被告全員の無罪が確定した、2003年の鹿児島県議選公選法違反事件で、藤山雄治・県警本部長は、29日の鹿児島県議会で、捜査員4人を表彰したことについて「無罪だからといって功労がなかったとは言えない」と述べ、表彰を取り消す考えがないことを明らかにした。県警は、捜査にあたった警部補を本部長表彰、別の警部補と巡査部長二人を刑事部長表彰にしていた。
松崎真琴議員(共産)が「摘発が間違いと認められた。取り消すべきだ」とただしたが、藤山本部長は「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由もなく、検討も必要ない」と述べた、とのこと。
おかしな屁理屈
その1「無罪だからといって功労がなかったとはいえない」
その2「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由がない」
その3「(取り消す)検討も必要ない」
この年、統一地方選で多数の違反を摘発したのが理由で、鹿児島県警は、選挙違反告発で、警察庁長官から表彰を受けていた。その中の一つが、えん罪事件になったでっち上げ事件。
おそらく、この年の地方選。選挙違反摘発・逮捕を至上命令として、県警あげての取り組みだったのだろう。そうした県警の雰囲気の中で、こうしたえん罪につながった、無理な捜査・自白強要があったとみるのが、普通の感性だ。
むしろ、そうした負い目があるから、今さら(無罪確定後も)自ら返上したり、取り消しを検討する必要がない、などと答弁したのだ。当然、その責任が、自らに及ぶからだ。国から表彰され、県警内部でも表彰を行った、このことの引っ込みがつかない!
たしかに、第一線の警察官・警察は、一般が思う以上に、大変な困難・苦労の中で、さまざまな事件を捜査、摘発しなければならない。その中で、功績を挙げた者を表彰するのは、あってしかるべきだ。そのことを批判をする者は少ないだろう。(これが、ゆがんだ成果主義になって、現場を競い合わせていくことになっているかもしれない、とは思うが)
しかし、無罪になった事件に関わった(それもきわめて無理・違法な、人権無視の摘発・取り調べ・・・)者の表彰の取り消しは、当然。
取り消したら、現場の士気に悪影響があるから、また警察のメンツがつぶされる・・・。この程度の判断力では安心して警察に任せることができなくなってしまう。
自衛隊のあたごの漁船転覆事件でもそうだが、絶対的な権威・権力を持ち、暴力装置を有する国家機関への信頼がなくなることが、もっとも恐ろしいことだ。
松崎真琴議員(共産)が「摘発が間違いと認められた。取り消すべきだ」とただしたが、藤山本部長は「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由もなく、検討も必要ない」と述べた、とのこと。
おかしな屁理屈
その1「無罪だからといって功労がなかったとはいえない」
その2「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由がない」
その3「(取り消す)検討も必要ない」
この年、統一地方選で多数の違反を摘発したのが理由で、鹿児島県警は、選挙違反告発で、警察庁長官から表彰を受けていた。その中の一つが、えん罪事件になったでっち上げ事件。
おそらく、この年の地方選。選挙違反摘発・逮捕を至上命令として、県警あげての取り組みだったのだろう。そうした県警の雰囲気の中で、こうしたえん罪につながった、無理な捜査・自白強要があったとみるのが、普通の感性だ。
むしろ、そうした負い目があるから、今さら(無罪確定後も)自ら返上したり、取り消しを検討する必要がない、などと答弁したのだ。当然、その責任が、自らに及ぶからだ。国から表彰され、県警内部でも表彰を行った、このことの引っ込みがつかない!
たしかに、第一線の警察官・警察は、一般が思う以上に、大変な困難・苦労の中で、さまざまな事件を捜査、摘発しなければならない。その中で、功績を挙げた者を表彰するのは、あってしかるべきだ。そのことを批判をする者は少ないだろう。(これが、ゆがんだ成果主義になって、現場を競い合わせていくことになっているかもしれない、とは思うが)
しかし、無罪になった事件に関わった(それもきわめて無理・違法な、人権無視の摘発・取り調べ・・・)者の表彰の取り消しは、当然。
取り消したら、現場の士気に悪影響があるから、また警察のメンツがつぶされる・・・。この程度の判断力では安心して警察に任せることができなくなってしまう。
自衛隊のあたごの漁船転覆事件でもそうだが、絶対的な権威・権力を持ち、暴力装置を有する国家機関への信頼がなくなることが、もっとも恐ろしいことだ。