おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「人類が永遠に続くのではないとしたら」(加藤典洋)新潮社

2015-05-31 21:05:53 | 読書無限
 人は思索することで人間としてより深く変容する。とは思うが、突き詰めれば、言語活動としてとりわけ他者に向けて発信することによって、必然的に生じるアクション、リアクションの関係でより思索が深化する、という実に当たり前のことを思う。それはまた、外界の事物・現象に向かう(対処する・思索する)自らの体内作用、そして体外への発露としての言語活動ということになるのだろう。
 人は、そういう永続的な言語活動によって、自らをより次元の高い、あるいは次元の低い立場(あくまでも過去の自らにとっての)に置くことになるのだろう。評論活動というのは、たぶんにその成長と怠惰と停滞という進行の中にあるのだろう。そういう意味では、加藤さんだけでなく、内田さんも、高橋さんも、自らの発した言語によって打ちのめされ、励まされ、降りかかってきた火の粉に敢然と立ち向かって意図的に「変容」し続けるのだろう。読者としてはまさにその面白さがかの方々の評論活動にはあることを想う。吉本だとかの人達とは一皮も二皮も剥けていく、その興味が読者を誘うのだ。
 「小説家は処女作に向かって成長する」などということを聞いたことがあった。太宰などはその典型だと、・・・。それに比べて何と自由なことよ!  西洋哲学に依拠した哲学者たちの不自由な言語活動に比べれば。 けっして皮肉ではなく。

 高橋さんにしてもその読書量は並ではない、世界へのアンテナの張り方も。加藤さんは、それ以上にすごい! 
 いずれにせよ、2011・3・11東日本大震災、とりわけ福島原発事故による衝撃を、どう自らの頭で体で評価する、大きく世界観が変わり、それまでの思索過程(評論活動への責任も含めて)を検証していく、そこ果てに新たな地平を切り開いていく、そのプロセスが赤裸々に語られていく、正直に。

 ・・・これから考えていく手がかりは、全くの「シロート」として、技術、産業、科学といった道の新しい領域に「非正規的な思考」を駆使して、抗いながら、踏み行っていくことだろう、
 ・・・私たちは、かつて革命について、戦争について考えたように、いまは技術、産業、事故について考えることで、ようやく世界で起こっていることがらとそれがさし示す未来とに、向きあうことができるという気がする。(本文あとがきP416)

 その思索の根底には、地球と世界が有限性を前にして、人類の新しい経験の核心にあるものはどのような試練か? がある。
 人間が人類であるとともに生命種でもあること、そのような人間観に立った場合、「いまある問題がどのように私たちの前に見えてくるかを見定めよ、それが私たちの最初の課題なのだ、と」(P402)
 そして、「贈与」の本質、原理を提示する。

 「日本の戦後の問題も、この有限性の生の条件のもとで、考え直さなくてはならないだろう・・・関係の修復、信頼の創造。その根源に負債の支払いと贈与の用意がある。」(P406)

 

 
 


 
 

 
 

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