このところブログを更新するのが面倒になって休み勝ちだ。
何をしていたかというと、家事の合間に中島らもの本を読んでいた。
なぜ彼の本を読んでいるかというと、彼も、私と同様、躁鬱病を病んでいたから。彼の気持ちに寄り添うことは、すなわち自分の気持ちに寄り添うことになるのだ。
私の躁鬱病は2型だから、躁はそれほど酷くならないのだが、その代わり鬱が長引いて苦しい。
中島らもの本を読んでいると、自分のどこかと共鳴するところがあって癒されるのだ。
人によっては、中島らもにあまりいい印象を持たないかもしれないが、確かに彼は常識人ではないけれど、それだけにというか、だからというか、根は限りなく優しい。
下の本は、中島らもの友人の鈴木創士が中島らもを追悼して書いた本である。
中島らもの友人が若くして自死その他で多く亡くなっているのを知ると、痛ましい。純粋すぎる心を持っていると、どうかすると死ぬことしか考えられなくなってしまうのだ。
何をしていたかというと、家事の合間に中島らもの本を読んでいた。
なぜ彼の本を読んでいるかというと、彼も、私と同様、躁鬱病を病んでいたから。彼の気持ちに寄り添うことは、すなわち自分の気持ちに寄り添うことになるのだ。
私の躁鬱病は2型だから、躁はそれほど酷くならないのだが、その代わり鬱が長引いて苦しい。
中島らもの本を読んでいると、自分のどこかと共鳴するところがあって癒されるのだ。
人によっては、中島らもにあまりいい印象を持たないかもしれないが、確かに彼は常識人ではないけれど、それだけにというか、だからというか、根は限りなく優しい。
下の本は、中島らもの友人の鈴木創士が中島らもを追悼して書いた本である。
中島らもの友人が若くして自死その他で多く亡くなっているのを知ると、痛ましい。純粋すぎる心を持っていると、どうかすると死ぬことしか考えられなくなってしまうのだ。