源氏物語を読んできて(円座) 2008年06月27日 | Weblog 円座(えんざ) すげ、い草などの葉を渦巻きのように丸く編んで作った敷物。 これを織物で包み縁をつけ、その色によって位の上下の別をつけたりする。 現在の座布団。綿や木綿が普及するまでは、このようなものを板敷きの上に 敷いて使った。
源氏物語を読んできて(寝具) 2008年06月27日 | Weblog 寝具・寝所 平安時代には畳が敷き蒲団の中心でした。“たたみ”とは、「重畳(かさねだたみ)する」「幾重にも積み重ねる」という意味で、最初は畳といっても、ただむしろを何枚か重ねて敷くだけのものでした。 清少納言や紫式部が活躍した平安時代中期には、貴族の寝所といえば、柔らかい絹のふとんを想像しますが、実はいかにも硬そうなところで眠っていたのです。 寝て、体にかけるものはふすま。「臥す(ふす)」と「裳(も)」が合わさって「ふすま」の名称になりました。 平安時代のふすまには、襟(えり)や袖のついたものもありました。いまでいうと、かい巻き、どてらのような夜具ですね。 今日でいう厚みのある畳が生まれたのは平安時代。 寝具に大変革をもたらしたのは木綿の普及です。詰め物としての綿と同時に外側の布地も絹から木綿に変わりました。 ◆茵(しとね)畳の真ん中にある縁取りしたもの、真綿が入っている。
源氏物語を読んできて(91) 2008年06月27日 | Weblog 6/27 【明石】の巻 その(3) 連日連夜のこの雨風波風に騒がしかったこともありましたので、源氏はふと、まどろんで物に寄りかかっておりますと、故院(桐壺院)が、在りし日のままのお姿で立っておられて、 「などかくあやしき所にはものするぞ。住吉の神の導き給ふままに、はや舟出してこの浦を去りね」 ――なぜこんな変な所にいるのです。住吉の神のお導きのままに早く舟出して、この須磨の浦を去りなさい―― 源氏は、故院にお別れして以来悲しいことばかり多く、もうこの海辺で死んでしまいたいのです、と申し上げますと 故院「いとあるまじきこと。これはただいささかなるものの報いなり。……」 ――とんでもないこと。お前の不運はちょっとしたことの報いなのです。(わたしが在位のときは失政はしていないが、知らずの内に犯した罪の償いをするのに暇がなくてこの世を顧みないでいたが、お前がひどい憂き目に沈んでいるのをみると我慢できずに、あの世からはるばる海山を越えて来たのだ。大層疲れてはいるが、こうしたついでに朱雀院に申し上げることがあるので、これから急いで上るところだ)――と仰って立ち去られました。 一瞬のことでしたが、命が尽きそうなこの時に、天翔けて来られたと心に沁みて、そのためにこそ、この悪天候もあったことよ、と源氏は思われるのでした。故院にもう一度お逢いしたいと目をお閉じになりますが、いよいよ目が冴えて明け方になってしましました。 渚に明石の浦より、前の守新発意(さきのかみ・しぼち)の御船が参りまして、入道から 「源少納言侍ひ給はば、対面して事の心とり申さむ、といふ」 ――明石入道が、源少納言良清様がおいででしたら、お目にかかって事情を申し上げます、といいます―― 良清は驚いて「……わたしにいささかあひ恨むる事はべりて……、波のまぎれに、いかなることかあらむ」 ――明石の入道という方は播磨の国の知人ではありますが、わたしにちょっと恨めしく思うことがありまして(娘に文を出して、断られて)、それから特にご消息もせずにおりましたが、この波風の騒ぎに何事かあったのでしょうか―― 源氏はこのことをお聞きになり、先日来の夢などと思い合わされて、 「はや逢え」 ――早く行って逢いなさい―― と促します。 ◆前の守新発意(さきのかみしぼち)=前の播磨守入道、すなわち明石入道のこと。新発意(しぼち)とは、新に発心して仏道に帰した者 ではまた。