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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

笠置寺 其の二(2014年10月26日参拝)

2014-12-09 | 仏閣
さぁ、行場巡り開始です。

どんな巨岩・奇岩に出会えるか楽しみ。


【胎内くぐり】


説明板によると笠置山修行場の入口にあり、
行場入りする前に滝で身を清めるのが普通であるが、
当山は滝がないためこの岩をくぐりぬけることにより身を清めたという。
安政地震で天井岩が落下、以後切り石の天井となった、とのこと。


【巨岩】





【太鼓石】


その名の通り、太鼓のようにポンポン音がなるらしい。


【巨岩】




こんな岩の間をくぐったりして楽しい。




ここまで登ってくると結構暑くなってきた。

ちょっとしたハイキングですね。


【ゆるぎ石】




こんな岩を運んでくるとは人間の狂気というか、何というか。


【風景】


ここから大きな木津川の流れがよく見えました。

気分爽快です。


【平等石】






さらに進むと大きな岩があり登ってみました。


【風景】




こちらでも風景を堪能出来ます。
結構高くまで登ってきているんだなと実感。


【蟻の戸渡り】


登山家以外で蟻の戸渡りときてピンときたそこの貴方!

立派なエロです。(笑)


この狭い間に入っていかなくてはなりません。
面白かったです。(^^


【二の丸跡】




二の丸跡という雰囲気は皆無です。(^^;


【石碑】



【貝吹き岩】





【後醍醐天皇行在所】







【後醍醐天皇歌碑】


うかりける 身を秋風に さそわれて おもわぬ山の 紅葉をぞ見る


【大師堂】




お大師さんに行場巡りを無事務め終わったことをご報告。

収蔵庫と本坊へ向かう。


【収蔵庫】


小さい収蔵庫には仏像、壺類、涅槃図等が展示されていました。


【鐘楼堂】


鐘楼は重要文化財でした。


【本尊仏香炉】





【山門】


あー、本坊横に山門があったのか。
駐車場からだと毘沙門堂の前に出るから知らなかったよ。


【御朱印】



このお寺もアクセスに難がありますが、
行くと非常に見所が多くて楽しめると思います。

笠置寺 其の一(2014年10月26日参拝)

2014-12-08 | 仏閣
続きまして磨崖仏と巨石を見る為に笠置寺へ。

柳生の地に近かったとは知りませんでした。
どんどん田舎になっていきます。(笑)

このお寺も山の中にあるんですが、
これがまた強烈な酷道で泣きそうになりました。

海住山寺の道も狭かったが、距離的には短った。
でも笠置寺への道は距離が長いし、途中で舗装されてない道になって、
このまま行き止まりかと危険を感じたほど。(泣)

とりあえず行くしかないので行ったら何とか無事に到着。(^^;

無料駐車場に着いた時は嬉しかったなぁ。(^^



所在地:京都府相楽郡笠置町笠置山29
宗派:真言宗智山派
御本尊:虚空蔵磨崖仏
創建:白鳳11年(682)
開基:大海人皇子(天武天皇)


【縁起】
笠置山の信仰の歴史は古く、弥生時代にはすでに山中に点在する
巨石を神として崇拝する磐座信仰が行われていました。
やがて奈良時代になると巨石には仏さまが刻まれ、
磨崖仏の礼拝堂や多くの寺院が建立され、
現在の笠置山と笠置寺の原型がつくられました。

この頃の笠置山には多くの南都の寺院の僧侶が訪れ、
特に東大寺とは現代に続く「お水取り」の起源とも言われる、
良弁和尚の雨乞いと実忠和尚の観音悔過の法要が、
笠置山の正月堂で始まったと言われています。

弥勒信仰の中心道場として栄えた笠置山でしたが、
1331年8月南朝の後醍醐天皇が入山。
約1ヶ月の間、鎌倉幕府軍との戦乱の舞台となりました。

この戦乱では足助次郎重範や楠正成が後醍醐天皇方の武将として活躍されましたが、
全山焼き討ちに遭い、すべては焼け落ち、後醍醐天皇は囚われの身となられました。

以後、室町時代に少々の復興をみたが江戸中期より荒廃。
ついに明治初期に無住の寺となった。
 
明治9年、丈英和尚狐狸の住む荒れ寺に住して笠置寺の復興に尽くすこと20年、
ようやく今日の山容となったのである。


【毘沙門堂】





【稲荷社】





【鎮守社】



【地蔵尊】



【舎利殿】


昭和49年春笠置寺創建1300年、宗祖弘法大師御生誕1200年を記念し建立されたもの。


【椿本護王堂】




ここから左に行って拝観料を支払います。


【巨岩】


この岩の上に木が逞しく育っていた。


【修行大師像】



【巨岩】




物凄い巨岩に圧倒される。
京都にこんな所があったんだね~。


【十三重石塔】






鎌倉時代後期の重要文化財。


【弥勒磨崖仏】




ちょうどこの時、ハイキングの団体さんがおられ、
御住職に説明していただいた。

三度の火災により火がかかり仏像が摩滅しまい、
今や肉眼ではそのお姿が見れないのが残念ですが、
そこに仏様は確実にいるのが分かりました。


【宝篋印塔】



【正月堂】


本堂になります。





清水の舞台と同じく懸崖造となっていました。




内陣。

写真のパネルでデジタル復元された弥勒仏が見れました。


【千手窟】


いきなり巨岩のお出まし。
岩と岩の間に祠がある。








1200年来、笠置寺の修行場であり、二月堂のお水取りの行法も実忠和尚が、
この修行場で行中感得されたもので、大仏殿の修理の折は必ずこの場で、
無事完成を願っての祈願法要がとりおこなわれたという。


【虚空蔵磨崖仏】








こちらの磨崖仏はお顔もハッキリと分かりますし、
よくぞこれほどまでに現存していてくれたものだと感動。

それにしても足場の狭い場所でこれほど巨大な磨崖仏を
手でよく彫ったものですね。

昔の人は本当に凄い。




彫刻の様式から中国山西省雲崗の磨崖仏に相通じるものがあるところから、
御本尊弥勒磨崖仏と同様奈良時代の渡来人の作と考えられるそうです。


磨崖仏を過ぎると行場巡りに突入です。

続きは其の二で。

保国禅寺(2014年10月18日参拝)

2014-12-03 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが伊曽乃神社近くに保国禅寺。
こちらは山門と本堂が見たくて訪れました。

私は歩いて行きましたが、無料駐車場がありました。




所在地:愛媛県西条市中野甲1681
宗派:臨済宗東福寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:神亀4年(727)
開基:行基菩薩


【縁起】
萬年山金光院と号し、御本尊は阿弥陀如来である。
寺伝によると神亀4年(727)聖武天皇の勅願寺として建立。

当初は天台宗であったが、建治年中(1275-1278)に仏通禅師により
臨済宗東福寺派寺院として開山され七百有余年の法灯をかかげる由緒深い禅刹であります。

往時は13の殿堂伽藍と24の塔院が建立されていたが、
天正13年の戦乱で灰燼となるが、以後時代の人々が求める信を担って、
修復再建等により今日まで維持されています。


【風景】


癒されますな~。


【仁王門】




お寺の左右に大きな墓地があり、
このお寺が地域の方々の安眠の地なんだなと思った。


仁王門の上は下に比べると新しかったですね。
恐らく近年に修復されたんでしょう。


【仁王像】




意外と石像って見たことが無いかも。
これは新しいものですね。


【石像】


よく分かりませんが、中国の軍師といった感じです。


【御堂】



【本堂】




これこれ、この茅葺屋根がたまらんのよ。
私の大好物です。(^^




小さな御本尊と重文の木造仏通禅師坐像等が祀られていました。


【仁王門】



【焼香炉】





【石庭】


四国最古の国指定名勝庭園。

残念ながらお寺の方が不在で、これ以上見ることは出来ませんでした。


【鐘楼堂】



【本堂】


横から撮影したもの。

外にお堂が見えたので一旦外に出てみます。


【全景】



【天真堂】


文久2年-大正13年(1862-1924)保国寺の住持で、
円覚寺派管長、東福寺派管長を歴任した慈教(広田天真)が祀られていると思われます。


【風景】


あの森の中に伊曽乃神社が鎮座しています。


【本堂】


いいですな~。
癒されますわ。


【地蔵尊】


3面のお顔がありました。


【宝篋印塔】



【地蔵菩薩】



御朱印の有無は不明です。

本堂を見れて良かったです。

これにて本日の寺社巡りは終了。

個性豊かな寺社ばかりで楽しかったですが、
伊曽乃神社との出会いは私にとって掛け替えのない心の財産となりました。

東長密寺(2014年10月5日参拝)

2014-11-23 | 仏閣
聖福寺参拝後、「ふくおか大仏」があるという東長密寺へ。

本当は空港までレンタカーを返す時間が迫っているので、
参拝する時間も無かったが、ここで行かないと後悔するので、
ダッシュで参拝することに。

聖福寺から東長密寺まで走ったよ。
でも結構距離があって走り疲れました。(^^;



所在地:福岡県福岡市博多区御供所2-4
宗派:真言宗九州教団
御本尊:千手観音、弘法大師、不動明王
創建:(伝)大同元年(806)
開基:(伝)空海
札所:九州八十八ヶ所百八霊場会、九州三十六不動霊場、九州二十四地蔵尊霊場会


【歴史】
真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。
寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、
密教東漸を祈ったと伝えられている。

弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にあったが、
福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。

墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となり、
300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。


【山門】


このお寺は弘法大師が創建したお寺としては日本で一番古いとか。

へー、意外ですね。
てっきり四国のお寺かと思ってました。


【六角堂】


天保13年(1842)に建立されたもの。

六面に弘法大師、薬師如来、文殊菩薩、地蔵菩薩、白衣観音、北辰霊符神像が祀られ、
毎月28日に御開帳されているそうです。

もっとじっくり見たかったが時間が無いので御本尊様を拝みに急ぐ。


【本堂】


重厚で立派な本堂です。




さすがに国宝の御本尊様は秘仏でした~。

その後、ふくおか大仏を拝仏。

でかい。

高さ10.8メートル重さ30トンの檜造坐像で、
木のぶつぞうとしては日本一だそうです。

やっぱり福岡の人は日本一が好きですね~。(笑)

まだ若いと感じた木質だったので、
確認したら平成4年(1993)に造られたものでした。

撮影禁止でした。


大仏の裏には地獄・極楽めぐりという、所謂戒壇めぐりが出来ますが、
こんな時間が無い時に漆黒の闇を歩いている場合じゃない。(笑)


【鐘楼堂】



【五重塔】


このお寺で一番目立つのが五重塔。






平成22年に建立されたもの。

さすがに出来立てのホヤホヤなんで綺麗でした。


【福岡藩主黒田家墓所】


福岡二代藩主黒田忠之、三代藩主黒田光之、八代藩主黒田治高の墓所。

立派な五輪塔の数々に驚く。

これほど大きなモノを見ると、
博多においての黒田家の権勢がよく分かりました。




黒田忠之公墓。




黒田光之公墓。


で、ミーハー的に黒田官兵衛と長政はどこ?

後で調べたら博多にある崇福寺に墓所があるとのこと。


【聖天堂】


聖天、十一面観音、摩利支天が祀られていました。


【境内】


本堂裏手に塔がありました。
これは何だろう?


【御朱印】


もっと時間があればじっくり見て回りたかったけど、
これから博多空港へ。


高良大社にも行きたかったなぁ。
でも遠いしめっちゃしんどそうな参道だったので回避。


博多市内にも承天寺をはじめとして、
いろんな見所いっぱいの寺社が多い。

宿題がいっぱい残りました。(笑)

次回福岡に来た時には行かないと。

また、福岡は素晴らしい神社仏閣が多く、
信仰心の篤い土地柄なんだなぁと思いながら車を走らす。

無事、時間内に博多空港でレンタカーを返却。


【鯛茶漬け】


空港内で晩飯。

鯛の刺身をご飯に乗せ、ゴマだれとお茶をかけて食べましたが、
イマイチでした。(^^;

これなら普通に刺身で食った方が旨いです。


しかしフライトの時刻になっても登場のアナウンスがない。
結局、台風の影響でフライトが1時間15分遅れ。

待ち疲れて乗ったら乗ったで、
風が強くて飛行機が揺れるのなんのって。

あの船酔いの悪夢が蘇って、ちょっと気分が悪くなりました。(^^;

萬行寺・聖福寺(2014年10月5日参拝)

2014-11-22 | 仏閣
ミイラ寺と呼ばれる龍宮寺へ向かう途中で見つけたのが、
浄土真宗の萬行寺というお寺。

凄い立派な山門なんで寄ってみた。



所在地:福岡市博多区祇園町4-50
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:享禄2年(1529)
開山:性空上人


【山門】



【親鸞聖人御尊像】



【本堂】


本堂も実に立派なものなんですが、
ちょうど法要が営まれており、
堂内に入ることは遠慮させていただいて聖福寺へ向かう。

ミイラ寺はまた今度。(笑)



所在地:福岡市博多区御供所町6-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:三世仏
創建:建久6年(1195)
開基:栄西禅師


【歴史】
聖福寺は建久6年(1195)に将軍源頼朝公よりこの地を賜り、
栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺です。

山号を安国山とし寺号を聖福至仁禅寺と称します。
 
後鳥羽上皇より日本で最初の禅寺である事を意する
「扶桑最初禅窟」の号を賜わりました。

聖福寺の境内は創建当初、鎌倉幕府源頼朝公より方八町を戴き、
七堂伽藍を建立して丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置していたと伝えられています。

栄西禅師の没後、室町時代に入って聖福寺は五山十刹制度の
十刹第三位(後に第二位)に序させられました。

室町幕府の衰退と戦乱により荒廃しますが、
天正15年(1587)の太閤町割により寺域も方四町に狭められ、
ほぼ現在の伽藍配置になりました。

聖福寺は初め建仁寺派に属していましたが、
江戸時代に黒田長政公の命により妙心寺派に転派しています。



【勅使門】


無料駐車場はあるようですが、
見つけられなかったので勅使門近くの有料駐車場に停めました。

福岡で勅使門を見れるとは思いませんでした。


【総門】


名島城にあったものを移築したもの。
こちらから境内へ。


【無染池】



【山門】






これはまた凄い山門が見れました。

境内の雰囲気が京都の建仁寺にとても似ていますね。
ここは福岡じゃなく京都に居ると錯覚するほどです。


【鐘楼堂】




天正17年(1589)建立されたもの。


【仏殿】


これまた立派な仏殿です。

福岡市内の神社仏閣恐るべし!




丈六三世仏(釈迦、弥勒、弥陀)が祀られていました。

また、仏殿でお抹茶(500円)をいただけるようでしたが、
時間が無くて残念ながら回避。


【山門】


仏殿から見た山門。


【開山堂】



【中門】


拝観謝絶の看板を見るとメッチャ冷める。

お寺の事情もありますが、こういうのは見たくないものである。


【堪忍地蔵】



境内の雰囲気は実にいい。
凄く居心地が良くてずっといたくなります。

しかしあの拝観謝絶の看板だけは気に入らない。

だから御朱印はありますが、あえていただきませんでした。