、2階の自分の寝室にもテレビをもっているから、夫の録画はそちらでできるから。

と、前置きが長くなってしまったが、私がこのドラマを好きなわけは、家居の好きな私にとって、お屋敷(お城)で起きる出来事は規模こそ違うが、私の日常の参考になるから。



今回も期待に応えてくれた。

前回は、この城の主の投資の失敗により、ダウントン・アビー城を手放さなければならない瀬戸際に立たされたが、長女の夫に遺産が入ったことで、ひとまず危機は脱することができた。

今回も盛りだくさんな事件が起きて、主の次女と身分違いの結婚を果たした元運転手の事件とか、以前従者だった男性が「妻殺し」という無実の罪で牢獄に入れられているのであるが、その従者と、従者と再婚した、その城の家政婦長のやり取りとか、第一次世界大戦中、このダウントン・アビー城が病院代わりになっていた時期があったが、その時に入院していた大佐と小間使いの間にできた子供に関わるドラマとか。

一話に、さまざまなドラマが同時進行で繰り広げられる面白さもさることながら、人生の警句も散りばめられているのが、見ごたえになるのだ。

もちろん、当時の貴族の生活の再現を見ることができるというのが、一番の大きな魅力ではあるが・・・。

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ところで、今回ご紹介する警句は、この家の主の母親であるおばあさん(大奥様)の言葉だ。

「新聞に投稿するなんて、レディのすることじゃないわ」

そうか、そうなのかもしれない。

私は、過去2回新聞投稿したことがある。

2回とも郷里の高知新聞にしたのであったが、2回とも採用されたので、投稿って簡単に採用されるものと思っていた。が、必ずしもそうでもなくて、何回投稿しても没になったという話を最近聞いたので、私は、たまたま運がよかったということを知った。

しかし、喜んでいてはいけないのである。

新聞に投稿したりするのは、はしたないことなのかもしれないのだから。

だいたい、こんなふうに物を書くという行為自体、あまり品のいいものではないのかもしれない。

佐藤愛子さんという作家がおられるが、彼女のお父さんは自分が物書きながら、だからこそかもしれないが、女の物書きを特に嫌ったと何かに書いていた。だから彼女が作家になったことを今は亡きお父さんが知ったら、どんなに悲しんだろうということを何かに書かれてあった、という記憶がある。

彼女の場合は生活のため、やむを得ず書いた事情があったから許されるが、私など書いたところで売れるわけでもなし、ただ好きだから書いているという事情だから一番始末に終えない書き手かもしれない。

そんなことを考えると、そろそろブログを書くことも止めないとと思ったりもする。

ん、良家の奥様だから?

いや、まったくそうではないから、別に書いてもいいか。(笑)

それに、私は、書かなければ、ただの耳の遠いおばあさんで終わりだ。

  書くことが生きがいなれば書くなとは言ふてくれるな桜の花よ  biko

時間が足りない

2015年03月28日 19時00分21秒 | 日記
図書館で本を借りてきてあるが、なかなか読めない。

というのが、毎日たくさんのブログを読ませてもらうことと、自分がブログを書くことと、録画してあるテレビ番組を見ることと、購読している新聞にも目を通そうとするから、いくら時間があっても足りない。

その合間にはご飯も作らなければならないし、洗濯もしなければならない。

上の写真↑

「テルマエ・ロマエ」はブログ繋がりで知り合った人のブログの記事にあった物語。もともとは漫画であったらしいのだが、図書館には小説しかおいてなかったので、とりあえず借りてきた本。

「アルケミスト」はスピリチュアル系のブログで見つけた本で、図書館に予約を入れてやっと順番が回ってきた。

↓それ以外にも、アマゾンの広告で見て、関心をもったので借りてきた本。



特に仕事らしいこともしていないから、近所の人は、私のことを「一日中家にこもって何しているだろう」と思っているかもしれないが、そういうわけで時間が足りないのである。

睡眠時間を削ればいいのかもしれないが、眠さには勝てないし・・・。

  ブログ読みブログを書いて本を読み新聞を読む 時間が足りぬ  biko

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しかし、ブログを読ませてもらうことは、読書する以上の価値のあるときもあるし、特に私のような聴覚に障害のある人間は、ブログでしか世間話が聞かせていただけないので、これは必要と思っている。

それって、大腸癌かも

2015年03月28日 16時08分37秒 | 病気
下痢ばかり続いて食欲もないというブログの記事を拝見しました。

それって、大腸癌かもしれません。

私も、この川西市に引越してきた翌年から体調異変が起こり、下痢、腹痛が続いていました。

初めは認知症の義母と暮らし始めたストレスからきているのかもと思っていました。

が、忘れもしません。

2007年の夏、短歌の全国大会のオプショナルツアーで高野山に宿泊したとき、体調が悪くなって、何も食べられませんでした。8月20日ごろのことでした。

その帰路、バスの中で突然激しい腹痛に襲われ、幸いトイレつきバスだったのでトイレに駆け込むと下痢でした。トイレつきのバスでよかったわと思ったものでした。

その後も下痢が続いていたのでしたが、それが猛烈な腹痛になったのは、その月末の8月31日でした。

今までも何回も書いてきましたが、そのとき近くの医院で診察してもらうと便秘でしょうという診断でした。

その次に激しい痛みを覚えたのは、10月1日でした。

かなりの痛みだったので、夫に会社を休んでもらって、病院に付き添ってもらいました。

ここでも、やはり便秘でしょうといわれました。

3回目の激痛は、10月31日に起こりました。

が、また便秘でしょうといわれると恥ずかしいので、我慢しました。

が、翌11月1日になっても、2日になっても、痛みは治まるどころかますます酷くなってきます。

11月3日は日曜日だったので、死にそうな痛みを我慢するしかありませんでした。

そして、11月4日早朝、死にそうになり、救急車で病院に運ばれました。

腸閉塞を起こしているということで、先日書いた内視鏡の検査の結果、癌が判明したのでした。

何回も同じことを書いて申し訳ないですが、読者になってくださっている方でなく、今日始めて読まれる人にも、知っていただきたいと私の体験を書かせていただきました。

私と同じころ、同じ大腸癌の手術を受けられた方で、翌年癌が肺に転移して亡くなられた方もいらっしゃるので、私が今こうして生きさせていただいているのは神様の賜物と感謝しています。

ときどき腹痛があったり、下痢が続いている方は、一度検査していただいたほうがいいかもしれません。以上、老婆心より書かせていただきました。

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上の写真は、土佐文旦の皮をマーマレードにしたものです。文旦は皮が厚いので、ゴミに出すと嵩張るので、なるべくこういうふうにマーマレードにしていただくことにしています。廃物利用というだけではなく、苦味があって、なかなかおいしいから使わないともったいないくらいです。パンにつけるもよし、ヨーグルトと食べるもよしです。

網焼きパン

2015年03月27日 15時07分12秒 | 料理
今日の昼食は、昨日に続いて、栗原はるみさんレシピの網焼きパン。

上の写真は2回目に焼いたパン。オーブントースターで焼いた。

↓下の写真は、1度目に焼いたもの。


番組で教えられた通り、ガスコンロに網を置いてその上で焼いたが、
表面が焦げてしまった。中は大丈夫だったが、見た目がイマイチに
なった。

が、焼きたては、見た目に関係なく、いずれもおいしかった。

簡単なので、お奨めである。

レシピを書いておく。

材料は、

強力粉、薄力粉、いずれも100グラムずつ。
ベーキングパウダー 小さじ2
牛乳 カップ2分の1
ヨーグルト 大さじ2
砂糖 大さじ2
塩 少々
サラダ油 大さじ1

以上を合わせて捏ねて、10分ほど寝かせてから焼く。

私は、分量もきっちり量らず適当にしたが、それでもおいしく出来上がった。

我が家は、朝食は基本パンであるが、パンを切らしているときにも、この手作りパンだったら手間も時間もそれほどかけずに出来上がるので、お助けレシピになるかもしれない。

↓昨日作ったチリコンカンによく合った。

チリコンカン

2015年03月26日 16時10分39秒 | 料理
               (この写真では中に何が入っているかわからない)

NHKの料理番組を録画して観ている事を前に書いた。

昨日は、21日に放映された栗原はるみさんの録画を見た。

料理は、ただ見ただけでは、すぐに忘れる。

実際に何度か作って初めて自分のものにすることができる。

というわけで、私は、昨日見た栗原さんのチリコンカンを作るべく、昨日から材料を揃えておいた。

主な材料は、

キドニービーンズという豆、合いびき肉、ベーコン、たまねぎ、トマト水煮缶などだ。

家にあるような食材ばかりだ。

ただキドニービーンズという豆だけ揃えられなかった。だから金時豆で代用した。

金時豆は昨夜から水につけておいた。

今朝は朝から金時豆を柔らかく煮ておいて、スタンバイ。

合いびき肉には塩コショウ、香辛料をたっぷりかけておいた。

主な香辛料は、クミン、ガラムマサラ、シナモン、ターメタリックなどだ。

あと、チリペッパー、カイエンヌペッパー。

これら香辛料を揃えるのが、この料理のキーになるかもしれない。

が、一度揃えておけば、手作りカレーなどに利用できるから無駄にはならない。

作り方は、

1、鍋にオリーブオイルとニンニク、細切りしたベーコンを入れて炒めて旨みと香りを出す。

2、そこに合いびき肉300グラムも入れて炒める。(300グラムのパックがなかったから400グラム^^)

3、たまねぎのみじん切り1個分も加えて炒める。

4、カップ2分の1の赤ワインを加える。

5、トマト水煮缶(ホールタイプ)1缶を入れる。

6、ゆでた金時豆を入れる。(茹で汁はお砂糖とお醤油で味付けしていただきました)

7、トマトケチャップ、塩コショウで味を整えたら出来上がり。

以上、お鍋にかけてからは、簡単でした。

番組では、香辛料は最後に入れていましたが、私は、最初に肉にたくさん振り掛けておきました。

たくさん出来たから、何回かに分けて食べるか、週末に次男たちがきたら、食べさせてやるかします。

われわれは普段は和食がメーンですが、たまには、こういうエスニック料理で変化をつけて、マンネリにならないようにしています。

今回の番組では、網で焼くパンも教えてもらえたので、それは明日、作ってみようと思います。

内視鏡と胃カメラ

2015年03月25日 13時33分13秒 | 病気
                     (土佐文旦の実)

内視鏡について書かれていた人がいたので、内視鏡と、内視鏡と同じ仕組みの胃カメラと二つながらに体験(?)したことのある私は、それらを書いてみたいと思う。

胃カメラは、心臓弁膜症の手術を受ける前に体験した。

もう生きるか死ぬかの瀬戸際だったから、いやとかどうとか言っていられなかった。

たしか麻酔をしてからの挿入だったと記憶している。

麻酔といっても喉にゼリー状のものを塗られた記憶しかないが、その記憶で間違いないだろうか。

胃カメラは、それを受けた人が、ひどく辛かったように話していたのを聞いたことがあったので、覚悟していたが、思ったほどではなかった。やはり麻酔のせいだったろうか。

一方、内視鏡は、これも大腸がんによる腸閉塞の状態で受けたので、いやとかなんとかは言っていられなかった。

救急車で運ばれたほどの死ぬほどの痛みの中での内視鏡の挿入は、あまりの激痛に悲鳴を上げたほどだった。

その上、右向いてください、左向いてください、仰向けになってくださいと注文されながらの撮影は地獄の責め苦もかくやかと思ったほど。

が、それは私の腸閉塞を起こしていた激痛によるもので、内視鏡の検査そのものの痛みではなかった。

癌を取り除いていただいて、退院してからも何度かその内視鏡による検査を受けたが、以後はそれほど大したことではなかった。

まず、前日は検査食のみの食事となり、当日は、薬の名前は忘れたが、白い薬の入った液体2リットルを限られた時間内に飲まなければならなかったが、それも耐えられないというほどのものでもなかった。

お腹がきれいになったら、いよいよ内視鏡による検査である。

検査室の横の部屋で、下着を検査のための下着に替える。その下着は、検査ができるように穴が開いている。

お世話してくださるのは、人柄のよさそうな中年の女性看護師さんであった。病院も患者のことを考えて、こういうところまで配慮してくれていると感じた。

検査自体も、こちらの羞恥心を気遣いながらの検査であったから、精神的にも辛いとは思わなかったし、挿入の違和感こそあったが、それほど痛いとも思わなかった。

その証拠に、私は、検査を受ける日は一人で歩いて病院まで行ったし、検査が終わってからも、一人で歩いて帰宅した。タクシーを呼ぶほどのことでもないと思ったから。

  胃カメラも入れられ内視鏡も入れられながら生きついでゐるわれ  biko

久しぶりに郵便局へ

2015年03月24日 12時00分00秒 | 日記
                    (雪柳が咲いていました)

今日は、久しぶりに郵便局へ行きました。

実は先週東京から帰ってきてから膝が痛くなり、ずっとこもっていたのです。

が、友達へお見舞いを送ることと、短歌の雑誌を注文して送ってもらったので、送金をする必要があったから、そろそろ歩いて行きました。

短歌の世界は、信用の世界というか、世間の人から見ると、浮世離れしているところがあって、この短歌の総合誌の会社も、メールで「~の4月号を送ってきてください」とお願いすると、前金なしで、振込用紙を同封して送ってきてくれるのですね。

短歌の友人が、4月号にご自作が載っていることをお知らせくださったから、注文して、送ってもらったのでした。

この友人は、お若い頃に進行性筋ジストロフィーを発症されて寝たきりで、自分で本を送ったりすることができないので、ケイタイからお知らせくださるのです。

ええ、私が、彼女の歌のファンだから、お歌を発表されるときは教えてくださいとお願いしてあるのです。

郵便局からの帰途、咲いていたお花を写しました。

↓これは小さいけれど、桜ですね。


これは連翹ですか?


↓氏神さまの小戸(おおべ)神社も写してきました。もう少しすると、沿道が桜のトンネルになります。


↓これも桜のようですね。

ワカヒメさまのお歌 その2

2015年03月23日 22時41分26秒 | スピリチュアル
今日は、また少し寒さが戻りましたね。

ワカヒメさまのお歌の解釈をさせていただいていいのか迷いながら、今夜も続けさせてもらうことにします。

p99

  わがいおは しおのかよいじ おさまらで いくよつきせぬ うたのみちかな

 漢字で書いたら

  わが庵は 潮の通い路 治まらで 幾夜尽きせぬ 歌の道かな

になるでしょうか。

歌意は、

 「私の住いは海の潮の満ち干と同じで、なかなか治まることもなく、幾夜かけても尽きぬ歌の道です」

でしょうか。

p101

  女(め)のくには みなよしなしの くになれば なおうたいませ いもせよとする

 漢字で書くと

  女(め)の国は 皆よしなしの 国なれば なお詠いませ 妹背よとする

でしょうか。

 歌意は、

「女の国というものは、皆よいも悪いもない国なれば、もっと詠いなさい、夫婦としよう」

p102

 くくりぶね、やすきがうたを まなばんと すみのえによる しずやしずとて

 漢字で書けば、

 括り舟 安きが歌を 学ばんと 住之江による 静や静とて

でしょうか。

 歌意は、

 「舫われた舟は安らかになる歌を学ばんとして住之江の湊に寄る。静や静と」

*「しずやしずとて」は、源義経の愛人だった静御前の詠んだ「しずやしず しずのおだまき 繰り返し むかしを今に なすよしもがな」を思い出すのですが、関係ないですよね。(笑)

ワカヒメさまのお歌 その1

2015年03月22日 21時35分19秒 | スピリチュアル
ワカヒメさまの超復活」で、アマノコトネさんがワカヒメさまからお歌の読み取りの許可をいただいたのは、平成25年11月のことという。

私はそのお歌の意味を読み取らせていただきたいと、この稿を開いたわけであるが、私は、ワカヒメさまからお許しもなにもいただいていない。

許されるかどうかは不明だが、始めさせていただく。

p96~97のお歌

  
うたごろも ゆうすいよりの のぞみなり うまくつたえて よきとしとせよ


  漢字を交えて書くと、こういうお歌になるであろうか。

  歌衣 湧水よりの 望みなり 上手く伝えて よき年とせよ

 「歌衣」の意味が解らないが、あるいは「歌頃も」であろうか。「ゆうすい」は「湧水」と解釈させていただいたが、湧水=地下から湧く泉の望みということは、シタテル姫とも言われるワカヒメ様の望みということであろうか。「うまくつたえて」は「上手く伝えて」だろう。「よきとしとせよ」は「よき年とせよ」と解釈させていただいたが、この「し」は強意の「し」かもしれない。それなら、「よきとせよ」という意味を強調したことになるか。

 歌意は、「歌の頃も私、ワカヒメの望みである。それを上手く伝えてよい年としなさい」というようなものだろうか。

  こころねの やさしき女と おもうゆえ すべてつたえて ウにかえりなん

 漢字を交えて書けば、こういう歌になるだろうか。

  心根の 優しき女と 思うゆえ 全て伝えて ウにかえりなん

 これは、ワカヒメさまがコトネさんのことを指して詠われているのだろうか。

 「コトネさんが優しい人と思うから、(和歌の奥義を)全て伝えてウ(原初の炎の昇る形の記号文字)に還ろう」

  
わかのきを おりてたもうは しきしまの なんぎのときと おもうゆえ おちからかさん


 このお歌は、5,7,5,7,5,7と、定型より5音多くで、合計36音になっている。

 漢字を交えて書けば、

  和歌の記を 降りて給うは 敷島の 難儀の時と 思うゆえ お力貸さん

で、あろうか。

 「私が和歌の記を降ろしてあげるのは日本の難儀の時と思うからで、力を貸してあげようと思っている」

  おおんかみ おゆるしたもう みくさごと こころしかかり よのはらい しかとおたのみ まいらせる

 このお歌は、5,7,5,7,5,7,5、と合計41音もある。

 漢字で書けば、こういう歌になるだろうか?

  お御神 お許し給う 三草ごと 心しかかり 世の払い しかとお頼み 参らせる

 「神様がお許しくださるもろもろのことが心にかかって、世の改革をしっかりとお願い申しあげます」

                 *

 と、神様から降りてきたというお歌を読み取らせていただこうとしたのでしたが、やはり私には荷が勝ちすぎたのか、変な解釈しかできませんでした。まだまだ私の修行が足りないようです。

桑原亮子さん

2015年03月22日 08時58分51秒 | 聴覚障害
このブログは、聴覚障害の方も読みに来てくださるので、書いておこうと思います。

私の所属する短歌結社「塔」の若手歌人の桑原亮子さん、両耳とも、ほとんど聞こえない方ですが、
NHKの第35回BKラジオドラマ脚本賞で最優秀賞を受賞されました。

昨夜10時から、そのドラマの放送があったようでしたが、私は聞こえないので、聴かせていただきませんでしたが・・・。

この桑原亮子さんは、2011年の歌会始(お題:葉)にも入選されています。

  霜ひかる朴葉拾ひて見渡せば散りしものらへ陽の差す時刻  桑原亮子

耳が聞こえなくても、こんなふうに頑張っておられる方がいることを知ってほしくて、ご紹介させていただきました。

ワカヒメさまのお歌

2015年03月22日 07時19分53秒 | 短歌
一昨日は川添英一さんからいただいた冊子の中に掲載されている、川添さんの短歌についての感想を書かせていただいた。

それを書きながら、というより、それ以前から、ずっと気がかりになっているのが早川須美子さんに贈っていただいた「ワカヒメさまの超復活」の中に紹介されてある、アマノコトネさんに降りてきたワカヒメさまの和歌である。

自分のためにも、できれば早川さんのためにも読み解かせさせていただきたいと思いながら、そのままになっている。

                 *

実は、和歌と短歌は、形式は同じであるが、志すところは少し異なっていて、和歌(ここでいう和歌は原初的な和歌というか古代の和歌を指す)は素直を唯一絶対のものとするが、短歌のほうは、むしろ余りにも解り易い歌は、歌としての価値がないように言われたりもする。

私は、素直な歌には、素直な歌のよさがあると思うのだが、現在のように、たくさんの人が歌を作る時代には、素直な歌では、個性がない、月並みと貶められることが多い。

和歌も、万葉時代あたりまでの和歌は、上記したように、素朴で、人々の当時の生活、思いが、そのまま伝わってくるようなものが主流であるが、古今集、新古今集の時代になってくると、様々な制約ができ、かつ作為の目立つ和歌が多くなってくる。それは江戸時代まで続いた。

それを改革しようとしたのが、明治時代の正岡子規で、短歌革新運動と称して、和歌の伝統を一旦否定した。それでも、まだ明治時代の短歌は和歌の伝統を引きずっているところが見られるが、現代短歌は、和歌の伝統から全く離れて、自由奔放に詠っているものが多い。

まず仮名遣いが、旧仮名遣いから現代仮名遣いになった。

文法が、文語文法から口語文法になった。

これらは特に俵万智さんあたりから顕著になった。それ以前にもあったことはあったのだが・・・。

要するに、われわれが日常的に使っている仮名遣いで、日常的に話している言葉で、詠いましょうということだ。

それ自体は、いいことかもしれないが、しかし、そういうふうに、短歌が日常的になってくると、その作品に差異がなくなってくる。

それで、今度は、比喩に趣向を凝らそうという趨勢になってくる。

つまり、一捻りも二捻りもした歌が珍重されるようになってきた。

正岡子規がせっかくわかりやすい歌をと提唱したのに、違った方向に向かっているともいえよう。

正岡子規は、写生の重要性を説いた。

写生に徹すれば、おのずから歌に個性が出てくるという考え方である。

現代の短歌界で、アララギ派という流派は、この「写生」という技法を重要視する流派ということができるかもしれない。

面白みには欠けるかもしれないが、手堅い手法だ。

が、この手堅さを嫌って、ロマンティックに詠うべしという流派もある。

と、長い文章になったが、私なりの現代短歌の概略を述べさせていた。


                *


ここから元の古代の歌に話を戻すのは、また長い文章を書き連ねなければならないが、短めていえば、早川須美子さんたちが研究されている古代の神々の坐(いま)せられた時代の和歌は現代短歌とは全く目的を異にしているということ。

現代短歌にどっぷり漬かっている私などが神様の歌を読み取らせていただくことは恐れ多いことであり、してはならないことかもしれない。

しかし、やらせていただきたいから、やらせていただこうと思う。といっても、一部の歌しか読み解くことができないことを予めお断りしておく。

また一度アップした記事は、後で何か気づきとか学びがあれば、訂正ないし追加をしていきたいと思う。

それでは、ワカヒメさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

*

当面、このブログに書いていこうと思う。自分のブログなので、誰に遠慮をすることもなく、好きに書けばいいのだが、しかし、せっかく読者になってくださった方々には、面白くない記事になるかもしれないことをお知らせしておきたいと思う。

それでも読んでやろうという奇特な方々には感謝、感謝である。

こんなところにも春が

2015年03月21日 13時43分18秒 | 日記
お昼に餃子を作ろうと冷蔵庫から白菜を取り出してみると、上の写真のように白菜に蕾ができていた。

まあ、こんなところにも春が!と思って撮影した。

その蕾ごと白菜を細かく切り刻んで、餃子を作った。

  葉の中に蕾のできてゐる春の白菜きざみ餃子を作る  biko

↓少し焦がしてしまったけれど、ニンニク生姜をたっぷり入れた餃子はおいしかった。



  焼きすぎて焦げ目のつきし熱々の餃子を食らふ弥生の昼餉  biko

↓ついでに、昨日買ったツワブキの煮浸しも・・・。高知産とあったから、思わず買ってしまった。


ほろ苦くて、おいしかった。

  高知産つはぶき買(こ)うて皮剥いて作る煮浸し苦きこそ春  biko

スペインリッツホテルのシャンプー

2015年03月21日 07時46分47秒 | 旅行
最近は、一昨年タイに行ったくらいで海外旅行から遠ざかっているが、15年ほど前は、続けて海外旅行した時期があった。

そもそも最初に海外旅行に行ったのは、結婚25年のときの中国旅行。

上海や杭州を巡る4泊5日の一番ポピュラーなコースだった。

値段は一人5万円くらいだった。

出発は3月30日。

上海に着くと、中国人のガイドさんが、「昨日までは雨続きだったけれど、今日は晴れてあなた方は幸運です」と言ってくれたことが記憶に残っている。

本当に幸運で、旅行中、ほとんど雨らしい雨も降らなかった。

私は、初めての海外旅行で、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

西湖では、丁度桜も満開で、絵に描いたような景色を楽しむことができた。

旅行中の食事も、おいしかった。

今から思い出しても、ずいぶんお得な旅行だったと思う。

その後、旅行ではないが、娘の結婚式がハワイだったので、マウイ島に娘婿の家族とわれわれ家族で、コンドミニアムを、それぞれ一軒ずつ借りて、延べ一週間滞在した。

結婚式は、その間、5月20日に挙げた。1999年のことだ。

全て娘婿が献立てくれて、われわれはベルトコンベアーに乗せられたように、お世話になった。

向こうに滞在中は、主に、海外旅行に馴れていて、料理の上手な娘婿のお母さんが料理してくださって、われわれは、ほとんどご馳走になるばかりだった。

お母さん、その節は本当にお世話になりました。(娘婿のお父さんが、このブログを読んでくださっているみたいなので、遅ればせながら、ひと言お礼を(^^)

娘婿のお母さんのおいしいお料理の合間は外食もして、イタリア料理、ハワイ料理などを楽しんだ。

今思えば、楽しい、夢のような1週間だった。

その後、今から15年前くらいは、母が、今から思えば、たぶん自分の心臓の悪いのを心配もしてだろうが、毎年海外旅行に誘ってくれた。

最初のヨーロッパがスペインで、3月下旬の出発だった。

写真のシャンプー、リンスのセットは、マドリードのリッツホテルのものだ。

2日間の連泊だったので、一緒に旅行して、相部屋になった母のお花のお弟子さんと一日ごと1個ずつ分け合ったのだった。

綺麗だったので、ずっと使わず飾ってあったが、最近、何でもなくなるまで使い切ることを実行していて、シャンプーが切れたのを機に、使っている。

こういう小さなものでも溜まると結構な嵩になるのだ。だから断シャリしないとね。^^

と話が逸れたが、

その年の夏には北欧、翌年の春はイタリア、翌年の夏はカナダと、今から思えば、贅沢に行ったものだ。我が家は、まだ次男が遊学中だったので、旅行の費用は全て母が出してくれた。

その後、一度も海外旅行したことのない次男に海外を見せてやる目的で2006年の秋(向こうは春)にオーストラリアに行って、一昨年は、結婚満40年を記念してタイに行ったのだ。

タイは夫が行きたくてたまらない国だったのだが、私は夫には申し訳なかったが、余り行きたくなかった。

というのが、私は、暑さにめっぽう弱くて、我慢ができないのだ。

案の定、4月中旬のタイの蒸し暑さは尋常でなかった。

日本の桜の花を尻目に、なぜこんな暑い国に来なければならないのかと夫を恨んだ。

楽しみたくても、あまりの暑さに楽しむどころではなかった。

唯一楽しめたのは、バンコクの水上マーケットを訪れたときだけだった。さすがに川の上は涼しかった。

暑がっている私を気の毒がったタイ人のガイドさんが、「今度は10月に来てください。10月なら乾季ですから、今の時期よりはマシです」とねぎらってくれた。

余談だが、そのガイドさん(男性)は、私が水上マーケットでタイのドレスを買って、旅行中に着ていると、目を細めて喜んでくれた。彼は、大変な親日家だった。

旅行中、そのガイドさんの熱心で親切な気持ちに応えられなかったのは申し訳なかったが、しかし、水上マーケットで買ったそのドレスだけは、涼しくて気持ちがよかった。