おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その4。「枡形」。「五井陣屋」。「小湊鐵道」。(「房総往還」をゆく。第3日目。)

2020-02-20 18:59:37 | 房総往還
                         街道筋には大きなおうちが並ぶ。
        

手入れの行き届いた庭木のあるおうちが目立つ。

庭先には「ナツミカン」がたわわに。

途中の魚屋さん「寿々喜鮮魚店」。粋な店名。人通りもほとんどない中、熱心にさばいています。その先には「すずき旅館」。
カジキマグロ。

サバ。

路地の奥に「共同墓地」(↓)。宗派を問わずに地域の中に。

この付近、海に通じる運河が多い。

「割烹かしわ寿司」。

落ち着いて静かな街並み。

海に通じる運河。
                右手奥に「八幡御所」疑定地あり。
 小弓公方足利義明が小弓城に入る前に一時館を構えたといわれているところで、「ジョイフル本田」の裏手付近か?

市原市のマンホール絵柄。



                 

「北五位学校跡」碑。

                         

「五井(五位)」の町への入口は大きな枡形のようです。
「小倉酒店」が曲がり角手前に。

大きく左に曲がり、

振り返る。

それから大きく右へ折れます。
                            正面に見える大きなおうちが存在感あり。

振り返る。
    家並みがない分、枡形がよく分かります。
               

この付近の今昔。


1880年代のようす。→が枡形の道筋。



2010年代のようす。現在、この付近は、宅地造成が行われているようです。

 「五井」の町に入ります。

古くは「御井・後井・五位」などの文字が混用されていました。
のち「五井」に統一され、五井村村誌に「天正18(1590)年8月1日徳川家康公、関東を領するに及び、同9月1日御家人の知行となる、同年松平家信五井五千石を賜る」と記述が残っています。江戸と安房を結ぶ海運・陸運の交通の要所として昔から栄えていました。

注:五井藩主有馬家が歴代「従五位下」であったこととの関連はなさそうだが。

奥に白壁の蔵が。

看板建築の商店。

「五井駅入口」交差点。

来た道を振り返る。

 「五井駅」西口ロータリーが「五井陣屋」があったところのようなので、駅方向に向かいます。

 「五井駅」は小湊鐵道の乗換駅でもあり、去年、養老渓谷に行く時に利用しました。


弘文洞跡」。

        
小湊鐵道線(こみなとてつどうせん)
 千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ小湊鐵道の鉄道路線である。
 東京湾沿岸から房総半島内陸部を結び、路線の大半が市原市内に属する。

「五井陣屋」跡。特に解説板等はなし。

カラー版のマンホール。
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