神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

Fw:若い娘がいっぱい

2013年03月31日 19時13分33秒 | 家族
昨日、夫は、夫の姪の結婚式出席のため日帰りで東京に行っていた。

私は、まだ精神状態が万全ではなく、知らない人達の中に入るのは自信がないので出席しなかった。

夫の姪は日本を代表する某プロバスケットチームのメンバーだった。チーム名を出せば、有名企業のチームだけにご存知の方も多いと思うので割愛させていただくが、夫の送ってきてくれた写メールを転載(どういうわけか写真が横向きになってしまったが)させていただく。

本当は姪の写真も出したいのだが、可愛い顔をした姪は、チームの応援横断幕のチーム名の横にマスコット的に顔写真が出ていて、分かる人にはチーム名もバレバレになってしまうので、こちらも割愛させていただく。悪しからず。

夫のメールには「バスケットの同僚。僕よりでかいので圧倒されてしまう。試合と違ってみな綺麗なので目の保養になった。」と書かれてあった。

姪は、身長171センチだったが、プロの中では小柄であった。私も2回応援に行ったが、たしかに選手の中では小さく見えた。

この姪は、大学在学中はスポーツ特待生で、授業料免除。さらに、ユニバーシアードに選ばれたりして、バスケット界のエリートであった。

以上、ちょっと自慢話になってしまいましたが、姪といっても義理の関係なので、お許しください。

さくらさくら

2013年03月30日 18時04分13秒 | 近所
さくらは一夜のうちに咲き、油断するとすぐに散ってしまう。

昨夕、夫と宝塚市の山手をドライブしたときには、まだ3分咲きにもなっていなかった。

今日は昼前から尼崎の義妹の家に行っていたが、道中は満開のさくらさくらだった。

写真に写そうと思ったが、街中の桜は周囲が雑然としていて絵にならない。

そこで、帰宅してから散歩を兼ねて近所の桜を撮影してきた。

まず近くの小戸神社の参道。

だんだん神社に近づいていきます。

参道の中ほど。



途中右に曲がって個人の家の桜を写させていただく。遠く五月山、阪神高速のビッグハーブが見える。

近づいて写させていただくと、こんな具合。


桜の近くでは椿がまだ咲き残っている。

ずっと歩いてきて、猪名川沿いの桜並木。

川の側から写すと、こんな具合。

五月山は、まだ咲き始めたところ。

帰途、阪神高速小花インター近くの枝垂れ桜を写したけれど、まだ五分咲きくらい。来週末くらいが見ごろかも。

  夕闇の桜花の記憶に重なりてはじめて聴きし君が血のおと
                   河野裕子

マグノリアの花たち

2013年03月29日 14時19分50秒 | 日記
今日の午後は、阪急山本駅前のメンタルクリニックと川西能勢口駅前の補聴器店をはしごした。

駅前に降り立ったとき一瞬、さくらの花が満開かと思ったが、近づいてみると紫木蓮の花であった。



診察予約時間まで時間があったので遠回りすると、写真では判りにくいが、ほかにも紫木蓮、白木蓮の花が咲いていた。



木蓮の花は英語ではマグノリアというらしい。昨年亡くなった義母は洋画好きで、ジュリア・ロバーツのファンであった。今日この花を見て義母が「マグノリアの花たち」という映画を繰り返し見ていたことを思い出した。

お義母さん、天国でも映画見ておられますか?

              *

このメンタルクリニックに行くのは今日で3回目である。薬があっているのか、お陰で最近は鬱の苦しみから遠ざかっている。

補聴器店では現在試聴中の新しい補聴器を点検してもらったが、特に問題はなさそうだ。

「平和の祈り」

2013年03月27日 18時08分47秒 | 読書
今日の産経新聞の曽野綾子氏の「透明な歳月の光」の、聖フランシスコの「平和の祈り」を自分の備忘録として転記させていただく。

「平和を願う祈り

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください

憎しみのあるところには愛を、いさかいのあるところには赦しを、

分裂のあるところには一致を

迷いのあるところには信仰を

誤りのあるところには真理を

絶望のあるところには希望を

悲しみのあるところには喜びを

闇のあるところには光を、もたらすことができますように

主よ、慰められることを求めず、慰めることを求めさせてください

理解されることよりも理解することを

愛されることよりも愛することを求めさせてください

自分を捨てて初めて自分を見いだし、赦してこそ赦され

死ぬことによってのみ、永遠の生命によみがえることを深く悟らせてください」

毎月購読している雑誌

2013年03月26日 20時58分41秒 | 読書
写真は、毎月購読している雑誌です。これ以外に、短歌の新聞とかも購読しています。

最近は、パソコンに時間をとられることもあって、読み遺しがたくさんあります。

左端は所属している短歌の結社誌なのですが、商業誌のように翌月にはなってなく、現在が3月なので、3月号になっています。

「短歌研究」というのは、短歌の商業誌です。

右端の「望星」は、短歌の友人が「フェノロサ夫人の東京日記」という連載を書いていたので購読していたのですが、それが先月で終了したので、あと2,3ヶ月で購読は終了します。

これ以外にも、単発でアマゾンや楽天で本を買うことが多く、本は溜まる一方です。

パソコンをやめれば読書の時間が増えると分かっているけれど、もう生活の中に入り込んでしまっているので、止めることはむずかしいです。

私の場合は、特に、難聴という障害をカバーするためにパソコンはかかせません。

最近は巷でネット依存症とかが問題になっていますが、私の場合も大いにそれに当てはまるのですが、しかし、恩恵はそれ以上に大きいので、止めることはできないのです。

でも、ネットで知り合った方のブログなどから、読書に負けないほどの影響を受けることもありますので、決して悪いばかりではありません。

盲聾の福島智さん

2013年03月25日 20時43分30秒 | 読書
「人が生きるとは、他者と関わることであり、その人と人とのつながりに寄り添う『働き』が、すなわち神なのだと思う」(天理時報3月24日号より)

               *

またパソコンの画面が出なくなっていたので、上記の記事は、昨日ケイタイから投稿したのですが、さっき調べてみると、パソコンがちゃんと電源に繋がっていませんでした。こんな間抜けな原因で画面が出ないときもあるので、これからは自分の頭の点検のほうを先にしなければ!トホホ

最明寺滝

2013年03月24日 17時52分57秒 | 近所
                (↑滝の上り口にある門。「大聖不動尊」と書かれてある。)

夕方、桜の咲いているところを探して夫とドライブした。が、この北摂の地は春が若干遅くて、まだどこも一部咲きであった。

それで方向転換して、宝塚市山本にある最明寺滝に行った。

阪急山本駅から30分くらい歩いただけの場所にあるが、昼も薄暗く深山の雰囲気を湛えている。

夫は毎朝の散歩で川西市飛び地の満願寺やこの最明寺滝あたりまで来るらしいが、私が来たのは昨秋以来だ。

門をくぐると橋が架かっている。

その門をバックに(最近太り気味の)私が「最明寺」と書かれた橋に立っている。

ピンボケだが、夫が滝をバックに立っている。

夕方だったせいか、滝までの道も、滝も、われわれ2人だけだった。

近づいて撮影。あたりは幽玄な空気が漂っている。



滝の奥には洞があって、神様が祭られているので、拍手を打って拝んできた。

映画「アイリス」

2013年03月23日 19時25分10秒 | 映画
録画してあった映画「アイリス」を見た。ジーン・アイリス・マードックは実在した小説家、哲学者で、1919年にアイルランドで生まれ、1999年に亡くなっている。

1956年に6歳年下のジョン・ベイリーと結婚して、アイリスが晩年認知症になって死ぬまで、夫は献身的にアイリスに尽くしたらしい。

この映画は、そのアイリスの晩年の姿を夫の側からの視点で描いた映画である。



映画の中での科白で、アイリスの、「人は生まれる前から知っています、あるべき姿を。正義や節度、美、あらゆる輝かしい美徳です」の言葉が印象に残った。

「その記憶をたどって理想に近づくのです」

晩年の2人の姿に挿入される若い頃の2人の映像が、映画に奥行きを与えていた。

「君も言葉が好きだろう?」

「言葉は思考だわ」

                *

いい映画だった。

補聴器

2013年03月22日 22時30分57秒 | 聴覚障害
今日は、阪急川西能勢口駅前にある補聴器のお店に行った。ここへは、今週の月曜日に初めて訪れて今回が2回目だ。

今まで使っていた補聴器が、高知に墓参に帰ったときに故障(といっても、本格的な故障ではなく、汗が入って故障していただけだったが)したので、この際、新しい補聴器に換えようと訪れたのだった。

写真の右側が現在、試用期間中の、つまりお店で借りている補聴器。左側が、今までの補聴器である。

右側の補聴器はドイツのワイデックス社のもの、左側は国産のリオネット社のものだ。

補聴器の世界も技術の進歩が著しく、近年は小型化され、それでいて性能の優れた製品になっている。値段は性能がよくなっていくのに反比例するかのように安くなってきている。

とはいっても、高い買い物であることに変わりない。

私が最初に補聴器を付けたのは、たしか28歳だったと思う。

このときは、やはり、このワイデックス社の製品であった。まだ耳掛け式補聴器は少なく、箱型の補聴器が主流であった。スピーカーの入った箱型の本体をポケットに入れて、そこからイヤホンを伸ばして聞く形だった。

当時の値段で10万円くらいだったので、今なら30万から40万くらいだろうか。当時まだ薄給だった夫が、一番性能のいいのを買ってくれたことを覚えている。

それで、その箱型補聴器の使用方法であるが、男性は胸にポケットのついた服を着るから、そのスピーカー部分の箱を胸のポケットに入れることができたが、私は入れる場所がなく難儀した。結局、苦肉の策として、ブラジャーの真ん中に晒しで作ったポケットを付け、そこに入れるようにした。バストの谷間に補聴器を入れていたのだ。その頃は、私のバストも、そこそこの高さがあったから、このやり方は、われながら上手いやり方だったと思う。

33歳頃、やっと聴覚障碍者に認定され、初めて補聴器を支給されることになった。係りの人が女性で、見た目のことも考慮してくれて、耳掛け式補聴器を申請してくれた。

補聴器を換えるのは、今回で延べ5回目だ。

今までは右耳のみに装着していたのだが、医師の診断の結果、これまでのやり方では右耳に負担がかかりすぎるということで、今回からは、両耳に装着することになった。

当面は、今まで使っていた補聴器を左耳につけて、新しい補聴器を右耳につける計画だ。

両耳につけると確かに立体感は増すが、馴れないせいか疲れる。すぐに外してしまいたくなるのだ。これは、追々馴らしていくしかないだろう。

それにしても、何の因果か、私は、目には眼鏡、耳には補聴器、心臓には人工弁が着いている。どうだ、ワイルドだろう?

頼光寺

2013年03月20日 15時28分12秒 | 近所
今日は、雨の中、川西市東畦野にある頼光寺に行ってきました。

頼光寺は、源満仲の長男の源頼光のお寺です。

頼光は大江山の鬼退治で有名です。家来には、坂田金(公)時、渡辺綱、臼井貞光、ト部季武の四天王がいました。坂田金時は、童話の「金太郎さん」で有名ですね。金時のお墓は、川西市の飛び地、満願寺にあります。これは、また今度取材してきますね。

境内には紅白の梅が咲いていました。

これは、枝垂桜。蕾が膨らんでいました。

連翹でしょうか?違っていたら、どなたか教えてください。

寺の裏庭に回りました。

黄水仙も咲きそろっています。

寺裏の奥まで行って逆方向から撮影。

この頼光寺は、別名、あじさい寺と呼ばれるほど紫陽花が綺麗らしいから、また梅雨のころにこようねと言いながら、寺を後にしました。

上野公園の桜

2013年03月18日 12時45分53秒 | 日記
歌の友人が上野公園の桜を写メールしてきてくれたので、友人の了解を得て、アップさせていただく。

東京の桜は、例年関西より早い。なぜだろう?

上野といえば、亡父の母校の東京帝国大学が上野にあったので、上京した折に案内してもらったことがある。私が高校に上がる春のことだから、もう半世紀も昔のことだ。

亡父が亡くなってからでも30年以上の年月が経つが、いまでも、その春のことは鮮やかに眼裏に蘇ってくる。

一昨日は、娘婿のお父さんからのメールがあって、というより夫のメールに対して返信くださったのであるが、娘婿のお兄さんのご長男が東大理Ⅰに現役合格されたという。夫が、その返信を転送してくれた。

そこで、私もその返信に対して返返信させていただいて、私のこのブログをお教えしたのだが、鹿児島のお父さん、お母さん、ご覧になられていますか?

お孫さんの東京大学合格、本当におめでとうございました。

             *

桜の咲く春は、合格した人達には文字通り春爛漫の季節だが、運悪く不合格だった人は、来春に向けて英気を養ってください。

微笑み返し

2013年03月15日 08時25分58秒 | 家族
昨日のyumeさんのブログのお題を拝借して書く。

yumeさんは赤ちゃんの微笑み返しについて書かれているが、私は自分の孫の微笑み返しについて書きたいと思う。

私の、5歳の唯一の女孫は脳性まひである。

生後4ヶ月で脳性まひの疑いがあるといわれた時は、長男達は無論、私共も大いに驚いた。お嫁さんは、泣きに泣いたらしい。

そして現在5歳になり、相変わらず赤ちゃんのように手がかかる。というよりも、大変さは以前より増した。なぜなら、成長するにつれ、食べさせる食事の量も増えてきたし、体重も重くなってきたから。

孫は、歩いたり座ったりすることはおろか首も据わらないし手足も自由に動かせない。だから、手助けがなければ何もできない。嚥下障害もあるから食事は全部流動食にして、スプーンで一匙一匙食べさせてやらなければならない。そして喋ることもできない。

現在は、特別に普通の幼稚園に入れていただいて、日中は預かってもらっているから、お嫁さんは昼間少し息抜きができるようになった。

しかし、春休み、夏休み、冬休みの期間は、朝、昼、晩を一人で世話しなければならない。

近ければ私も手伝いにいけるのだが、私も、個人経営とはいっても夫が会社をしているので、それなりに雑用がある。だから、片道一時間半、往復3時間、それに駅までの徒歩を入れると往復4時間をかけて日帰りはなかなかできない。

それに私自身が、それほど丈夫ではない。

長男も、ずいぶん手伝っているが、生計のための会社勤めをしなければならないので、お嫁さんの期待するほどは手伝うことができない。

ふつうに生れることがどれだけ有り難いことか、この孫を与えられて私は初めて知った。

しかし、同時に、障害のある子どもの可愛さ、尊さも知った。

孫は自分からは何もできないのだが、微笑みだけは神様からたっぷりいただいていて私達を和ませてくれる。

世話は確かに大変だが、それに見合うだけの、それ以上の何かを私達に与えてくれるのだ。

☆しゃべることできぬ女孫(めまご)は目が合えば聞こえぬわれに微笑みくれる

黄水仙

2013年03月14日 13時21分16秒 | 短歌
☆黄水仙うつむき咲ける雨後の朝きのうのことは昨日に置きて



2月から来てくれている青年が、12時過ぎに昼食に出て、先ほど帰ってきて紙袋を私に手渡してくれた。

何かと思っていると、「今日は3月14日だから、2月14日のバレンタインデーのお返し」なのだそう。

そういえばバレンタインデーの日のおやつに、デパートでショコラケーキを買ってきて、彼と夫に出した。そんなこと、出した本人も忘れていたのに・・・。

私のような年齢になるとバレンタインデーの義理チョコを上げることはあるが、ホワイトデーに返してもらうことは全くといっていいほどないことなので、小泉さんじゃないけど(古い?^^)感動した!(*^_^*)

(詞書)ホワイトデイ
☆バレンタインお返しとして青年はケーキをくれぬリボンをつけて

「耳が不自由です」

2013年03月13日 19時36分04秒 | 聴覚障害
今日は難聴者サークル「耳の会」の例会だった。

私は専業主婦なのだが、時間があるようでいて夫の三度の食事その他の世話で案外と忙しい。だから、今日も欠席したかったが、「耳の会」を主宰してくれている会長さんは、2歳のお子さんの世話をしながら頑張ってくれているので、参加しないのは申し訳ないと思って参加した。

参加すれば、同じ不自由を囲っている者同士、打ち解けて(筆談ながら)話ができて、それなりに楽しいし、手話の堪能な会長さんが簡単な手話を教えてくれたりもするので自分のためにもなる。

今日はアップした写真のようなものをいただいた。

私は初めての人に会ったとき、まず最初に、「耳が不自由です」と口頭で述べるのだが、私が普通に話すせいか、相手の方も最初こそ大きな声でゆっくり話してくれたりするが、すぐに普通の話し方になって私は聞き取りにくくなってしまう。そういうとき、こういうものを身につけるかバッグにつけておけば、相手の方に再認識していただけていいかもしれない。

われわれ難聴者は、補聴器をつけていても早口で話されると言葉としてインプットすることができないし、小さい声で話されるとお手上げなのだ。

☆補聴器をつけてもすんなり聞こえぬ日聞こえぬことは聞こえぬままに