歓喜寺の近くにグーグルマップにも出てこない神社がある
しかし本日の福井遠征で一番訪れたかったのが、
グーグルマップにも載っていない大塩八幡宮という神社である。
所在地:福井県越前市国兼22-2
祭神:帯中日子天皇、応神天皇、神功皇后
社格:県社
創建:寛平3年(891)
【由緒】
大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464)の奥書を持つ当神社縁起によれば、
仁和3年(887)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、
現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願したところ、
寛平元年(889)に勅許を得て京都へ戻ることができた為、
同3年(891)に社殿を造営して石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社の創祀である。
鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、
郡内の「二宮」と称されたという。
寿永2年(1183)に木曾義仲が境内に本陣を築いて滞在し鎌倉幕府からは田地を寄進され、
建武年間(1334-38)に斯波高経によって造営がなされて以後、
斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や社殿の造営修復が行われるなど
武家の崇敬を集めて繁栄し天正年間(1573-92)の一揆や、太閤検地で社領を悉く失うなど、
衰退に傾いた時期もあったが江戸時代を通じて福井藩主から崇敬された。
【一の鳥居】
実に立派な木造漆塗の大鳥居。
これは明応4年(1495)朝倉貞景が建立したもの。
【二の鳥居】
天文21年(1552)朝倉義景により建立されたもの。
近くに無料駐車場があります。
【参道】
この参道がとにかく素晴らしい。
今日は天気が良すぎてかえってその素晴らしさが損なわれているぐらいです。
薄明るい早朝や曇りの日だと荘厳さに言葉を失うことだろう。
【三の鳥居】
【手水舎】
【荒垣門】
永年10年(1513)朝倉孝景建立の後、福井藩により再建。
現在のものは台風で倒壊し昭和28年再建されたもの。
向こうに見えるのが拝殿。
これが凄い。
【拝殿】
さすが重文に指定されてるだけあって素晴らしい。
北陸地方唯一の大型拝殿であるが、
このような拝殿は全国的に見てもほとんど無いと思いますし、
これほど見事な拝殿は滅多にないですよ。
社殿によれば寿永2年(1183)、木曽義仲が平家を追って此の社に陣を張った折、
兵火により焼失したのを誠に申し訳なしとして日吉山王社の拝殿を、
三日三晩で移築したという。
【梵鐘】
神社では珍しく釣鐘がありました。
【弊殿】
享保7年(1722)に焼失、同11年福井藩により再建されたもの。
この日は数人の地元の方が修復されておりました。
維持していくのは大変ですね。
【狛犬】
【本殿】
建武年中に管領足利高経造営と云われている。
【寿翁神社】
この神社は境内社が多いようです。
さらに境外社は大塩谷各地に12社あるとか。
【天国津彦神社・天国津比神社】
【高岡神社】
【絵馬殿】
【境内】
上に登っていくと小さな境内社が三つ鎮座しておりました。
【源嫡神社】
御祭神が徳川家康ということであるが、
何故この地で家康が祀られているのか興味は尽きない。
どうやら福井藩祖である結城秀康や息子である松平忠直が、
社領を寄進し江戸時代を通じて福井藩から崇敬されたことから、
徳川家の神君である家康を祀ったものと思われるが由緒は不明だそうです。
【天八百萬比神社】
【高良神社】
本社と一緒に寛平3年に勧請されたと伝えられ、
武内宿禰命を祀られています。
【清務霊社】
【えんむすびの木】
【木曽義仲本陣跡伝承の地】
お~、
まさかこんな所で木曽義仲本陣跡があるとは夢にも思わず。
寿永2年(1183)、木曽義仲は倶利伽羅峠の戦い篠原の戦いと大勝し
平家追討の為大塩八幡宮の境内に布陣しました。
従う兵は3万とも5万とも言われ、大塩八幡宮に戦勝祈願し必勝の陣形を構えましたが、
結局戦いは行われず平家はさらに後退を重ねたとか。
【堀切の跡】
この先は立ち入り禁止でした。
御朱印の有無は不明です。
しかし、あればあるで嬉しいですが、
御朱印が無くても全く構わない。
この神社の参道と拝殿の素晴らしさは何物にも代えがたいものなのだから。
妙泰寺や熊野神社もとても良かった。
南条からこの辺りまでの神社仏閣恐るべし!
是非とも参拝していただきたいです。
穴場です。(^^
しかし本日の福井遠征で一番訪れたかったのが、
グーグルマップにも載っていない大塩八幡宮という神社である。
所在地:福井県越前市国兼22-2
祭神:帯中日子天皇、応神天皇、神功皇后
社格:県社
創建:寛平3年(891)
【由緒】
大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464)の奥書を持つ当神社縁起によれば、
仁和3年(887)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、
現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願したところ、
寛平元年(889)に勅許を得て京都へ戻ることができた為、
同3年(891)に社殿を造営して石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社の創祀である。
鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、
郡内の「二宮」と称されたという。
寿永2年(1183)に木曾義仲が境内に本陣を築いて滞在し鎌倉幕府からは田地を寄進され、
建武年間(1334-38)に斯波高経によって造営がなされて以後、
斯波氏や朝倉氏の歴代守護職から田畑山林の寄進や社殿の造営修復が行われるなど
武家の崇敬を集めて繁栄し天正年間(1573-92)の一揆や、太閤検地で社領を悉く失うなど、
衰退に傾いた時期もあったが江戸時代を通じて福井藩主から崇敬された。
【一の鳥居】
実に立派な木造漆塗の大鳥居。
これは明応4年(1495)朝倉貞景が建立したもの。
【二の鳥居】
天文21年(1552)朝倉義景により建立されたもの。
近くに無料駐車場があります。
【参道】
この参道がとにかく素晴らしい。
今日は天気が良すぎてかえってその素晴らしさが損なわれているぐらいです。
薄明るい早朝や曇りの日だと荘厳さに言葉を失うことだろう。
【三の鳥居】
【手水舎】
【荒垣門】
永年10年(1513)朝倉孝景建立の後、福井藩により再建。
現在のものは台風で倒壊し昭和28年再建されたもの。
向こうに見えるのが拝殿。
これが凄い。
【拝殿】
さすが重文に指定されてるだけあって素晴らしい。
北陸地方唯一の大型拝殿であるが、
このような拝殿は全国的に見てもほとんど無いと思いますし、
これほど見事な拝殿は滅多にないですよ。
社殿によれば寿永2年(1183)、木曽義仲が平家を追って此の社に陣を張った折、
兵火により焼失したのを誠に申し訳なしとして日吉山王社の拝殿を、
三日三晩で移築したという。
【梵鐘】
神社では珍しく釣鐘がありました。
【弊殿】
享保7年(1722)に焼失、同11年福井藩により再建されたもの。
この日は数人の地元の方が修復されておりました。
維持していくのは大変ですね。
【狛犬】
【本殿】
建武年中に管領足利高経造営と云われている。
【寿翁神社】
この神社は境内社が多いようです。
さらに境外社は大塩谷各地に12社あるとか。
【天国津彦神社・天国津比神社】
【高岡神社】
【絵馬殿】
【境内】
上に登っていくと小さな境内社が三つ鎮座しておりました。
【源嫡神社】
御祭神が徳川家康ということであるが、
何故この地で家康が祀られているのか興味は尽きない。
どうやら福井藩祖である結城秀康や息子である松平忠直が、
社領を寄進し江戸時代を通じて福井藩から崇敬されたことから、
徳川家の神君である家康を祀ったものと思われるが由緒は不明だそうです。
【天八百萬比神社】
【高良神社】
本社と一緒に寛平3年に勧請されたと伝えられ、
武内宿禰命を祀られています。
【清務霊社】
【えんむすびの木】
【木曽義仲本陣跡伝承の地】
お~、
まさかこんな所で木曽義仲本陣跡があるとは夢にも思わず。
寿永2年(1183)、木曽義仲は倶利伽羅峠の戦い篠原の戦いと大勝し
平家追討の為大塩八幡宮の境内に布陣しました。
従う兵は3万とも5万とも言われ、大塩八幡宮に戦勝祈願し必勝の陣形を構えましたが、
結局戦いは行われず平家はさらに後退を重ねたとか。
【堀切の跡】
この先は立ち入り禁止でした。
御朱印の有無は不明です。
しかし、あればあるで嬉しいですが、
御朱印が無くても全く構わない。
この神社の参道と拝殿の素晴らしさは何物にも代えがたいものなのだから。
妙泰寺や熊野神社もとても良かった。
南条からこの辺りまでの神社仏閣恐るべし!
是非とも参拝していただきたいです。
穴場です。(^^