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神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

馬場あき子さんの追悼連作「別れ」のご紹介

2018年03月06日 15時46分57秒 | 短歌
著作権法に触れるかどうかわからないが、
いい作品だと思うので、多くの人に読んでいただきたく、また自分の備忘のため、
今から、図書館で借りてきた角川「短歌」2月号に掲載されていた
馬場あき子さんという大ベテラン歌人の追悼20首をタイピングしてアップさせていただく。

誰を追悼していられるかというと、馬場あき子さんのお連れ合いであった歌人、岩田正氏である。

「別れ」 馬場あき子

ふたりゐてその一人ふと死にたれば検視の現場となるわが部屋は

けはひさへなかりしきみの心不全あらはれてふいにきみを倒せり

一瞬にひとは死ぬもの浴室に倒れゐし裸形思へば泣かゆ

腰ぬけるほどに重たき死を抱へ引きずりしこのわが手うたがふ

きみ死にて検視を受くる夜半の部屋日常を暴くごとく撮(うつ)さる

大下一真に葬りの導師頼みたるのち安らぎて眠りに入りぬ

お逮夜の家に一燈ともすのみ心不全の死者たる岩田正よ

月桃餅すこし残るをあたためて分かち食うべぬ最後の昼餉

夫(つま)のきみ死にてゐし風呂に今宵入る六十年を越えて夫婦たりにし

深き皺ひとつ増えたり夫の死後三日の朝の鏡に見たり

夫のなき女の貌になりゆくかさびれゆく顔を朝々に見る

きみの死のみづみづとわれの手に蘇るまだ温かき胸や肩や手

母が縫ひてわれが贈りし大島紬着ましてきみは棺に寝ます

篝火草あるじなき部屋に燃え咲きて遺影の声の時にきこゆる

通夜の席の棺に近く座しくれし幸綱さんありがたう遺影ほほゑむ

瑞泉寺の白玉椿ふふめるを棺にいれよと賜ふ和上は

葬りはててみれば落葉の積もる庭燦燦と照る陽みつつわが坐す

三七日のひとりの夜を訪れて経読みましき福島泰樹

きみなくて視力おとろふる未亡人われ黒き眼鏡す

亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり



(註)幸綱さんというのは歌人、佐佐木幸綱氏のことである。

大下一真氏と福島泰樹氏は、お二人とも、僧侶であり、歌人であられる方です。




私は、この連作を、母を亡くして数日後に初読したせいか、深く心に沁みた。

が、私の個人的な事情に関わらず、心に沁みる一連と思ったので、アップさせていただいた。


NHK「短歌」の四月からの選者に真中朋久さん

2018年02月04日 13時47分26秒 | 短歌
ということを、今朝のNHK「短歌」永田和宏氏の番組放映中に知った。

真中さんには、個人的にいろいろお世話になった。

私が「塔」のインターネット歌会に入れていただいた当初はパソコンを始めたばかりだったので、慣れないことが多かった。

そんなとき、当時「塔」誌の編集をしてくれていた真中さんがいろいろ親切に教えてくれた。

このころから、既に先生格であられたから、パソコン以外のこともいろいろ教えていただいた。

さらに、私が、リアル歌会に出席しても聞こえないので、その代わり、「塔」誌の校正のお手伝いをさせていただきたいと相談したときも、当時、永田家でなされていたので、永田和宏、河野裕子両氏に相談してくれたりもした。

いくらお礼を言っても言い尽くせないくらいなのだが、お礼を言わないまま、昨年末に「塔」を退会してしまった私。

それには私なりの理由がいっぱいあったのだが、しかし、このように、お世話くださった方々には失礼をしてしまったと反省している。

4月から真中さんが先生になられるのと同時に、同じ「塔」の栗木京子さんも、また先生として出られるそう。

NHK「短歌」のひと月の四人の選者のうち、二人が「塔」の会員(先生)であるという「塔」の発展は眩い。

テレビではないが、『現代短歌新聞』という自称、他称歌人なら、ほとんどが読んでいるという短歌の新聞の今月の表紙の紙面には、「塔」の前主宰者の永田和宏氏とお孫さんの紅里ちゃんが載っている。

「歌集のどこをとってもそこに河野裕子が」という副題がつけられて、永田和宏氏の『永田和宏作品集1』ならびに過去の全業績により第40回現代短歌大賞を受賞したことを寿ぐ紙面だ。

永田和宏氏がいたから、河野裕子氏がいたから、今日の「塔」の隆盛があると思うにつけ、この永田氏の受賞は素直に喜ばせていただきたいし、新聞紙面に大きく取り上げられていることも喜ばせていただきたいと思う。

「塔」は退会したけれども、気持ちは、まだ「塔」会員の私であるから。

永田さん、真中さん、おめでとうございます。

*

・いくたびもリアルに御目文字せし人が春にはテレビの先生となる

・生声の耳に残れる人の声これからテレビで聞くことになる

・親友となりし村形明子さん知りしインター歌会の縁

・永田氏と京大名誉教授として仲間でありし村形明子氏

・永田氏に紹介されて村形氏真中氏主宰する歌会へ

・わがままを言ふ村形氏を諫めたる真中氏最初は庇ひてゐしが

・たまりかね退会せよと宣告す真中氏村形明子名誉教授に

・そのときに庇ひしわれを終生の友として死す村形明子氏

・明子氏のわがままわれの母親のわがままぶりとそつくりなりき

・わが母と村形氏とはそつくりなわがままぶりで親友となる

・晩年はわれより母と村形氏なかよくなりて二人とも死す

・明子氏の死ののちたつた四か月のちに死にたり私の母も

・二人とも今年の冬のこの寒さ逃れて今ごろ彼の世の春に

・届きたる「現代短歌新聞」のトップに永田和宏氏見ゆ

・紅里(あかり)ちやん生まれてのちは会ひしことなけれどお腹の中のあなたに

・紅さんの臨月ちかきお腹見てまうすぐですねと言ひしが最後

・生まれしは風のたよりに聞きしかど生まれしのちは一度も行かず

・一昨日はじめて紅里ちやんを見る現代短歌新聞紙面

・その祖父の永田和宏氏の耳に口寄せ何か語りかく御子

・ひとたびも見ぬまま大きくなりし御子懐かしみ見る紅さんの御子

・まう二度と行くことなけれと思ふとき不意にあふるる涙なにもの

馬場あき子さんの追悼歌のすばらしさ

2018年02月01日 18時26分51秒 | 短歌


歌友が、角川『短歌』1月号の馬場あき子さんの、昨年11月に亡くなられた、その御連れ合いの岩田正氏を追悼した歌がすばらしいと教えてくれたので、図書館に読みに行ってきた。

ちなみに、馬場あき子さんは現在90歳のプロ歌人。亡くなられた夫君の岩田正氏もプロ歌人であられた。

亡くなられた岩田正氏は享年93歳であられた。

私は、詠風の違うお二人の作品を、それぞれ楽しませていただいてきた。

その追悼作品は、「別れ」という題の連作で、

ふたりゐてその一人ふと死にたれば検死の現場となるわが部屋は

で始まって、




亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり

で終わる20首であるが、母を亡くしたばかりの私も素晴らしいと思ったので、購入しようと、図書館をあとにして、同じアステという建物の中にある本屋さんに行った。

そこは、まあまあの規模の本屋さんなのだが、角川『短歌』は置かれていなかった。

角川書店の『短歌』は短歌総合誌の中でも一番読まれている雑誌だと思うのだが、その雑誌すら置かれていないということは、いかに短歌界がマイナーな世界かということになる。

駅の向こう側の紀伊国屋書店に行けばあると思ったが、そこまでして買いたいとも思わなかったので行かなかった。

駅の向こう側の紀伊国屋書店も、私が川西に来た頃は、角川『短歌』は無論、私が現在購読している短歌研究社の『短歌研究』も、それ以外の、『歌壇』とか『短歌現代』とかいう短歌雑誌も置かれてあった。

それが、昨年行くと、最大手の角川『短歌』しかおかれなくなっていたので寂しく思ったところだった。

これは、短歌をする人が減ってきているということだろうか?

それとも景気のよさが喧伝されるわりには実質収入の減っている庶民の懐事情によるものだろうか?

その馬場あき子さんの作品のことを教えてくれた歌友も、以前は短歌の雑誌を全部購読していたが、最近は絞って、必要なときだけ買うようにしていると言っていた。

もともと稼ぎのない主婦の私は、講読している短歌雑誌は、ずっと一冊だけだった。

本当は、角川『短歌』も購読したいのだが、『短歌研究』のみにしているのは、短歌研究社の新人賞に応募するには、誌面の記事を切り取って、それに応募要項を書かないといけない決まりになっているから、仕方なく、というところがある。

「この短歌研究社のやり方はせこい」と思うときもある。

が、短歌雑誌社も、そうでもしないとやっていけないくらい経営が厳しいのかもしれない。

角川『短歌』はそんなせこいことはなかったので好感を持っていたが、しかし、今日は「せこいなあ」と思われることが書かれてあった。

私は、最近は、短歌研究社の新人賞も角川『短歌』の新人賞も応募しているが、この1月号に、新人賞応募の規定が書かれてあって、

ブログ等で発表したものが含まれていた場合は入賞しても取り消す

と。

まあ、これは以前から一応言われていたことではあったが、しかし、ここまで明記されてはいなかった、と思う。

私がブログを書く楽しみの一つに短歌を添えるというのがある。

文章を綴っているうちに、それを歌にしたくなってくるのだ。

駄文を歌でまとめたくなると言ったらわかりやすいだろうか。

そうすることで、駄文が歌によって多少でも引き締まると思うし、逆に下手な歌は、駄文があるおかげで理解されやすくなるという相乗効果が得られると思うのだ。

こういうやり方で歌を作れば、歌は、いくらでも湧いてくる。

ブログを始めるまでは、歌は大学ノートに書き貯めるようにしていた。

が、独り書き貯めるより、人に読んでもらいながら書き貯めるほうが、よほど楽しい。

私は、基本、歌はそのまま、その場で読み捨てられていいと思っている。

が、この読み捨てられる歌をまとめたものが応募できるのならという気持ちで応募している。

ダメ元でいいのだ。

私の作品が賞をいただけるなどとは思ったこともないが、しかし、オリンピックと同じで、参加することに意義があるのだ。

短歌というものは、その程度のものだと思っているふしもある。

今月追悼集を編まれている岩田正氏の作品なども軽妙を絵に描いたようなものが多かったと記憶している。

しゃちこばっていないが、しかし、心に残る作品。

私は、それでいいと思う。

が、この今日見た応募規定は、それをさせないというケチなものだ。

なぜ、そんな堅苦しい応募規定などにするのだ。(怒)

ハンドルネームで綴っている、どこの誰べえが書いているかわからないブログの作品に目くじらを立てなくても。

どうしても駄目というのなら、短歌界の有名諸先生方は駄目な理由を私にわかりやすく説明してください。

だいたい私は、自分の子供くらいの年齢の有名諸先生たちに選歌という選別をされたくないから結社をやめたので、これ以上、私の行く手を阻まないでください。

*

・マイナーなブログ手帳の代はりなり手帳に書きし短歌は駄目と?

・発表といふより記事にして記録するブログなりわれのブログは

肺ひとつ失ひし身の(歌の鑑賞)

2017年12月21日 11時12分29秒 | 短歌
さきほどインターネット歌会に書き込んだ文章を転記します。

                *

昨日来期の会費納入をしなかったため退会になるbikoですが、発言させてくださいね。

13:肺ひとつ失ひし身なればと離(か)れゆきし人もやさしき嘘も年経ぬ

「失ひし身なればと」と、「と」が入るので、肺を失ったのは(作中主体が片恋をしていた)恋人では?

私達の親の世代の若い頃は結核が大流行りで、肺結核で亡くなる人も多かったようです。

私と同年配の永田和宏氏も、そのお母様を結核で亡くされていますね。

美人薄命という言葉通り、結核にかかる人には美人が多かったと聞きます。

長い闘病生活で、日に焼けることもなく色白でいられたため、美人に見える人もいたかもしれません。

作中主体は、そんな女性の一人に恋をしたのでしょう。

が、その女性は作中主体を恋人に選ばなかった。

その断りの理由を、「結核で片肺になっているから」ということにしたのでしょう。

作中主体を傷つけまいとして・・・。

が、肺が片肺であることは事実であったけれども、その後、結婚して幸せになっていることを知って、
片肺であることは体のいい断りの理由だったと作中主体は悟ったのでしょう。

それを悟ったとき、作中主体は深く傷つきもし、恨んだりもしたかもしれませんが、歳月はなべてを
美しい思い出にしてくれた。

そんなお歌ではないでしょうか。

余談ですが、私の叔母(母の妹)も、肺結核で肺の一つを失っていたから、共感できるお歌でした。

この叔母は、手術で健康を取り戻して62歳まで生きました。

ここからさらに余談になるのですが、父の従弟が、この叔母に片恋をして、当時東京工大の学生
だったのでしたが、その大学から帰省の行きかえりの都度、母の実家に立ち寄っていたと叔母の
死後、母に聞きました。この父の従弟のおじさんは長生きをして数年前に93歳で亡くなりました。
千里という川西市からはほど近いところに住んでいたから、その晩年は何度かその家を尋ねたり、
わが家に来ていただいたりもしました。このおじさんが私に優しかったのは、あるいは叔母を思い
出していたのかもと今となれば思えます。

この叔母も、別の人と結婚したから、この父の従弟のおじさんが歌を詠う人だったら、こういう歌を
詠んだかもしれません。

そう思いながら鑑賞させていただきました。

*


この叔母は病弱ではありましたが、片恋してくれていた亡父の従弟は大会社の重役までなった人だったから、結婚していたら幸せになれていたと思います。

が、実際に結婚をしたおじさんも甲斐性ある人で、一代で会社を成して社長に収まっていた人だったから、母より叔母のほうが結婚相手に、経済的には恵まれていたのかもしれません。

母と叔母を比べてみるとき、健康と美貌は母が授かっていましたが、叔母には女らしさと賢さという武器が与えられていました。神様は結果的に公平になるよう采配されていると感じます。

今日会費を入金しなかったため、18年間在籍した短歌会を除籍になる

2017年12月20日 20時08分50秒 | 短歌
今日が所属している短歌会の来年上半期の会費納入期限であった。

が、私は会費の納入をしなかった。

これは、消極的な退会の意思表示をしたことになる。

来月からの結社誌は自動的に送られてこなくなると思うし、参加しているインターネット歌会のメールも送られてこなくなるだろう。

自分から辞めるとは申し出にくいから、こうして消極的な退会を選択するのだ。

もう潮時だと思う。

止めてくださる方も何人かいたが、要は自分の気持ちである。

それほど熱心にやってきたわけでもなかったが、18年間もやってきて、結社に居場所がないというのは、どこに問題があったのだろう。

まあ、しばらくは短歌から離れて(すでに離れているか)みよう。

とは言いながらも、このブログには今まで通り歌を付け加えていくと思う。

・はればれと短歌結社を離れたり短歌やめると決めしにあらねど

・これからは気の向くままに歌うたふまたは詠はず真冬に向かふ

・選者とかいふ人たちに選されることに飽きたり後は野となれ

・なにゆゑに人に選などしてもらふ必要ありや己の歌の

・うたひたきこころのありて詠ふ歌うまい下手とか言ふな五月蠅(うるさ)い

・短歌誌に選者の歌を読みたれど何処がよいのかわからぬ歌も

・有名になれば名のみで歌売れる売れたら上手い歌と思ふな

・裸なる王を服着た王様と偽る歌人この世に多し

・裸なら裸と言ふが正直で服着てゐるといふ不正直よ

・有名になれば裸も裸だと言はれず外を歩くあはれよ

・真実の歌が詠へずなりし人ゆうめい歌人はさういふ人ら

・有名になる悲しさよ歌人とふ肩書つけて肩を怒らせ

・無名なる者の無念はものすごく無言のままに虚しく終はる

・必要は広さ平たさ強弱も上下も必要なけれ歌人に

・いつのまに歌人に垣根いできたる上の垣根と下の垣根と

・湧き出づる歌が歌なり推敲といふ化粧などいらぬ歌には

・作歌とふ言葉うとまし歌は湧くものなり作るものにはあらず


今月のインターネット歌会に出詠した歌

2017年11月30日 15時37分44秒 | 短歌
最近は何もかも調子が悪い。

今月のインターネット歌会に出した歌も点が入らなかっただけでなく、初回コメントもいただけなかった。トホホ

で、歌会は昨日で終わったのだが、昨日、歌会に出した歌会御礼を転記して、今月の私の出詠歌のご紹介に代えさせていただく。

今月のお題は「終」であった。



bikoです。

H.Nさん、お忙しい中、丁寧に司会していただき、ありがとうございました。

その他の皆様にも、今月もお世話になりました。厚くお礼申し上げます。

ところで、今月も、私の出詠歌は先月同様零点で、初回コメントもなしでした。(泣)

が、先月も、今月も、すばらしい追加コメントがいただけて、ありがたく思っています。

やはり歌は読者あってのものですね。コメントくださった皆様、ありがとうございました。

24:終活をまだ始めざる母の子であれば七十近づきくれど

・H.Nさんからいただいたコメント
一首に切れがなく、言い差しになっており、「近づきくれど」の後に読者が補って読むことを期待していると思いました。私は初句に戻って「終活を始めるつもりはなし」と補いました。
でも七十歳前でまだ早すぎるかとも思いました。

・Y.Tさんからいただいたコメント
「わたし」が七十なら、お母様は90以上でしょうか。
そのくらいの年代のかたはもう、終活などしないと思います。

いまでこそ流行りですが、
「終活」はたぶん本当にそれが迫っている方には辛いのではないかと思うのです。

このお歌の言わんとすることがわかりづらいのですが・・・
作者は70が近づいて、本当なら終活もすべきなのに、母ですらしていない、
自分もあるがままに任せよう、と思うというお歌でしょうか。

・N.Kさんからいただいたコメント
子が作者(主体)と思いました。
今のご時世70歳は若いですので終活は深刻に考えなくてもよいのですが、おそらくお
母さまは90歳前後と思われ、終活などどこ吹く風とお元気なのでは。
90、100歳などとききますとどれほど高齢なのかと心配になりますが、その年に
なっても別段どうってことはないのでしょう。
お母さんがお元気なので自分の終活などとてもとてもという歌だと思いました。
いつから人生の終わりのための活動などとやかましく言われだしたのでしようね。
ゆっくり歳もとれませんね。
歌に戻って、はじめざるの「ざる」が始めようとはしないと強い感じですし、中山さ
んの書かれている通り「あれば」も「子であれば[こそ]始めるつもりはない」だと思
うので強いですね。そして結句の「くれど」も、いいさしですけれど、近づきくれど
もう遅いと決定的な読み方ができます。全体に目立つというか強い印象がしました。

私の自解
祖母は70歳くらいから身の回りのものを片付けていました。残して恥ずかしいようなものは焼いたりして。

で、結局、祖母は90歳で亡くなったのでしたが、比較的、身の回りは片付いていたと思います。

それに引き換え、その娘である私の母は、生涯現役でありたいらしく、いまだに生業である生け花関連の
整理を始めません。

来年70歳になる私は、そろそろ身辺整理したいと思うのですが、それより先に母の身辺整理を手伝うか、
母の死後、その片付けをしないといけないので、自分の終活など、いつのことになるかわかりません。

Nさんから「終」のお題が出て、すぐに浮かんだ歌でした。何しろ今の私にとっては切実な問題ですから。

あろうことか、短歌の世界にもあるヒエラルキー

2017年10月31日 15時38分59秒 | 短歌
短歌の世界が濁ってくるのは、この世界にもヒエラルキーがあるからである。

いちおう、このヒエラルキーは選者と呼ばれる先生が存在することから始まる。

それだけならまだしも、いつのまにやら自分勝手に管理者側の物言いをする人が出てきて、それに拍車をかける。

たとえば、私と同年に結社に入会した人がいる。

私はその人の歌をいいと思ったことは一度もないが、しかしどういうわけか評価されて、現在、一番上のクラスにいる。(それがなんだと私は思っているが)

そのためか、その人の発言には、結社を運営しているかのようなニュアンスがある。

誰が彼女を結社の運営者の一人と認めたというのだろう。

誰も認めてはいない。彼女が勝手にそうふるまっているだけだ。

それだけでなく、彼女は以前、私の詠草を勝手に詠草集から外した前歴がある。

彼女が京都の某歌会の司会をしていたころ、私は彼女にメールで詠草を出詠した。

当時私の聴覚障害をカバーしてやろうと申し出てくれる人がいて、思い切ってリアル歌会に参加しようとしたときのことだった。

結局、私は京都まで行ったが、その歌会ではただ座っているだけであった。

彼女は「届いていません」と言うだけで何の配慮もしてくれなかった。

それで、私も、そのときは事故と思ってあきらめた。

が、彼女のことを怪しいと思い出したのは私が結社誌の校正に参加させていただくようになってからだ。

校正のときは、私も持参したりするが、いつも誰かがお菓子などの差し入れをする。

彼女はしばしばそれらを配る役を買って出ていたのであるが、その時、巧妙に私だけに配らないのである。

そのときに、彼女が私を除けようとする意志を感じた。

彼女とはインターネット歌会で、しばしばぶつかった。

というより、彼女が必要以上に私の妨害をした。

一度は、私が評価する歌を彼女がコテンパンに言って、その作者の方は歌会をやめてしまったということもあった。

彼女はその歌を貶めるより私を貶めるのが目的で、その歌を貶めたのであったが、とばっちりを受けた人はたまったものではなかった。

そういういきさつもあって私の詠草も没にしてしまったのであろうが、することが姑息すぎる。

まるで子供のいじめだ。(ぷんぷん)

そのくせ「雑談はやめましょう」「歌会の自浄を心がけましょう」と大上段に構えて発言する。

その昔は、彼女が率先して雑談する人であったことは棚に上げて。

いつから彼女は、そんなに偉くなったのだろう?

自浄、自浄という彼女こそ、もっとも不浄な存在であるというのに。

*


  不浄なる人に限つて自浄とふ言葉を多く発するをかし

  自浄など言へる自分であらざるを自覚してゐぬ人恥づかしき

  いつのまに大上段を振りかざす人になりしか不浄なる人

  そのままに詠へばよろしき物事を持つて回つた詠ひ方して

  生年も入会年も同じなる人の意地悪いと激しくて

  ジェラシーかジェンダー生年おなじなる人の性悪ぶり見てをれば

10月歌会に出した歌

2017年10月30日 09時45分47秒 | 短歌
さて皆様、恒例の今月の歌会に出詠した歌のご報告です。

今月の歌会のお題は「大」でした。

以下、昨日歌会に出した私の歌会御礼を転記させていただきますね。



★ご婦人をたたくためではありません殿方手足大きくあれど

実は先月、夫は仕事でトラブったようで、ある朝、突然私に殴りかかってきたのです。
その前日は久しぶりにすき焼きをして上機嫌だった夫の翌朝のその変貌ぶりには驚きました。

私を殴ろうとした理由が「前日の夕食の時間が早すぎたから」という訳の分からないものでした。

それで私が「それなら支度ができていてもあなたが食べなかったらよかっただけのことなのに」と言い返しますと、テーブルの上に置いてあった梨を私に投げつけようとしたのです。

傍にいられなくて私は家出しました。高知の実家、東京の娘のところ、近江八幡の長男のところというふうに転々と・・・。(笑)

高知にいるときに、夫からメールで、「仕事でトラブってしまったが、なんとかなりそうだ」と。

それで夫の急に怒った理由がわかったのでしたが、私は数日間生きた心地がしませんでした。

その事実をそのまま詠わないで、あえて「ご婦人」とか「殿方」と他人事のような表現にしました。

その詠い方がまずかったのか、点も入らなかったし、初回コメントもいただけませんでした。
やはりもっと直詠したほうがよかったかも。

追加コメントくださった皆様、ありがとうございました。うれしかったです。^^

夫は普段は優しいですし、近所の人たちにも「いい人」と評判がいいのですが、どうかすると、こんな人にも変貌するのです。

今回も離婚まで考えました。

が、私も、聴覚障害という弱みがありますので、過去も我慢してきましたが、今回もうやむやに・・・。

せめて歌にして、自分の心の均衡を保っています。(苦笑)

この家出のことはブログにも書きました。9月22日から29日あたり。お読みになりたい方はどうぞ。(笑)

夫は、その後、そんなことはすっかり忘れてケロッとしていますけれども・・・。

  *

・Iさんからいただいたコメント
 近頃あった何かを揶揄しているのでしょうか?
 私の場合は、この歌を読んで幼い頃が思い出されました。母が父に叩かれて厨の暗いところで泣いていました。
私も二回くらい叩かれました。父は力仕事する人だったので手はとても大きな人でした。

一むかし前の男性はこのような人が多かったのではないでしょうか。
女性の地位の低かった時代の切ない歌で、しかも懐かしさがこみ上げてきました。
殿方という古風な言い方がいいなぁと思いました。私の感慨からすると「足」はない方がいいと思いました。

・Kさんからいただいたコメント
Iさんもお書きのようにDVを思わせる歌ですけれど、殿方という言い方をされているのでそこまで読むのは読みすぎかなと思いましたが、殿方と言わざるを得ない状況に置かれておられるのかとちょっと心配になりました。

・Tさんからいただいたコメント
これは社会詠的なお歌に思えました。
DVのことだと思います。

DVは恐ろしいですね。
だいたい気の弱い、外では「いい人」をやってストレスをためているような男性が
妻に向かって、暴言を吐く、暴力を振るう・・・
そして妻もたびたびお前は馬鹿だとか、値打がないなどと言われるうちに
無力感にさいなまれる。

廻りが「逃げなさい」と言っても逃げない。逃げられない。

このお歌はそうした事件なり、身近にいる人のことを
やんわりと穏やかな言葉で詠み、
しずかに諭すようでもあります。

ただ気になったのは「ご婦人」「殿方」がなんとなく
古い感じなこと。
いやむしろ、その古さが、作者が工夫したことかもしれませんが。

昨夜インターネット歌会に書き込んだ文章を転記します

2017年10月05日 09時00分09秒 | 短歌
先月の歌会で、「茅渟の海」を詠われた方がおられたので、茅渟の海のことと、その方が歌会御礼で住ノ江神社のことも書かれたから、住之江神社のこと、さらにそれから発展させて、住之江=住吉神社の神様に歌を習った和歌姫様のことも書いてみました。

以下が、その文章です。

 記

bikoです。長い雑談ですので、お暇な方のみ適当に読み流してください。

南海電車沿線から見える茅渟の海=大阪湾は夕日の美しい海ですね。

だから、「南海電車に乗るのは夕方に限る」ってね。(笑)

住之江神社=住吉神社の神様は、歌の神様でもあられますね。

和歌三神=>http://www.honnet.jp/metro/rekisi/r225/rekishi44.html

すなわち、住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂です。

玉津島明神は、和歌山の和歌の浦にある玉津島の和歌姫様ですね。

和歌姫というのは、いざなぎ、いざなみ両神の最初の子として生まれたのでしたが、不具者だったため生まれた淡路島から流されたそうです。

その姫を西宮の浜で拾ったのが住吉神社の神様。

拾った場所は広田神社と名づけられました。

「拾った」から「広田」。語呂合わせのようで、おもしろいですね。

現在の広田神社には和歌姫様の弟君の天照大神の奥方の瀬織津姫が祀られています。

瀬織津姫=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E7%B9%94%E6%B4%A5%E5%A7%AB

広田神社は六甲山の麓にありましたが、六甲山というのは、瀬織津姫のまたの名が、「向かつ姫」であったことから来ています。

余談ですが、武庫川の「武庫」も六甲を「むこ」と読ませて、「武庫」と当て字したものらしいものです。

その「向かつ姫」の名の由来は、瀬織津姫があまりにも美しかったため、夫になった天照大神が思わず迎えに駆け寄ったという故事から来ています。

西宮の広田神社は、現在、阪神タイガースが必勝祈願に訪れる神社として有名です。

和歌姫様は広田の地で住吉神社の神様夫婦に育てられます。彼女の和歌はこの住吉の神様から仕込まれたものでした。

幼い頃は蛭子姫と呼ばれていた和歌姫様は長じて和歌の妙手になったから和歌姫様と呼ばれるようになりました。

和歌姫様は結婚したした当初は滋賀県ヤスカワ(現、野洲市)で暮らしていましたが、のち一人で風光明媚な和歌の浦の玉津島に住むようになります。それで玉津島明神と呼ばれるようになったのです。

和歌姫様には呪術力が備わっていて、彼女が歌にすることによって病気を治したり、邪悪なものを払いのける力もあったそうです。

聞くところによると、短歌の形式にはもともとそういう力が備わっているらしいです。

西宮に恵比寿神社という神社がありますが、これは蛭子姫を祀った神社です。

蛭子=恵比寿ですね。

ここからは〇〇さんに対する返返信になります。(^^)

(註(〇〇さんとは、システムエンジニアをされていた若い男性です。最近は企業でパソコンを教えていられるようです。そして、その教えておられる生徒さんのおひとりに片恋をされていられるようです←先月の出詠歌がそういう作品でした^^)

(〇〇さん)
ご歓迎ありがとうございます。

(biko)
皆さん黙っていられても歓迎されておられる方は多いと思いますよ。〇〇さんは詠草マネージャーも作ってくださった古いメンバーでいらっしゃるから。^^

(〇〇さん)
私は彼女の教育係(の一人)なので、美しくない点をたくさん知っていますよ。
彼女の考課表はひどいものです。
講師として見るか、男として見るかで180度違いますよ、彼女の場合。
天然なところが可愛いのですが、講師としては厳しい点を付けました。

(biko)欠点を知っても、なおかつ愛しく思えるのが、本当の「好き」ですね。

(〇〇さん)
文学的には、美しく不幸な方がいいですよね。
現実的には、あまり美しくなくても幸せな方がいいです。

(biko)特に短歌には悲しみが似合いますから、幸せに恵まれている人は、本来短歌などには関わらないでしょうね。

その意味では一生短歌などに関わらないで、幸せでいられるほうがいいということになるでしょうか。相思相愛で?(笑)

恋愛の話ではないですが、私なども聴覚障害という障害がなければ短歌などにのめりこむこともなかったと思います。

(〇〇さん)
「具体を入れろ」とのいろいろな方々からのご指導の賜物です。

(biko)
歌歴の長い〇〇さんにして、この謙虚さ。私の最も見習わなければならないものですね。

以上、雑談でした。


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和歌姫様のことを詳しくお知りになりたい方には、

SUMIKO! (著), アマノコトネ (著), 宮崎 貞行 (著) の
隠された言霊の神 ワカヒメさまの「超」復活! 』がおすすめです。

私が過去に上記の本について書いた記事は、こちらです。

先月のインターネット歌会に出した歌

2017年10月03日 06時46分33秒 | 短歌
このブログには短歌の記事を目的で読みに来てくださるかたもいらっしゃるので、遅ればせながら先月のインターネット歌会に出した拙歌のご紹介を。

お題は「色を入れた歌」でした。

ここからは歌会後に私が出した歌会御礼の転記になります。

         *

最近は、歌は記録と捉えて、事実に即した歌を詠むことをモットーにしています。

この歌もそうでした。実際にその前日にネットで黄色のカーディガンを買ったのでした。

そういうふうに実際にあったことしか詠えない状態になったことを歌にすれば、

  年取りて飛躍の歌は詠みがたく平たく詠みぬ今月もまた

コメントくださった皆様、ありがとうございました。m(_)m

  ★年取りてどんどん派手になるわれか昨日は黄色のカーディガン買ふ

*黄色は元気な色だからそれを選べる人はうらやましい。

*「どんどん派手になる」いいですね、前向きで楽しい歌。

-「どんどん派手になるわれか」というのが、作者の訴えたい感慨なのだろうが、
はっきりと言いすぎて損しているようだ。

-年齢を重ねてる毎に華やいでいく感じが素敵です。
ちょっと照れておられるような歌いぶりに好感を持ちました。

*黄色は明るく生命力を感じる色。
年齢を重ねるほどに元気が増しているのですね。
ぜひそのままで行ってほしいと思います。

*妙に納得し共感したお歌です。鮮やかな黄色が眼に浮かぶようです。



〇〇さんからいただいたコメント

このお歌は、「われか」の「か」が面白いと思いました。
普通なら「どんどん派手になるわれなり」と断定すると思うのですが、
自分でもよくわからないかのように「どんどん派手になる私かなあ」と
疑問と詠嘆のなかばくらいの感じでつぶやいているような。

黄色のカーディガンも太陽のようで華やかでいいですね。
こんなふうに年を取るなら楽しいかなと思いました。


〇〇さんからいただいたコメント

共感したお歌です。
最近わたしはネットショッピングが多いのですが、
「中高年向き」と最初から銘打っているお店より、
zozotownとか、若者向きのお店にとくに惹かれます。(笑)

上衣はともかくとして、スカート、パンツは3LサイズはZOZOにはなかなかなくて、
パンツ類はミセス向きのドゥクラッセ、オットーで、と使い分けております。

色合いも、もともと中高年になると自然と顔色もくすみ、暗くなりがちなので
逆に赤やピンク、明るいブルー、などなどを欲しくなります。

柄は華やいだ花柄とか、フリルやレースなど。



若い方ならそのまま無造作に白シャツとジーンズで十分美しいのですが
わたしのような年齢になりますと、いろいろと「工夫」がいるのであります。

このお歌、やはり「か」あたりで
なるのだろうかねぇ・・・的な感慨があり、断定していないところも
たゆたうような気持が出ていると思いました。

                          

北朝鮮のミサイル

2017年08月24日 21時29分18秒 | 短歌
日本が花火見上げる八月に北朝鮮はミサイルあげる

将軍の呵呵と笑へる映像が放映される衛星放送

なす術もなく放映を観るのみの日本国民の放心ここに

核もつか持たぬかそれが問題だシェークスピアの世にあらざれば

威嚇するために核もつ某国に持たぬ故国は威嚇さるるも

悔しさは口には出せず黙りゐる国が故国と国民なげく

「虎の尾を踏んだトランプ」

2017年08月21日 11時31分41秒 | 短歌
今日の産経新聞を読んでいると、「視線」欄に「虎の尾を踏んだトランプ氏」という見出しがあって、思わず記事にしています。

なぜなら、私どものように短歌をやっている人間は、韻律に目ざとくなるから。(笑)

この見出しの面白いところは「虎の尾」の「とら」と「トランプ」の「とら」が韻を踏んでいることですね。

で、こういう韻を踏んだフレーズを見ると、思わず歌を詠んでみたくなるのは、職業病ならぬ、趣味病でしょうか?(笑)

で、さっそく詠んでみます。

  虎の尾を踏んだトランプ危うかり人種差別のありしアメリカ

  ナチズムやクー・クラックス・クランとふ秘密結社を非難はすれど

  娘婿ジャレド・クシュナー熱心なユダヤ教徒と聞けば聞き耳

  消えたりと思ひし差別いまもあるアメリカならず日本にもまだ

  白人であるトランプの弱点は白人であるその事実こそ

  日本でも逆差別とふ言葉あり差別されゐし者が差別す

  わたくしは聴覚障害者ですなど時に差別を逆手にとるや

  してならぬ差別なれども人間の歴史差別の歴史でもあり

  黒人を、黄色人種を差別してこし弱みあり現在(いま)白人に

  ユダヤ人差別してこしドイツ国ナチスは今は移民受け入れ

  いま移民国民よりも力もち国民小さくなりてゐるらし

  受け入れてあげし国より受け入れていただきし国はびこる国も

  国民に仕事あらぬに移民にぞ仕事あたへるドイツとふ国

  故国より逃げこし人ら居座りて在日といふ移民は威張る

  来てならぬなどは言はぬが来客であれば来客らしく暮らせよ

  皇室もいまや異国に乗つ取られ大和民族いづこに行きし

  あしひきの大和民族減り続け異国居座る国とはなりぬ

  田植えする瑞穂の国は消えさりてゆくやこのまま移民増ゆれば

なんとか20枚書いたけれども

2017年06月12日 15時59分24秒 | 短歌
ここ4,5日、家に籠って短歌の評論を書いていた。

今日、なんとか20枚書いたけれども、完成には程遠い。

が、読み直して書き直す体力がない。

年取ってきたら、何をしても体力のなさを痛感する。

肉体労働はもちろんだが、こういう座業でもしんどくなる。

短歌は年取ってもできる趣味だが、現実には、本を読むにも根気が足りなくなってくるし、まして、こんなふうに文章を書くのは苦行になってくる。

いや自分の中からあふれ出すものがあれば、そうでもないかもしれないが、無理して書くから苦行になるのだろう。

馬場あき子さんや尾崎左永子さんが90歳近い御年で頑張っておられるのを見ると、驚異だ。

もともとお体が丈夫であられたのか、それとも、生きがいがあるから、元気にしていられるのか。

私は、あまり長生きはしたくないが、しかし、もし長生きをするとすれば、彼女らのような生き方が目標だ。

  長生きをしてよかりしと思ほへる長生きならば長生きもよし  biko

5月歌会に出した歌

2017年05月30日 08時41分00秒 | 短歌
恒例の(?笑)歌会に出した歌のご紹介です。

5月のお題は「母」で、私は次のような歌を出して、下記のようなコメントをしただきました。

  離れ住む母のわがままひどくなりひねもす母を思う日々なり  biko

*上の句の切なく遠く悲しい感情、それでも「ひねもす」「思う」温かさ。
母のわがままに心悩み、振り回される子の気持ち。
遠くの家族ってどうして傍にいないのに、こんなに気になるんでしょうね。

*疎ましく思う気持ちと愛しい気持ちの間という感じ。好きと嫌いの裏返しみたいな。

*上句と下句のつながりに意外性があり、新鮮。納得する。

*わがままが募ってきたがゆえに、余計心配になるのだ。子どもとして自然な心情
なのだろう。

多くの方からの最初のコメントにもありましたようにとても共感を呼ぶ歌だと思います。離れ住む母は実母であり、実家では母が年と共にわがままを言うようになった。兄(弟)の嫁さんのご苦労を思うにつけ、「母さん、しっかり嫁さんの言うことを聞いてね」と遠くから願っているという心豊かなとても温かいいい歌だと鑑賞しました。

以上でした。

NHK短歌〜ゲスト知花くららさん

2017年05月08日 14時05分59秒 | 短歌
昨日のNHK短歌は講師、永田和宏氏、ゲスト、知花くららさんであった。

知花くららさんは、お名前はあちこちでお見掛けするし、実際テレビで拝見していたかもしれないが、昨日までお顔とお名前が一致していなかった。

綺麗な方ですね。そして賢いから、才色兼備の見本のような方ですね。

講師の永田和宏氏は、私の所属する結社の前主宰で、まあ短歌にのめりこんでいられる方々は。大概ごぞんじではないかと思う。歌人でありながら科学者でもあられる。いや科学者でありながら歌人であられるというべきか。

それにしても、永田氏は、毎回豪華なゲストを準備(?)される。

この知花くららさんとも、ずいぶん親しそうな感じであった。

私は行かなかったが、昨年の結社の全国大会はゲストが漫画家の池田理代子さんだったらしい。

歌友のブログによると、池田理代子さんは全国大会に参加されたあと私どもの結社に入会されたらしい。

これも、永田和宏氏の交友関係の広さゆえであろう。

写真が前後するが、番組の最初に永田和宏氏の作品が紹介された。

この歌を贈られた小池光氏も、永田氏と前後して奥様を亡くされた。

年齢も永田氏と同じ昭和22念生まれであられる。さらに共通点があって、小池氏は高校の数学の先生であられたので、永田氏と同じ理系の人である。

その次に出されたクイズ、この作品の作者は、昭和19年生まれだった方で、昨年の1月だったかな、亡くなられた小高賢氏だ。

実は私の歌友にも昭和19年生まれの方がいて、この小高賢氏と親しかった。彼らは昭和19年生まれの人たちで、「19年会」という会を作って交流されていた。


で、この穴埋め問題のようなクイズの答え、私は詠われている森鴎外の写真を見て、すぐにひらめいた。


参加者の三人は、それぞれ次のような答えを出されたが、これらの回答は、説明っぽいから違うと私は思った。


で、結局、私のひらめいた答えが正解であった。

「どんなもんだい!」と胸を張りたいが、ま、私が当てたくらいだから、当てた方も多かったと思う。

答えは「不機嫌」であった。

そうだよなあ、昔の男は女房、子供の機嫌取りなどしなかったよなあ、と納得であった。

  女房の機嫌取りなどすることも思ひつかずに明治の男  biko

  鴎外も例外でなく不機嫌な顔で残れるその肖像画  biko

  横顎であるゆゑ余計不機嫌は目立ちて明治の男、鴎外  biko

NHK短歌の再放送は毎週、火曜日の午後3時からです。ぜひご覧ください。^^