Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大蓮寺(2013年5月4日参拝)

2013-06-03 | 仏閣
本日の参拝テーマは「大阪下寺界隈のお寺を知る」です。

この辺りは四天王寺、一心寺に近く、
また日本橋にも近いので車でよく通っており沢山のお寺の存在は知っております。

ただ、外から見る限り観光寺院ではなく檀家寺なので、
今まで参拝する気に余りならなかったんですよね。

でも、以前コメントをくださった方が、
出発点の大連寺が経営するパドマ幼稚園出身の方でして。

それから下寺界隈を調べてみると興味がじわじわと湧いてきて、
今まで知らなかった下寺界隈を巡ることにしました。


まずは松屋町筋と千日前通が交わる下寺町交差点近くにある大蓮寺へ。



所在地:大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-30
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天文19年(1550)
札所:大坂三十三所観音めぐり



【下寺】
天王寺区下寺町は松屋町筋の東側に面し、生國魂神社の西側崖下にある。
最も北側の大蓮寺から最南端の円成院まで直線距離にして約1キロ。

この間に26寺が集まっており、寺の甍が並ぶ姿は統一性のとれた都市景観を形成している。
「天王寺区史」によると豊臣家の大坂城が落城したあと、
新しい大坂城主、松平忠明が元和初年に行った寺院および墓地の移転に伴い、
下寺町の寺院集積がつくられた。
有事の際は軍事上の利用ができる意図だったとされる。


【由緒】
下寺北端の大蓮寺は正式には「浄土宗如意珠應山極楽院大蓮寺」と称する。
14間4面の往時の本堂は本山クラスとされていた。

足利代々の祈願所で、初めは境内東西五町南北四町に及び、
塔中八カ寺、直末七十五カ寺を有する近畿の名刹であったが、
明治維新の際境内の一部を上地した上、南の大火でも境内一部を焼失したという。

境内には石門心学の開祖・石田梅岩と門弟の墓がある他、
江戸時代に活躍した女義太夫、竹本呂昇の銅像も大正14年(1925)に建立されている。

一無軒道治が著した「難波名所蘆分船」には大蓮寺が掲載され、
「文禄年中。應連社。顕誉魯道泰純上人。泉州堺より。此地にきたり開基也。
むかし今の御津寺のあたりに。ありしか。中比東照神君の命によりて。西横堀川辺に。
うつしけるか。元和年中。今の高津郷に引けり」と書かれている。

すなわち堺から御津寺あたり(現在の大阪ミナミの中心地)へ移転したあと、
再度、現在地に移って来たことが分かる。

(参照:地域ガバナンスの視点からみた文化施設の人的ネットワーク)


【山門】


なかなかモダンな山門です。

駐車場は境内に8台ぐらいは停めれそうでした。


【六地蔵】



【吉本芸人塚】


吉本興業の創業者、吉本せいの菩提寺である関係で造られたそうです。


【鐘楼堂】


先代の鐘は「天王寺区史」によれば丸屋寄進のもので、
市内第一の大鐘(総高さ竜頭まで六尺八寸七分)といわれたが、
戦時中惜しくも供出されたそうです。


【本堂】


この日は朝から法要があり残念ながら本堂拝観は出来ませんでした。


【誠斎根来君頌徳碑】



【パドマ幼稚園】


お寺の横にお寺直営の幼稚園がありました。

幼稚園としてはかなり立派ですね。

こちらの寺は学校の設立とも密接な関係があり、
近世から大規模な寺子屋が開かれ、高津小学校、天王寺中学(その後、天王寺高校)が、
大蓮寺から誕生したそうです。

まさか大阪で有名な天王寺高校がこのお寺から誕生したなんて、
初めて知りました。


【御朱印】


御住職が法要の為、書置きをいただきました。

奥様に御朱印代を支払おうとすると受け取られませんでした。

このような場合は本来なら賽銭箱に投入するのですが、
賽銭箱が無かったので今回は無料でいただきました。

ありがたや ありがたや。