続きまして荘厳浄土寺という名のお寺です。
以前から寺の名前がとても気になっていました。
所在地:大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-11-14
宗派:真言律宗
御本尊:不動明王
創建:応徳元年(1084年)
開基:津守国基
札所:摂津国八十八箇所35番
【歴史】
住吉大社第39代神主の津守国基は白河天皇の勅を受けて
応徳元年(1084)、本尊不動明王を中心に八町四方の寺域を以って創建されました。
その土木工事の折、土中より「七宝荘厳極楽浄土云々」と書かれた
金の三尺の宝鐸が見つかり、この銘文に因んで「荘厳浄土寺」と名付けられたのでした。
そのような経緯を辿って諸堂整い、13年号の永長元年(1096)、
導師に比叡山横川の慶朝僧都(後の天台座主)、読師は同じく西塔の宋心阿闍梨、
白河天皇の勅使は警察の任に当たる検非違使長官、宮道式賢と怜人の紀清任、
別当(住職)には増命阿闍梨を任じ、開眼落慶法要を執行されたのでした。
鎌倉時代文応元年(1260)には西大寺興正菩薩叡尊上人の掲げた
「仏教の原点、釈尊に帰れ」という戒律の復興と慈善事業の運動に参画。
以来天台宗より真言宗に改宗して南都西大寺派の中核となった。
戦国時代の天正年間に織田信長の兵火により諸堂悉く焼失。
慶長11年、豊臣秀頼が施主となって本堂の再建をするも、
大阪夏の陣により豊臣型の兵火により再度全焼。
江戸時代には住吉三大寺(荘厳浄土寺、津守寺、神宮寺)と呼称されるも、
明治の廃仏稀釈により他の2寺は廃寺になるも、
荘厳浄土寺は耐え抜き、現在は古寺の風格をよく残している。
【南門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/59/e59b8d5a10015ea1e2ff2600bae1d237.jpg)
【地蔵尊】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d4/f115fde8fa6704a79e560eca5bb21345.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d3/49d02a78f9e91b2310f176419b5eeb17.jpg)
【境内】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/0c/13bac524ece6550217abb01a1f70566f.jpg)
1100坪の境内は大阪府の史跡に指定されています。
【御堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/4c709cc04c47bb2a5f47aa91b5b417d2.jpg)
毘沙門天、大弁財天女、大黒天が祀られていました。
【稲荷社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9d/06496d9b705655c3f32d3a84b86a63b8.jpg)
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f5/e6582b3accc677cc58e8c9f312f9e4dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fd/52761d2f7a37d8e72cde69a53af146ad.jpg)
御本尊の不動明王、愛染明王坐像等が祀られていました。
私が好きな雰囲気の内陣です。
【阿弥陀堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d2/4bf3df6be34c86d1b9f83c8338d835d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/76/aaeda6a36d2d0a8ef13b37f2f9e78453.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/bd/9a83a090764a4bcb79eb94bbcd84ef9b.jpg)
本堂より奥に行くと阿弥陀堂があります。
南北朝時代の寄木造の阿弥陀如来坐像が祀られていました。
元は西大寺にあったそうです。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/1f/17fe8ee6542dcf29fdd019f3e4b01dd6.jpg)
お食事中に対応していただいた奥様方、
有難うございました。
以前から寺の名前がとても気になっていました。
所在地:大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-11-14
宗派:真言律宗
御本尊:不動明王
創建:応徳元年(1084年)
開基:津守国基
札所:摂津国八十八箇所35番
【歴史】
住吉大社第39代神主の津守国基は白河天皇の勅を受けて
応徳元年(1084)、本尊不動明王を中心に八町四方の寺域を以って創建されました。
その土木工事の折、土中より「七宝荘厳極楽浄土云々」と書かれた
金の三尺の宝鐸が見つかり、この銘文に因んで「荘厳浄土寺」と名付けられたのでした。
そのような経緯を辿って諸堂整い、13年号の永長元年(1096)、
導師に比叡山横川の慶朝僧都(後の天台座主)、読師は同じく西塔の宋心阿闍梨、
白河天皇の勅使は警察の任に当たる検非違使長官、宮道式賢と怜人の紀清任、
別当(住職)には増命阿闍梨を任じ、開眼落慶法要を執行されたのでした。
鎌倉時代文応元年(1260)には西大寺興正菩薩叡尊上人の掲げた
「仏教の原点、釈尊に帰れ」という戒律の復興と慈善事業の運動に参画。
以来天台宗より真言宗に改宗して南都西大寺派の中核となった。
戦国時代の天正年間に織田信長の兵火により諸堂悉く焼失。
慶長11年、豊臣秀頼が施主となって本堂の再建をするも、
大阪夏の陣により豊臣型の兵火により再度全焼。
江戸時代には住吉三大寺(荘厳浄土寺、津守寺、神宮寺)と呼称されるも、
明治の廃仏稀釈により他の2寺は廃寺になるも、
荘厳浄土寺は耐え抜き、現在は古寺の風格をよく残している。
【南門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/59/e59b8d5a10015ea1e2ff2600bae1d237.jpg)
【地蔵尊】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d4/f115fde8fa6704a79e560eca5bb21345.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d3/49d02a78f9e91b2310f176419b5eeb17.jpg)
【境内】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/0c/13bac524ece6550217abb01a1f70566f.jpg)
1100坪の境内は大阪府の史跡に指定されています。
【御堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/4c709cc04c47bb2a5f47aa91b5b417d2.jpg)
毘沙門天、大弁財天女、大黒天が祀られていました。
【稲荷社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/9d/06496d9b705655c3f32d3a84b86a63b8.jpg)
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f5/e6582b3accc677cc58e8c9f312f9e4dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fd/52761d2f7a37d8e72cde69a53af146ad.jpg)
御本尊の不動明王、愛染明王坐像等が祀られていました。
私が好きな雰囲気の内陣です。
【阿弥陀堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d2/4bf3df6be34c86d1b9f83c8338d835d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/76/aaeda6a36d2d0a8ef13b37f2f9e78453.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/bd/9a83a090764a4bcb79eb94bbcd84ef9b.jpg)
本堂より奥に行くと阿弥陀堂があります。
南北朝時代の寄木造の阿弥陀如来坐像が祀られていました。
元は西大寺にあったそうです。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/1f/17fe8ee6542dcf29fdd019f3e4b01dd6.jpg)
お食事中に対応していただいた奥様方、
有難うございました。
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