本日最後の参拝は琴弾八幡宮です。
当初の予定は時間切れで参拝は断念していましたが、
せっかく遠くの香川まで来たからには行くしかあるまい。(^^
それと銭形砂絵も見たかったしね。
【銭形砂絵】
近くの無料駐車場に車を停めれました。
琴弾公園銭形展望台から見た銭形砂絵ですが、
なかなか見応え十分で見れて良かったです。
有難いことに駐車場からすぐ近くに琴弾八幡宮に行けました。
所在地:香川県観音寺市八幡町一丁目1番1号
主祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
創建:大宝3年(703)
社格:県社
札所:新四国曼荼羅霊場、さぬき十五社
【由緒】
所蔵する七宝山八幡琴彈宮縁起によれば大宝3年(703)3月、
豊前の宇佐神宮から船が近くに漂着したのを見つけ万民が近づくと
「われは、是れ八幡大菩薩なり」との御託宣と百皇鎮護、異敵降伏の本誓を垂れ給うた。
止住する日証上人が里人とともに船を山頂に運び祀ったとある。
その時、船の中から琴の音がしていたことから琴弾の社名が付いた。
同時に当社の神宮寺として、後に第六十九番札所観音寺となる神宮寺を建立した。
大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、
琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、
琴弾山神恵院として第六十八番札所に定めたという。
源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、
その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。
義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、
頼朝は千貫文の土地を寄進した。
明治の神仏分離により、阿弥陀如来像は観音寺境内の西金堂に移され、
琴弾神社と神恵院に分離された。
第二次大戦後、琴弾八幡宮と復称した。
【拝殿】
【本殿】
寛保3年(1743)丸亀城主京極高矩が建立したもの。
【若宮】
難波皇子、宇治皇子、宇礼姫、久礼姫が祀られ、
本宮遷座の際の仮殿となるそうです。
【住吉神社】
【武内神社】
ここで一旦車に戻り下の境内へ行きます。
さすがに歩いて下に行って、また階段を登ってくるのは正直しんどい。(^^;
こちらは人気の神社なんでしょう。
とても広い無料駐車場がありました。
【石之鳥居】
丸亀藩主山崎虎之助治頼が承応2年(1653)正月に奉納されたもの。
【獅子】
明治18年(1885)3月建立されたもので、備前焼でしたね。
【随神門】
立派な門です。
【参道】
ここから378段の石段を歩くと本殿に着くようですが、
さすがに疲れていたので回避。
いろいろ境内社が鎮座しているようですので、
今度、元気な時に石段を歩きたいと思います。
【参道】
もうひとつ参道がありました。
こちらも本殿に繋がっているのでしょうか。
【忠魂社】
【朱橋】
この参道はどうなっているんだろう?
凄く興味があったけど、ここも断念。
また今度!
「今度」と「お化け」は出たためしがない、という教訓もありますが。(苦笑)
【山之神神社】
【琴弾戎】
【御神木】
見事な大楠でした。
【神馬】
【銅像】
【境内社】
【神幸殿】
皇紀2600年の記念事業として建立されたもの。
御朱印は神幸殿横の社務所でいただけます。
ちなみに上の本殿周辺は神職さん達は居ません。
【御朱印】
他に神社としては珍しい八幡大菩薩の御朱印もいただけるようですが、
リクエストしないと琴弾八幡宮の御朱印となるようです。
時間がない、体調がイマイチで全てを見ることが出来ず、
中途半端な参拝になった感じが個人的にはしますが、
参拝出来たことで良しとしましょう。(^^
これにて香川寺社参拝の旅は終了。
あそこに行っておけば良かったと思うところもありましたが、
とても充実した旅であった。
私には歩いてお遍路するなんて絶対無理だけど、
このような信仰と文化は廃れないでほしいな。
それと香川ではいろんな個性ある神社に巡りあえて良かった。
正直、香川はもとより、四国には金比羅さん以外、
見所も無いような小さい神社しかないと思ってたから。(^^;
正直すまんかった。(笑)
次は高知県に行きたいな。
当初の予定は時間切れで参拝は断念していましたが、
せっかく遠くの香川まで来たからには行くしかあるまい。(^^
それと銭形砂絵も見たかったしね。
【銭形砂絵】
近くの無料駐車場に車を停めれました。
琴弾公園銭形展望台から見た銭形砂絵ですが、
なかなか見応え十分で見れて良かったです。
有難いことに駐車場からすぐ近くに琴弾八幡宮に行けました。
所在地:香川県観音寺市八幡町一丁目1番1号
主祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
創建:大宝3年(703)
社格:県社
札所:新四国曼荼羅霊場、さぬき十五社
【由緒】
所蔵する七宝山八幡琴彈宮縁起によれば大宝3年(703)3月、
豊前の宇佐神宮から船が近くに漂着したのを見つけ万民が近づくと
「われは、是れ八幡大菩薩なり」との御託宣と百皇鎮護、異敵降伏の本誓を垂れ給うた。
止住する日証上人が里人とともに船を山頂に運び祀ったとある。
その時、船の中から琴の音がしていたことから琴弾の社名が付いた。
同時に当社の神宮寺として、後に第六十九番札所観音寺となる神宮寺を建立した。
大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、
琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、
琴弾山神恵院として第六十八番札所に定めたという。
源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、
その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。
義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、
頼朝は千貫文の土地を寄進した。
明治の神仏分離により、阿弥陀如来像は観音寺境内の西金堂に移され、
琴弾神社と神恵院に分離された。
第二次大戦後、琴弾八幡宮と復称した。
【拝殿】
【本殿】
寛保3年(1743)丸亀城主京極高矩が建立したもの。
【若宮】
難波皇子、宇治皇子、宇礼姫、久礼姫が祀られ、
本宮遷座の際の仮殿となるそうです。
【住吉神社】
【武内神社】
ここで一旦車に戻り下の境内へ行きます。
さすがに歩いて下に行って、また階段を登ってくるのは正直しんどい。(^^;
こちらは人気の神社なんでしょう。
とても広い無料駐車場がありました。
【石之鳥居】
丸亀藩主山崎虎之助治頼が承応2年(1653)正月に奉納されたもの。
【獅子】
明治18年(1885)3月建立されたもので、備前焼でしたね。
【随神門】
立派な門です。
【参道】
ここから378段の石段を歩くと本殿に着くようですが、
さすがに疲れていたので回避。
いろいろ境内社が鎮座しているようですので、
今度、元気な時に石段を歩きたいと思います。
【参道】
もうひとつ参道がありました。
こちらも本殿に繋がっているのでしょうか。
【忠魂社】
【朱橋】
この参道はどうなっているんだろう?
凄く興味があったけど、ここも断念。
また今度!
「今度」と「お化け」は出たためしがない、という教訓もありますが。(苦笑)
【山之神神社】
【琴弾戎】
【御神木】
見事な大楠でした。
【神馬】
【銅像】
【境内社】
【神幸殿】
皇紀2600年の記念事業として建立されたもの。
御朱印は神幸殿横の社務所でいただけます。
ちなみに上の本殿周辺は神職さん達は居ません。
【御朱印】
他に神社としては珍しい八幡大菩薩の御朱印もいただけるようですが、
リクエストしないと琴弾八幡宮の御朱印となるようです。
時間がない、体調がイマイチで全てを見ることが出来ず、
中途半端な参拝になった感じが個人的にはしますが、
参拝出来たことで良しとしましょう。(^^
これにて香川寺社参拝の旅は終了。
あそこに行っておけば良かったと思うところもありましたが、
とても充実した旅であった。
私には歩いてお遍路するなんて絶対無理だけど、
このような信仰と文化は廃れないでほしいな。
それと香川ではいろんな個性ある神社に巡りあえて良かった。
正直、香川はもとより、四国には金比羅さん以外、
見所も無いような小さい神社しかないと思ってたから。(^^;
正直すまんかった。(笑)
次は高知県に行きたいな。
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