神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

長男からの写メール

2013年01月31日 09時17分24秒 | 家族
福島県に出張中の長男から、私のケイタイに写メールが入っていた。

個人的な話題だが、うれしかったのでブログに載せることにした。

「今日は仕事が早く片付いたので、八重の桜紀行でやってた日進館に行ってきた。面白かったから機会があれば是非行ってみるといいよ!」

歩くこと

2013年01月30日 09時19分04秒 | 気づき
歩くこと、これは考え事をするのに一番適した行為だと思う。

ただ座って考え事をしていると、凝り固まってしまいがちだが、歩きながら考えると、適度な流れが生れて健全な考え方ができるように思う。

私も最近は、なるべく歩くことを心がけている。

歩いていると、自転車で走っていたときには見えなかった物事がよく見える。景色は勿論だが、思考している物事にも及ぶ。

そんなこんなで、歩いていると、ほんの少しだけ賢くなれるような気もする。(元々が賢さから程遠い人間なので、たかが知れているが・・・)

昔の人は歩くのが当たり前であった。

比較的近世の坂本龍馬の時代でも人は歩いていた。竜馬も、脱藩で山越えをするときなど、己の考えを纏めながら歩いていたのではないかと思う。

世の中が便利になるにつれて、脚力はいうに及ばず、人の思考も退化していっているように思う。

語弊を恐れずにいえば、総じて昔の人のほうが賢かった。現在生きている人の中では、総じて年取っている人ほど賢い。なぜなら、最近の人達より多く歩いているから。

kiwattiさんのブログの冒頭を見て、思い浮かんだことを書いてみた。

今日は、早朝から、家事の合間に、自身のブログにではあるが、三連荘!で書いてしまった。(^^;

人に注意をするということ

2013年01月30日 08時49分03秒 | 気づき
これは自戒をこめて書くのだが、人に注意をするときには自分の正当は述べ立てないほうがいいと思う。

たとえ正しいことを言っていても、言われた相手は傷つく。

おとなしい人は傷ついたまま黙っているかもしれないが、人の感情は消えるということはないから、負の感情は残る。

そもそも人に注意をするという行為そのものが、ある意味、驕りであるかもしれないと思ったりもする。

しかし私などは人間ができていないので、つい自分のことは棚に上げて人の至らないところを注意したりしがちだ。

人格者というのは、注意という上からの目線を用いずに、さりげなく人に間違いを気付かせてしまう力をもった人ではないかと思う。

様々な人のブログを読ませてもらっていると、お手本にさせていただける生き方に出会う場合もあるし、逆に、それを鏡にして自己反省ができる場合もある。

住む人の変わる部屋

2013年01月30日 04時16分53秒 | 気づき
カモミールさんが「不思議な家」というタイトルで書かれていたのですが、私も思い当たることがあるので書いてみます。

現在の家に引越してくる前に住んでいた大阪のマンションは、管理組合がしっかりしていて管理がいいということで、築35年を過ぎているのに、買ったときと比べて、それほど売値が下がっていません。今でも、このマンションを指名して購入される方もいるくらいです。だから、ずっと住み続けている人が多いです。

しかしそれでも最初からず~と住んでいる人がいる反面、2,3年ごとに持ち主の変わる部屋もあります。マンションで、大体同じ間取りで、条件も同じだと思うのに、どうしてだろうとずっと思っていました。

そういう部屋は最初に入居した人の何かが染み付いてしまうのかもと思ったりもします。

気のせいか、転居していくときに、よりよいところに移った人の部屋は運気がいいが、落ちぶれて残念な気持ちを残して出ていった人の部屋は運気が下がるようにも思います。

一戸建ての家については、昔から新築すると人が一人亡くなるという俗信がありますね。

私の現在の家は、阪神大震災で半壊になって建てなおしたのですが、建て直してまもなく、義母が交通事故に遭いました。単車に跳ね飛ばされたのですが、高齢であったにも関わらず奇跡的に助かりました。助かりはしたけれど、これは家を新築したときの謂われの通りになったのかもと当時は思いました。

それでも、義母は、その後、特に後遺症もなく、10年以上生存しましたから、義母の運勢は強かったのだと思います。

これでいいのかも

2013年01月29日 17時07分52秒 | 家族
今日も次男のところに行ってきた。

次男は数日ろくに食べてないので、げっそり痩せていたが、明日から出勤するという。

まだ咳も出ているから、きちんと治したほうがいいと思うのだが、これは母親の、また家庭の主婦の私の言い分なのだろう。

勤め人は、そんな甘いことは言っていられないというのは分からないでもない。最近は、次男の勤務先の大手電機メーカーもリストラがあるらしいし・・・。

ところで今日は自分の通院の後、駅まで歩いて電車で行った。夫に車で連れて行ってもらうのと比べると疲れる。が、幸い大腸がんの予後はいいらしい。今後は年に一回の検診でいいというのでよかった!

せっかく行ったのだから、何か次男の食べたいものを作ってやろうと思ったのだが、食べるものは揃っているからいらないという。

病み上がりで痛々しいが、一昨日よりは目に力があるので、後は何とかなるかもしれないと思いながら帰ってきた。

成人した子どもに親がしてやれることは、もうほとんどない。

そのまま、また電車に乗って帰るのも芸がないので、バスで梅田に出て、新装開店した阪急百貨店でも覗いて帰ろうかと思ったが、疲れていたのと、夫が明日から中国に出張なので、その手伝いもあるので、Uターンして帰ってきた。

梅田に行けば、ちょっと変わった写真がアップできたかもしれないが、そういうわけで今日も写真はありません。

ただ温かく

2013年01月28日 09時48分49秒 | 家族
昨日は、夫のテニスの帰りを待って、昼過ぎ、寿司を買って次男のところに行った。

次男は一昨日よりも弱っていて、持参した寿司も食べたくないという。食べられるのは果物だけというが、生憎くだものは持参していかなかったので、夫が近くのスーパーで苺やバナナを買ってきた。

今日、月曜日は病院に行くというので、昨夜は泊まってやろうと思ったが、また私は自分の薬を持参していないことに気付いた。

何もしてやることはできないが、せめて次男のこりこりに凝った首とか肩を揉んでやった。この肩凝りから風邪になり、気管支炎になったのかもしれないと思ったが、コンピューター相手の仕事柄、肩が凝るのは職業病といわざるをえない。

私は、趣味と実用を兼ねてパソコンを使っているが、それでも、ちょっと油断をすると酷い肩凝りになっている。

次男は四六時中コンピューターに向き合っているわけだから、肩が凝らないはずがない。しかし、自分で選んだ職業だから、誰にも文句の言いようがない。

次男の元気のない様子を見ていると、悩みもあるのではないかと思ったが、どうだろう。

生き馬の目を抜くような業界にいるから、抜きつ抜かれつの熾烈な闘いもあるだろう。

結婚も、まだしそうな気配がないが、彼女ができないのではないかとも思ったりもする。

心配しだすと、きりがない。

そんな次男に対して、老母の私は、ただ温かく見守ることしかできない。

今日も、また行ってやりたいと思うが、明日は自分の通院日なので、後でメールで様子を聞くことにする。昨日は、帰る前に、今日の診察用に新しい薄手の長袖シャツとズボン下を2枚ずつ買っておいてきてやった。

いくつになっても、子どもの事は心配だ。ことに未婚の、一人暮らしの子どものことは。

子離れしがたし

2013年01月27日 04時15分54秒 | 家族
今日も、次男のところに行ってやる予定である。

次男が私の手元から離れて丁度10年になる。それが、すなわち私の子育て終焉後の年月でもある。

次男は、大学2年から大学のある和歌山で一人暮らしをするようになった。

大学1年のころは、片道2時間近くかけて自宅から通学していた。

その頃、夫は東京に単身赴任中で、私と次男の二人暮らしだったのだが、私は心臓の手術を受ける前の非常に体調の悪い時期だったので、あまり次男の世話をしてやれなかった。

そんな状態のころ、次男は家を出て一人暮らしを始めたので、仕方なかったこととはいえ、私は次男に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

次男は私の3人の子どもの末っ子である。上の2人は年子だったのだが、この次男は第二子の長男から9歳離れて生れた子どもである。、

手のかかる子育てが終わりかけた頃に生れた子だったので、生んだ後しばらくは、可愛いというよりも、しんどいという気持ちが勝っていた。次男には申し訳ことではあったけれど・・・。

そのためか、次男は末っ子であるにも関わらず、甘えるということが余りない。

長女、長男は、よく話しをしてくれる子供達であった。学校であったことなどをわれ先に話してくれていた。が、次男は、無口であった。元々そういう性格であったのかもしれないが・・・。

それが、親としては、よけい切ない。

今回も、肺炎かもしれない状態になっていたにも関わらず、たまたま夫が別件で電話して、会社を休んでいることが判明したのだ。

遠慮していたのではないかと思う。そんなところのある子なのである。

そう思うと可哀相でならない。

夫に言わせれば、私は未だに子離れができていないらしい。

夫は、子どもというものは親が思うほどは親のことは頭にないものだという。

そうだろうか?

次男は、10年前、私が心臓手術を受けるときには、前期試験中であったにも関わらず。和歌山から馳せ参じてくれたし、5年前、大腸癌の手術を受けたときも、このときは大学院生になっていたけれども、毎週和歌山から見舞いに来てくれていた。来ても、黙って枕辺に座っているだけだったけれども・・・。

無口だけれども、親思いの子だと思う。

それだけに、十分なことをしてやれなかったという思いが私の心を苛むのである。

次男のところへ

2013年01月26日 07時21分44秒 | 家族
                   (川西池田駅ホームから駅前を撮影しました)

次男が熱を出して会社を休んでいるというので、昨日は朝から大阪に行っていた。

行って見ると、医師の診断書がおいてあって、気管支炎か肺炎にかかっているそう。

次男は、IT関係の仕事をしているが、いつもずいぶん忙しそうだし、一人暮らしなので、食生活が偏っているのではないかと思う。

昨日は年末にお歳暮でもらった冷凍の鰹のたたきと一昨日買ってあった豚肉と牡蠣と白菜など鍋物用の野菜を持参して、お昼はお鍋をした。昼食後は駅前の和牛専門店に行き、和牛とすき焼き用の野菜も買ってきて、夫も仕事先から呼んで、夕食はすき焼きをした。次男は、昨日一日でかなりの栄養は摂れたと思う。

次男は現在伊丹市に勤務している。川西市の隣市だ。川西市から通勤すればいいと思うのだが、一人で暮らしたいという。もっとも、東京などに転勤した場合には、行ってやりたくても簡単には行ってやることもできないのだから、一人で暮らす覚悟は必要だ。


           (川西池田駅のホーム)

現在、次男の住んでいるところは以前われわれの住んでいたマンションである。このマンションは川西に引越してくるときに売るつもりだったが、子供達がおいておいてほしいというので売らないで、次男からは家賃をもらっている。親子でも、こういうことはきちんとしたほうがいいと思うから。

ここへは、川西からJR1本で、30分くらいで来れる。

今まで最寄のJR川西池田駅を紹介したことがなかったと思うので、電車を待つ間に撮影してみた。阪急電車の駅が垢抜けているのと比べて、こちらはローカルな感じだ。

しかし東海道線行きと東西線行きがほぼ交互に入ってくるので、大阪駅にも北新地駅にも乗り換えなしでいけるし、阪急電車よりも速い。

このマンションは、東西線の御幣島駅で降りて徒歩8分くらいのところにある。



マンションの廊下側からは、遠く梅田のビル群が見える。



ベランダ側からは、近年マンションがたくさん出来て見えにくくはなったが、遥か遠くに六甲山が見える。

日当たりもいいし、眺めもいいし、便利だったが、ただ3LDKだったので親子5人が暮らすには狭すぎた。子供達が小さい間はまだよかったが、大きくなって、どうしようもなくなっていた、しかし折からのバブルで暴騰した一戸建ての新しい家を買うことは、われわれ普通のサラリーマン所帯には無理だった。

その当時は、郊外に一戸建ての家を買ってマンションから引越ししていく人達が羨ましかった。

しかし、そんなことを言っている間に、長女、長男はさっさと結婚してここを出ていった。引き続き、次男も遊学のため家を出たので、私は、たちまち”空の巣症候群”に陥ってしまった。

夫婦2人で暮らすには3LDKでも十分だった。現在の川西の家は阪神大震災後に建てた家で6DKだが、2人には広すぎる。建て替える段階では、われわれ家族5人に義母もいたけれど・・・。

たまにこの旧居に来ると懐かしくて涙が出そうになる。3人の子供達はここで大きくなったので知り合いもたくさんいる。

かといって、また戻ってこようとは思わない。帰ったきたところで、子供達との生活が戻ってくるわけではないから。

しもやけ

2013年01月24日 16時14分23秒 | わたしのこと
kiwattiさんが、そのブログで皸について書かれていたのを読んで、私は若い頃の霜焼けを思い出した。

私は、中、高校の頃は酷い霜焼けに悩まされた。丁度ピークが今頃1月から2月頃だった。両手の指は赤く腫れあがり、曲げられないほどであった。

高校3年の受験期にも、この酷い霜焼けに苦しめられた。何しろ、ノートが血だらけになるほど罅割れていたから。保健の先生が気の毒がってくれるほどだった。

母もそれなりに対処してくれたと思うが、南国土佐とはいえ、当時の冬は現在よりもずっと寒かった。それなのに、ストーブは、居間にひとつ石油ストーブがあるだけだった。ひょっとすると、我が家が特に貧しかったのだろうか?(^^;

受験勉強は、自室で、火鉢に手をかざして温めながらした記憶がある。

他の級友で私ほどの霜焼けになっている人はいなかったので、私の体質もあったろうか。

そういえば、高校時代は貧血で、一日置きに病院に通って造血の注射を打ってもらっていた。増血剤も飲んでいた。この貧血としもやけは、関係があったのだろうか?

結婚して子育ての最中は主婦湿疹が酷く、冬になると皸になっていた。

が、現在は、そういうことは全くない。うぬぼれかもしれないが、現在は、私の肌は、手に限らず年齢より若いと思う。心臓が悪いので、むくむことはあるが、ひび割れるとかいうことは全くなくなった。

なぜだろう?

部屋の暖房のせいか、栄養状態がよくなったのか、それとも、心臓の手術をして血のめぐりがよくなったせいか?

なら、kiwattiさんの皸の原因は何だろう?

老化というのなら、私も、そうなるはずだが・・・。

え、kiwattiさんは女性ホルモンが足りないから?

う~ん、それならありえるかも!(^^)

「グランドホテル」

2013年01月24日 09時53分15秒 | 映画
録画してあった映画「グランドホテル」を見た。往年のホテルのハイソサエティの様子のうかがわれる映画だった。


             グレタ・ガルボ

それにしても、昔の女優さんたちの、何とエレガントなことか。ただ美しいだけではない。

グレタ・ガルボしかり、ジョーン・クロフォードしかり。2人とも1905年の生まれなので、私の母方の祖母と同い年だ。

この映画は、私の母方の祖母が母を始め3人の子育て真っ最中の頃に作られている。母は7歳だった。


             ジョーン・クロフォード

若かった祖母や幼かった母は、その頃どんなだっただろうと思いながら鑑賞した。

芥川賞

2013年01月23日 05時07分30秒 | 
第148回芥川賞は75歳の黒田夏子さんに決定というニュースを見て、本当に嬉しかった。

まだ読ませてもらっていないが、今度図書館に行ったときに読ませてもらうことにしよう。

最近は、この芥川賞に限らず、私のやっている短歌の世界でも、若手の活躍ばかりが目立って、少し寂しい思いがしていたので、75歳で受賞された黒田夏子さんの快挙には心からの拍手を送りたいと思う。

芥川賞ではないが、一昨日長男の家に行った折、この芥川賞が掲載されている『文芸春秋』と同じ出版社から出ている『オール読み物』という雑誌の新人賞を、長男が以前勤務していた住宅メーカーの同僚が受賞したという記事を見せてもらった。

長男と同期入社で同じ設計部門に所属していて、ときどきお名前も耳にしていた人なので、とても身近に感じる。

こちらも、まだ読ませてもらってはいないが、黒田さん受賞に負けず劣らず嬉しく思った。

私も、ときどき短歌の賞に応募しているのだが、なかなか上位には食い込めないので、投げ出したくなるときもあるが、お2人を見習って、コツコツ続けていこうと思い直した。

因果応報

2013年01月22日 03時59分56秒 | 気づき
仏教に因果応報という考え方がある。

よく訪問させていただくyumeさんのブログを拝見していると、この因果応報のよいパターンを見せていただけるように思う。すなわち善因善果だ。

yumeさんは思いも行いも優れているから、この人生の刈り取り期に充実した結果を見せていただけるのだろう。ご主人の叙勲も、その結果の表れの一つなのだろうと思う。

と同時に、そこまでに至った、ご両親様、ご先祖様の功徳もあったろうと思う。

何はともあれ、このたびのご主人様の叙勲、ならびにその祝賀会のご成功、陰ながら、心よりお祝い申し上げます。

長男の家

2013年01月20日 15時42分04秒 | 家族
夫の中国向けの仕事が一段落したので、今日は、近江八幡市の長男の家に行きました。



広い玄関。長男夫婦は、2人とも建築士の資格を持っているので、家の細部まで工夫がなされています。



リビングから食堂、キッチンを写しました。夫が孫娘に昼食を食べさせています。

実は、この孫娘は脳性麻痺で、流動食しか食べられないのです。この家を建てたのは、孫の世話がしやすいようにという目的があったためです。玄関が広いのも、そのためです。

脳性麻痺になった原因は、未だにわかりません。お嫁さんは、妊娠6ヶ月目に早産しそうになって、その後3ヶ月間、ずっと入院したまま点滴を受けながらの出産でした。。

結婚後6年目の待ちに待った初内孫でした。

私達は嬉しくて嬉しくてたまらず、毎週この初女孫を見に行っていました。

ところが、4ヶ月検診で脳性麻痺の疑いがあるということになり、長男夫婦は勿論、私達も動転しました。しかし、育ててみると、大変は大変ですが、ふつうの子ども以上に可愛いと思えます。不憫なだけに余計可愛く思えるところもあるのかもしれませんが・・・。

孫は、この4月に6歳になります。歩くことはおろか、ハイハイも、座ることすらできないのですが、笑うと、とってもチャーミングなのです。

また今度、この孫のポートレートをアップしますね。



キッチンから、食堂、リビングを写しました。奥の、木の襖の向こうには、泊り込みでヘルパーさんにきていただけるような、この孫娘の広い部屋があります。

『土佐堀川』

2013年01月19日 08時12分05秒 | 読書
夫の留守中に何冊か本を読んだ。

短歌関係が多いが、短歌以外では、先日も書いたが、大阪の女性実業家、広岡浅子の生涯を描いた『土佐堀川』がある。

目次を写したのを見ていただければ、大体の内容はお分かりいただけると思うが、私のような力のない人間から見ると、驚異的な生き方だ。




立派だと思うし、羨ましいとも思うが、しかし、人の人生、または人の器量は、努力だけではどうしようもないところもあると思うので、私は、自分の生き方を変えようとは特に思わなかった。

が、刺激になることは確かなので、一読をお奨めする一冊ではある。

神戸

2013年01月18日 17時02分48秒 | 思い出
                     (神戸市役所前)

今日のお昼は、夫と神戸で待ち合わせをした。神戸は、私の住む川西市の県都になるのだが、めったに行くことはない。

夫は、1週間ほど徳島に出張していたので、高速道路を下りた三宮の神戸市役所の前で待ち合わせて、一緒に昼食をとることにした。

神戸は海に面しているので、川西市などと比べると明るい。しかし、今日は小雪も舞う寒い日だった。



そんな冬の最中でも、メイン道路のフラワーロードには花を絶やさず植えてあるのは、さすがだと思った。

今から35年以上前、上の2人の子がまだ1歳と2歳だったころ、神戸市須磨区で住んでいた。近くに須磨浦公園があり、環境は抜群だったが、当時は、2人のオムツの当たった子どもの世話で、ほとんどどこにも出かけられなかった。それでも、たまの休日には、三宮のデパートなどに来たりすることもあった。震災後、ずいぶん変わってしまったけれど、神戸は懐かしい街だ。