永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(81)

2008年06月17日 | Weblog
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【須磨】の巻  その(11)

 源氏は一人目を覚まして、秋風のひどく荒れますのが、波が枕元に寄せて来るばかりに思われ、侘びしさに琴を少し掻き鳴らしてごらんになると、われながらに音のさえて凄い様に聞えますので、さらにお弾きになって
「恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ひかたより風や吹くらむ」
――浦波の音が、恋いわびて泣く自分の声に似ているのは、恋しいもののいる方から風がふくからでしょうか――

 人々が目を覚まして、結構に感ずるにつけても、堪えかねて、あちこちでひっそりと鼻をかんでいます。

源氏は
「げにいかに思ふらむ、わが身ひとつにより、親兄弟かた時たち離れ難く、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひあへる、と思すに、いみじくて……」
――ここに居る者たちはどう思うであろう、私一人のために親兄弟と片時も離れがたいであろう家から別れてきて、こうして流離っていると思うとひどく気の毒に思われます。(自分が萎れていては、もっと心細いであろうと、昼はなにかと冗談など仰っては気を紛らわし、暇にまかせては、いろいろの色の紙を継ぎ継ぎして、漢詩や和歌など書いて手習いをなさったり、さまざまな絵をお描きになったり、海や山を今はじかにお目にふれますので、何事も見事になさっておいでです)――

 前栽の花が色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、源氏は海の見える廊にお出になって、佇んでいらっしゃるお姿の空恐ろしい程美しくお見えになること、場所が場所だけにこの世のものとも思われません。

源氏は
「白き綾のなよよかなる、紫苑色などたてまつりて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて『釈迦牟尼佛弟子(さかむにぶつでし)』と名のりて、ゆるるかによみ給へる、また世に知らず聞ゆ」
――白い綾の柔らかな下着に、紫苑色の指貫など召され、色の濃い御直衣に、帯をゆるやかに、くつろいだご様子で「釈迦牟尼佛弟子」と名乗ってゆるやかに読経されますのも、また世になく尊く聞えます――

 沖の方からは舟の謡いざわめき漕ぎ行くのが、また雁の鳴く声とをお聞きになっては涙をおはらいになる源氏の御手が、黒檀の数珠に映えてみえるなやましげなご様子に、ふるさとの女たちを恋しく思う者たちの心を慰め安らげてくださるのでした。

◆綾織(あやおり)
織面に経糸・緯糸により綾目が斜めに連なって現れる織物。経糸・緯糸、それぞれ三本以上の組織(三本の場合は「三枚綾」)がつくられるので平織に比べて緻密に厚くでき、風合いが柔らかく光沢に富む。ただ「綾」と言えば無地、「文綾」と言えば有文の綾地を指すこともある。

◆写真 紫苑色 下左

ではまた。

源氏物語を読んできて(女房の日常 御湯殿)

2008年06月17日 | Weblog
御湯殿(おゆどの)

風呂。体を洗う場所のこと。

 平安期には、湯船に浸かるという習慣が無く、湯浴み(ゆあみ:掛け湯などをして体を洗う。)が中心だった。

 大きな寺院などで、蒸し風呂・薬草風呂などのサービスがあり、むしろ貴族より、庶民の方が入浴していたかもしれないという説がある。
蒸し風呂には、火傷をしないように湯帷子(ゆかたびら:浴衣の前身)を着て、桟に布(風呂敷(ふろしき)の前身)を敷いて入る。

 民間では、外に簡単な囲いを造り、焚いたお湯を桶や鉢(はち)ににくみ出し、ひしゃくなどで掛け湯しながら洗身する。
当時、湯焚きは重労働なので、おそらく数世帯まとめて数日おきに行ったと思われる。暑い日は川で洗身もあり。

 貴族では、屋敷内の任意の場所(渡殿が多い)を御湯殿(おゆどの)に決めて、屏風(びょうぶ)などで囲み、桶などに下屋で焚き出してきたお湯を汲んできて、湯帷子を着たまま手拭(てぬぐい)などで体を洗う。
糸瓜(へちま)や糠袋(ぬかぶくろ:絹袋に米ぬかを入れたもの。絹も糠も肌にとてもよい。)なども使ったのかもしれない。

 女性は、長い髪の床に付く部分だけ毎日洗い、全部洗髪するのは?
洗髪・整髪剤は、 (ゆする・米のとぎ汁)や、灰汁(あく)・サイカチ(マメ科の樹木)やムクロジ(ムクロジ科の樹木)の皮を煮出した汁(ともにサポニンを含み泡立つ)も使われた。

 洗顔・美容液には、「澡豆(さくつ)」と呼ばれる小豆などの豆の粉を使う。 

源氏物語を読んできて(女房の日常 桶殿)

2008年06月17日 | Weblog
桶殿(ひどの)

便所のこと。

 平安期、民間では辻などを便所と定めて(建物はおろか、穴も仕切りも無い・・)、チュウ木と高下駄(たかげた:歯を高くした下駄)を置いておく。
 もよおしたらそこへ行き、下駄を履いて(くっつかないようにするため)用を済ませ、チュウ木でぬぐう。

 貴族ではオマルを用いる。これを、清筥(しのはこ)・桶筥(ひばこ)・虎子(おおつぼ)・マリ筥(オマルの語源?)などと呼ぶ。豪華な漆器製。

 桶殿(ひどの)といっても、特定の建物があるわけではなく、屋敷内の任意の場所(渡殿(わたどの)などが多い)にオマルを置き、周りを几帳(きちょう)・壁代(かべしろ)などで覆う。

 もよおしたさいは、桶殿(ひどの)へ行き、帳(とばり)の前でまず上着・袴を脱ぐ。女性は髪を邪魔にならないようにまとめる。中に入ってオマルにまたがり、後のT字型の木(後のキンカクシ)に装束の裾を掛けて用を済ます。チュウ木でぬぐった後、専用の盥(たらい)でお尻を洗う。

 オマルに溜まったら、桶清童(ひすましのわらわ)という掃除係の女童(めのわらわ)がそれを遣水(やりみず)へ捨てに行く。

 住み込みで仕えに出ている女房(にょうぼう)などは、夜、局(つぼね)で休むときには枕元にオマルを持ち込むとか。