永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(64)

2008年06月01日 | Weblog
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【賢木】の巻 (12)
 
 お二人のお話は尽きず、九月二十日の月がさし出でて、趣深い夕暮です。春宮の大層利口でいらっしゃることなど、続いてお話されます。源氏はこれからのご勉学のことについて申し上げた後、これから藤壺へご挨拶に伺いますと言われて退出されます。

 その時、弘徴殿大后の御兄の籐大納言の御子で、頭の弁といって今は得意の絶頂の若い者が、源氏とすれ違い様に、ちょっと立ち止まって
「『白虹日を貫けり。太子怖じたり』と、いとゆるやかにうち誦したるを、大将いと眩しと聞き給へど、咎むべきことかは」
――(燕の太子丹が、秦の始皇帝を刺すため刺客を放ったとき、白い虹が月を貫いたのをみて、失敗を怖れたという故事=源氏の朱雀院に対して異心を抱いているとあてこすって)
ゆるやかにのんびりと口ずさんだのを、源氏は不愉快に聞かれましたが、咎め立てても仕方がない――

源氏は藤壺の御前にて
 今まで、御前(朱雀院)におりまして、こちらへ上がるのがおそくなりました、と申し上げます。

◆直接お目にかかれる場所での挨拶ではなく、命婦をとおしてご挨拶されるのです。

 隔ての向こうの藤壺の気配をほのかにお感じになり、懐かしさで胸がいっぱいになりますが、折りも折りとて、とおり一遍のご挨拶だけになったのでした。

 さて、源氏はあの頭の弁の口ずさんだ『白虹日を貫けり。太子怖じたり』を思い出し、不吉で嫌なご気分になられ
「御心の鬼に、世の中わづらわしう覚え給ひて……」
――良心の呵責に、世の中をわづらわしく思われて、(朧月夜の君にご消息されないことも久しかったある初時雨どき、どうしたことか、朧月夜の君から文が参ります――

 このような女方から、文が来ますが、源氏は「御心には深う染まざるべし」
――どちらにも、お心には深く染まらぬようです――

◆御八講(みはっこう)法華八講 (ほっけはっこう)
    法華経八巻を四日がかりで講じる儀式。
    朝夕に一巻ずつ4日間で8人の講師が読経する。
    使う法華経は書の達人に写経させ、豪華に装飾する。

ではまた。

源氏物語を読んできて(食事)

2008年06月01日 | Weblog
平安時代の貴族の食事

▲食品の種類(一例)
ひしお類  クラゲ、ホヤ、赤魚、肉など
魚類    コイ、タイ、マスなど
干した菓子 ザクロ、串柿など
果物    橘、杏、すももなど
唐菓子   梅小枝、桃小枝など
粉餅    赤、青、黄など
汁物    アワビ、汁鳥、鯛など
焼物    キジ足、ぬかご焼きなど
調味料   酢、酒、塩など

▲早死にだった貴族

 食事は朝10時と午後4時頃の2回でした。
 
 平安貴族は、消化の悪い、栄養の片寄った食事をしました。その上室内中心の生活で運動不足だったことから、不健康でした。貴族たちの多くが、栄養失調や皮膚病、結核、脚気、鳥目などの病気になりがち早死にするものが多かったようです。貴族が全盛期を迎えた、平安時代中期、貴族の推定平均寿命は、男性が50歳、女性が40歳でした。

 平安時代の貴族は、強飯と魚貝類や野菜などに、塩などの調味料がつき、自分の好みで味つけをして食べました。食品の種類も多く、たいへん豪華ですが、このような食事は、宴会や儀式などのときのもので、ふだんはもっと品数も少なめでした。儀式では箸をつける程度の儀礼的であったようです。
 
 魚貝類や肉類の多くは遠方から京にとどくため、干物などに加工してあり、新鮮なものはあまり食べなかったようです。

 また、食事が形式化して毎日同じようなメニューが続いたり、食物への迷信などもあって、栄養がかたよった不健康な食事になりがちでした。一方庶民の食事は質素でしたが、玄米飯に自分たちでとった新鮮な肉なども食べたので、貴族にくらべて健康だったようです。

◆写真は平安時代の貴族の食事の模型