永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(87)

2008年06月23日 | Weblog
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【須磨】の巻  その(17)

お二人のうた
源氏「ふるさとをいづれの春か行きて見むうらやましきは帰るかりがね」
――いつの春わたしはふるさとに帰れるでしょう。今北に帰る雁がうらやましいことです――
宰相「あかなくにかりの常世を立ち別れ花のみやこに道やまどはむ」
――仮の常世としていつまでもここに居たいのですが、心ならずも立ち別れたなら、花の都への道も迷うことでしょう――

 宰相からは京の土産として整えて出された物は、優れた名笛で
「形見に忍び給へ」
――形見として思い出してください――

 源氏からは、黒駒を差し上げます
「ゆゆしう思されぬべきれど、風にあたりては、いばえぬべければなむ」
――日陰の身からの贈り物は縁起でもないと思われるでしょうが、ふるさとの風が吹けば、馬もいななくでしょうから――

と、人がとがめ立てなさるほどの品は取り交わされませんでした。
 
 日がようよう昇ってきましたので、あわただしくお見送りなさいます。源氏はいつ京へお帰りになれるともわからぬ身を思い、悲しくてぼんやり眺め暮らしておいでです。

 三月はじめの巳の日に
「今日なむ、かく思すことある人は、御禊し給ふべき」
――今日こそ、このように御心労の多い方は、御祓いをなさるのが良いのです――

と、物知りに言う人がいますので、源氏は海辺の様子もご覧になりたいと、お出かけになります。ざっと軟障(ぜじょう)の幕をめぐらせて、陰陽師を召して、御祓いをおさせになっています。船にたくさんの人形(ひとがた)を乗せて流すのごらんになって、ご自分も流され人なので、その人形に譬えられてのうた

「知らざりし大海の原に流れ来てひとかたにやはものは悲しき」
――今まで知らなかった大海原に人形のように流れて来て、ひとかたならぬ悲しい思いをするとは――
「(人形(ひとかた)に一方(ひとかた)をかけた)

 海の面はうらうらと凪いで、はてしなく見えます。

◆人形(ひとがた)=なで物または、形代(かたしろ)とも言う。陰陽師が祓いや、祈祷の時に用いる。紙などを人の形に切り、それで身を撫で、災いを移して水に流す。

ではまた。

源氏物語を読んできて(ひな人形の由来)

2008年06月23日 | Weblog
ひな人形の由来

 ひな祭の歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)に迄さかのぼります。
 その頃の人々は、三月初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。 陰陽師(おんみょうじ、占師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食べ物を供え、 また人形(ひとがた)に自分の災厄を託して海や川に流すのです。

 また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとは人形のことです。 紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。
長い年月の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭となりました。

 上巳の節句が三月三日に定まったのは、我国では室町時代(約600年前)頃のこととと思われます。
◆参考:(日本人形協会編「ひな祭の歴史」より)


源氏物語を読んできて(軟 障)

2008年06月23日 | Weblog
軟 障(ぜじょう)

この写真は、宮中の立派なものですが、壁代(かべしろ)の高級なものが軟障です。
絹製で四方に紫の縁をつけ、高松に唐人などの絵を彩色した。

この物語の場面では、もっと簡便なものです。

◆写真は 風俗博物館より