我が家は毎年初詣は東大寺と昔から決まっている。
今年は遅ればせながら1月9日に参拝することに。
東大寺は金光明四天王護国之寺ともいい、
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏が御本尊。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、
ユネスコより世界遺産に登録されている。
【国宝 南大門】
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、
鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。
【国宝 木造金剛力士立像】
1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、
像内からは多数の納入品や墨書が発見された。
それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、
吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。
南大門から見た中門(重文)と金堂(大仏殿)
【国宝 大仏殿】
当初の大仏及び大仏殿は聖武天皇の発願により、
8世紀に造られたものであったが、
その後2度の兵火で焼け落ち現存する大仏殿は江戸時代の再建。
江戸時代にこれほどまでの巨大な木造建築物を造るとは!
驚愕としか言いようがないです。
本来なら大仏殿の前にある国宝の金銅八角燈籠は東京に出張中ということで
ありませんでした。(^^;
最近の仏像ブームで八角燈篭はもとより沢山の仏様が出張する時代になりました。(^^;
【国宝 盧舎那仏坐像】
ただただ圧倒されるばかり。
【重文 如意輪観音坐像】
【重文 虚空蔵菩薩坐像】
【広目天像】
【多聞天像】
【持国天像と増長天像の頭部】
大仏殿の諸仏再興の最後に残った四天王像は寛政11年に広目天の御衣木加持が行われ、
その後、多聞天像とともに完成したが持国・増長の二天は素木の頭部のみが残った。
なんか隅に置かれていて悲しかったですね。
東大寺は絶対儲かっているはずだから持国天、増長天を造るべきだと思う。
【御朱印】
去年、御朱印帳に書いてもらったので、
今回は扇面の色紙に書いてもらうことにしました。
お願いしたらちょっと躊躇われましたが。(^^;
でも無理してお願いした甲斐がありました。
思ってた以上にイイ感じに仕上がりましたよ。(^^
やはり奈良の大仏さんを見ないことには1年が始まらない。
この後、
東大寺の戒壇院に行きましたのでそれは次回に書かせていただきます。
今年は遅ればせながら1月9日に参拝することに。
東大寺は金光明四天王護国之寺ともいい、
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏が御本尊。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、
ユネスコより世界遺産に登録されている。
【国宝 南大門】
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、
鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。
【国宝 木造金剛力士立像】
1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、
像内からは多数の納入品や墨書が発見された。
それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、
吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。
南大門から見た中門(重文)と金堂(大仏殿)
【国宝 大仏殿】
当初の大仏及び大仏殿は聖武天皇の発願により、
8世紀に造られたものであったが、
その後2度の兵火で焼け落ち現存する大仏殿は江戸時代の再建。
江戸時代にこれほどまでの巨大な木造建築物を造るとは!
驚愕としか言いようがないです。
本来なら大仏殿の前にある国宝の金銅八角燈籠は東京に出張中ということで
ありませんでした。(^^;
最近の仏像ブームで八角燈篭はもとより沢山の仏様が出張する時代になりました。(^^;
【国宝 盧舎那仏坐像】
ただただ圧倒されるばかり。
【重文 如意輪観音坐像】
【重文 虚空蔵菩薩坐像】
【広目天像】
【多聞天像】
【持国天像と増長天像の頭部】
大仏殿の諸仏再興の最後に残った四天王像は寛政11年に広目天の御衣木加持が行われ、
その後、多聞天像とともに完成したが持国・増長の二天は素木の頭部のみが残った。
なんか隅に置かれていて悲しかったですね。
東大寺は絶対儲かっているはずだから持国天、増長天を造るべきだと思う。
【御朱印】
去年、御朱印帳に書いてもらったので、
今回は扇面の色紙に書いてもらうことにしました。
お願いしたらちょっと躊躇われましたが。(^^;
でも無理してお願いした甲斐がありました。
思ってた以上にイイ感じに仕上がりましたよ。(^^
やはり奈良の大仏さんを見ないことには1年が始まらない。
この後、
東大寺の戒壇院に行きましたのでそれは次回に書かせていただきます。
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