575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

戦争が 廊下の奥に 立つてゐた <白泉>

2020年08月23日 | Weblog


渡辺白泉<わたなべはくせん>1913年青山の生まれ。
父親は山梨の地主。港区青山で呉服店を経営。その
ため本籍は山梨となっています。青南小学校なので
私の先輩になります。慶應大学在籍中に水原秋桜子
<みずはらしゅうおうし>の「馬酔木」<あせび>に
参加。馬酔木は大正から昭和の日本文学を支えた総
合文芸誌といえるでしょう。

白泉は三省堂に入社。新興的な俳句を目指す「西東
三鬼」<さいとうさんき>の影響を受け「風」を創刊
します。そして、新興俳句集「天香」の創刊に関わ
り逮捕。新興俳句は当時の政府から厳しい弾圧を受
けていました。

日清戦争の正岡子規、日露戦争での与謝野晶子の長
詩などを除き、詩歌で戦争を詠むことはきわめて稀
でした。しかし新興俳句は戦争をテーマとし、その
内容は反戦や厭戦です。そのため、政府は新興俳句
を一掃してしまいます。こうした政府の言論統制に
文化が負けた悔しさ。角川源義<かどかわげんよし>
はすべての角川文庫の巻末にある刊行の辞に記して
います。

弾圧された白泉は古俳諧に道を求めます。しかし、
俳句への気持ちは捨てられなかったのか、石田波郷
<いしだはごう>の主宰する句誌「鶴」に偽名で投句
を続けます。やがて、白泉は横須賀の海兵団に応召
され、ほどなく復員。

戦争が白泉の心に大きな瑕疵を与えたのでしょうか。
戦後、白泉は俳句と全く無縁な教職に身を置きます。
そして、白泉は急死。勤務先の沼津高校のロッカー
から自筆の句稿本が見つかります。この本は「渡辺
白泉句集」として沖積舎より出版されています。

「鳥篭の中に 鳥とぶ 青葉かな」<白泉句集>

「鳥篭の鳥」表現の自由を失う悲しさを白泉は伝え
たかったのでしょうか。


写真と文<殿>
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1 コメント

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鳥篭の中に 鳥とぶ 青葉かな (遅足)
2020-08-23 14:26:26
表現の自由を失った哀しみ。
そういう内容を支える季語の青葉の悲しさ。

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