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【賢木】の巻 (13)
藤壺中宮は、故桐壺院の一周忌のご準備のため、さまざまに心配りをしていらっしゃいます。「十一月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり」
――11月朔日のころ、一周忌のほど雪がたいそう降りました――
源氏と藤壺は、故桐壺院の思い出をうたに託して交します。源氏はあのみっともなくあしらわれた不愉快な思いを、今日だけは心に押えて、雪の雫にも涙がちにお勤めをなさいます。
十二月十日は、中宮の御八講(みはっこう)がなされます。大層尊いことでございます。何から何まで最高に整えられて、ご仏前のしつらえは極楽を思わせるほどでございます。一日、二日と進み、第三日は法華経第五巻を講ずる日で、この日ばかりは、上達部なども
弘徴殿方への遠慮も顧みておられず、お参りになります。
「はての日、わが御事を結願(けちがん)にて、世を背き給ふ由、仏に申させ給ふに、皆人々おどろき給ひぬ」
――最終の日は、中宮はご自身のことを最後のお願いとして、ご出家の由を仏に申し上げられたので、みな驚かれます――
御兄の兵部卿宮がお諫められますが、中宮は気強く発心の由を仰せになって、
「御伯父の横川の僧都近う参り給ひて、御髪おろし給ふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣き満ちたり」
――法会の終わる頃、天台座主を召して戒をお受けになる旨を仰せでられます。御髪をおろすほどには、宮の内は驚き大騒ぎして、空恐ろしいと泣き声が満ち満ちたのでした――
中宮が時めいていらした頃を思いますと、みな悲しみの中でご挨拶されます。源氏はことに、胸の塞がる思いで中宮の御前に参られます。女房たちは泣き顔で鼻をかみつつ固まっています。
源氏は「いかやうに思し立たせ給ひて、かうにはかには」
――どうのようなお考えで、こう急にご出家なされたのですか――
命婦の代弁「今はじめて思ひ給ふることにもあらぬを……」
――今はじめて思い立ったことではありませんが、いざとなると、皆が大騒ぎをする様子でしたので、決心もにぶりそうでしたが――
月の光が隈なく雪を一層際だたせる庭の風情も、もの悲しく、御簾の中の気配、女房たちの衣擦れの音など、心が慰められそうにありません。ご仏前のお香のしめやかに、時折風も強くなりました。
源氏のうた「月のすむ雲井をかけてしたふともこの夜のやみになほや惑はむ」
――月の澄む空を慕って私もまた出家するといたしましても、この世に残す子を思えば、夜の闇にやはり迷うことでしょう(「この」に「子の」をかける)――
女房たちがそばに大勢いるので、胸の内を表せずじれったいご様子です。
藤壺「大方の憂きにつけては厭へどもいつかこの世を背きはつべきかつ濁りつつ」
――世の中の全てがつらく、出家はしましたが、いとしい子を思えば、この世を離れきることがはたしてできるでしょうか――
機転をきかせた女房が取り次いでのご返事だったのでしょうか。源氏は悲しみに胸が痛く退出されました。
ではまた。
【賢木】の巻 (13)
藤壺中宮は、故桐壺院の一周忌のご準備のため、さまざまに心配りをしていらっしゃいます。「十一月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり」
――11月朔日のころ、一周忌のほど雪がたいそう降りました――
源氏と藤壺は、故桐壺院の思い出をうたに託して交します。源氏はあのみっともなくあしらわれた不愉快な思いを、今日だけは心に押えて、雪の雫にも涙がちにお勤めをなさいます。
十二月十日は、中宮の御八講(みはっこう)がなされます。大層尊いことでございます。何から何まで最高に整えられて、ご仏前のしつらえは極楽を思わせるほどでございます。一日、二日と進み、第三日は法華経第五巻を講ずる日で、この日ばかりは、上達部なども
弘徴殿方への遠慮も顧みておられず、お参りになります。
「はての日、わが御事を結願(けちがん)にて、世を背き給ふ由、仏に申させ給ふに、皆人々おどろき給ひぬ」
――最終の日は、中宮はご自身のことを最後のお願いとして、ご出家の由を仏に申し上げられたので、みな驚かれます――
御兄の兵部卿宮がお諫められますが、中宮は気強く発心の由を仰せになって、
「御伯父の横川の僧都近う参り給ひて、御髪おろし給ふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣き満ちたり」
――法会の終わる頃、天台座主を召して戒をお受けになる旨を仰せでられます。御髪をおろすほどには、宮の内は驚き大騒ぎして、空恐ろしいと泣き声が満ち満ちたのでした――
中宮が時めいていらした頃を思いますと、みな悲しみの中でご挨拶されます。源氏はことに、胸の塞がる思いで中宮の御前に参られます。女房たちは泣き顔で鼻をかみつつ固まっています。
源氏は「いかやうに思し立たせ給ひて、かうにはかには」
――どうのようなお考えで、こう急にご出家なされたのですか――
命婦の代弁「今はじめて思ひ給ふることにもあらぬを……」
――今はじめて思い立ったことではありませんが、いざとなると、皆が大騒ぎをする様子でしたので、決心もにぶりそうでしたが――
月の光が隈なく雪を一層際だたせる庭の風情も、もの悲しく、御簾の中の気配、女房たちの衣擦れの音など、心が慰められそうにありません。ご仏前のお香のしめやかに、時折風も強くなりました。
源氏のうた「月のすむ雲井をかけてしたふともこの夜のやみになほや惑はむ」
――月の澄む空を慕って私もまた出家するといたしましても、この世に残す子を思えば、夜の闇にやはり迷うことでしょう(「この」に「子の」をかける)――
女房たちがそばに大勢いるので、胸の内を表せずじれったいご様子です。
藤壺「大方の憂きにつけては厭へどもいつかこの世を背きはつべきかつ濁りつつ」
――世の中の全てがつらく、出家はしましたが、いとしい子を思えば、この世を離れきることがはたしてできるでしょうか――
機転をきかせた女房が取り次いでのご返事だったのでしょうか。源氏は悲しみに胸が痛く退出されました。
ではまた。