神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

あろうことか、短歌の世界にもあるヒエラルキー

2017年10月31日 15時38分59秒 | 短歌
短歌の世界が濁ってくるのは、この世界にもヒエラルキーがあるからである。

いちおう、このヒエラルキーは選者と呼ばれる先生が存在することから始まる。

それだけならまだしも、いつのまにやら自分勝手に管理者側の物言いをする人が出てきて、それに拍車をかける。

たとえば、私と同年に結社に入会した人がいる。

私はその人の歌をいいと思ったことは一度もないが、しかしどういうわけか評価されて、現在、一番上のクラスにいる。(それがなんだと私は思っているが)

そのためか、その人の発言には、結社を運営しているかのようなニュアンスがある。

誰が彼女を結社の運営者の一人と認めたというのだろう。

誰も認めてはいない。彼女が勝手にそうふるまっているだけだ。

それだけでなく、彼女は以前、私の詠草を勝手に詠草集から外した前歴がある。

彼女が京都の某歌会の司会をしていたころ、私は彼女にメールで詠草を出詠した。

当時私の聴覚障害をカバーしてやろうと申し出てくれる人がいて、思い切ってリアル歌会に参加しようとしたときのことだった。

結局、私は京都まで行ったが、その歌会ではただ座っているだけであった。

彼女は「届いていません」と言うだけで何の配慮もしてくれなかった。

それで、私も、そのときは事故と思ってあきらめた。

が、彼女のことを怪しいと思い出したのは私が結社誌の校正に参加させていただくようになってからだ。

校正のときは、私も持参したりするが、いつも誰かがお菓子などの差し入れをする。

彼女はしばしばそれらを配る役を買って出ていたのであるが、その時、巧妙に私だけに配らないのである。

そのときに、彼女が私を除けようとする意志を感じた。

彼女とはインターネット歌会で、しばしばぶつかった。

というより、彼女が必要以上に私の妨害をした。

一度は、私が評価する歌を彼女がコテンパンに言って、その作者の方は歌会をやめてしまったということもあった。

彼女はその歌を貶めるより私を貶めるのが目的で、その歌を貶めたのであったが、とばっちりを受けた人はたまったものではなかった。

そういういきさつもあって私の詠草も没にしてしまったのであろうが、することが姑息すぎる。

まるで子供のいじめだ。(ぷんぷん)

そのくせ「雑談はやめましょう」「歌会の自浄を心がけましょう」と大上段に構えて発言する。

その昔は、彼女が率先して雑談する人であったことは棚に上げて。

いつから彼女は、そんなに偉くなったのだろう?

自浄、自浄という彼女こそ、もっとも不浄な存在であるというのに。

*


  不浄なる人に限つて自浄とふ言葉を多く発するをかし

  自浄など言へる自分であらざるを自覚してゐぬ人恥づかしき

  いつのまに大上段を振りかざす人になりしか不浄なる人

  そのままに詠へばよろしき物事を持つて回つた詠ひ方して

  生年も入会年も同じなる人の意地悪いと激しくて

  ジェラシーかジェンダー生年おなじなる人の性悪ぶり見てをれば

雑談の効用

2017年10月31日 01時35分43秒 | 私の意見
昨日、今月のインターネット歌会は終わったのであるが、歌会は、だいたい3セクションに分けてディスカッションがなされる。

30首から40首くらいの歌を1セクション10首ほどずつ分けて、1セクション4日間くらいずつかけて進行していくのだが、ときに発言が途絶えてシーンとしてしまうときもある。

現在、歌会では雑談禁止ということになっているのだが、私は、こういうときは少し雑談を入れたほうが活性化すると思うので、今月の歌会で、各セクションごとのディスカッションを終えたあと、そのことを書いてみたが、誰も反応しなかった。

歌会は歌の批評だけしていればいいという大半の人たちの考えによるものだろうが、

また過去、雑談で歌会が乱れたということはあったが、しかし、ただ出された歌の批評だけで進行するというのは、正直おもしろくない。

歌の内容から発展した雑談とか、最近の文学的な話題の雑談が入ることは、歌会の邪魔になる弊害は少なく、むしろ歌会を活性化すると私は思うのだが、短歌をやっている人たちは真面目な人が多いから、そういう柔軟性は乏しいようだ。

今回は、おおまかなディスカッションが終わったころに、ある人が今年ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の映画がWOWOWであることを教えてくれたのだったが、それに便乗して私が雑談したことがまずかったようで、その発言をした人は、歌会の後で雑談のお詫びを言った。

ということは、その雑談に便乗した私の発言を咎めたことにもなる。

私は、なぜこんなことをいちいち謝ったりしないといけないかと思う。

短歌が文芸というのなら、文学の雑談をして悪かろうはずがない。

しかも歌会はもう終わったような段階であったのだから。

それをいちいち咎めだてする人が存在するから、その人も謝ったのだろうが、私は雑談は必要悪という考えを持っているから、その人のお詫びに釈然としなかった。

そのことをまた歌会で発言をしようと思ったが、しかしこんなことで揉めるのは私の本意とするところでないので、しなかった。

真面目なのは悪いことではないが、杓子定規というのは、いいことではない、と私は思う。

以前は、歌会を運営している人たちも、積極的に雑談をしていた。

歌の内容から発展した雑談である。

たとえば一人の選者先生は、地学が得意なので、歌に地学的なことが出てきたら、歌の内容から地学に関係した蘊蓄を傾けてくれたりした。

そういう無駄があったから、歌会には活気があった。

雑談のいっさい入らない最近の歌会は、お行儀はよいかもしれないが、以前の活気が消えたことは確かだ。

私は、広義には、歌そのものが人生の余禄のようなものと考えているから、その余禄の中で何をそれほどしゃちこばらなければならないのかと思うのだが、私の考えは間違っているのだろうか?

 *


  短歌とはもともと人の生業の余禄であれば余談するべし

  生真面目な人ばかりでもあらざるに生真面目さうにせねばならぬも

  余談する喜びのなき歌会に喜びあらず発言も消ゆ

  雑談をただ悪として批判する人の批評はおもしろくなし

  雑談を交えて批評する人の批評は楽し人よろこばせ

  雑談が固き批評を和らげる緩衝剤と知らぬ人馬鹿

  うましかの詠へる歌のつまらなさ雑談いとふ人と重なる

  醸成のあらぬ酒など飲みたくはなし雑談は酒の醸成

  醗酵を助ける麹はいらざる歌会である雑談なきは


*

思い出せば、今年亡くなった大学名誉教授の友人も雑談が大好きで、彼女がこのインターネット歌会に参加していたころは、彼女と私の雑談に怒っている人がたくさんいた。

迷惑にもなったかもしれないが、しかし、陰では喜んでいる人がいたことも事実だった。

歯に衣着せぬ彼女の雑談はシビアで面白かった。

彼女と私が親友になれたのは、このインターネット歌会であったし、その雑談が二人を強く結びつけた。

だから、彼女がこのインターネット歌会を去ってからも、私達は親友であり続けたのだった。

亡くなった彼女のことを

「あの媚びへつらいのない人が京都大学文学部の教授になれたということは、彼女にいかに力があったかということを証明している」

と言った人がいた。

私も、そう思う。


10月歌会に出した歌

2017年10月30日 09時45分47秒 | 短歌
さて皆様、恒例の今月の歌会に出詠した歌のご報告です。

今月の歌会のお題は「大」でした。

以下、昨日歌会に出した私の歌会御礼を転記させていただきますね。



★ご婦人をたたくためではありません殿方手足大きくあれど

実は先月、夫は仕事でトラブったようで、ある朝、突然私に殴りかかってきたのです。
その前日は久しぶりにすき焼きをして上機嫌だった夫の翌朝のその変貌ぶりには驚きました。

私を殴ろうとした理由が「前日の夕食の時間が早すぎたから」という訳の分からないものでした。

それで私が「それなら支度ができていてもあなたが食べなかったらよかっただけのことなのに」と言い返しますと、テーブルの上に置いてあった梨を私に投げつけようとしたのです。

傍にいられなくて私は家出しました。高知の実家、東京の娘のところ、近江八幡の長男のところというふうに転々と・・・。(笑)

高知にいるときに、夫からメールで、「仕事でトラブってしまったが、なんとかなりそうだ」と。

それで夫の急に怒った理由がわかったのでしたが、私は数日間生きた心地がしませんでした。

その事実をそのまま詠わないで、あえて「ご婦人」とか「殿方」と他人事のような表現にしました。

その詠い方がまずかったのか、点も入らなかったし、初回コメントもいただけませんでした。
やはりもっと直詠したほうがよかったかも。

追加コメントくださった皆様、ありがとうございました。うれしかったです。^^

夫は普段は優しいですし、近所の人たちにも「いい人」と評判がいいのですが、どうかすると、こんな人にも変貌するのです。

今回も離婚まで考えました。

が、私も、聴覚障害という弱みがありますので、過去も我慢してきましたが、今回もうやむやに・・・。

せめて歌にして、自分の心の均衡を保っています。(苦笑)

この家出のことはブログにも書きました。9月22日から29日あたり。お読みになりたい方はどうぞ。(笑)

夫は、その後、そんなことはすっかり忘れてケロッとしていますけれども・・・。

  *

・Iさんからいただいたコメント
 近頃あった何かを揶揄しているのでしょうか?
 私の場合は、この歌を読んで幼い頃が思い出されました。母が父に叩かれて厨の暗いところで泣いていました。
私も二回くらい叩かれました。父は力仕事する人だったので手はとても大きな人でした。

一むかし前の男性はこのような人が多かったのではないでしょうか。
女性の地位の低かった時代の切ない歌で、しかも懐かしさがこみ上げてきました。
殿方という古風な言い方がいいなぁと思いました。私の感慨からすると「足」はない方がいいと思いました。

・Kさんからいただいたコメント
Iさんもお書きのようにDVを思わせる歌ですけれど、殿方という言い方をされているのでそこまで読むのは読みすぎかなと思いましたが、殿方と言わざるを得ない状況に置かれておられるのかとちょっと心配になりました。

・Tさんからいただいたコメント
これは社会詠的なお歌に思えました。
DVのことだと思います。

DVは恐ろしいですね。
だいたい気の弱い、外では「いい人」をやってストレスをためているような男性が
妻に向かって、暴言を吐く、暴力を振るう・・・
そして妻もたびたびお前は馬鹿だとか、値打がないなどと言われるうちに
無力感にさいなまれる。

廻りが「逃げなさい」と言っても逃げない。逃げられない。

このお歌はそうした事件なり、身近にいる人のことを
やんわりと穏やかな言葉で詠み、
しずかに諭すようでもあります。

ただ気になったのは「ご婦人」「殿方」がなんとなく
古い感じなこと。
いやむしろ、その古さが、作者が工夫したことかもしれませんが。

ブログが生きがい・・・それは私のことかもしれない

2017年10月29日 10時45分39秒 | ブログについて
今朝「団塊の世代のひとりごと」さんの記事、「あるブロガーの死から2年家族の思い」を読ませてもらうと、管理人さんの「ブログの力というのは本当に大き
いと痛感してる」と結ばれていて、共感した。

本当に、たかがブログ、されどブログなのである。

ブログというものは、真剣に向き合っていると真剣なツールになりうるし、適当に向き合っていれば適当なツールにしかなりえない。

この「あるブロガーの死から2年家族の思い」で取り上げられているブロガーさんにとっては、ブログが生きがいになっていたことは間違いないことだろう。

命の瀬戸際にいるものが自分に向き合うようにブログに向き合っていた時間は「生きがい」そのものの時間であったことは容易に想像がつく。

かくいう私も、現在、病気で命の瀬戸際にいるという状況ではないが、しかし、日常的にコミュニケーション不全の人間にとっては、こうしてブログを書く時間が自分に向き合う貴重な時間であることは同様だ。

過去、家族に反対されたり、家庭争議が起こったりして、何度も存続の危機に陥ったが、それは私が正直に書きすぎることからくる弊害でもあった。

しかし正直に書かないブログなど、私には意味がない。

なぜなら、私は書くことで自分の生存を確かめているところがあるから。

ブログを始める前は短歌がそれであった。

今でも短歌を作ることは趣味だが、しかし、短歌も芸術であるとかいう理由で、その作品の良し悪しを先生と称する人たちに評価されることに反発を覚えるようになった。

先生(通常、選者と呼ばれる)が必ずしも偉いわけではない。

評価といっても、多分にその先生個人の好みであれこれ決めつけられることは多いように思う。

先生だからと言っても、神様でもなければ人のことがすべてわかるわけでもないのに、どうして評価などできよう。

まして、若い人生経験の乏しい人たちを先生と崇めひれ伏すなど、到底できることではない。

しかし、短歌を作る仲間はほしい。

私がいまだに結社に所属しているのは、そういう理由からである。

短歌に比べると、ブログは、本当に自分の書きたいことだけが書ける。

評価など気にしないで書ける。

私は、短歌にしても、ブログにしても、迸り出るものがあるから、それを表出しているだけだ。

読みたい人だけに読んでもらえればよい。

誰も私のことを評価する資格などない。

その意味では、私は天上天下唯我独尊なのである。

これは私に限らず、すべての人に言えることだ。

人は皆、天上天下唯我独尊の存在なのだ。

ブログが生きがいという話からだいぶん逸れてしまったが、私のようにブログを生きがいにしている人は多いと思う。

誰も人の人生の評価をすることができないのと同様に、何人も人に評価される必要はない。

と私は思っている。

                *

  書くことが心底好きで書いてゐるわれの評価は誰もできざり

  うたひたく詠ひゐる吾(あ)の作品を評価するのはあほんだらなり

今夜7時からWOWOWでカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』が放映されるそうです

2017年10月28日 12時41分07秒 | テレビ番組
さきほど私の所属するインターネット歌会の仲間が教えてくれたのですが、タイトルにした通り、今夜7時にカズオ・イシグロ氏の小説『わたしを離さないで』の映画が再放送されるそうです。

我が家は残念ながらWOWOWの契約をしていませんので観られないのですが、カズオ・イシグロのファンの方に知らせてあげたほうがいいかなと記事にさせていただく次第です。

観られました感想を、このブログのコメント欄に寄せていただけると嬉しいです。

そのコメントは、記事にアップさせていただくかもしれませんが・・・。

皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

お正月のお節料理の宣伝が花盛りですが

2017年10月27日 10時26分03秒 | 料理
ネットでも生協のパンフレットでも、お正月のお節料理の宣伝が花盛りですが、最近は、皆さん、あまり家で作られないのでしょうか?

私は、ずっと手作りでしたが、長男に去年、子供の頃はお節料理が苦手だったと言われました。

というのが、あの頃は、お正月も三が日はお店が開かなかったから、三が日、お節料理を食べさせたから、それがトラウマになっているようなのです。

もちろん、夜はすき焼きとかお鍋とかして、変化も付けたつもりでしたが、基本、三が日はお節料理だったわけです。

私くらいの年齢になりますと、お節料理のような伝統的な料理がおいしくなるのですが、子供は、あまりおいしく思わなかったのでしょうね。

で、昨年末も長男に、「もうお節料理は作らなくていいから」と言われ、正月二日に集まったのも長男の家でしたから、長男たちが近江牛ですき焼きをごちそうしてくれたのです。

だけど、毎年のくせで、今年のお正月もお節料理を作ってしまって、長男のところにも持参しました。

近江八幡市の長男のところに行く途中で、今回の名誉教授の友人のところにも寄って、差し入れしてあげました。

友人は、昨年末は、その著書を出版して超多忙だったので、暮れからほとんど何も食べていないと言っていましたから、そうしたのでしたが、私が予想した以上に喜んでくれて、何度もお礼のメールをくれました。

ところが、長男は、「また作った?」とご機嫌がよくありませんでした。

それでも、すき焼きを始める前に、持参したお節料理を広げて一通り食べてもらいました。

だいぶん残ったのでしが、長男は、それを次男夫婦にやったようで、お正月のあと、しばらくして、次男のお嫁さんが入れ物(タッパー)を洗って返しにきました。

そんなに嫌われるのならもう作らないでおこうと思ったりもするのですが、夫はやっぱり作ってほしいと。

6年前亡くなった姑も、毎年わたしの作るお節料理を楽しみにしてくれていました。

が、時代は変わったのですね。

来年のお正月は、また我が家で集まろうと思うのですが、さて。

来年のお正月は、来月、次男のところに孫が生まれるので、その孫と次男のお嫁さんご両親にも我が家に来ていただこうと、ネットで宣伝中のお節料理か生協のお節料理も注文する予定ですが、しかし、私も例年通り、一通り作ろうと思います。

今年亡くなった大学の先生の友人は、「暮れにお歳暮でいただいたお節料理を食べたけれども、今日bikoさんに届けてもらったお節料理のほうがお袋の味がしておいしかった」と言ってくれましたから、ある年齢以上の人には、今でも食べていただけるかと。

手作りだと、注文するお節料理の何分の一かの金額で、たくさんできますしね。

例年、我が家は、我が家の家族5人、義父母、義妹一家4人が食べる量を作らなければならなかったから、子育てのさなかは、とてもお節料理を注文する経済的なゆとりなどありませんでしたから、必要に迫られてそうしてきたのでした。

夫は、作るのはいいけれども、終わったあと、私が疲れた疲れたというのがよくないと言います。

しかし、年末の買い出しから料理、来てくれた人たちの接待で疲れ果てることは確かでした。

黙っていればよかったのかもしれませんが、零さないとやってられませんでしたしね。

あら、愚痴になってしまったかしら?

ごめんあそばせ。m(_)m

               *

  注文のおせちだけなら楽なれど作つてしまふ長年の癖

  薄給の中から正月親戚を招(よ)ばなばならぬころの名残りが

定年退職後のシニアこそゲストハウス利用を&京都と東京

2017年10月26日 14時25分34秒 | 私の意見
24日の記事に、23日に初めて泊まったゲストハウスのことを書いた。

このゲストハウスに泊まることを教えてくれたのは、23日にその四十九日を迎えた友だった。

彼女は、京都大学の名誉教授という栄えある肩書をもっていたが、しかし、国立大学の教授は、国家公務員なので、それほど潤沢に収入があるわけでもなかったようだ。

ことに彼女は、アメリカの大学院を卒業していて、アメリカに友人がいっぱいいたから、渡米も多かった。

勢い、日常は、締めるところは締めないといけなかったのだろう。

今年5月に、私の実家の母に会いに、高知まで来てくれたときも、愛媛県の松山での連歌の会の帰りだったが、松山では、松山にあるゲストハウスに泊まったと言っていた。

彼女は、卒業大学が東京だったから、しばしば上京もしていた。

講演などで上京するときは、主催者側が宿の提供もしてくれていたのだろうが、個人的な用事で上京するときは、やはり、こういうゲストハウスを利用していたのかもしれない。

何しろ、しょっちゅう上京していたから。

私が、「そんなにしょっちゅう上京するのなら、東京で暮らせばいいのに」と言うと、「いや、東京はうるさすぎる」と。

彼女は、京都の静けさを愛していたのだろう。

明治時代に首都が東京に移ってから京都はさびれる一方だが、しかし静けさを手に入れることができた。

物事は、どんなことにも表裏があって、

にぎやかになることはよいことだが、喧噪は避けたい。

現代の日本は東京一極集中で、東京圏は栄えに栄えているが、大切な静けさは失ってしまった。

今回、彼女の四十九日に京都に行って、ゲストハウスの初体験をするとともに、京都と東京の違いに思いを致したことだった。

              *

  東京の大学出でしわが友は遠き京都で命を終えき

  わが友の友は東京在住が多かりしかど京都好みて

  アメリカの大学院を出でしかば同窓会もアメリカに行く

  沖縄に行く日伊丹に向かはずに関空に行きそこで泣きしと

  アメリカに行くこと多くありければ間違へ関空行きのバスに

  関空で涙ながして泣きしとふ人は老いてもお嬢さんなりき

  お嬢さんそのままお婆さんになりあつといふまにあの世に逝きし

  アメリカンフィールドサービス交換の留学生でありし日ありしと

  アメリカのハイスクールに留学をしてゐしころはハイソプラノで

  アメリカのワシントン市の教会でハイソプラノで歌ひゐしとふ

  もう二度と会へぬあなたに会ひたしと二十三日京都に行きき

  思ほへずあなたの部屋に入られて初めてあなたの汚部屋拝見

  汚部屋なのいつも言ひゐし君が部屋生きゐるときは見せてもらへず

  恋人ができても招じ入れること叶わぬ部屋と言ひゐしあなた

  でも今は君の教え子はいり込み君が汚部屋と言ひゐし部屋を

  男なら奥さんもらひ掃除などしてもらへしに君は女で

  仕事もつ女は男より多く仕事してのち認められると

  わたくしの母も仕事をする人であればあなたと同じ汚部屋に

  だうしてか私の母とあなたとは気が合ひ最期まで文通を

  あつけなく逝きしあなたを惜しみつつ生きねばならぬ老い母とわれ

亡くなった友人のマンションを買いたいな

2017年10月25日 09時36分02秒 | 日記
一昨日と昨日と2度亡くなった友人のマンションに行った。

一昨日は運よく彼女の教え子が来ていて、ベランダの片づけとかしていたから、お部屋を見せていただけた。

いや、私が勝手に上がり込んで見たというのが正確なような・・・。^^;

友人の教え子の方は、部屋が散らかっていることを自分の恥のように恥ずかしがって、私に入れとは言わなかった。

が、私は、自分が彼女の最晩年の親友だったと自負しているから、勝手に上がった。(苦笑)

それで一渡り部屋を見せていただいた。

確かに部屋は散らかっていたが、それは彼女が学者だったから、本類が異常に多く、それが整理されていない状態だったからだ。

それと、寝室には衣服も多少散乱していたけれど、まあ、想定内だ。

そんな部屋の中のことより、私は、窓からの景色のすばらしさに打たれた。

北側の寝室の窓からは、京都北山が拝めるし、南側のベランダからは京都の市街地が望める。

京都市は高層ビルの建てられない条例があるので、彼女の6階の部屋からでも十分眺望がよい。

部屋の間取りも悪くない。

なにより大きな納戸のついているのがいい。

蔵書の多い彼女も、この納戸を見込んで、この部屋を買ったのだろう。

なにしろ蔵書の多い人だったから。

南面にあるLDKは日当たりがよくて居心地よさそうだし、その隣の和室も広い押し入れがついて使い心地がよさそうだ。

教え子さんによると、現在、この部屋は裁判所の管理になっているため、第三者は手を付けられないが、裁判所の手続きが完了したら、ご連絡さしあげますと言ってくださった。

そこで、帰り道に思った。

彼女のマンションを手に入れることはできないかと。

私は、昔から京都に住むのが夢だった。

このマンションは観光客の押し寄せるような喧噪はなくて、それでいて交通至便なので住むのに理想的だ。

学生街であるから物価は安いし、安い食べ物屋もたくさんある。

けさ夫にそのことを話すと、そうすればと。

夫も、うるさい私から離れて一人になりたいから、買えばと言う。

う~ん、しかし資金は?

それが問題だ。

           *

  長男の滋賀にも近く東京の娘も便利に来られる京都

  友人の住みゐし住まいに住むことは亡き友人とゐるがごとしか

  ここならば高速バスで高知へも帰られるなりいと簡単に

  大阪の次男も東海道線で来られる京都ここに住みたし

今日は祇園に行ってきました

2017年10月24日 20時28分17秒 | お出かけ
朝百万遍のゲストハウスを出たあと、もう一度友人のマンションに寄ってから、マンション前の停留所からバスに乗って祇園で降りました。

上の写真は、降りたところにあった古物屋さんの骨とう品が珍しかったので撮影しました。

☟こちらもそうです。


同じバスに乗っていた外人さん達もしばらく眺めていました。

彼らの目には、もっと珍しく見えたことでしょう。

☟今度は、こんなかわいい着物姿の一団が通りかかったので、頼んで撮影させていただきました。

私って、お上りさん?(笑)

八坂神社まで来ました。

皆さん、貸し着物でしょうか?楽しそうですね。

八坂神社は何回も来たことありますが、いつも人と一緒なので、丁寧に参拝させていただくことはありませんでした。

今回は、本殿はご遠慮して、摂末社を中心に回らせていただきました。

☟このお社は大神宮社、左、豊受様、右、天照大神だったかな?

四年前の伊勢神宮式年遷宮時の廃材を利用して建造されているとか書かれてあったような。

☟こんなふうに湧き水が湧いていることを今日はじめて知りました。


☟こちらは悪王子社で、出雲の神様、素戔嗚尊だったかな。「悪」というのは強いことを指しているそう。

真正面から写させていただくのは恐れ多いので、斜めから写させていただきました。

☟こちらは美人になる神様。美御前社と美容水。

祇園の芸子さん舞子さんから篤く信仰されている神様のようです。

と、今日参拝させていただいた記憶で書きましたが、まちがっているかもしれません。

まちがっていたら、どなたか訂正してください。

このあと、円山公園のほうに行って、この東屋で持参していたお寿司をいただきました。

暑くも寒くもない気持ちのよい一日でした。

有名な円山公園の桜の木々が少し紅葉していました。


昨日の記事は、実際の日時のままアップしましたので、遡って読んでいただく必要があります。

お手間でなければ、「アメジストネックレス」のブログ名をクリックして、遡って過去記事もお読みください。

泊まった百万遍のゲストハウスはこんなでした

2017年10月24日 09時55分40秒 | お出かけ
さて皆様お待ちかねの?私の泊まった百万遍のゲストハウスのご報告です。

上の写真が私の寝させてもらったベッドです。

☟四人部屋で二段ベッドが二つ置かれてありました。

私以外の3人は若い女性で、グループで泊まられていたようです。

逗留されているのか、私が荷物を片付けたあとも、彼女たちの荷物はそのままでした。

私は難聴なので、彼女たちとは会釈だけで、話することはありませんでした。

☟こちらは共同で使う洗面所です。

このゲストハウスは、できたばかりのようで、すべてピカピカでした。

☟こちらはシャワールームですが、私は使いませんでした。

お風呂がないことが予約の段階で分かっていたので、お風呂に入ってから家を出ましたから。

ほかの人たちは、すぐ近くにある銭湯に行った様子でした。

☟こちらは皆で使う食堂兼リビングです。


☟コーヒー、紅茶、日本茶は飲み放題です。


流しの下の扉を開けると、台所用品も完備されているので、自炊もできます。

共同で使う冷蔵庫、電子レンジもありますから、長期に滞在する人は食費を浮かすことができますね。

オーナーさんは、私くらいの年配の上品な京都美人でした。

お部屋はきれいだったし、オーナーさんは行き届いた方だったので、気持ちよく過ごさせていただきました。

ありがとうございました。

また利用させていただきたいと思いました。

それから、昨日はたまたま定休日だったのでしたが、ほかの日は、一階が食堂になっていて、おいしい夕食、朝食が食べられるようです。

次回は、その食堂も利用させていただきたいと思います。


今日は、この夏、独身のまま亡くなった友人の四十九日なので京都へ

2017年10月23日 16時24分44秒 | お出かけ
大学教授だった友人は家族がいないので、せめて私が読経でもと京都まで来ました。

本当は朝出て夕方帰る予定だったのですが、台風の余波で風がきついので午後にしました。

友人が亡くなったのは夕方5時すぎでしたから、その時刻に近いのほうがベターだったかもしれないから、これはこれで・・・・(^-^)

彼女のマンションに行って管理人さんと話をしましたが、「部屋には入れませんよ」と言われました。

それは承知で来たのでしたが、しかし、彼女の部屋に到着して、試しにドアを開けると開くではありませんか。

それで「ごめんください」と声をかけるのですが、誰も出てきません。

今度は玄関の中に入って、大きな声をかけると、やっと出てきてくれたのが、お通夜、お葬式の連絡をしてきてくれた彼女の教え子さんでした。

彼は、「有給をとって片付けに来ています」と。

聞くと、彼は工学部だったので、教養学部で少し習っただけらしいのに、こんなにしてあげて、それこそ感心な人です。

彼女が亡くなった時も、彼が付き添ってあげていたみたいだったし。

村形さんも、教え子に恵まれていたということですね。

☟この写真は、彼女の部屋の廊下側から撮影したものです。京都北山が綺麗に見えます。


彼の仕事の邪魔になってはいけないので、辞去することにしたのですが、たまには京都に泊まるのもいいかと思い、友人のマンションの近く百万遍のゲストハウスの予約をしてきました。

私はカプセルホテルとかゲストハウスは泊まったことがないので興味津々です。(^-^)

カプセルホテルにしたかったのでしたが、禁煙ルームの空きがなかったので、ゲストハウスに。

若い人や外国の方が多いと聞きますので、私のようなお婆さんが泊まると驚かれるかも。(^-^)

まだ台風一過でもない?水嵩の増した今朝の猪名川

2017年10月23日 07時47分41秒 | 日記
空は明るくなってきましたが、まだ台風一過でもなさそうな今朝の猪名川を撮影してきました。

今朝は、散歩する人も見かけません。

川の近くまで近づいて撮影しました。

朝日が昇ってきました。


五月山のほうに向かって撮影しました。


さらに遡って呉服(くれは)橋のたもとまで来ました。向こうは池田市五月山です。


橋の中ほどのテラス部分に行って伊丹方向に向かって撮影しました。

水嵩の増した猪名川に吸い込まれそうで怖いです。

今日は京都に行く予定ですが、午後にしたほうがいいかもしれません。

まだまだ風が強いですから。

                    *


  台風はまだ留まりているならむ今朝の猪名川風つよかりし  

  けさ京都行くは見合わせ午後にせむ友の四十九日の読経

  

  

昨年は暢気にこんなことを書いている私・・・夫は老春を楽しんでいます?

2017年10月22日 21時15分39秒 | ブログについて
今年の騒動の予期もしていなかった昨年の今日は、暢気にこんなことを書いていたのですね。(苦笑)

私が油断しすぎていたのかしら?

そうそう、夫は2日前の10月20日が誕生日でした。

ふだんなら、ケーキを買ってきて祝ってあげるところですが、私がそんなことをしてあげたくなかったので、焼きリンゴを作ってあげただけでした。

が、昨日21日に、また次男がパソコンを診に来てくれたので、そのお礼もかねて川西市の多田というところにあるフルートカフェ果楽土というお店に4人で行って、フルーツケーキのようなものを食べてきました。

フルーツがメインのケーキなので、とてもおいしかったです。

写真を写せばよかったのでしたが、写すことを失念しておりました。

ということで、夫も73歳になったのでした。


夫は老春を楽しんでいます(^^)
私の夫は、私とは違って、心身ともに健康で、明るい性格です。どちらかといえば陰の気のある私との組み合わせは、陰陽で、案外バランスが取れているのかもしれません。また私は家にいる......

嵐の中を投票に行ってきました

2017年10月22日 20時23分29秒 | 日記
朝行けばよかったのでしたが、午前中は出かけたくないのと、昼食の支度があるので午後行こうと決めておりました。

が、昼食後、昼寝をしてしまって、結局、夕方5時ごろに行きました。

傘をさして行ったのですが、傘ごと飛ばされそうになるし、傘が裏返しになったりするので、傘を閉じていきました。

雨もかなり降っていたので、投票所につく頃にはずぶぬれ。

投票を済ませて帰るときも傘のさせない状態だったから、大雨に濡れて帰りました。

朝投票を済ませた夫に「さっさと行かないから」と言われてしまいましたが、まあ、それでも棄権しなかっただけでも・・・。

もう開票速報が始まりましたね。

日本を染め分ける大事な選挙だったのですが、さて結果はいかに?

             *

  午後五時に投票すまして夕食を終えし八時に開票始まる

  笑つても泣いても結果は出ることの開票速報はじまり始まり

  台風と選挙のニュース日本のテレビ画面を満艦飾に