Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

正倉院展(2011年11月5日観覧)

2011-11-06 | 旅行、その他
本日は正倉院展と東大寺ミュージアム観覧の為に奈良へ。

なんと言っても目玉は正倉院展で14年振りに展示される
あの天下の香木である黄熟香「蘭奢待」です。

歴史好き、特に戦国時代が好きな方はご存知だと思いますが、
蘭奢待とは東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木で、
天下第一の名香と謳われています。

それが見れるチャンスは滅多にないので行かない訳にはいきません。


【開封の儀】


この正倉院展を奈良国立博物館で開催する前には、
10/4に宮内庁の方々による宝物の点検や調査の為に
正倉院で年に一度扉を開く開封の儀が行われた。





拝観料1000円を支払っていざ参る!

中に入ると人がいっぱいです。(^^;

正直、他の宝物はそんなに興味はないのでサラッと見て蘭奢待を探す。
どこも人がいっぱいでなかなか見つから無かったけど発見!(^^


【蘭奢待】


ガラスケース越しに見る蘭奢待。

ほ~これがあの伝説の蘭奢待かぁ。





海岸で見たら打ち上げられた流木にしか見えないが、
足利義政、織田信長、明治天皇といった歴史上の大人物が切り取った付箋があると
国宝に見えるから不思議です。(笑)


これまで足利義満、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが
切り取っているとされる。(諸説あり)


平成18年(2006年)1月に大阪大学の米田該典の調査によると、
合わせて38ヶ所の切り取り跡があることが判明している。
切り口の濃淡から切り取られた時代にかなりの幅があり、
同じ場所から切り取られることもある為、
これまで50回以上は切り取られたと推定され、
前記の権力者以外にも採取された現地の人や日本への移送時に手にした人達、
管理していた東大寺の関係者などによって切り取られたものと推測される。


それにしても、
己の威信を高めようとした信長が切り取ったのが、
約5センチ四方を二つのみ。


比叡山延暦寺焼き討ち、石山本願寺交戦その他、
敵対する勢力、特に宗教関係には徹底的に弾圧、破壊、殺害の限りを尽くした
あの信長がメッチャ遠慮してるやん。(笑)

あれほど気性の激しい信長ですら強引に全て奪いさることをしなかったですね。

何故そうしなかったのだろう?


そもそも古代エジプトやヨーロッパ、中東での王の覇権争いでは、
負けた側は必ず滅ぼされる運命にある。


だが日本の歴史では平安時代から武家が統領として権力を握っても、
朝廷と天皇の血筋を滅ぼそうとはしなかった。

それは神の子孫である天皇と朝廷は神聖で不可侵な存在として敬われており、
その権威を利用していたからですよね。

しかしほぼ天下不武を成し遂げた信長は朝廷の権威が必要としなくなり、
天皇家を根絶はしなくても天皇制を廃止しようとしていたようで、
それにより朝廷に近かった明智光秀の謀反により生涯を閉じている。

他にも平将門や足利義満なども天皇を乗っ取ろうとした武将もいたが、
自身が天皇になろうとしたのであって天皇家を滅ぼそうとはしなかった。


やはりどの統領、武将達も「天皇殺し」の汚名だけは避けたかったのでしょう。


おっと、
蘭奢待を見ただけでここまで語らせてしまうとは蘭奢待恐るべし!


まだ蘭奢待を見ていない皆様も来週いっぱいまで後悔されているので、
是非とも歴史のロマンに触れてみてはいかがでしょうか。


【八窓庵】


博物館の中庭にある八窓庵はもとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、
含翠亭ともいい江戸時代中期に建てられました。
江戸時代の名茶人、古田織部(1544-1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名。

この茶室と興福寺塔頭慈眼院の六窓庵(現所在東京国立博物館)、
東大寺塔頭四聖房の隠岐録(東京へ移建の後、戦災で消失)と称される
茶室とあわせて大和の三茶室といわれていました。


こちらのお庭でお茶を楽しむことが出来ますよ。