永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(79)

2008年06月15日 | Weblog
6/15 【須磨】の巻  その(9)

紫の上からのお文は
「浦人のしほくむ袖にくらべ見よ波路へだつる夜のころもを」
――須磨の浦のあなたのお袖にくらべてご覧下さい。波路遠い京で涙にぬれた私の夜着を。決して見劣りはしないでしょう――

 紫の上から贈られた夜具や衣裳は、色合いといい、仕立てといい、大層きれいです。

源氏は、今は、かかわりある婦人もおらず、しずかに暮らせる筈ですのに、夜昼となく紫の上の面影を忍ばれて、
「なほ忍びてや迎へましと思す」
――やはりそっと迎え取ろう、と思われます――

「また打ち返し、なぞや、かく憂き世に罪をだに失はむと思せば、やがて御精進にて、明け暮れ行ひておはす」
――いや、どうしてそんなことができよう。このようなつらい世にせめて罪障でもなくするようにと思われるので、その場から精進に入られて、朝夕お勤めになります――

 夕霧については、いつか自然に逢うこともできよう。頼もしい祖父母がついていらっしゃるのだから、気がかりに思う必要はないと、考えられています。
(作者のことば)源氏という方は、子ゆえに惑われるということがないのでしょうか。

「まことや……かの伊勢の宮へも御使ありけり」
――ああ、そうそう、書き漏らしておりました。かの伊勢にいらっしゃる六條御息所へもお便りをされていました――

 伊勢からもわざわざお使いが見えて、細やかな長いお手紙の中のうた
「伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり」
――潮干に漁っても貝のないように、伊勢に住む私は生きがいのない身です――
(貝に生き甲斐をかけた)

 源氏はあの生霊という一件で嫌だと思ったことで、御息所も自分を嫌になられたと思うと、今更ながらお気の毒で、もったいなく思われるのでした。

 又のお返しの文には
「かく世を離るべき身と、思ひ給へましかば、おなじくは慕ひ聞えましものを、などなむ……」
――このように憂き世を離れねばならぬ身と予期していましたならば、いっそご一緒に伊勢へお供申したものを、などと考えまして、(再会出来る日がいつとは期しがたいのがかなしく存じます)――

このように、あちらにもこちらにも不安なお気持ちになられぬように文をなされます。

◆「まことや」=ああ、そういえば : 場面を変えるときに使います。

ではまた。