神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

もう何も買わなくてよかったのに・・・

2016年12月31日 18時28分35秒 | 日記
予定していたおせち料理も作り上げ、ちょっと時間ができたので、散歩を兼ねて街に出ました。

駅前の電飾はクリスマスが終わっても飾られていますね。

最近は生協でほとんどのものを買うので、歳末の買出しもなく、楽な年の瀬でした。

その代わり、生協の配送は今週3回もありました。

今日つくったものは、黒豆、筑前煮、たたきごぼう、膾などです。数の子も薄皮をむいて出し汁に漬けました。

長男のところには2日に行く予定だから、栗きんとん、伊達巻、ごまめは明日の元旦に作ります。

伊達巻は初挑戦です。以前は、錦卵を作っていましたが、手間だからと作らなくなって久しいです。



今夜の夕食は生協に頼んであった柿の葉寿司、年越しそばの予定でしたが、デパートの食料品売り場を歩いていると、おいしそうな握りずしが並んでいたので、思わず買ってしまいました。ま、柿の葉寿司は明日まで置けるからいいか。

百貨店を出ると暗くなっていて、来たときより電飾の輝きが増していました。


わざわざ遠くに行かなくても、近所でも歩けば気分転換になります。

  クリスマス終はりし街に電飾は残され明日は新しき年  biko

  主婦歴も四十四年になりたればこの手が勝手に作る御節は  bko

  歳晩に作りておけば三が日楽に過ごせるはずであつたが  biko

  まだ年は明けぬに街に貼られゐる謹賀新年謹賀新年  biko

母は年末に入院できてよかった

2016年12月30日 17時40分37秒 | 家族
さきほどハイジさんというハンドルネームの方にコメント返ししたのであるが、書き加えたいことがあったので、改めて記事にすることにした。

ハイジさんの言われるように、母は年末に入院することになってよかった。

まず火事の心配がなくなって安心である。

寒い時期に90歳を超えた老婆が石油ストーブを使うのは危ない。

ことに母はストーブの上で煮炊きをしようとするから余計に。

その点、入院して温かい部屋で食事の心配もしなくてよくなるのは、私にとっても、母にとっても願ったり敵ったりである。

入院させられることになって、母は担当のケアマネージャーさんに怒ったらしいが、私は、よくぞ入院させてくださったとケアマネさんに感謝している。

母を担当してくださっているケアマネさんは、特に優秀な方で、しかも人柄がよい。

ハイジさんが言われるように、「大当たり」だった。^^

しかし、我が家は、義母のときもケアマネさんには恵まれていて、最初の方は若い方だったが、美人で優しい方だったので、義母はその方のことが大好きで、義母が聞き分けのないことを言うときは、その人が言っていたというと覿面の効果があった。(笑)

その方が産休に入られてからは、今度は、私と同い年のケアマネさんが担当になってくださった。

その方も、いい方だったのだが、義母は極端な面食いだったので、前の方ほどは気に入っていなかった。

しかし私には好都合だった。

なんといっても同い年なので、話が通じやすかった。

その方は、阪神大震災で家の下敷きになって九死に一生を得られた方だったが、そのことだけでなく、ご家族のこと、仕事のことなど、私との話題は多岐にわたった。義母が亡くなってからも何回か訪問してくださったくらい親しくしていただいた。

と、ケアマネさんの話は、このくらいにして、

今朝は、母が病院から電話してきて、小豆島には行けそうだと。

よかった。(*^_^*)

実は、小豆島には、「母担当のケアマネージャーさんからメールが」の記事で紹介した「シェーマス・ヒーニー アイルランドの国民的詩人」の編訳者の友人も招待してある。

母も友人も楽しみにしているから、ぜひ行きたい。

その友人の著した本を母が5冊注文したことも前に書いたが、その本が実家に届いて、入院中の母は読んでいるそうな。

これも、入院したからこそ、そんな時間が取れたのであるから、入院は、二重に三重によかったことになる。

  嫌がりし入院なれど本を読む時間ができて本を読む母  biko

  離れ住む母の入院は火事起こす暮れの心配消してくれたり  biko

12月歌会に出した私の歌といただいたコメント

2016年12月30日 08時19分12秒 | 短歌
今回は短歌記事ですので、短歌に関心のある方のみ、お読みください。

今月12月のお題は、ちょっと込み入っていて、次のようなものでした。

●テーマ詠『クリスマス』
【重要】カタカナの言葉(クリスマス、ノエル、ケーキ、プレゼント等)や外国語(Christmas、Noël等)は使用禁止します。
「聖夜」「聖なる夜」も使用禁止します。
この条件で、クリスマスをテーマに詠んで下さい。
※ルール説明は以上です。記載されていない点は全て自己判断でお願いします。
※選歌の際に「ルール上OKかどうか」の判断も各自でお願いします。(ルール違反だから選ばないという判断はもちろん、ルール違反のような気もするけれど良い歌だから選ぶという判断もありです。)


難しいお題だったにも関わらず、37首の出詠がありました。

以下、本日、私の出した歌会御礼です。

               記

いよいよ、今日、明日で今年は終わります。bikoです。

司会の●●さんの優れた読みの誘導に感心しながら楽しませていただいた
1ヶ月でした。

難しいお題だったにも関わらず、というより、そのせいか、面白いユニークな
歌が多かったと思いました。これも司会の●●さんのお手柄だったかと。

06:耶蘇教にあらぬにわれら耶の生(あ)れし師走の夜の街またたかすなり

お題が出たとき、すぐに、キリスト教を耶蘇教と詠えばいいと閃きました。^^

「耶の生(あ)れし」が問題になったようですが、耶はキリストとして詠みました。

このサイトによると耶蘇教とは「耶(キリスト)の蘇りを信じる教え」だそうです。

いつもこのe歌会のお世話してくださっている皆様、今年一年、ありがとうござい
ました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。それでは、よいお年を!

以下、いただいたコメントです。ありがとうございました。<(_)>


・「耶蘇教」「耶」は、今回カタカナ語の使用が禁止ということで、

苦肉の策という感じかと思いました。ちょっと固い感じもしますが

やむを得ないかなと思います。

「師走の夜の街またたかすなり」が上手いと思います。

「街」という大きな存在を、人間が完全にコントロールできる

ものであるかのように「またたかす」と言い切ったところなど。

街じゅうで幅をきかせるクリスマスの電飾の点滅が目に浮かぶ

ように詠めていると思い、感心しました。


・巧みなお歌だと思います。
ただ四句目の字余りが若干リズムが気になるので、「夜」を「よる」と読んで「師走の夜の街またたかす」ではいかがでしょうか?
上に「耶」という一音の言葉があるので四句目の「夜」はやはり「よる」と読みたいと感じました。それとも、あえてそこを揃えているのかもしれませんが。次が「まちまたたかす」とスタカートが効いているので「なり」はないほうが上句からの滑らかさが生きるのでは?と感じました。

・字義のことが話題になっていますが、この作品として〈耶蘇〉を見たとき辞書云々は措いておいてそのまま〈復活した父〉と読めるので、〈耶〉をイエス・キリストと見立てて短歌で表現した、と読み手が理解することもできるのでは、と私は思いました。いろいろお話に出ているようにたしかに辞書も大事ですが、作品から受け取る〈感覚〉というものもありますね。

・「耶」という文字は「邪」と同義で、「よこしまな」という意味があるので
>「耶の生(あ)れし」ってなにか邪悪なものが生まれたみたいですね(笑い)
というのは漢字の意味にも合っているようですね。

「あらぬに」の「に」ですが、私はある方がいいな、と思います。
接続助詞「に」を使うことで
「キリスト教徒でもないのに、にもかかわらず」といった意味がより強まって
作者が感じている違和感を伝えてくれると思いました。

・耶蘇という語の変化をたどっていくと
ラテン語の「Jesus」⇒中国語で漢字をあてて「耶蘇」⇒日本語で音読みして「ヤソ」
となっているようです。
「耶」という語がもつ「父親」という意味は
イエスキリストのことを指していたことから発生した意味のようです。

外国から入ってきた人名、国名などを省略して
一語で表す表現自体は昔からあるようです。
シェイクスピアを頭文字を使って「沙翁」と略した表現もあります。

仮に前例がなくても造語のひとつとして、
「耶」一語でイエスを意味するのは
なんとかできるんじゃないかな、と私は思います。

・初回コメントでもみなさんお書きのとおり、耶蘇教はキリスト教。
「キリスト教徒でもない私達」まではよいとして、その後の「耶の生れし」がわかりませんでした。
ネット辞書ですと、「耶」は①父、②疑問の助詞の2つの意味があるようですが、この作品の場合はどちらもそぐわない気がします。
お題がクリスマスで師走に生まれるといったらイエスですが、「耶蘇」が「イエス」という言葉に漢字の音をあてて出来た中国語という由来を考えると、「耶」だけでイエスを表していると考えるのも無理だと思います。
「またたかす」は「キリスト教でもない私達が師走の夜の街に輝く電飾をまたたかせる」くらいの意味かとも思いましたが、やはり「耶」の意味が分からないので、後半の意味もつかみきれませんでした。

以下、初回コメント

06:耶蘇教にあらぬにわれら耶の生(あ)れし師走の夜の街またたかすなり

*(選歌のみ)

*キリスト教徒でもないのにクリスマスの夜に街へ繰り出して行く。結句の「またた

かすなり」が分かりにくかったが、そんな連中が街を賑やかにしているという意か。

-「耶の生(あ)れし」って何のことですか?。

*キリスト教徒でもないのに街中を飾っている日本の状況をちょっと皮肉っている歌
と思います。上の句のア音でとても滑らかなリズムになっています。

以上です。

ここまでお読みくださった皆様、ありがとうございました。

僧房弁&大動脈弁閉鎖不全症で手術を受けて13年が経った

2016年12月29日 17時31分36秒 | わたしのこと
団塊世代ブログの今日の新着記事のタイトルを眺めていると、「僧房弁閉鎖不全症で緊急搬送」というタイトルが目に付いた。

ふだんは同じ「村」の人のブログを読ませてもらうことはないが、その記事は気になって読ませていただいた。

その方は、「胸痛があった」と書かれていたが、私の場合は、それはなかった。

が、ぜんぜん食べられなくなって、どんどん痩せていった。

「その数年前から咳が止まらなくなっていた」というのが兆候といえばいえただろうか。

咳は、だんだん酷くなってきて、何か食べると、そのたびに激しく咳き込んだ。

その年は、娘の初産を控えていた。

だから、病院で診察の結果、肺癌かもしれないといわれたが、もしそうだったら、お産の手伝いにいけなくなるから、そのままにしていた。

が、いよいよ娘の出産の日にちが近づいて上京したまではよかったが、娘のところでも咳は激しくなるばかり。

娘には、「お母さん、もう帰って」と言われてしまった。

仕方なく大阪に戻ったが、その後2週間くらい起き上がれないくらい体が弱っていた。

娘のお産には、一応、実家の母が行ってくれた。

娘の入院中は私の母が毎日行ってくれたようだったが、当時、私の母は、もう77歳の高齢だったので、急遽、娘婿の両親に鹿児島から行っていただいた。

娘婿のご両親が上京してくれている間に、義母も上京してくれたが、既に83歳の高齢だったので、返って娘婿のご両親にご迷惑をかけてしまったかもしれなかった。

孫が生まれたのが3月30日、私が心臓弁膜症の手術を受けたのが7月14日。

その間、病名がわからず、私は死にかけていた。遺書も書いた。

が、最後の最後に心臓に超音波を当てて心臓弁膜症が発見されて緊急手術を受けて一命を取り留めた。

循環器科にもかかっていて、若い女医さんは、毎回聴診器を当てて、毎回「異常はありません」だった。

それでいて、その女医さんは、私が手術を受ける前の日に、医学生を二人連れてきて、「医学生に心雑音を聞かせてやってください」とお願いをされた。(苦笑)

まったく笑い話にもならないが、それでも命が助かったから、運がよかった。

  心雑音聞き逃したる女医が来て「心雑音を聞かせてあげて」  biko

  もしエコーなくば今頃命なく遺影となりて拝まれをらむ  biko

(註)エコー=超音波エコー

ネットは天国であり、地獄でもあり

2016年12月28日 20時06分04秒 | ブログについて
聴覚に障害のある私にとって、ネット環境は普通の人以上に大切だ。

私がネットにつながるようになって15年ほどの歳月が流れた。

もともと機械音痴の私であるが、短歌をやっていて、歌会に参加できないことは悔しいことであった。

それで所属する結社のインターネット歌会に参加させていただくことを目的にパソコンを自己流で学んだ。

そのせいで、きちんと系統だった学習はしていないので、未だに試行錯誤を繰り返している。

が、それでも現在は、曲がりなりにも、自分のブログを持つこともできた。

            ところで、

初めてネットにつながったころは、あまりの素晴らしい世界に夢見心地であった。

嬉しくて、参加させていただいたインターネット歌会では発言しまくりだった。(笑)

それまで難聴というバリアに閉ざされ勝ちであった私の世界はパ~ッと広がった。

それに味を占めて、故郷の新聞社のメーリングリストにも参加させていただいた。

ここで問題が起こった。

そのメーリングリストは、かつては賑わっていたらしかったが、私が入会した頃は下火になっていて、発言者が少なくなっていた。(らしい)

それで、その主要な参加者の発案で、また賑わわせようということになり、賑わわせていたつもりだった。

が、それを快く思っていない人がいた。(と、これは後で気づいたことだ)

高校の先輩であり、かつリアルにお目にかかったこともある人であったので、個人的に言ってくださればいいことを、なんと、大勢の人の読むメーリングリスト上で糾弾された。

私にとっては晴天の霹靂だった。

それで精神のバランスを崩した。

それが鬱病の始まりだった。

それでもメンタルクリニックに駆け込むまではよくあることで、そのうち自然に治った鬱だったと思う。

このことを書き出すと、また長くなるので、今日はこのくらいにしておくが、言いたかったことは、ネットは、あるときは天国でもあるし、またあるときは地獄でもあるということだ。

私は、ネットで天国も味わったし、地獄も味わったが、しかし現在はブログという媒体があったことを神様に感謝している。

  聴覚の障害あれど文字のみで伝達できる世界ができて  biko

  文字のみで伝達できる電脳の世界にもある天国地獄  biko

さきほど、とあるブログの、「ラインでやりとりしていて、誤解が生じてお別れした」という記事を見たので、それに触発されて書き始めたが、もともとラインなどしたこともない私。

が、ネットで嫌な思いをしたことはあったので書いてみた。

ネットは文字だけのやり取りなので、誤解が生じるのは必然というか仕方ないというか。

しかし、ネットの世界とはいえども、せっかくご縁が結べたのなら、できるだけ広い心でお付き合いしたいし、してほしい。

ーーーーーーーーーーー

いま、前にご紹介した、フリージャーナリストかこさんのブログ記事が更新されたので、精神薬の怖さを皆さんに知っていただくため、その記事のアドレスを貼りますね。

友だちが亡くなりました(閲覧注意)

少し長めの記事ですが、ぜひお読みいただきたく。<(___)>

この歳になっても親のいる有難さ

2016年12月27日 20時19分56秒 | 家族
まあ何だかんだ言っても、この歳になっても、まだ親が生きていてくれることは有難い。

前記事の続きになるのだが、母のケアマネージャー、Nさんからのメールに、次のように書いてくれてあった。

私は、●●さんが大好きです。91歳という高齢でありながら、頸椎骨折を
して復活する生命力の源は「意欲・意志」だと思います。
本人も自分勝手なことを申していると分かっていると思います。けれど、それ以上に
「生け花」への思いは強いのだと感じています。
その気持ちがあるからこそ、元気に過ごせるのです。立派だと思います。
昨日も、待合で娘さんの話が出ました。母として、いくつになってもやれることは、
やってあげたいと。年賀状も書いたと…。
色々な気遣いが出来る方です。素敵なお母様ですね。
(註)文中の「頚椎骨折」は母が今年2月に2階踊り場から一階にまっさかさまに墜ちて九死に一生を得た事故のことです。それから、まだ1年も経っていません。

さらに、文中にある「娘さん」とは、何を隠そう私めのことです。^^

母から見れば、70歳も近い私のことが、未だに「娘」なのです。

これを書いてくださったNさんは、私の娘の世代の方であるにも関わらず・・・。

  七十路(ななそじ)に向かふ娘のわたくしの話を母はケアマネさんに  biko

              *

Nさん、勝手に文章をブログ記事に引用させていただきました。

もしご都合が悪ければ、メールで言ってきてください。

ご都合が悪いようでしたら、このブログ記事は取り下げますので。

母が第一腰椎圧迫骨折で入院したとケアマネさんから連絡が

2016年12月27日 11時19分13秒 | 家族
メールをもらったのは昨日午後3時ごろだったが、私がそのメールを見たのは午後6時くらいだった。

それで、今日は帰省の心積もりをしていたのだったが、まあその前に兄嫁にも相談してからと思い、午後9時前に兄嫁にはケイタイメールを入れた。

が、夜の12時近くまで返信がなかった。

たぶん、スイミングに行っていたのだと思う。

スイミングに行った日(毎日?)は帰宅が夜の12時近くになると母が言っていたから、そうだったのだろう。スイミングの後おそらくおしゃべりタイムもあって、兄嫁にも息抜きが必要だから、これはこれで。

ということは、私も急いで帰省する必要もないかと。

それで兄嫁にも、「帰省しようと思っていましたが、緊急を要する事態でもなさそうなので、様子見をしますね。何かあったら、知らしてきてください」と返信しておいた。

ケアマネさんのほうにも、母を病院につれていってもらったお礼と帰省は様子見しますと返信しておいた。

実はクリスマスイブに長男のところに行ったときに、「おせち料理は、お母さんが作ってもってくるから」と約束したのだ。

今日あたりから、ぼちぼち買出しその他を頑張らなければならない。

母とは、1月下旬に小豆島を旅行する約束をしているから、今回の骨折でキャンセルになるかもしれないが、今回の帰省は見送るようにしよう。

ネットで母の入院原因になった第一腰椎圧迫骨折を調べてみると、治療の要は安静とのこと。

しかし母は未だに大学や高校に生け花を教えに行っているから、入院させられることになってケアマネさんに怒ったらしい。

ケアマネさん、申し訳ありません。<(_)>

が、結果的には、入院させていただいてよかったと思う。

2、3週間安静にしていれば、あるいは小豆島は一緒に行けるかもしれないから。

  楽しみをぶら下げ命長めるもあるべし九十路(ここそじ)超えし媼(おうな)に  biko

朝お寿司が食べたくなって都会のオアシス、交番、銀行エトセトラのコンビニへ

2016年12月26日 19時19分18秒 | 私の意見
私は、南国、否、熱帯土佐の生まれのせいか、酢の物やお寿司が大好きだ。

関係ない?(笑)

ま、それはともかくとして、突然お寿司が食べたくなると、我慢ができない。(苦笑)

今朝もそうだった。

が、一昨日、昨日と出かけていたので、ご飯がない。

仕方ないから、まだ薄暗い時間帯に駅前のコンビニに出向いた。

が、お寿司類は一個もなかった。

「まっ」と思ったが、「まあ交差点を隔てた向かい側にも、もう1店あるから」と店を出て、道路の向かい側に目をやると「おやまあ」@@。

ほんの数日前にはあったコンビニが閉店してしまっている。

こうなると、ますます食べたくなるのが食いしん坊の食いしん坊たるところ。

足を伸ばして、駅の向こう側の24時間スーパーにまで行った。

幸い、ほしかったマグロの手巻き寿司はあったのでゲット。上の写真。↑

それで喜び勇んで帰ってきたのだったが、食べながら考えた。

コンビニは、いまや田舎に行ってもあるほど、日本全国の津々浦々にある。

わかりきったことを書くようであるが、われわれ消費者は当たり前と思っているコンビニだが、しかし、われわれが思っている以上に社会の役に立っている。

今朝のように、まだ暗い人通りの少ない時間帯でも、安心して出かけられるのは、コンビニがあるからともいえる。交番の役目も果たしているのだ。

もちろん、食べたいものが時間に関わらず手に入るというのが最大の利点である。

夏などは喉が渇いたときコンビニに入れば即冷たい飲み物が手に入る。まさに都会のオアシスだ。

しかし、これほどわれわれに役立っているわりには、それほど評価されていないような気がする。

公的な施設にしてもいいと思えるくらい社会に必要なものであるのに、つぎつぎと開店する一方、閉店する店もあとを絶たない。

私は、要所要所にあるコンビニは、つぶれないように、国、あるいは地元市町村がある程度援助してもいいのではないかとさえ思う。

「道の駅」が建設省の肝いりで、各地元市町村が運営しているように。

  去年(こぞ)できしコンビニ昨日消えてをりこの街角の交差点の  biko

最近はしていないが、夏場などに深夜の散歩ができるのも、要所要所にコンビニがあるお陰と思っている。

  酷暑なる夏に深夜の散歩するわれに交番このコンビニは  biko

琵琶湖〜比叡山ドライブウエイ~京都市内へ

2016年12月25日 21時16分12秒 | お出かけ
このショッピングセンターは琵琶湖のそばに建っているので、琵琶湖がよく見えました。

上の写真に写っている橋は琵琶湖大橋です。

↓この写真に写っている山は比叡山でしょうね。


こちらは比良あたりでしょうか?


↓今日は、12月下旬なのに、雲ひとつなくというほどではありませんでしたが、白雲が少し浮かんでいるだけという青空でした。


孫にクリスマスプレゼント(洋服)を買い、長男一家と別れました。


今日は25日なので、店内には、まだクリスマスの飾りつけが。


その後、もっと琵琶湖を見たくなり、夫と比叡山ドライブウエイをドライブしました。

↓途中の琵琶湖展望台から琵琶湖を一望しました。


↓これは、比叡山から北向きにカメラを向けた写真です。


こちらは遠くに雪を被ったと思しき伊吹山が見えていましたが、写真ではわかりませんね。


  近く見て見あかずさらに叡山に登りて眺む琵琶湖の水を  biko

その後、京都市内を抜けて、高速道路で帰宅しました。

長男の家から八幡山が~守山市の佐川美術館へ

2016年12月25日 20時57分38秒 | お出かけ
長男の家で自家製パンの朝食をご馳走になってから皆で守山市の佐川美術館に来ました。


佐川美術館は宅急便の佐川急便の作った美術館のようですが、建物周囲に浅い池を張り巡らせた素敵な外観でした。

  水鏡めぐらせ佐川美術館けふ冬空の白雲うつす  biko

美術館では平山郁夫展が開催中でした。

平山画伯の絵は、青を基調にして描いた風景画が、どことなく東山魁夷の絵と似ていませんか?

平山画伯の絵は撮影禁止でしたが、同時開催中のダンボールアート遊園地は撮影可でした。

ダンボールで作られた電車が走っていました。


朝から美術館の駐車場がいっぱいだったのは、このダンボールアート遊園地に遊びに来た親子連れが多かったのですね。


孫もダンボール電車に乗せてもらいました。


ダンボールで作った作品が展示されていました。


池の中には、こういう銅像が立っていました。


  その影を池に映して立ち続く少女の像のある美術館  biko

その後、皆で近くのショッピングセンターへ。

クリスマスなので

2016年12月24日 17時48分38秒 | 家族
近江八幡市の長男の家に来ています。

お嫁さんがご馳走を作ってくれています。

孫娘もご機嫌です。(^-^)

今夜は泊めてもらいます。



おかげで、にぎやかで楽しいクリスマスになりました。(^-^)

クリスチャンではありませんが、皆さんメリークリスマス!\(^O^)/

電話ができたら・・・

2016年12月23日 18時51分13秒 | わたしのこと
夫が東京の娘のところの孫にお年玉を送ってやったらしく、娘から電話があったらしい。

娘は忙しいこともあるだろうが、私がケイタイでメールしても、返信は夫に電話でということもある。

ま、娘は、子供の頃から、お父さんっ子の傾向があったし・・・。

それと、ケイタイのメールを打つのは面倒なのだろう。

これは私の友人にもいて、ひさしぶりにメールしても返信がなかったことがあった。

あとで言うのに、一字、一字メール打つのが面倒くさいのだそう。

そうだろうな。電話だと、ただ喋るだけでいいのに、ケイタイのメールなどは手間だ。

私の親しい友人たちは、アナログ人間が多くて、あまりパソコンをしない。

パソコンだったら、ブラインドタッチまで上達すれば、電話と変わらないくらいやりとりができるのだが・・・。

まだ、それでもメールのできる友人はメールで交流ができるが、電話のみの友人とは、すっかり没交渉だ。

で、最初の話に戻るが、私も、娘や孫と話がしたい。

娘婿のお母さんは足を悪くされているから外出は自由にできないが、電話は自由だ。

だから孫達にもよく電話していられるようだ。

以前、娘のところに行っているときに、娘の留守中、電話がかかってきて、孫が話していたので、「どなた?」と聞くと、「鹿児島のおばあちゃん」と答える。

あ~、そうなんだ。おみ足を悪くされていても、電話は自由にできるから、されるのだと当たり前のことに感心してしまった。

耳の悪い私はだんだん親族の間でも孤立してゆくのかと、ちょっぴり絶望的な気持ちになった。

東京の孫達も、会う回数は少なくても、しょっちゅう電話でお話しているおばあちゃんのほうに親しみを持つだろうな。

私のことは冷たいおばあちゃんと思っているかも、とも思った。

かといって稼ぎのない私は、お小遣いをたっぷりあげるとかいう芸当もできないから、影が薄くなるばかりかも。(涙)

  小遣いもあげられなくて電話にて話すもできぬ祖母のわたくし  biko

  近ければ聞こえぬ祖母のわたくしもその存在を刻めるものを  biko

とはいっても、間接的に聞くところによると、東京の娘のところの次男坊はピアノが上手で、バイオリンもなかなかの腕前とか。硬筆も東京都下の小学校低学年の部で2位になったとか言っていたから、将来が楽しみだ。お兄ちゃんのほうは都下の私立御三家に入学できたし・・・。

まあ祖母の私が孫達の記憶に刻まれなくても、孫達が立派な人になってくれたらそれで本望だ。

  孫達と電話のできぬ祖母われもその将来はただ楽しみで  biko

天皇誕生日・・・国旗を掲揚しています

2016年12月23日 12時24分36秒 | 日記
天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。

その後、風邪の具合はいかがであらせられますか?

速やかに癒えることをお祈り申し上げております。

日本は、天皇あっての国でございますので、お元気で長生きしていただけますことも、お祈りさせていただきます。

今夜の私一人の夕食・・・夫は忘年会へ

2016年12月22日 17時48分55秒 | 日記
さきほどの記事「足が吊った・・・ときどきは旅に出て歩かなければ」で予告?(笑)した今日の夕食をアップします。

夫は忘年会なのですが、私独りのために、鯖寿司と茶碗蒸しを作りました。

どちらも、私の大好物です。だから、作るのも苦になりません^^。

茶碗蒸しには、鶏肉、大海老、かまぼこ、南瓜(これは昨日の冬至用に煮物にした南瓜の残り)と三つ葉が入っています。

海老は殻ごといれます。殻からいい出汁が出るから^^。

カニを殻つきで入れると、もっといい出汁が出るのですが、今日はなかったから。

それでも鶏肉と海老を昆布出汁の卵汁で茶碗蒸しにすると、すごくおいしくなります。^^

今日は三つ葉ですが、三つ葉がないときは酢橘の皮を細切りしたものを上に飾ります。

三つ葉の香りとは違って、酢橘の香りも、なかなかのものです。

こういう季節の香りを入れると、お料理がぐんと引き立ちますよね。

  食ひ意地は年々強くなるものか独りの食事も手抜きはすまじ  biko

  お掃除はほどほどなれば長男に汚(きたな)と言はれてしまひし厨  biko

  掃除機も面倒なれば朝晩に箒で集む厨の塵(ちり)は  biko

  垢抜けぬ住まひとなれるわが住まひ住まへるわれに似てくるらむか  biko

いまgooブログから、昨年記事のお知らせが入ったが、昨年今日も「筑前煮」と題して、料理をアップしている。^^

毎年今頃になると、私は食いしん坊になるんだなあ!(笑)

  昨年は筑前煮なり今日のこの記事鯖寿司と茶碗蒸しなり  biko

足が吊った・・・ときどきは旅に出て歩かなければ

2016年12月22日 14時33分13秒 | 日記
今朝は足が吊って(こむら返り)目覚めた。それも両足ともに。

少し辛抱したら収まったが、今までのこむら返りとは違う。

今までは、歩きに歩いたりした後で、夜中に吊ったりすることがあったのだが、今回は、ここ数日、ほとんど外にも出ていないのに突然吊ったのだ。

さっそくネットで「こむら返り」を調べてみた。

「足がつる、こむら返り 原因・対処法」 のサイトには、

●原因は、

1、ミネラル不足

2、水分不足

3身体のめぐり

4、運動不足


とあった。

私が思い当たるのは運動不足。

●「こむら返り」を起こさないようにするには、

・食生活を見直し、バランスのとれた食事でミネラルをしっかり補うようにする

・こまめに水分補給をし、水分不足にならないように注意する

・身体を冷やさないようにし、またストレスもためないようにして、身体のめぐりを良くしてあげる

・ウォーキングなどの適度な運動を毎日続ける

この後はサプリメントの広告になるので、割愛。^^

食生活は気をつけている。こまめに水分補給はしている。

あと、していないのは、適度の運動。(--;

やっぱり!

だけど、それが、なかなかなのよね。

朝食が終わると、すぐに昼食の下準備をするわたくし。

昼食が終わると、すぐに夕食の下ごしらえをするわたくし。

今日も、朝食のあとで、ビーフカレーを作ったし。

今も、夕食にしようと鯖寿司を作ったし、茶碗蒸しの下ごしらえもしたところ、

やっと落ち着いて、このブログを書いているわけだが、このブログ書きをやめなければならないのかなぁ。私の息抜きなんだけど・・・。

  朝食を片付け昼の支度する昼が終われば夕食支度  biko

  エンドレスゲームのやうな毎日の三度の食事あひまにブログ  biko

  毎日の食事の支度わが背(せな)に重荷を負ひて下ろせざるごと  biko

  ブログ書くときのみ重荷のこと忘れ深呼吸するおさんどんわれ  biko

  生活のために働く夫ではあれど忘年会とふ快は  biko

  旅に出る楽しみ主婦にこそあらめ作らず食べてただ歩くのみの  biko

  ときどきは旅に赴き徒歩すれば足吊ることもなくなるならむ  biko