神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

「障碍者はいなくなるべき」という人達へ

2016年07月31日 12時43分52秒 | わたしのこと
現在、ネットでは先日の植垣容疑者の言い分に賛同して、「障碍者はいなくなるべき」という意見が活発と聞く。

なぜ?

障碍者は役に立たないから?

障碍者には人手がいるから?

それじゃお聞きしますが、あなた方は、どれだけ社会の役に立っていますか?

常識的に考えても、そういうことを言う人たちに世の中の役に立っている人がいるとは思えないのですが、もし役に立っているとしても、それは誰のお陰ですか?

今まで育ててくれたご両親、社会の皆さんのお陰ですね。

そのお陰で、それも、たまたま障害がないため、社会の役に立てているわけです。

でも、いついかなるきっかけで障碍者になるかわかりません。

あす交通事故に遭って寝たきりの人になるかもしれません。

誰にも明日のことはわかりません。

そうなったとき、同じことが言えますか?

また、そうなったとき、自分も含めて障碍者は社会にいらないと言い切れるでしょうか?

私も含めた障害者も、現在障害のないあなた方も、同じように神様から命をいただいています。

現在、障害のないあなた方だけが、神様から祝福されているわけではありません。

障害のないあなた方も神様のお計らいがなければ、食べるものをいただくことはおろか、空気を吸うことともできません。

神様は障害のない人たちだけに空気を吸わしてやろうとはお考えになられていません。

生きとし生けるもの、みな大切な神の子供であるから、私達は生かしていただいていることを忘れないようにしましょう。

本当に賢い人たちは、どういうわけか、こういうことは誰に言われなくても生来感得しています。

改めて言われなければならない人たちというのは、それだけの知恵のない、すなわち神様からのメッセージを感得する能力に乏しい人たちといえるかもしれません。

その意味では、あなた方は気の毒な人たちかもしれません。

あなた方も今日からは知恵のある人たちに生まれ変わってください。

あなた方が知恵ある神の子に生まれ変わることを陰ながらお祈りさせていただきたく。かしこ

黒髪にすると夫が喜ぶ?

2016年07月31日 08時35分07秒 | わたしのこと
この間から髪をどうするか悩んでいた。

私自身はもう染髪は止めて自然のままにしたいのだが、真っ白になるまでの猶予期間に困る。

なぜなら、夫が、まだらになっている髪を極端に嫌がるから。

というより、夫は、いつまでも毛染めをしていてほしいようなのだ。

それで、思い切って家で染めてみることにした。

が、毛染め剤の色を少し濃い目にしすぎたようで、毛染めした髪は黒髪のようになってしまった。

私は「しまった!」と思ったのであるが、夫は妙にご機嫌だ。

顔は若くないから違和感があるが、一瞬目の錯覚で若く見えてしまう?(笑)

私の母などは、髪の毛も薄くなってしまっているから鬘(かつら)を作っている。

何かのときに、それをかぶるのだが、年齢より若くみえることは確かだ。

が、口さがない兄嫁は、「お母さんはいいつもりかもしれませんが、おかしいです」と正直に言うらしい。(笑)

夫は、結婚した当初は髪の毛の量は普通だったから、年齢よりかなり若く見られていたけれども、現在は、年齢相応か上に見られるようになった、

人は、髪の毛の量、プラス白か黒で、これほども印象が変わる。

  顔かたちよりも大事な髪かたち老けゆく人らの老けざま眺む  biko

「健全なる身体に健全なる精神が宿る」ことは少なくて、むしろ逆

2016年07月30日 07時00分01秒 | 私の意見
昨日、キャサリンさんというハンドルネールの方にコメントをいただいたが、そのコメント返しをしながら思った。

「健全なる身体に健全なる精神が宿る」ことは難しいと。

人が、この世に生を受けるのは、この世で修行するためと聞いたことがある。

それが正しいのなら、この世での苦労は全て人の成長のためにあるということになる。

だから、さまざまな苦難は降りかかってくるのである。

私がさまざまな病気をさせていただいているのも、たぶんその一環なのだろう。

その意味では、私は神様に祝福されていることになる。

私の孫も、ああいう身体で生まれきたことは神様からの恩寵なのである。

そういう子供を授けられて世話をしている長男夫婦も、神様のお計らいなのだろう。

すべて恵まれている人達は、一見幸せに見えるかもしれないが、実は、こういう機会に恵まれないかわいそうな人たちなのである。

とまで書くと、また別の意味で偏見になってしまうが、

しかし、私は大病をいくつか与えられて、いろいろ悟ることもできたと思っている。

まだまだ悟りの途中ではあるが、しかし、こういうふうに大病を体験しなければ、もっともっと至らぬ人間であったことは確かなことである。

きのうコメントくださったキャサリンさんも、子宮全摘出という大きな体験をされたわけだが、それにも必ず神様の思し召しがあってのことだったと思う。

ここまで書くと、どこかの宗教のようでもあるが、しかし、こんなふうに思えるようになれたのも、私は、大病させていただいたお陰だと思っている。

こういう心境になれれば、あまり怖いものはない。

むしろ、健康に恵まれ、お金に恵まれ、している人達のほうが、いつそれを失うかという恐れの心を持つことが多いかもしれない、とまで思うのだ。

  大病は宝と思ふ大病で教へられたること多ければ  biko

食欲がない・・・鬱病?

2016年07月29日 12時43分25秒 | わたしのこと
冬の間、食べてはいけないと思いながら食べた反動で、この頃の私はふっくらさんだ。

が、最近は、暑さのせいか、あまり食べたくない。

春から生協に入って、ばんばん注文しまくったから、冷凍庫の中には既製品、半既製品の食べ物がいっぱいだ。

が、食欲の衰えのため、あまり減らない。

昨日は、夫が珍しく回るおすしを食べに行こうと誘ってきたので、行ったが、私が食べたのは3皿のみ。

大好きなおすしなのに、あまり食べたくなかった。

が、食べないと、元気も出ない。

膝が痛いので、毎日来るように言われている接骨院も、最近は、勝手に一日おきにしている。

何か億劫でたまらない。

ブログだけは熱心に更新しているけれども・・・。

これって、鬱なのかな?

私は、今まで3回大痩せしたことがある。

1回目は、心臓弁膜症で死に掛けたとき。55歳だった。

2回目は、大腸がんで腸閉塞を起こしたとき。59歳だった。

3回目は、鬱病になり、そのとき処方されたお薬の離脱症状で劇痩せした。63歳だった。

私は、難聴のせいもあって、鬱病になりやすい。

何かあったとき、気分転換ができにくいから。

頭の中の忘れられない出来事が繰り返しフラッシュバックする。

人に話せば気が紛れるようなことでも、あまり人と話すことのない私は思いつめてしまう。

しかし精神薬でひどい目に遭ってからは、まだ鬱病のほうがましと気づいた。

現在、少し鬱気味かもしれないが、あの精神薬の離脱症状の苦しみを思い出して、やり過ごすようにしよう。

誰にでも憂鬱な気分に取り付かれてしまうときもあるよね。

  鬱なれば動かず静かにやり過ごすそれが一番いいお薬に  biko

障碍者の命

2016年07月28日 16時32分35秒 | 家族
昨日も書いたが、私の孫は脳性まひで生まれて今年4月に満8歳になったが、今も首は据わらないし、自力で座ることもできない。

食べ物も、全部流動食にして、一さじ、一さじ、口に運んでやらなければならない。

かろうじて声を出すことはできるが、しゃべることはできない。

しかし、人の言うことは、かなり理解できている。

だから、喜怒哀楽の表情は豊かだ。

この色白の、白雪姫のような孫娘の微笑みは百万ドルの微笑みだ。

長男夫婦の結婚後6年目にやっと授かった宝物である。

普通の子を育てる何倍もの手間のかかる子であるが、しかし長男夫婦はそれをこなしている。

可愛いから、苦にも思わず、そうしているのだ。

今日のgooニュースに「いまどん底です」という記事があった。

このご両親の気持ちも、私の長男夫婦の気持ちと同じであったろうと思う。

犯人は障碍者を選別して障害の程度の重い人から殺していったというが、障害の程度が重いからといって、その人に生きる価値がないというわけではない。

家族にとっては、かけがえのない命だ。

この世の中に命の重さを量る秤など存在しない。

私も、聴覚障害があるから、しばしば心ない人たちに軽く扱われることがある。

しかし、私は軽くない。

その心ない人たちより、よっぽど重い心を持っている、と自負している。

  人命の軽重はかることなどはできぬこの世で人殺す人  biko

ポケモンGOって面白いんだろうな、私にはわからないけれど・・・

2016年07月28日 13時06分05秒 | 私の意見
私は、わかろうとも遊ぼうともしないけれども、大の大人があれだけ夢中になるんだから、それ相当の面白さがあるんでしょうね。

いろいろ問題にもなっているようですが、でも、私が、こうしてブログを書いたりすることも、夫などは「何してるんや」と思っているふしがあるから、同じですね。

やってみないと、その面白さはわからないですね。

だから、人がやっていることをとやかくは言いたくありません。

ところで、ブログって何が面白いんですかね。(笑)

書くこと?読ませてもらうこと?

いずれもですね。

写真を見せてもらうのも、面白いし、私みたいに文章のブログも面白いですね。(私のは例外ですが)

だから、夫とテレビを観ていても、つまらなかったら、パソコンを開いてしまうんですよ。

夫には、それが面白くないようで、昨年夏は喧嘩になって、勢いで離婚がどうのこうのというところまでいきました。(笑)

夫は、自分がブログをしないから、ブログの面白さがわからないのです。

それと、夫は、細々ですが、まだ自営で仕事もしています。だから私がブログにはまるのが我慢ならなかったのでしょうね。

その代わり、夫は、よく出かけます。

現在は夏休みになりましたが、シニアカレッジとか、テニスとかも行っています。

同窓会も、小学校の、中学校の、高校の、大学のと、ほとんど全部出ます。

私は、難聴のせいもあって、ほとんど出ませんが、しかし、難聴でなくても、夫ほど出席することはしないと思います。

まあ同級生と会えば懐かしくはあるけれども、卒業後、50年近く経てば、その暮らし、生活環境によって、考え方もずいぶん変わってきていますからね。

それが面白いという人は、どんどん出席されたらいいと思いますが。

私は、それより今現在、気の会う人とメールのやり取りをするほうが、ずっと楽しいです。

楽しみは人それぞれですから、人の楽しみに口を挟むことだけは慎みたいと思います。

  ポケモンも大のおとなが面白いものならかなり面白いもの  biko

  時間とるブログも書かぬ人ならば何がそんなに面白いとぞ  biko

介護職の低賃金

2016年07月27日 17時42分21秒 | 私の意見
昨日、今日と自分の膝の不調、超高齢になった母のことを書いたが、それに関連して、また勃発してしまった介護職の青年の事件に心を痛めている。

2月には、川崎市の老人ホームで、23歳の青年による、お年寄りを窓から突き落とすという事件があったばかりである。

今回は、26歳の青年による重度障碍者の殺人である。

どちらの事件でも、殺されたのは抵抗できない弱い立場の人たちである。

そんな人たちを殺すことが普通の人たちを殺す以上に残酷なことであることは論を待たない。

神様もお許しになろうはずがない。

しかし、彼らにも、彼らなりの事情はあったようだ。

すなわち、キツイ、汚い、危険という、いわゆる3Kだ。

危険というのはないかもしれないが、その代わり低賃金という悪条件が加わった。

昔炭鉱の仕事はキツイ、危険な仕事であったらしいが、あちらは、せめて、高賃金であったようだ。

ところで、私には重い脳性まひの孫がいる。

障害のある子ではあるが、親である私の長男夫婦は目に入れても痛くないほどの愛を注いで育てている。

私たち夫婦にも可愛い孫であり、実家の母には可愛いひ孫の一人である。

この孫も、多くの介護職の方々の働きに助けられて生きている。

今まで私がお目にかかった数少ない介護職の方々は、皆心優しい人たちばかりだったが、あの人たちも、あまりにも劣悪な条件で働かされ続けたら、だんだん精神に異常をきたして、今回のような事件を起こしてしまうだろうか。

孫をお預けしている以上、そんなことはないと信じたい。

私が尊敬する歌人は進行性筋ジストロフィーで寝たきりの方である。

人の心を打つ秀歌を詠まれるから、私は尊敬しているのであるが、彼女は、障碍者の悪口を言う介護職の人もいることも歌にしている。

そりゃ人間だから、いろんな人がいるだろう。

しかし、介護という職業を選んだからには、清らかな心で、その仕事に携わってほしいと思うのは、画餅に過ぎないだろうか。

私自身も聴覚に障害があって、何かのときには人様に助けてもらわないと切り抜けられない。

現在何も障害のない人も、年をとるにしたがって、いつどのような障害を持つようになるかわからない。

私たちは、そういう想像力を持ちながら生きていきたいと思うが、しかし、今回の事件は、そういう問題からは、また別のところにその原因があった、らしい。

いったいどうすればいいのか。

政治家や一部のエリートたちのみがいい思いをする社会構造を変えていくことが先決なのだろうが、われわれ庶民は、とりあえず、どうすればいいのだろうか。

それが解決しないと、年寄りは早く死ね、障害者も早く死ねという危険な考えを持つ者も出てくるだろう。

2月の事件の青年も、今回の事件の青年も、われわれ日本人全員に問題を突きつけているように思えてならない。

  年寄りは早く亡くなれ障碍者早く亡くなれが一番怖い  biko

90歳を過ぎた母が還暦祝いをしてもらわなかったと

2016年07月27日 11時05分32秒 | 家族
一昨日、一泊旅行から帰宅すると、実家の母から手紙が届いていた。

それによると、先日、兄嫁の還暦祝いを高知市内の料亭で執り行ったとか。

といっても、家族だけで、母、兄嫁、亡兄の次男と三男、次男の奥さんと赤ちゃんの6人だけである。

その折の写真も同封してくれていたが、手紙には「私のときは、還暦も、古希も、喜寿も、米寿も、卆寿も祝ってもらわなかった」と。

母が言うのには、兄嫁は亡兄の次男の奥さんからデパートの包みをもらって、兄嫁が開けてみるとネックレスが入っていたとか。

私は、そんなことをしてもらったことがないと延々と書いていたが、この長生きの時代、還暦のお祝いなどするほうが珍しいのでは?

現代は、親が還暦のころは、子供は子育ての真っ最中で、親を祝う余裕などないのが普通では?

我が家も、夫も、私も、お祝いなどしなかったし、義父にも、義母にもしてあげなかった。

ただ義父のときは、古希のお祝いをしてあげたことは覚えている。

義父は数え年80歳で亡くなったから、まあしておいてよかった。

義母のときは、古希も、喜寿もしなかったが、米寿のときは同居していたから、お祝いをした。

それもしておいてよかった。

義母は満90歳で亡くなったから冥土の土産ができただろう。

実家の母が米寿の時は、私たちはわざわざ帰省して、夫と私だけでだが、日本料理のお店に行って祝ってあげた。

その時、お花も買ってあげようとお花屋さんに行ったが、母は、「お花は要らないから、お金を五万円くらい頂戴」というので、夫が三万円あげた。

母には、経済的に一方ならぬお世話になったから、これだけでは少ないのはわかっていたが、夫も現金の持ち合わせがなかったから、これで勘弁してもらった。

が、お金を頂戴とは、昔はやった安達祐実の「家なき子」のせりふ、「同情するなら金をくれ」ではないか。

母が誰にも米寿を祝ってもらわなかったというところをみると、私たちが帰省してご馳走したことは忘れているのだろうか。

卆寿のときも、わざわざ帰省して山内一豊公邸跡地に立つ高級旅館宿泊をプレゼントした。

ものを贈るより、このほうがいいかと思って・・・。

品物をプレゼントするより帰省そのものにお金がかかるし、宿泊は3人分になるから、それも結構な出費になる。

それなのに・・・、と思ってしまうが、

夫は、してもらわなかったというのは、兄や兄嫁にしてもらわなかったということを言っているのだろうと。

あれだけ気前がよく、性格もよかった母なのに、年をとるというのはこういうことなのかと思わされた。

今回も、一応、兄嫁の還暦祝いという名目だったが、私は、母の快気祝いも兼ねていたのではなかと推測するのだが、どうだったろう。

それでも、母は兄嫁には不満はありながらも、今年生まれたひ孫は可愛くてたまらない様子で、何枚もその写真を同封してくれてあった。

まさに子は子宝だ。

一昨日、昨日と忙しくて返信できなかったから、今朝は葉書を書いて投函してきた。

少しお説教したいのを我慢して、甥の赤ちゃんの成長を祝うことと、私の近況を書くに留めた。

  年取れば僻みは募るものなのか綴られてこし母のふみ読む  biko

要支援1申請?

2016年07月26日 14時52分51秒 | わたしのこと
朝、ベッドから起きようとすると、膝が痛くて立てない。

今回の鳥取への一泊旅行では、ほとんど歩かなかったはずだったが、それでも、普段より多く歩きすぎたのだろう。

いったん立ち上がると、一応普通に歩ける。

が、正座できないので、お風呂などでも困る。

そのことを接骨院の先生に話すと、シャワーチェアーというお風呂用の椅子が福祉から出してもらえると。

で、今日、市役所に行ってきた。

すると、介護保険の要支援の段階が認められないと支給されないという。

え、要支援なんて、と思ったので、説明だけ聞いて帰ってきた。

そして結局、生協のパンフレットにそういう椅子が紹介されていたから、それを注文した。

普通のお風呂用の椅子と比べると高いが、しかし要支援1を認定してもらって介護保険から支給してもらうほどのことでもない。

それに、要支援などになると、介護保険料も高くなるのではないか。

それなら、少々高くても、自腹で買ったほうがいい。

だから、せっかく接骨院の先生が教えてくれたけれども、そういうことにした。

  要支援などまだ先の、母の代の人たちのこと  biko

伊丹空港〜蛍池〜川西能勢口・・・帰宅

2016年07月25日 14時50分19秒 | 旅行
                伊丹空港から乗ったモノレール

鳥取駅前でお昼前に乗った高速バスは伊丹空港に到着した。

我が家からは割合近い伊丹空港だが、飛行機に乗ることの少ない私はめったに来ない。

だから、あえて記録しておくことにする。

モノレールの中から大阪国際空港ビルが見える。


モノレールの蛍池駅で阪急電車に乗り換える。


失礼して、阪急電車の車内も撮影させていただく。

昨日乗った豊岡、城之崎、浜坂などの乗客数と比べると、雲泥の差だ。

昔は地方の列車も結構混んでいたものだが、車社会になって、様変わりしてしまった。

ということを、今回の旅で、身をもって知ることができたことは大きな収穫だった。

  数人の客乗せ走る裏日本JR線景色よろしき  biko

  リアス式海岸線をトンネルの合間合間に見せて山陰  biko

  空気よし水はうましと鳥取で暮らす知人の言葉うべなふ  biko

  人のゐぬ入り江に水はひたひたと波うちやまず裏日本の  biko

わが川西能勢口駅。

歩いて5分で我が家へ。

  一泊の旅に田舎の営みを教へてもらひいろいろ思ふ  biko

鳥取からの帰途は高速バスで

2016年07月25日 11時39分08秒 | 旅行
                今日の鳥取は雨です。

帰途は列車の乗り継ぎは止めることにして、11時40発の伊丹空港行きの切符を買いました。

川西市の我が家には、梅田からより伊丹空港からのほうが近いのです。

伊丹空港からだとタクシーで帰ることもできるし。

だけど、もったいないからタクシーには乗らずにモノレールと阪急電車て帰ります。

高速バスには約3時間の乗車です。

昨日はJRの乗り継ぎで7時間ほど時間を要したのですが、バスだと乗り換えの必要もなく、しかも安いのです。

  バスよりも時間のかかるJR在来線に乗りて旅せり  biko

  途中下車しながら旅を続けたり在来線の各駅停車  biko

  時は金なれども時と金をかけ旅をするのも時にはよけれ  biko

駅前にあった観光地図を撮影。


バス発車まで時間があるので、駅構内の喫茶店で時間をつぶすことに。


今日は月曜日で、あいにく博物館などがお休みです。

思い付きで旅に出ると、こういうことになりがちですね。(苦笑)

でも、いつも夫は思い付きで言いだすので、仕方ありません。

バスに乗る前に、バスの中で食べる用と帰宅してから食べる用にと、かまぼこ、ちくわ、てんぷらを買いました。


大阪難波行きのバスが来ました。


伊丹空港へは、難波へより先に到着します。

一番前の席だったので、景色を楽しみながら・・・¥(∧∧)


  最前列座席はバスの一等席景色さえぎるなにものもなく  biko

福知山~豊岡から城崎温泉まで〜鳥取

2016年07月24日 19時05分15秒 | 旅行

豊岡から乗った電車はガラガラ。


城之崎温泉から浜坂駅まで行く電車の待ち時間が、また30分以上あるので、いったん降りて駅前の「里の湯」の足湯に足を入れる。


城之崎温泉の駅前の観光地図を撮影。


浜坂行き電車が入線してきた。


浜坂までトンネルばかりだったが、途中「餘部鉄橋」との車内放送があったそうで、

ケイタイのカメラをスタンバイして待って撮影。

高速道路などでは、こういう景色も珍しくないだろうが、昔は、この景色は珍しいものだったろう。

吉永小百合の「夢千代日記」の舞台、湯村温泉の近くの浜坂に到着。

  浜坂の近くに湯村温泉はありて夢千代日記とふドラマ  biko

  演じたる吉永小百合の魅力にて夢千代日記ありきあのころ  biko  

今日最後の列車、「鳥取行き」に乗る。


実際乗っている時間より、特急通過などを待つ時間が長いので、やっと鳥取駅に到着。やれやれ


  待ち時間多き在来線で行く旅なり七時間かけ  biko

篠山駅で乗り換えて福知山駅まで

2016年07月24日 15時12分27秒 | 旅行
               篠山駅で乗り換えて福知山駅に向かう。


福知山駅では30分以上の待ち時間があったので、途中下車。


駅の観光案内所で聞くと、福知山城まで徒歩15分くらいでいけるとのこと。


私は、お城が遠くに見るところまでは行ったが、歩きすぎると、また膝痛を起こすので、ここで引き返したが、夫はそのまま一人でお城まで。


お城が遠くに見えているのがわかるでしょうか?

帰途、駅前の商店街の前を歩くのだが、シャッターの閉まっているお店が多かった。

不動産屋の前のお花を撮影して、さらに歩く。


これも不動屋さんの前に植わっていた植物。


駅の近くまで来ると、コーナンがあって、野菜とかも売っている様子。

それで、商店街が寂れるのかなと思いながら、駅に近づく。

  大型店きたる市街の商店にシャッター閉まる多しいづこも  biko

駅前で福知山市街の地図を撮影。



こちらは福知山市周辺図のようだ。


  由良川の氾濫のたび水没を繰り返しきて今の福知山

15時9分発の豊岡行きに乗る。


  豊岡に向かふ電車に乗る駅は福知山駅篠山ゆ来て  biko

急に鳥取に行くことに

2016年07月24日 12時31分00秒 | 旅行
夫が急に鳥取へ行こうと言い出した。

夫は、いつもこうだ。

私が歩調を合わせなかったら、急に機嫌が悪くなったりするから、言い出したら聞くしかない。

しかも、特急など使わないで、各停で行こうという。

で、なにものもとりあえず、まずはJR川西池田駅に。

「篠山行き丹波路快速」を待っている間に、駅のホームから南側を撮影した。

JRの駅は阪急電車の駅と比べると、駅の南側には、こんな田園風景が広がっている。

この電車に乗るわけではないが、入選してきた宝塚行きを撮影。


駅の北側も撮影。

こちら側は阪急川西能勢口駅と陸橋でつながっているから人の往来も盛んだ。

                  *

川西池田駅から快速、普通電車を乗り継いで行くので、鳥取駅には午後7時過ぎの到着になります。今夜は鳥取駅前のホテル泊になります。

丹波路快速に乗りましたが、新三田駅からは各停です。

もうすぐ終点、篠山駅です。


  各停で鳥取駅まで行かうとふ夫に付き添ひ行く日曜日  biko

  JR川西池田に電車待つ快速丹波篠山行きを  biko

大阪万博の頃

2016年07月23日 20時13分31秒 | 思い出
NHK「歴史ヒストリア」を毎回録画して観ている。

昨日のテーマは「大阪万博」だった。

大阪千里丘陵で大阪万博が開催されたのは1970年春から秋のことだった。

私は短大を卒業後、2年勤めた銀行を退職して、4月から東京の豪邸で行儀見習いをした年だ。

身辺に変化の多かった年だった。

大阪万博にも行ったが、一日だけで、めぼしいパビリオンにも入場せずじまいだった。

万博のあった千里は、現在私の住んでいる川西市からは車で少し走れば行ける。

が、あのころは、自分がどんな人と結婚をして、どこに住まうようになるかなど、想像もしていなかった。

夫とお見合いをして結婚したのは、その2年後のことであったから。

万博のあったころのことは思い出すだけで胸がいっぱいになる。

同じ年代を生きてきた人たちも同様だろう。

万博は、私は、一日だけしか行かなかったが、叔父(母の弟)と従弟(母の弟の長男)などは従弟の春休みを使って、10日間ほど叔母(母の妹)の家に泊まって連日行き、くまなく見て回ったらしかった。

思えば叔父は、生真面目な祖父とは打って変わって暢気な人であった。

母の実家の家業は、もともと製糸業だったのだが、斜陽産業だったことと、その忙しさを嫌って、後を継ぐことは拒否していた。

かと言って、もうひとつの家業の洋品店は祖母や奥さんに任せて、自分は株の売買で儲けたりするような人であった。

従弟は、叔父に似ず、まじめに勉強する子だったから、国立大学の医学部に進学して医師になった。

思い起こせば、今書いた人たちは、みな鬼籍に入ってしまっている。

叔父は49歳、叔母は62歳、従弟は52歳と、みな早世だった。

あの大阪万博のあった頃は、私は若くて、未来があったし、両親はもとより、その叔父、叔母、医師になった従弟も生きていたから、親族が集まっても賑やかだった。

私は、母方の祖父母にとって、紅一点の孫だったから、ずいぶん大事にされた。

叔母は娘がいなかったから、娘のようにかわいがってくれたし、叔父も同様だった。

大阪万博を思い出すと、自然にそれらの人々のことも思い出すから、胸がいっぱいになってくる。

  叔母、叔父と従弟も今は死ににけり大阪万博思ひおこせば  biko