おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

新町宿から藤塚一里塚まで。その6。(旧中山道をゆく。第7日目。)

2016-02-12 21:17:11 | 旧中山道
 (15:05)「君が代橋」を渡る手前の広場にあるのが「君が代橋」親柱。

君が代橋親柱
 君が代橋という名は、明治11年9月、明治天皇が北陸東海御行幸のとき、馬車で木橋を渡られたことを記念して命名されました。 
 この君が代橋親柱は、昭和6年に木橋から鉄橋に架け替えられたときのものですが、昭和53年より10年の歳月をかけて、三層構造のインターチェンジが建設され、君が代橋も新たに架け替えられた際、ここに移設されたものです。
 昭和62年3月 建設省高崎工事事務所

 自動車道が複雑に交差して、なかなか橋への道が分かりにくい。橋の向こうから自転車通学の高校生がやってきた、その道筋を確認して、何とか歩行者用の道を渡ることに。

    
                                        橋桁の向こうは「榛名山」。

    
 下流方向(高崎市街地)。                       上流方向(榛名山)。

(15:15)「烏川」を渡ってすぐに右折し、「国道406号線」へ。

 まもなく「下豊岡町西」の信号で、国道から離れて左に進みます。その角に追分の道標・石標「右 くさつ道」があったはずですが、見逃しました。けっこう辺りが寒くなってきました。先を急ぎます。 

 (15:30)この通りには高崎名物のだるまの製造工場をいくつか見かけます。
    

かなりの直線道路。けっこう長い!

上豊岡町交差点で「国道18号線」に合流する手前に、「茶屋本陣」。
 上豊岡の茶屋本陣は、中山道の高崎宿と板鼻宿との間に設けられ、大名の参勤交代や上級武士・公卿の喫茶や昼食等のために用いられた休憩施設です。宝暦7(1757)年には日光例弊使であった五條宰相菅原為成が、また文久元(1861)年には皇女和宮御下向の際に公卿などが客人として立ち寄ったことがわかっています。
 茶屋本陣の建物は、既にあった居住用の主屋(18世紀中頃築造)と接続する離れ座敷として19世紀の初めに増築されています。大名などが休息をとる「お座敷(オザシキ)」は8畳2室からなっており、北側の部屋は「上段の間(ジョウダンノマ)」、南側の部屋は「次の間(ツギノマ)」と呼ばれ、上段の間には違棚、床の間、書院が設けられています。


(以上、「」HPより)

(15:51)「国道18号線」と合流します。土手沿いに進みます。

振り返って望む。正面奥の道から来ました。

 本来、ここから土手に上がるのはなくて、まだ先の方で。ジグザク道をしばらく行って国道に合流し、「一里塚」の先でやっと土手に上がるのが正しい、らしいです。

左手、国道沿いの駐車スペースの先に「藤塚一里塚」。

    

(16:03)道路をはさんで右側にはお宮が。

説明板が不鮮明な箇所もあるので、「」HPより。

 一里塚というのは、慶長9(1604)年に江戸幕府2代将軍秀忠(ひでただ)の命令で主な街道が整備された時、街道一里(約4キロメートル)ごとに目印として築かれたものです。
 江戸時代、江戸(現在の東京)から京都までのルートには、海沿いの東海道と山沿いの中山道(なかせんどう)がありました。
 高崎市上豊岡町にある一里塚は中山道沿いに設置されたもので、、群馬県で唯一形の残っている一里塚です。塚の上には、樹齢400年と言われるムクノキが茂っています。
 この一里塚は江戸日本橋から28里にあたり、中山道で江戸からの距離は約112kmになります。
 なお、中山道は中仙道と記されることもありますが、正徳6(1716)年に幕府から、「海道に対する山道であるから、公文書では中仙道の文字はあやまりである」というお触れが出されたそうです。

土手の上からの一里塚。

草むらの中には祠が。

「碓氷川」の土手はまだまだ続きます。「←板鼻宿 2.5㎞ →高崎宿 3.6㎞」

  

 一里塚からその先を進んできて、携帯の電池が切れかかってきました。これ以上行っても「板鼻宿」にとうてい着けません。今回はここまでとします。
 しかし、「群馬八幡」駅まで戻るにはけっこうかかりそう。国道から駅に向かう途中にあったラーメン屋さんでビールを飲んで、ひと休み。

 「藤塚一里塚」付近のようす。



 1880年代のようす。



 ほぼ同じ場所の1970年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)

(17:25)「群馬八幡」駅に着く頃には陽もすっかり落ちて、残照。「妙義山」が遠くにシルエットで。

 
 

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