Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

法持寺(2013年5月26日参拝)

2013-07-10 | 仏閣
龍珠禅寺のお隣にあるお寺が法持寺というお寺です。



所在地:愛知県名古屋市熱田区白鳥1-2-17
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:天長年間(824~834)
開基:空海
札所:名古屋四国56番、尾張四国29番



【由緒】
当寺は天長年間に弘法大師が熱田神宮へ参籠したおり、
日本武尊を慕い自ら本尊延命地蔵菩薩を彫って小祠を建立したのが草創といわれている。

白鳥御陵(日本武尊の稜)を鎮守とし御陵の宝物を護持する寺であるところから、
初め宝持寺と称していた。

宝徳元年、開山の明谷義光大和尚は曹洞宗として再興し、
熱田神宮大宮司の千秋家代々の菩提所となった。

戦国時代、織田信長が桶狭間合戦に向かう途中、当寺へも立寄り、
必勝を祈願したといい伝えられている。

承応年間に現在の寺号の法持寺と改称された。

宝暦7年、白鳥大火の延焼によってすべての殿堂を焼失したが、
十五世督宗淳董大和尚によって七堂伽藍が建立され、
四方城壁を具えて城郭の如く再興し、「尾張名所図会」にも紹介された。
十六世府貫雄道大和尚は叢林(禅の修業道場)を開創され、
山門横にある禁牌石はその当時のものである。

明治元年12月、大本山永平寺より常恒会の免責を受け、
さらに有栖川宮一品親王の御祈願所ともなった。
当時の住職28世鼎三即一大和尚は永平寺の西堂に就いた高僧で、
弟子の29世吹毛冷生大和尚、三十世童拳天珠大和尚も永平寺の監院、後堂となっている。
三十二世慧等兼修大和尚は昭和3年5月に曹洞宗専門僧堂を開設し、多くの雲水が修行した。

戦時中は徴兵検査場、修養練成場、挺身隊宿泊所ともなっていたが、
昭和20年5月17日に戦災を被り、本尊、開山像などを残し二昼夜にわたって全山を焼失した。
昭和30年5月、戦災復興都市計画によって境内は宮中学校となり現在地へ移転した。
昭和60年1月、大伽藍復興に着手し昭和63年3月に竣工された。

当寺は東海道を往還する文人墨客が足を留めており、芭蕉、林桐葉、若山牧水の歌碑が残っている
また、明治の歌舞伎役者三代目助高屋高助も祀られている。
昭和32年より30年間、三保ヶ関部屋の宿舎となって、
名横綱北の湖が誕生したなど、文化的にも名高い寺である。



【仁王門】


素晴らしい。

ここまで見事な仁王門が見れるお寺があるとは思いませんでした。


【仁王像】





【本堂】


残念ながら堂内は見れませんでした。


【北の湖記念碑】


昭和32年より30年もの長き間、三保ヶ関部屋の宿舎となり、
あの大横綱北の海所縁のお寺のようです。


【芭蕉句碑】


「何とはなしに何やら床しすみれ草」


【弘法堂】







【心の大師】





【地蔵尊】





【宝篋印塔】



【庫裏】



【門】



【御朱印】



このお寺は仁王門がハイライトで境内は殺風景でしたね。

お寺の雰囲気は圧倒的に龍珠禅寺の方がいいです。