神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

日帰りで

2013年06月30日 09時44分05秒 | 家族
               (おじいちゃんの寝室で)

5月の義母の一周忌にインフルエンザにかかって来れなかった娘一家が日帰りで来てくれた。

日ごろ初老2人ぐらしの家に孫の声がすると一気に明るくなる。



娘一家の車は、最近更地になった空き地に置かせてもらう。



おじいちゃんの電気自動車に乗り込み、ご満悦の2人。



乗り心地はどうですか?(笑)



午後は近くの猪名川で遊びました。

六条御息所

2013年06月28日 14時34分07秒 | 読書
「珠子」のところで書いたが、私の参加しているインターネット歌会の今月6月お題は「六」であった。

さまざまな六が並んだが、今日のタイトルにした「六条御息所」を詠った歌もあった。

題詠は、何をテーマにするかが大切で、詠い方はその次というようなところがある。

六条御息所の「六」に目をつけて詠った人も才のある人だ。

クローズドな歌会なので、ここでその歌を紹介するのは控えておいたほうがいいだろう。
私がここにご紹介したあと、作者の方が短歌の大会に出詠した場合に既出の歌ということになって、受賞が取り消されたりすることもあるから。

歌の内容だけ紹介すれば、「源氏物語の登場人物の中で、六条御息所を好きと言っていた友人が一番最初に結婚した」というようなものだった。

六条御息所といえば気位が高く感情を表に出さないが、実際は非常な嫉妬心の持ち主で、光源氏の正妻、葵上を呪い殺してしまう。

この六条御息所のことをもっと知りたく思った私は、図書館の蔵書検索で調べてみた。すると、林真理子の『六条御息所 源氏がたり』が見つかった。だから昨日、図書館で借りてきた。

この本は、六条御息所その人に源氏を語らせているところに特徴がある。

まだ読み始めたところだが、なかなかの力作だと思う。

中学生の恋

2013年06月27日 09時38分30秒 | 日記
昨日は恋について書いたつもりだったが、考えてみれば私はyumeさんの書かれていた中学生の恋について書いたわけではなかったようだ。

私は中学から女子ばかりの私立に通っていたから、その年代の恋について書く資格がなかったといえるかもしれない。

が、片想いはした。

兄の学校は男子がほとんどの進学校だったせいもあって、妹がいると聞くと見物に来るもの好きな友人もいた。

私は恥ずかしいので、たいがいは隠れていたが、ときたま話をすることもあった。そんな中で、いいなと思う人もいた。

しかし、私の通っていた学校は風紀にうるさかったし、親もそういうことには厳しかったので、そぶりに見せることもなかった。

で、その頃の欠損のせいで、今頃になって恋愛賛歌の考え方に傾いてしまうのだろう。

人からみると、変なおばさん、否、おばあさんかも!(^^;

2013年06月26日 21時50分39秒 | 日記
いくつになっても恋をすることは素敵だ。

さきほどyumeさんのブログにお邪魔して中学生の相聞歌を読ませてもらった。

何でも片想いをしていた人に告白されて意味もなく走って帰ったという歌。

私は嬉しくて思わず走ってしまったのかと思ったが、そうではなくて、憧れの人の告白の無様さ(赤くなったり、もじもじしたり)を見たため走ってしまったらしいという。

へぇ~、私には考えられない。赤くなったり、もじもじしたりすることこそ若さだと思うし。

だから、告白が無様なんて思うこと自体が不思議。

命がけで告白したかもしれない相手の気持ちをそんなふうに受け止めるなんて、いくら中学生でもデリカシーがなさすぎるような気がする。

確かに憧れている段階の恋もあるけれど、その段階だけでは人間的な成長も望めないのでは?

傷ついても告白することで人は成長できるのではないか、と考える私は古すぎる?

私は、昔も今も、好きな人には告白されたいし、告白したい。だけど告白されることは、もう望むべくもないだろう(^^;。それに結婚しているから不倫にもなるし・・・(^^;;。

難聴体験談

2013年06月24日 21時23分56秒 | 聴覚障害
昨日帰宅すると川西市難聴者の会「耳の会」の会長さんからファックスが入っていた。

「7月末からまた要約筆記のボランティア講座が始まるので、初回に難聴者の体験談を耳の会を代表して話してくれませんか?」と。発表する時間は30分くらいだそう。

一瞬ためらったが、しかし要約筆記をしていただくことは私たち難聴者には必須のものなので、お引き受けすることにした。

新しくボランティアをしてくださろうとする人たちに難聴とはどういうものであるか、そして私達がどんなことで困っているか、どうしてほしいかということを話さなければならないので責任重大だが、させていただくことで、私自身の難聴者としての気持ちを整理することができるかもしれない。

日曜市

2013年06月23日 07時56分39秒 | 旅行
昨夜は高知市内のホテルに泊まり、今朝はお城下の日曜市に行き、フルーツトマト、小夏、蕗、ハチク、田舎こんにゃく、うるめ、ちりめんじゃこなどの干物、田舎寿司などを買った。



その後、高知市を昼過ぎに出て川西市に午後4時ごろに帰り着いた。高知も近くなったものだ。

帰宅してすぐにハチクと田舎こんにゃくに鶏肉を加えて煮物を作った。昔、祖母がよく作ってくれた味にしあがった。

今日は疲れたので、早めに夕食を摂って、早く寝るようにしよう。

鳴門で

2013年06月22日 13時31分58秒 | 旅行
夫の仕事に切れ目ができたので、急に帰省することになった。

丁度お昼ごろ鳴門に差し掛かったので、お魚のおいしいお店で海鮮寿司を食べた。

その後、一路高知に向かい、南国市でお墓参りをすませ、夜は、母の88歳の誕生日を祝った。

猫の額

2013年06月21日 08時37分10秒 | ガーデニング
「猫の額のような」とは矮小な庭のことなどを指していう慣用句だ。

我が家は、南側は駐車スペースになっているため土の庭はない。が、花好きの私は、駐車場の隅に花壇を作り、駐車スペース以外の場所にはプランター、鉢植えをおいて、ささやかなガーデンライフを楽しんでいる。

家の北側には、ごくごく狭い庭がある。「猫の額」と呼ぶにも恥ずかしい狭い庭である。ここに、3年ほど前に娘が「母の日」に贈ってくれた鉢植えの紫陽花を地植えしてある。日当たりが悪いので、成りばかり大きくなって、昨年までは花を咲かすことはなかった。それが、今年はどういう風の吹き回しか咲いてくれた。それが嬉しくて、雨の日にも傘をさして、朝晩、見に行く。そして、「こんな狭いところに咲いてくれて、ありがとう」とお礼を言う。

植物も声をかけてもらうと喜んで、花を咲かせ、実をつけるという話を何かで読んだので、実行しているのである。

聴力が低下すると

2013年06月20日 05時21分44秒 | 聴覚障害
使用している補聴器のワイデックス社が宣伝と難聴者への啓蒙を兼ねて冊子を送ってきてくれる。

その中にQアンドAのコーナーがあって、次のような問答があった。

Q。聴力が低下すると、どんな問題があるのですか?

A.聴力が低下するということは、単に小さな音が聞こえにくくなるということではありません。

聴力の低下で最も問題なのは、言葉が聴き取りにくくなるということなのです。言葉が聴き取りにくいと、会話の内容がわからなくなります。そうなると、人と話すことや、外出することが面倒になってきます。そうした状況が進行すると家にひきこもりがちになり、疎外感を持つようになって、社会から孤立してしまうといったケースもみられます。

また、聴き取りにくいと耳からの情報が脳に伝わりにくくなり、脳への刺激が減ってしまうので、痴呆や鬱状態になりやすくなるという報告もあります。


なのだそう。

もう既に、私にはその兆候もあるが、今後とも、その状態がひどくならないよう自戒していなければと思う。

父の日

2013年06月19日 12時05分16秒 | 家族
もう3日も過ぎたので旧聞になってしまったが、16日(日)は父の日だった。

夫には名古屋に住む娘から好物の詰め合わせが届いた。

熱田名物「きよめ餅」、殻つきピーナッツ、アーモンドチョコレート、クッキーに水出しコーヒーなどなど夫が目じりを下げるものばかり入っていた。ソーメンも入っていたので、今日のお昼は鯛ソーメンにしようと、昨夜は干し椎茸を戻して甘辛く煮付けて、今朝は鯛の切り身も買ってきた。

娘のところも上の子が塾に行くようになって出費も多いと思うのに、本当に親孝行な子だと思う。とともに、世間では忘れられがちな父の日に、こういうふうに祝ってもらえる夫の、父親としての点数の高さも思った。

来客

2013年06月18日 18時09分11秒 | 日記
今日は、次々来客があった。

夫の仕事関係の人が午前に1人と午後に2人あって、私の関係の来客が午後1人あった。

我が家は、敷地の関係で玄関が狭い。だから、同時に4,5人の来客があると玄関のたたきがいっぱいになる。だから、今日の午後はいっぱいになった。

夫の仕事関係の来客は、だいたい勝手に2階に上がってもらっている。お茶の接待は、2月から来ている青年がやってくれる。こういうとき、2階にも洗面所をつけておいてよかったとつくづく思う。洗面所が簡単な給湯室になるから。

私の来客は、朝起き会という修養団体のような会の人だった。初めのころは玄関先でお話を聞いていたのだが、とてもいい人なので、この頃は、リビングに上がってもらっている。別にその団体に入って活動しようとは思っていないのだが、いいお話を聞かせてくださるので・・・。

村形明子さんの短歌と俳句

2013年06月17日 19時52分53秒 | 短歌
毎日私の趣味の短歌のことばかり書いて、関心のない人には退屈かもしれない。

が、今日は、仲良くしている短歌の友人の短歌と俳句が素敵だったので、ご紹介させていただきたいと思う。

その作品は『望星』という雑誌の短歌、俳句欄に選ばれたものだ。

短歌のほうは、

  山かげの闇の深まる日の出前つばくろ一対(つがひ)宙をひらめく

選者の日高堯子先生の選評によると、「村形さんの歌は、日の出前の景色を印象的にとらえたもの。『山かげの闇』がいっそう深まる夜明けの空をいち早く『つばくろ』が『ひらめき』飛ぶ。静と動の対比が鮮やかだ」

俳句のほうは、

  石塀にちりばめられし菫かな

こちらは選者の黒田杏子先生の選評によると、「印象鮮明な句である。その菫は白色ではなく、いわゆるすみれ色。青紫の美しいものと思われる。硬質な石塀、そのすき間に根を張って花を咲かせた菫。ちりばめられし。ここに作者の感動が出ている。」

村形さん、短歌も俳句も選ばれて、おめでとうございました。

珠子

2013年06月16日 20時55分36秒 | 家族
珠子とは私の孫の名前である。

今までも何度か書いてきたが、脳性麻痺で生れて今年の4月に6歳になった。

今日は、ひさしぶりに近江八幡の長男の家に行って会ってきた。

会いに行っても、ほほえんではくれるけれど、お話ができるわけでもなく、それどころか首が据わらないから、座ることも立つこともできない子だ。しかし感情は人並みにある。それを伝える言葉を発することができないだけだ。

傍目にはかわいそうな子と映るだろう。が、昨日の、「明石海人」が己の業病を最初は天刑と思い、次第にそれを天恵と思いなしたように、私どもも珠子の出生ならびに成長を天恵と受け止めたいと思う。

われわれ肉親には、珠子の可愛さは正常な子どもと一緒、というよりも、不自由な体に宿る心が純粋なだけに、もっと可愛く思える。

出来のいい子を持つと親は得意になるだろうけれど、私どものように障害のある子を持っても、その子を可愛く思うことには変わりはないのである。

私の参加しているインターネット歌会の今月のお題は「六」だったので、私は次のような歌を出した。

  ほほえみとなみだが言葉の代わりなり孫の珠子は六歳になり

最初、「孫の珠子は脳性麻痺」という詞書をつけようかと思ったが、やめた。詞書がなくても分かる人には分かるのではないかと思ったから。

明石海人

2013年06月15日 18時39分58秒 | 短歌
ハンセン病歌人、明石海人の歌集を読んでいる。

ハンセン病というのは癩病のことだ。明石海人の生きた大正、昭和の初めは伝染病と恐れられ、隔離される病気であった。

明石海人は25歳で発病して38歳で亡くなるまで隔離されたままその生を終えた。自分の娘が亡くなっても事後処理が終わったあと、やっと仏壇に手を合わすことを許されるという厳しい状況におかれていた。

海人は、そのことを

  已(すで)にして葬(ほふ)りのことも済めりとか父なるわれにかかはりもなく

と詠っている。  

また、海人は、自分の境涯について、

癩は天刑である。

加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜つて一縷に光を渇き求めた。==深海に棲む魚族のやうに、自ら燃えなければ何処にも光はない。

(中略)

癩はまた天恵でもあった。


と書いている。

われわれの想像も及ばないほどの過酷な生涯を生きた海人であった。しかしその過酷さの中で珠玉のような作品を残した海人の気高さに打たれる。

阪急電車

2013年06月14日 14時36分42秒 | 日記
今日はメンタルクリニックに行く日だったので、阪急電車で山本駅まで行った。

電車が川西能勢口を出ると山沿いを走るので緑が多くなる。次駅は雲雀丘花屋敷駅、山本駅は次々駅になる。

雲雀丘花屋敷駅からは宝塚市になるのだが、この雲雀丘とか花屋敷は昔から関西の高級住宅地として有名なところだ。

次々駅の山本駅は植木で有名なところだ。

医院は駅からすぐのところにあるから電車で行ってもあまり負担には思わない。

しかし苦手なのは、肝心の先生が若いのはいいのだが、相手の気持ちを忖度しないで決めつけるような物言いをするところ。こちらは鬱病で通院しているのだから、もう少し優しい物の言い方もあると思うけれど・・・。ひょっとすると、経験の浅い先生自身、まだ自信がないから、ああいう物言いになるのかもしれないと思ったりもした。