おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「落語鑑賞教室」。その12。柳家権太楼「百年目」。

2021-08-14 20:57:00 | 落語の世界

トリの柳家権太楼師匠。「寄席」では余りお目にかからない、約50分をかけて、「百年目」を演じました。ただし、権太楼師匠は毎年の5月興行では恒例になっていたようですが。

「金比羅」の出ばやしで登場。1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

枕で、10日間の演目を春夏秋冬に擬えて、冬は「うどんや」「二番煎じ」。夏は「船徳」「へっつい幽霊」。春は「百年目」「宿屋の仇討ち」。秋には、という趣向で演じようとした、と。今日は3日目なので「百年目」を、と。

それぞれ、古典落語の粋と言うべき演目がズラリ。コロナ禍での無観客の中での配信。権太楼師匠だけではなく、落語家の皆さん、その他の芸人さんたちの複雑な思いをかみしめながら、視聴しました。

この「百年目」。大坂・船場の商家を舞台にした大ネタで、かなりの技量と体力が演じ手に求められる。大旦那、番頭、丁稚、手代、幇間、芸者など多くの登場人物を描きわけ、さらに踊りの素養が必要、等、難しい噺である。

船場の商家の堅物番頭の次兵衛は今日も店の者に小言を並べている。定吉、佐助、喜助と続き、藤助には、芸者遊びをして帰った藤助には嫌みの限りを言い、ご本人は、得意先を回って来ると言い店を出た。

 その先には太鼓持ちの茂八が待っていて、桜の宮に花見に行く屋形船が待っている高麗橋へと向かう。途中、着物を預けてあるある駄菓子屋で、着物、羽織の紐から持ち物、帯、雪駄の鼻緒まで粋な物に着替える。

 芸者衆らが待つ高麗橋の浜から屋形船に乗った次兵衛は誰かに見られるとまずからと障子をぴったりしめ、ちびりちびりと酒を飲み始めた。船の中は締め切って蒸し暑く桜も見えず、芸者衆は不満でぶつぶつ言い始めるので、障子を開けると満開の桜の見事な春景色で、次兵衛は顔を扇子で隠して芸者衆らと土手に上がることにする。

 一方、店の旦那も桜が見ごろと聞き、医者の玄白先生と歩いて桜の宮へやって来た。玄白先生は扇子で顔を隠して芸者らと踊っている次兵衛をめざとく見つける。まさかと思った旦那もよく見ると次兵衛に違いない。

 旦那はこんなところで出会って恥を掻かせてもいけないと、脇を通り抜けようとして次兵衛につかまってしまった。顔の前の扇子を取った次兵衛は、「これはこれは、旦さんでございますかいな。長らくご無沙汰を致しております。承りますれば、お店も日夜ご繁盛やそうで、陰ながら・・・・」と、神妙な面持ちで喋り始めた。旦那は取り巻き連中に、「大事な番頭だからケガなどさせないように遊ばしてやって下さい」と言って帰って行った。

          

                 

 さあ次兵衛はいっぺんに酔いも醒め、顔面蒼白。歩いて駄菓子屋に行き、着替えて店に戻るが生きた心地もせず、店の者にいつもの小言を並べる余裕などなく、頭が痛いから布団を敷いくれと言って二階に上がったが寝られる心理状態ではない。荷物をまとめてこっちから先に店から逃げ出して行こうとしたり、あれこれと考えて悶々としているうちに夜が明けてしまった。

 帳場に座ったものの、帳簿の字なんか頭に入るはずもない。いつかいつかと思っているとやっと旦那からお呼びが掛かった。

 旦那の顔をまともに見られない次兵衛を前に、旦那は一家の主を旦那という由来を話し始めた。

「五天竺の一つの南天竺というところに赤栴檀 という見事な木があり、その根元に難莚草(なんえんそう)という雑草がはびこっているそうじゃ。難莚草をむしり取ってしまうと、赤栴檀も枯れるそうじゃて。 難莚草が生えては枯れるのが赤栴檀の肥やしになり、赤栴檀の下ろす露が、難莚草には肥やしになるんじゃそうな。 赤栴檀の「だん」と難莚草の「なん」と取って、『だんな』というようになったそうな」と、店の旦那と番頭、番頭と丁稚と互いに支え合う大事な関係だということを話した。

 ぺこぺことお辞儀ばかりしながら有り難そうに聞いている次兵衛に、旦那は次兵衛が店に来た十二才の頃の話しをし、やっと本題の昨日の一件に入った。この話の中で番頭には一年後に暖簾分けが決まっていることを話す。

 旦那は昨夜、帳面を全部調べたが一つの間違いもおかしな所もなかったと言い、「立派なもんじゃ。使うときはびっくりするほど使こうてこそ、またびっくりするよな商いもでけますのじゃ。やんなされ、やんなされ。わしも付き合うさかい誘うてや」と、次兵衛の目には涙が。

旦那 「けど昨日は、妙な挨拶をしたなぁ、”長らくご無沙汰をしとります”とか”陰ながら”とか、長いこと会わんようなことを言うたが、 あら酔うてたんじゃな?」

次兵衛 「お顔を見た途端に酒の酔いなんかきれいに消し飛びましたけど、あぁ申し上げるよりしょうがございませんでした」

旦那 「何でじゃいな?」

次兵衛 「こんなとこ見られたんで、こらもう”百年目”じゃと思いました」

「ここで会ったが百年目」とは、 悪事や企みが露見 して万事休す、もうおしまいと いう時に使う言葉。

演者によって少しずつ趣向が変わっているようです。

権太楼の『百年目』は、旦那に気づいた番頭が顔を扇子で隠して逃げる、旦那の方も顔を合わせまいとしてと逃げようとする。そのやりとりが面白い。

 翌朝、旦那は呼び出した番頭にいきなり「昨日は賑やかだったね、向島」と切り出し、番頭が「あれは商売上の……」と言い訳するのを「お付き合いで遊ぶときは相手より多くお金を使ってくださいよ」と軽くいなしてから「ゆうべ眠れたかい? 私は寝られなかった」と本題へ。

「帳面には穴がこれっぽっちも空いてない。あの出来の悪い子が、立派な商人になった」と思い出話に入り、そこで“栴檀と南縁草”の譬え話を持ち出して「旦那と番頭の関係から、丁稚へのしかり方」をこんこんと説く。

最初に向島の件を切り出して、“栴檀と南縁草”を最後に」という演じ方は志ん朝の演出と同じようです。

上方の噺を江戸の噺に仕立て上げたもの。

に大柄な身体を活かして、ダイナミックに演じた権太楼師匠。50分間、最後は少し着物の裾が乱れてしまうほどの熱演。

まったく飽きさせない話芸の粋でした。 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「落語鑑賞教室」その11。桂... | トップ | 「落語鑑賞教室」。その13。... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

落語の世界」カテゴリの最新記事