神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

手作りカレーの出来上がり 2

2015年07月30日 09時59分17秒 | 料理
トマトが柔らかくなったころに一度かき回して、また10分ほど放置して出来上がりです。

水は一滴も加えていないカレーです。

このカレーを作るようになってからは、市販のカレールーで作ったカレーは、一度目はいいのですが、二度、三度は食べられなくなりました。

このカレーだと、さすが毎回は無理ですが、また明日のお昼くらいに食べるのは大丈夫です。

年取ってくると、レトルト品とか市販品で作ったものが食べられなくなってきますね。

こうして手作りしたからといっても、市販品のカレールーより手間がかかるということは一切ありませんから、最近は市販品のカレールーは買いません。

手作りカレー 1

2015年07月30日 09時46分07秒 | 料理
↑夫が朝一番に散歩代わりに登った長尾山(宝塚市)で「山の会」のメンバーからいただいてきた野菜。

いつもどおり見かけがイマイチなので、今日の昼食用にカレーにすることにしました。

↓買い置きの鶏むね肉があったので、


↓まず鍋にサラダオイルを入れてニンニクを入れます。まだガス火はつけてないです。


↓そこに適宜切った鶏むね肉を入れて、強めに塩コショウします。


↓カレー粉、クミン、ガラムマサラ、ターメリックなどの香辛料を振り掛けます。


カレーにとろみがほしいので、小麦粉も降りかけておきます。


↓その上にいただいてきたトマト以外の野菜を載せます。


↓家にあった玉ねぎも切って載せてから蓋をして、ここで初めて着火します。中火です。


↓ニンニクとカレーの匂いがしてきたら、蓋を開けてかき混ぜます。


↓その上に、粗く切ったトマトを載せて、弱火にします。


(続く)

角川短歌8月号「河野裕子没後5年特集」

2015年07月29日 22時39分49秒 | 短歌

今日は、短歌のことばかり書いたから、短歌に関心のない人には退屈な記事になると想う。

図書館から「予約した本の準備ができました」と連絡のメールが入ったから、受け取りに行った。

ついでに角川短歌8月号をパラパラと見て来た。時間がなかったから、読むところまではいかなかった。

河野裕子没後5年特集されていた。8月12日に64歳で亡くなられて、もう5年になられるのだ。

読ませてはいただかなかったが、同じ結社の人達の記事だけを撮影させてもらった。

↓今年から結社の主宰者になった吉川宏志さんの書かれた記事


  まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す

↓「塔」の若手のホープ大森靜佳さんの書いた記事


  死ぬことのあるゆゑながき一瞬をめがねやのめがねにわが映りゐる

↓大森さんほどは若くはないが、若手実力者の澤村斉美さんの書いた記事。


  とかげのやうに灼けつく壁に貼りつきてふるへてをりぬ人を憎みて

↓今年から選者(先生)になられた江戸雪さんの書いた記事。


  さびしさに身震ふほどの寒さもう忘れてゐしか人もわれも四十歳(しじふ)

↓私の参加しているインターネット歌会のお世話をしてくださる真中朋久さんの書いた記事。


↓私と同い年の選者の花山多佳子さんの書いた記事。


↓今年から選者になった前田康子さんの書いた記事。


↓現在、「NHK短歌」の先生をされている「塔」の選者の栗木京子さんの書いた記事。


↓永田和宏、河野裕子さん二人のご長男、永田淳さんの書いた記事。


この永田淳さんも、今年から選者(先生)になられた。

「塔」は、この短歌衰退の時代にも関わらず、どんどん会員数が増えて現在1000
人を超える大所帯になったから、選者もそれに合わせて一気に増えた、

I家の人々

2015年07月28日 21時38分26秒 | 思い出
              (裏庭のメラレウカマウンテンファイアー) 

昨日書いたI家のT君のことから思い出したI家のことを少し書いてみたい。

I家は、高知県では誰も知らない人がいないくらい有名な企業家であり、資産家だ。

私が行儀見習いをさせていただいたのは、I家の東京の住いだった。

I家は、東京の高級住宅地の中でも目立つ豪邸だった。

当時のご家族は、このT君のご両親とご祖父母、それにT君の弟さんと妹さんの合計7人だった。

I家くらいの名家になると、高知県内だけの付き合いに留まらず、全国的な繋がりを保つため、東京に在住していたと思われる。T君の祖父の大旦那様は一時大臣級の政治家であったと大奥様にお聞きしたこともあった。

T君のお父さんであった若旦那様にはお姉さんが一人と弟さんが二人いた。

お姉さんは偶然、私の実家の母と同じ女学校の一学年上だったと母から聞いたことがある。

このI家は元々、山内家以前の土佐城主長宗我部氏の重鎮の家柄だったが、長宗我部氏が滅ぼされてからは士族の身分を捨てて商人になった、と郷土史家の書いたものを読んだことがある。

が、このお姉さんは、山内家の後裔に嫁がれて山内姓であられた。

それで長男の若旦那様一家と三男の弟さん一家は東京在住であったが、上の弟さんである次男さんだけは高知に住まわれていて、当時、この一族の企業グループの長をしておられた。

私が行事見習いをさせていただくきっかけになったのは、母の知人にこの次男さんと親しい人がいたからだった。

一番優秀で仕事ができたのがこの次男さんでもあったらしいし、見た目もこの次男さんが優れていた、と思う。高知県内での人望も一番あったようだ。

「天は二物を与えず」という諺があるが、必ずしもそうではなく、同じ兄弟でも一方のほうが見た目も実力も兼ね備えているということは枚挙に暇がない、その例だと思った。

じゃあ、なぜ長男のほうの息子であるT君が、この一家の高知の企業グループの長になったかというと、この次男さんには娘さんしかいなかったことが理由だったと思うし、三男さんにも、確か娘さんしかいなかったと思う。

それで、順番からいっても、すんなりとT君がI家の長に納まったと思う。

まだ覚えていることで書きたいことがあるが、長くなるので、今日はここまでに。 

飛行機は空飛ぶ凶器

2015年07月27日 21時59分51秒 | 私の意見
昨日の調布市の小型飛行機墜落事故がニュースになっている。

しかし考えてみれば、重力に逆らって空を飛ぶことには当然落ちるという危険性が伴う。

むかし、交通標識で、「車は走る凶器」というのがあったと記憶しているが、飛行機は、空を飛ぶのだから、「飛行機は空飛ぶ凶器」といえるかもしれない。

技術の進歩で安全な乗り物にはなっているが、しかし、理屈ではもっとも危ない乗り物であることは、昔も今も変わっていない。

我が家は、大阪国際空港のある伊丹市の隣市にあるが、曇りの日などには、難聴の私にもうるさい音が聞こえてくる。音が大きいだけでなく、飛び立ってまもなくの大きな機体を目にすることもある。

調布市の事故は他人事ではない。

  重力に逆らひ空を飛ぶことの逆らひ得ざれば落ちることはり/biko

  燃料を積み込み空を飛ぶ機体飛ぶを止めればすなはち凶器/biko 

  杞憂とふ言葉ありにし昔なりいま杞憂とは杞憂にあらず/biko

(註)杞憂=《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え。「―に終わる」 (goo辞書より)

昔、行儀見習いさせていただいていたお宅の坊ちゃんが

2015年07月27日 19時39分22秒 | 思い出
               (我が家から最寄り駅に行く抜け道の途中に咲いている朝顔)

ネットで調べ物をしていると、偶然、昔、行儀見習いをしていたI家の坊ちゃんT君を見つけた。

当時、慶応幼稚舎の6年生だった。

体格は年齢相当だったが、すでに毅然としたプライドを持っていた。

2歳違いの弟さんがいたが、同じご両親からとは思えないくらい、似ていなかった。

長男のT君はお母さん似、次男のS君はお父さん似だった。

I家は、当時も現在も、高知県一の実業家で、資産家である。

私が住み込ませていただいていたのは、東京の住いだった。

それは立派なお屋敷であった。東京の高級住宅地の中でも群を抜いて大きなお屋敷、お庭だった。

私は、行儀見習いという触れ込みで住み込ませていただいたが、別にお手伝いさんが一人いた。

専属の運転手さんは二人いた。大旦那様用の車と若旦那様用の車に、それぞれ一人ずつ。

車は、それ以外にも、若奥様用の車が一台あった。



T君は、当時から利かん気そうなお顔をしていたが、ネットで見つけた最近のお顔にもその面影は残っていた。

が、もう50歳をはるかに超えた年齢なので、利かん気というより、苦みばしったいい男という趣きが出ていた。

T君は、子供のころから優秀だった。

お掃除のときに見つけるテストは、ほとんど満点だった。

顔も若奥様に似ていられたが、頭脳のほうもそうであったようだった。



現在は、大きなグループ会社を率いていられるが、T君の頭脳をもってすれば、大丈夫だろう。

一度お目にかかってみたいと思うが、会っていただけるかどうか。それと、私が行儀見習いをしたのは、たった1ヶ月間だったから、覚えてくれているかどうか。

当時若奥様だった奥様は、私の中高校の先輩にあたるが、ご健在であられるだろうか。

先日、数年ぶりに母校の同窓会名簿が出るというお知らせが届いたので、今日、申し込みの葉書を投函してきたところだ。その名簿が届いたら、若奥様だった奥様の消息も確かめることができる。

「皇室アルバム」で拝見した雅子さま

2015年07月26日 23時26分28秒 | テレビ番組
最近、毎日系の番組「皇室アルバム」を録画して拝見している。

今日は、トンガ王国の載冠式に臨まれた皇太子ご夫妻だった。

雅子さまのお元気そうなお姿を拝見できて嬉しく思った。



笑顔もごく自然な感じで、「ああ、ずいぶんよくなられた」と思わせていただいた。



日本大使館員の人たちのお話を伺う表情も本来の雅子さまらしい自然体であられた。

巷では、無責任にいろいろ言う人達がいるが、どうぞ、そんなことは気になさらずに、ゆっくり回復していただきたいと思う。

↓帰国の飛行機に搭乗される際、お手振りをされる雅子さま



皇室不要論を言う人たちもいるが、私は、天皇、皇后あっての日本と思っているから、テレビではあっても、天皇、皇后両陛下を拝見すると心が安らぐ。

日本の国の平和を毎日祈ってくださっている天皇、皇后両陛下は、神様のように拝見するし、来るべき天皇、皇后になられる皇太子様、雅子さまも、特別なオーラをお持ちの方だと思う。

国民が、日本の平和を祈ってくれる自国の神様を尊敬して、初めて日本の国は安泰といえる。

同調できない人たちもいるとは思うが、ここは私のブログなので、自分の思うところを書かせていただいた。

小戸神社から流れてきている用水路&家で仕事する夫との毎日

2015年07月26日 04時20分55秒 | 家族
上の写真は一昨日ご紹介した小戸(おおべ)神社の前の小川から我が家の裏に流れてきている用水路です。

↓こちらは一昨日もアップした小戸神社前の小川。


ところで、昨夜は夫と大喧嘩してしまった。

私達夫婦は、近所でも仲のいい夫婦で通っているが、昨日は夫の虫の居所が悪かったようで、突然怒り出した。

怒った理由は、最近、私の補聴器の、たぶん繋ぎのパイプの劣化によるものと想うが、ハウリング(音漏れ)である。

着けている私自身は聞こえないので、言われるたびにパイプを挿入しなおして様子見していた。

それが昨日は、うるさくてたまらなかったらしく、私が夫のいうことを全然聞かないと怒り出した。

仕方ないので、夕方買った補聴器店に行ったのだが、あいにく6時を過ぎていたため、閉店した直後だった。営業時間を見ると、朝9時半から6時までとなっている。日曜日はお休みだそう。ということは今日の日曜日はやっていないということになる。

帰宅してそのことを夫にいうと、「さっさと行かないから、こういうことになるんだ」とエライ剣幕で怒り出した。

そのハウリングは私自身には聞こえないので、対応が遅れたのだが、しかし、補聴器から音が漏れるくらいで、こんなに怒らないといけないものだろうかと、私もむっとした。

それが態度に出たのだろう。

夫の怒りは増長して、私の掃除が行き届かないことなどにも怒りの矛先が向けられて、私もつい「そんなにうるさく言われるのなら、離婚します」と言った。

それからが大変で、夫はすぐに出ていけという。

私は頭を冷やそうと、夕方洗濯したものを干しに2階に上がった。

洗濯物を干し終えて食堂に戻ると、夫の怒りも少し収まったような様子だった。

それからも、しばらくお互いに対する不満を言い合ったが、夫も少し落ち着いて、2階に上がった。

一件落着というわけでもないが、とりあえず収まった。

夫が定年退職後、家にいるようになって、私は自由に外出することもできなくなった。

ま、もともと家にいるのが好きなので、そのこと自体はかまわないのだが、夫にうるさく言われるのはかなわない。

もともと私は掃除が苦手である。

それでも、夫が勤めているころは、夫が出勤したら、一通り掃除していた。

が、夫が定年退職してからは、こういうふうにブログに時間を費やすことは前からあったが、それに加えて三度の食事作りと夫との会話に時間がとられて掃除に手が回らない。

夫は綺麗好きで掃除も上手な人なので、定年退職してからは私の行き届かないところを掃除してくれたりするので、お互いに家事の棲み分けができていると思っていた。

が、今回の喧嘩で、そうではなかったことが判明した。

私は、ほとんど外出しないから、楽しみといえば読書、最近はブログということになる。

せめて、そのくらいは許してほしいと思うのだが、夫は、それが不満だったのだろう。

私は、まだ子供達が家にいるころは、自分の全精力を家族にささげつくしていた。体が丈夫でないから、健康な人ほどは完璧にできなかったかもしれないが、私なりに・・・。

夫は子育て中も、休みの日はテニスに行ったり友人に会ったり、割合好きなようにしていた。

私は、それは毎日通勤して働いてくれる夫の権利だと認めていた。私自身は出かけることは全くないという境遇ではあったけれども。

しかし、子育ても終わった現在、私も、楽しみの一つ二つは持ちたい。

その楽しみは、毎日家を空けることでもないしお金をたくさん遣うことでもないから、そのくらいはと思うのだが、現在も働いている夫からみると我慢ならないのだろうか。

結婚以来、我が家のお金は夫が管理していて、私は生活費をもらうだけである。

それが気楽でいいという面もあるが、しかし、お金を自由に使うことはできなかった。夫が自由にお金を使っていることにも、不満を言ったことはない。

私自身の稼ぎがないのだから、仕方ないと諦めて生きてきた。

私も、耳が悪くなければ、体がもっと丈夫であったなら、外で働きたかったと思う。

いや、過去に一度、障碍者手帳をもらった直後、さる大企業の障碍者枠の入社試験を受けて採用され、通勤したこともあった。

しかし私が勤めるようになっても、家事の負担は全部私にかかってくる。で、結局、続けることができなくなったと同時に、第三子の次男を身ごもってしまったので、退職した。

それからは一度も働いていない。経済的に困ったときは実家の母に助けてもらった。

しかし、自分の稼ぎがないことは、こんなにも立場が弱いものだろうか。

今度生まれ変わるときは、健康な体で生れたいと切実に思う。

今日も暑くなりそうなので、午前中に料理をしておきました

2015年07月25日 11時26分52秒 | 料理
               ↑モロッコ豆の胡麻和え

↓夏野菜の煮物


材料は鶏肉、たまねぎ、なす、万願寺とうがらし、トマトです。

鍋に少しサラダ油を敷いてニンニクの微塵切れを入れ、その上に強めの塩、胡椒をした鶏肉を並べます。その上に、たまねぎ、なす、を乗せ、蓋してニンニクがにおってきたら、一度かき混ぜてから、上に万願寺唐辛子、トマトを乗せ、火が通ったら出来上がり。一度かき混ぜる以外は、ほったらかしで出来上がります。

これは、夫が以前、近くの長尾山を毎朝登っているときに、「山の会」に入会して、たまに、その仲間が作っている野菜をいただいてくるのですが、素人さんの作った野菜で、見栄えがイマイチなので、こういうふうに煮物にして消化します。

いろんな野菜の味が交じり合って、おいしいです。

↓これは、鱧の粗を甘辛く煮たものです。


別に粗しか食べられないような貧乏をしているわけではないですが、来る老後のことを考えて、「安くてもおいしい」モットーにしています。

↓ジャガイモと油揚げの定番味噌汁


↓これらは、昨日の残り物の

きゅうりと赤パプリカのピクルスと

道の駅いながわで買ったツルムラサキともやしのナムル



昨夜は、スパゲッティミートソースにしたので、ミートソースの脂っこさを口直しするため作ったピクルスでした。たくさん作って半分冷蔵しました。

ツルムラサキは実は初めて買った食材でしたが、折りよく産経新聞の料理欄に「ツルムラサキともやしの和え物」として料理方法が載っていたので、それを参考に作りました。少し粘り気のある食感がおいしかったです。まだ買ったことのない人にもお奨めします。

ボールに塩、砂糖、しょうゆ、ごま油を入れておいて、湯がいたツルムラサキともやしを和えれば出来上がりです。

小戸(おおべ)神社と小戸(おおべ)郵便局へ

2015年07月24日 13時54分15秒 | 日記
今までも何度かご紹介しているが、郵便局に行く用事があったので、ついでに撮影してきた小戸(おおべ)神社と小戸(おおべ)郵便局。

上の写真は鳥居をくぐったあとの参道。

春は桜並木なのだが、今は青葉並木。

  桜木の参道はるは桜さく参道なつは緑なす道/biko

↓参道から東方向にカメラを向けると池田市の五月山が見える。


ここらあたりは、昔からお屋敷街なので、大きな家が多い。

↓カメラを西方向に向けると、こちらもお屋敷。


  何をなす人かは知らずその長き緑なす塀ながめてをりぬ/biko

↓小戸神社に近づいた。


↓小戸神社の前には小川が流れているが、これは昔の農業用の用水路だったそう。突き当たりに見えるのは五月山。


実は、この小川は、我が家の裏まで流れて来ていて、我が家の北側の窓を開けると、この用水路の枝分かれした水路が見える。都会の割りに綺麗な水が流れている。

 ちはやぶる小戸(おうべ)神社の小川より我が裏庭の裏を流るる/biko

↓カメラを西向きにすると、こういう具合。我が家へは、この道をまっすぐ行けば、たどり着ける。


↓神社の近くのお家の庭に咲いていた花を撮影させていただく。


  咲き初めし木槿の花の群れ咲ける木槿の一樹撮影したり/biko

↓近づいて。


  群れ咲ける木槿の花に近づきて大きく写す一輪の顔/biko

↓郵便局(右手側)に到着したが、カメラを東方向に向けて、五月山を撮影。五月山の手前に写っている鉄塔は、阪神高速道路の橋を支える塔。その支線が楽器のハープに似ているから、地元ではビッグハープと呼ばれている。


川西市の小花インターチェンジから池田市の木部に向かって架かっている。阪神高速空港線は、この木部が終点になる。

  小花(おばな)より木部に架かれる吊り橋のハープのごとき橋の吊り鋼/biko

↓というところで、目的の小戸郵便局を撮影しておく。


暑いので、昼間は出たくないが、郵便局の開いているのは昼間だけなので、仕方ない。

今日は、短歌の雑誌の年間講読の申し込み金と先日の母校の近畿地区同窓会費を払い込んできた。

短歌の雑誌は購読を止めていたのだが、結社誌だけでは限られた世界なので、広く短歌界の動きを知るために、また購読することにしたのだ。

  お屋敷の中にちんまり建つてゐる郵便局ゆお金を送る/biko

道の駅いながわ&万願寺唐辛子の歌

2015年07月23日 14時22分59秒 | 日記
冷蔵庫の野菜が乏しくなってきたから、夫に頼んで「道の駅いながわ」に連れていってもらいました。

自宅からは車で30分くらいかかるのですが、近くのスーパーの半値くらいで買えるのと、超新鮮なので、おいしいのです。

野菜が鮮度で、これだけ味が違うということに目覚めて以来、スーパーの野菜は買えません。といっても間に合わなければ買いますが・・・。

上の写真はトマト。私も夫もトマトは大好物なので、3袋買いました。一袋に4個入って200円。近くのスーパーだったら、1個100円です。

↓しし唐、ラディッシュ、インゲン豆

↑モロッコ豆、オクラ、枝豆

↓つるむらさき、葱、ニラ


↓なす、紫蘇の葉、きゅうり

↑ピーマン、万願寺唐辛子

↓葉物ばかりだと数日しかもたないので、日持ちするかぼちゃも買いました。

夏場は炒め物をすることが多いので、ニンニクも。

このとうもろこしは1個250円で少し高いのですが、生でも食べられるとのことで買ってみました。


以上で、大体3000円くらい。

あと、最近よく利用する業務スーパーで、玉ねぎ、人参、牛蒡など追加の野菜と肉、魚の冷凍、冷蔵取り混ぜて、それに冷凍食品も数点買って、6000円くらい。

これで、近くの高級(?)スーパーには、週に2回くらい行くだけで済みます。

おいしい牛肉とか食べたくなれば、近くの高級スーパー、またはデパートに行きますが、こうしてメリハリをつけて買い物すれば、経済的です。

上の万願寺唐辛子を買うとき、某ブログに万願寺唐辛子の歌を進呈して管理人さんを怒らせてしまったことを思い出しました。

あれ、何であんなに怒られたのでしょうね??

そのブログの記事の傾向に合わせた歌を差し上げただけでしたのに・・・。

図星だったからかな?(笑)

私のコメントを削除されただけでなく、ブログそのものを閲覧不可にされたのは、大人気ないと想うのは私だけでしょうか?

  ○○○○の庭に太れる万願寺唐辛子なり○○○○に肖る/biko

”禁じられた遊び”

2015年07月22日 19時40分19秒 | 思い出
さる方のブログを見せていただくと、”禁じられた遊び”というフレーズが目に入った。

”禁じられた遊び”には思い出がある。

以前書いた「A先生をネットで見つけた」の中に書いたY君がギターの名手だったので、この歌のメロディの魅力に取り付かれた時期があった。

これもその記事に書いてあるが、窪川町(現、四万十町)の興津というところで絵画教室の合宿があったとき、Y君がこの”禁じられた遊び”を演奏してくれた。

私は年下の男の子にはさっぱり興味はなかったが、この曲を演奏をしてくれるY君には、うっとりしてしまった。

合宿は2泊したと思うが、夕食のあとで、リクエストに応じてY君が演奏してくれるのだが、私は、何度も何度も”禁じられた遊び”をお願いした。

この曲はギターのために作られたかと思うくらい、ギターと相性がいいと思った。

これを年上の男性が演奏してくれたのだったら、私は、その曲のせいで、その男性に恋してしまったかもしれない。

  年下のをのこ奏でる禁じられた遊びにこころ捉えられゐき/biko

*映画”禁じられた遊び”も見たが、この曲ほどの魅力は感じなかった。

今日は心臓検診日でしたが、心配事ばかり・・・

2015年07月21日 19時50分54秒 | 日記
今日の午後は、通院日であった。

暑いから夫に車で送ってもらいたいと思ったが、仕事中の夫に頼むのは申し訳ないので、歩いて行った。

暑いけれども、歩いていくと、道中の景色を眺めながらいける。

それに歩いても、高々15分くらいだから、運動にもなって一石二鳥でもある。

上の写真は道中にある川西市役所である。今までご紹介したことがなかったと思うから撮影した。

↓やっと病院に到着。中に入ればクーラーが効いているから、この汗も引くだろう。


検診の結果、相変わらず肝臓の数値が悪いといわれた。

私は、これは薬害が主因であると思っている。

何しろ、心臓関係のお薬だけでも、毎日10種類。それに最近は、高血圧のお薬と中性脂肪を下げるお薬が加わった。全部で13種類ものお薬を毎日服用しているのだ。

肝臓が悪くならないほうがおかしいかもしれない。

一昨年から昨年にかけては、この上に精神薬まで服用していた。

これで、疲れきった肝臓が一気に悪化したことは確かだと思う。

今日は、先生に、せめて血圧の下がっている夏の間は降圧剤をやめたいと申し出たが、先生は現在の正常血圧はお薬のお陰だから、やめることはダメといわれた。

私は薬に殺されるのではないか。

直接殺されることはなくても、薬で体の調子が狂って、間接的に殺されるのではないかと心配する。しかし、心臓関係のお薬は、直接命がかかっているから、やめるわけにはいかない。

今日は、それ以外に難聴のことでも心配の種が増えた。

私は、現在、難聴は4級くらいの障碍レベルだが、先生のいわれることは何とか聞き取っているつもりだが、でも、肝心なところを聞き漏らしている懸念はある。

かといって、仕事をしている夫には、同伴はとても頼めない。

川西市には聴覚障害者をサポートするシステムがあるから、申請すれば利用できるのだが、まだそこまではと思う気持ちがある。

そのことを夫にいうと、最近は夫の言ったことが十分聞こえていないと感じることが多くなったから、次回から病院に筆記用具を持参して先生に書いてもらうようにせよと言う。

ご多忙そうな先生に書いてもらうのは申し訳ないと思うが、夫は仕方ないではないかという。

ああ、なんで私にだけ、こんなに複合的にいろいろ悩み事が湧いてくるのだろう。

昨夜は、このことではなく、他の悩み事でよく眠れなかったので、病院では、眠くて仕方なかった。

と、今日は、暗い話ばかりで申し訳ありませんでした。m(_)m

ひかり・・・紳士、淑女についての考察

2015年07月21日 03時18分33秒 | 気づき
闇の中にいる者にとって、光りは眩しい。

だから、カーテンを引いて光を避けようとする。

彼、彼女は、光りを眩しむと同時に、自分の恥部をカーテンで隠そうとする。

こういうことをしようとする者は、世間的には、紳士であっても、淑女であっても、神様に遠い存在である。

そういう人たちは、能力、境遇に恵まれていても、真の紳士、淑女ではないといえる。

意外に世間的には恵まれていない人たちの中に本当の紳士、淑女がいることが多い。

それは、諺でも「艱難(かんなん)汝を玉にす」というのがあることで分かるように、人は艱難によって磨かれるからだ。

そこのところを勘違いしてはいけないと思う。

華やかな経歴を持っているからといって、必ずしも紳士とは限らない。

お金持ちに生れたから、必ず淑女であるとは限らない。

むしろ逆であることが多いことは肝に銘じておいたほうがいいかもしれない。

見た目に惑わされてはいけないということだ。

  人こばむために昼間もカーテンを引き回すひと卑怯と思ふ/biko

  カーテンを引いて密かに悪口を言ふ声きこゆ聴こえぬ耳に/biko

夜中(ごく早朝?)に目覚めたから、最近気づいたことを書いてみた。

やっぱり梅雨明け

2015年07月20日 20時24分16秒 | 日記
                (↑咲いた朝顔を写したつもりだったが??)

朝一番にゴミを出そうと外に出て、梅雨明けだと感じた。

昨日までとは全然空気が違った。

しかし気象庁の発表は、「梅雨明けをした模様です」という奥歯にものの挟まったような言い方だ。

↓見上げると、真夏の青空だった。


だいたい梅雨明けと夏休みとは同時になることが多くて、小学生の頃はその開放感はたまらなかった。

夏休みは、毎日、高知市の中央を流れている鏡川に遊びに行った。

鏡川は龍馬も泳いだ川だ。

  従妹らと毎日行きし鏡川あそび飽きれば蜆貝とりし/biko

冷房などない時代だったが、水の中にいる限り、暑さは無縁だった。

小学校の4年からは父の転勤に伴って香川県の高松市に住んだ。

公務員だった父には、夏は半ドンという午前中だけの勤務体制があった。

父は、半ドンのときは海に連れていってくれた。

たしか塩屋海水浴場という海水浴場だったと記憶している。

私は、まだ泳げなかったが、浮き袋に乗って海に浮かんでいた。

いま思い出しても、幸せな子供時代だったと思う。

  琴電に乗りて海水浴に行く昭和の小学生だつたわれ/biko