百島 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島 旗色掌

2011年09月22日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百島 海老呑地区の沖合いに小さな岩礁がある。

その名を「白石」または「旗石」という。

これは、中学生の時に、石山(軍殿山)に登った時に、福田地区の同級生から聞いた伝承話である。

むかし、おおむかし、十文字山の方から、大きな山の神・・龍のような蛇が、山を背負って、海の中を泳いでいたとか・・。

その時、山の神が、背負っていたのが、「白石」もしくは「旗石」だという。

小生は、何かを秘かに祀った祠に映る。

そして、何故・・「白」と「旗」が混在しているのか?

・・謎解きである。

嘉吉の乱後・・百島に赤松一族が逃れてきた。

それまでの赤松家の居城は、播州播磨の「白旗城」であった。

赤松一族が祀っていたのは「白旗八幡宮」「白旗観音」である。

つまりは、赤松一族は、赤(桃)旗の平氏一門ではなく、八幡宮に連なる白旗の清和源氏一門の流れを汲むのである。

百島の本村地区の八幡神社、福田地区のある貴船神社。

一方、平家一門は、瀬戸内海を制覇しており、百島の泊地区には厳島明神がある。

平家一門の氏神となる厳島神社は、毛利家一族まで連なるのである。

百島には、旗手(はたて)姓がある。

だが、泊地区には、村上姓も旗手姓もほとんどない。

かつて、泊堂の道ができるまでは、百島では、泊と福田・本村の文化風習が、少し異なるものがあったという。

こんな小さな百島の社会(世界)でも、源平の戦以来の無意識にテリトリーの構築区分がされていたのではないだろうか?

小生の個人的な憶測見解であるが・・

旗手のおじさんへ。

旗手姓のルーツは、読み書きの出来る神官か僧侶の身分ではなかったのかと考えるのです。

百島を安住の地となるべき(当時のネゴシエイターとしての)役割のような時代の旗手(きしゅ)として、旗手(はたて)姓を名乗ったのかもしれません。

尚、百島にある天理教、黒住教も、旗手一族の方によって継承されています。

さらに、平家の桃色赤旗に遠慮しながらも、「桃」島から「白」に似た「百」島を名付けたのは、旗手一族のご先祖の方かもしれませんね。

草々。



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白地に、赤く・・日の丸染めて・・日本の国旗の成り立ちである。



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1 コメント

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恐れ入ります (旗手)
2011-09-26 16:35:13
今日は!彼岸花が満開・・ススキも満開・・すっかり秋めいてまいりました。腰の状態は少し悪くても、頑張って帰省される貴方の故郷思い・・親孝行・・感心することばかりです。

更に百島の歴史と言いますか史跡と言いますか、一つの山の名前にさえ言い伝えをシッカリ結びつける話には、実にうなる思いです。
私のはじめて知ることばかりです。
故郷を思う純粋な性格が、そこに深く存在するのだと思います。

私が此処に手紙的に散文を書くことさえ・・貴方のブログの品位に申し訳ないのではないかといつも戸惑います。

百島の桟橋で同級生に電話を掛けられたときの話です。「段々難しいことを書いておられる」との話・・・そうだな~と思いながら、文章には何故か知識が吹き出ている様な凄さを感じています。

私ごときはこうして日常の手紙しか書けません。更に百島に帰ることも無く・・皆さんにはかなり申し訳なく感じている昨今です。
仕事が一段落したらと思いつつも、全てが海の上で人が行動することです。いつも気持ちの上に引っかかるものが続きます。
言い訳に過ぎませんが・・同級生からも「たまには帰れや」と叱責されている者です。

何処かで気持ちの整理をして、私が育った家の縁側に座ることが今では夢の一つにもなっている、不甲斐なさを感じているのも事実です。

それにしても貴方の百島を語る奥の深さに、圧倒される毎日です。不思議な人とめぐり合ったものだと思いつつ・・重船長/奥さんの記憶の端におぼろ顔が浮かんできます。そして私の頭の中には其のお父さんと似ておられる天谷さんが最近住み着いているようです。

季節もよくなりました。健康を取戻して、強い文書のように元気になってください。貴方は多分百島の宝物だと思います。

旗手家のルーツを分析して、とても良い歴史に結び付けていただき光栄です。其の名前に恥じないように頑張っていきます。両親に恵まれなかった私に、その様なルーツが存在するとすれば、頑張る気にもなりますね・・・。今日もこの様な雑談にて失礼します。

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