おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

八王子(横山)~駒木野~小仏~小仏峠~小原。その7。(「甲州街道」をゆく。第3日目。)

2017-04-27 19:25:45 | 甲州街道

いよいよ「小原宿」入り。「小原の郷」という観光施設が右手に。

小原宿
 甲州街道の9番目の宿場町(注:「甲州街道37宿」とした場合)であり、現在の相模原市緑区小原の一部に相当する。江戸より16里。
 東西に2町半(約270m)と小さかったが、難所である小仏峠の甲府側に位置するため、重要な宿場であった。
 西隣に位置する与瀬宿と対応して片継ぎの宿場となっており、江戸・小仏方面から来た人や荷物は当宿から与瀬宿を通り越して2つ先の吉野宿へと継ぎ立てるが、信州・甲府方面から来た人や荷物は与瀬宿から当宿を通り越して小仏宿へと継ぎ立てられた。つまり江戸方面から甲府方面に向かう場合のみこの宿場を利用できる。
 旅籠は7軒あり、一般の旅人だけではなく身延山や富士山への参拝客も泊まっていたという。


(14:39)「日本橋より63㎞」ポスト。

 (14:41)その先、右手に豪壮な建物。「小原本陣」です。
    
                          「甲州街道小原宿本陣」。

建物の概要
・建物構造 4層のカブト造りの入母屋風の建物
・建築年代 19世紀初期(江戸時代後期)
・規模 間口13間、奥行7間、91坪
・部屋数 15畳が2間、12.5畳が1間、8畳が3間、6畳が3間、4畳が3間、2畳が1間

「小原本陣パンフレット」より
 与瀬村に属していた小原宿は、江戸より16里、14番目の(布田5宿を1宿とすると9番目)の宿場として設置されました。宿場には本陣と脇本陣、7軒の旅籠と宿内29軒が軒を並べていました。 
 宿東端に御高札所があった小原宿は、西方与瀬宿を通り越し小仏宿へ継ぐ宿場で、小原宿、与瀬宿ともに片継宿場でした。家並みは街道の両側にあり、用水は大久保沢川の樋谷路沢より240間の樋を懸けて渓水を引き宿中を流しました。飲料水は水道のように各戸に導水し管理していたことは、他の宿場にはみられない事でした。中野、底沢は枝郷であり、千木良村、寸沢嵐村、若柳村は助郷村で、他に13村が加助郷村として伝馬人足を供給しました。往時の甲州道中の人馬継ぎ立は、25疋25人でした。ちなみに東海道は100疋100人でした。
 現在の本陣は、往時と変わりなく4層のカブト造りの入母屋風の建物で、定紋のついた敷居の高い玄関がある間口13間、奥行7間91坪の純日本風の豪華な建物です。小原本陣は、神奈川県下26軒あった本陣で現存する唯一の建物です。平成8年2月13日、神奈川県教育委員会より神奈川県重要文化財に指定されました。
 現在の建物の建造年代は定かではないが、およそ200年経過しているものと思われます。大名止宿の本陣らしい特色として、お座敷風の厠(便所)、湯殿(風呂)、大名が使用した「上段の間」には欅の1枚板が使われていた床の間があり、縁の下からはずせる忍の止宿の動静を探る仕組みになっていました。上段の間に続く部屋が、側近や家老などの「控えの間」です。さらに、畳が敷かれた15畳が1間、8畳が3間、6畳が3間、4畳が3間、2畳が1間と15畳ほどの板敷きには、かつては馬を繋いだといわれる広い土間があり、勝手には古色蒼然とした自在鍵のさがる囲炉裏があります。
 上段の前庭には松の木、泰山木、木蓮などの老樹、檜、かや、ドウダンツツジの巨木が由緒ある本陣の生証人のごとく見守っています。

補足1:この本陣を利用したのは信州諏訪藩、高遠藩、飯田藩の大名と甲府勤番の役人で、本陣に泊まりきれない家来などは脇本陣や別の旅籠などに泊まった。
補足2:甲州街道で現存する本陣は、「日野本陣」「花咲本陣」とここの3つ。

    

小原本陣(旧清水家住宅)
 この小原本陣は、江戸時代に信州の高島・高遠・飯田三藩の大名及び甲府勤番の役人が、江戸との往復の時宿泊するために利用したという古い歴史をもった建物です。
 この建物の当主清水家の先祖は、後北条の家臣清水隼人介で、後に甲州街道小原宿が設けられてからは、代々問屋と庄屋を兼ねていました。
 この建物の年代に関する資料は不明ですが、「甲州道中宿村大概帳」(天保14年・1843年)によると、「本陣凡そ建坪八十四坪門構二而玄関之無宿人口壱軒」とあり、現在の建物の建築様式から推測しても、江戸時代後期の18世紀末期から19世紀初期の頃の建築と思われます。
 規模は、間口12間、奥行き7間で土間妻側の裾を兜とした入母屋造りです。東側居住部分は天井が低く中二階があり、二階三階共に養蚕室として使われました。
 西側奥座敷は、三部屋に区切られその外側を入側縁で囲み、築山のある庭に面しています。奥座敷の北側の部屋が「上段の間」で大名が止まった部屋です。
 このように、旧清水家住宅は、本陣特有の座敷構えを示すと共に、津久井郡の典型的な大型養蚕農家の構造をしており、県下に26軒あった本陣の中で、唯一現存する貴重な建物です。

                                 平成8年2月13日指定  相模原市教育委員会

正面玄関。

駕籠。

    

本陣の前には高札場が復元されています。

「小原宿」の街並み。

                             旅籠風の建物がチラホラ。
    

左手、広場に向かう道に「与瀬宿」への道標があり、それに随って広場を横切り、右に進むと、国道に復帰します。
             

その先、すぐに国道を渡り、旅館「ひらの」がある坂道を上がって行くのが旧道ですが、見逃してそのまま国道を歩いてしまいました(次回はここからに)。

相模湖のダムサイト。

中央道方向。

 左手の奥の山上に、かつて何回か来たことがある旧「さがみ湖ピクニックランド」の観覧車が見えます。今は名称も変わって「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」というそうです。いろんなアトラクション、遊具、キャンプなどもできるそうです。

「与瀬」。

(15:11)ここで「旧道」が合流します。

(15:13)「相模湖駅前」交差点。右折すれば駅に。

 次回は、「鳥沢」駅までではけっこうあるので、「上野原」駅までにします。それほど時間もかからないようなので、少しゆっくりと出かけしよう。

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