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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

大御堂観音寺(2014年10月26日参拝)

2014-12-15 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが国宝の観音様がいらっしゃる観音寺へ。

調べてみると同志社大学京田辺キャンパスに近い。
この同志社大近くの道は百回以上走っているのに、
このお寺があることすら知らなかったよ。(^^;



所在地:京都府京田辺市普賢寺下大門13 
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観音立像
創建:不明
開山:義淵僧正



【縁起】


天武天皇の勅願により義淵僧正が開基され、
次いで聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、
息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。

良弁僧正の高弟で奈良のお水取りを始められた実忠和尚を第一世とします。

法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて
「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。

幾度となく火災に見舞われ延暦13年(794)の時は、
藤原良房公を本願とし、治承2年(1178)の時は普賢寺関白基通公により再建。

藤原氏の外護を受けましたのは当寺が藤原氏の氏寺興福寺の別院であったからである。

永享9年(1437)の火事では、
諸堂13、僧坊20余りを数えた建物のほとんどが失われた。

大御堂だけが再建され現在に至っている。


【全景】


長閑ですな~。


【境内】



【本堂】


普段は閉まっていますが、
庫裏で拝観をお願いすると御住職に開けていただいた。

拝観される方は事前に予約してる方が無難でしょう。


御住職の説明を聞いた後、観音様の拝顔の栄誉を賜る。

近くまで見に行って良いと仰ったので近寄る。

どことなく女性のプロポーションを思わせるそのお姿。

美しい。

聖林寺の観音様を模したと言われているが、
それは似て非なるもの。

個人的にはこちらのお寺の観音様の方が圧倒的に好みです。

実に素晴らしい。

国宝をこんなに間近に見れるなんて幸せです。


拝観料は堂内で支払いました。

撮影は残念ながら不可。
「御本尊様は撮影禁止です。」と御住職が仰ったので、
もしかしたら他の仏様は可能なのかも知れません。


【鐘楼堂】


近くに無料駐車場があります。


【石塔】



【池】





【石塔】



【地祇神社】


本堂横に鎮座。
観音寺の鎮守社のようです。









【御朱印】



ガラスに仕切られていない、
手に届きそうな近さで観れたのは最高でした。

まだこちらの美仏を見られて無い方は是非。


時間の都合で禅定寺とか行きたい場所に行けなかったので、
またの機会に南山城地区を堪能したいと思う。

神童寺(2014年10月26日参拝)

2014-12-14 | 仏閣
子供の頃は神童と呼ばれていたゴマラーです。(嘘)
大人になっても普通でした。(泣)

そんな私が訪れたのが、その名もずばり神童寺。
こちらのお寺は貴重な仏様達が見れるということで楽しみです。

かなり山奥にあるお寺で、
事前に調べると狭い道を通って駐車するのが苦労するとか。

海住山寺、笠置寺がトラウマになっていたので、
神童寺から400メートル手前の墓地の近くに停めさせていただいて、
徒歩でお寺に向かいました。

こんな山奥にも人は住んでるんだなと感心しながら歩く。
言われるほど狭い道ではなく海住山寺、笠置寺と比べたら楽勝です。

しかし、唯一車が停めれる山門前は確かに大型車だと停め難いですね。


所在地:木津川市山城町神童子不晴谷
宗派:真言宗智山派
御本尊:蔵王権現
創建:推古天皇4年(596)
開基:聖徳太子


【縁起】
寺伝によれば推古天皇4年(596)聖徳太子の創建といい、
また天武天皇4年(576)役小角が来山して修行中、
童子と化した子守・勝手・金精の三神と供に一体の蔵王権現の像をつくり、
御本尊として安置したとのが起こりと伝え、
寺号もこれに因んで神童寺と名づけたという。

神童寺はその後、衰退期を迎えたが興福寺の僧願安によって復興し、
山岳修験の道場として北の鷲峰山から尾根伝いに行場が開かれ不動明王が祀られた。

園城寺の黄不動、高野山の赤不動、青蓮院の青不動と並び称される、
平安時代の白不動明王立像がそれで、他に密教由来の仏像を多く安置する。


【山門】


私以外にもモノ好きな方がいらっしゃって、
このお寺に拝観される方がチラホラといました。(笑)

あの人達はどう見ても車では来て無さそうでした。
かなりの距離を歩いて来られたのでしょう。

ご苦労様です。(^^


【本堂】


こんな山寺の本堂の雰囲気が好きです。


庫裏で拝観料を支払い、御住職とともに本堂内へ。

御住職の説明とともに諸仏を拝顔。

蔵王権現はかなり迫力がありました。
必見です。


しかし向かって左側の千手観音様のお姿が痛々しくて無残。(涙)

右肩から腕は無いし、左腕は間接から先が無いんです。
千手なのに一本もございません。

本当に見ていられませんでした。

お寺にお金があったら修復すると思うんだけど、
あれはあのままで残しておいた方がいいんだろうか。


堂内は撮影禁止でした。


【十三重石塔】



【地蔵尊】



【収蔵庫】


絶賛工事中ということで拝観叶わず。(号泣)


【本堂】


見ての通り、結構家があって住んでるんですよ。

コンビニも無ければスーパーも無い。
ここには便利なものがなく、不便が多いと思う。

でも都会の喧騒のごみごみとしたものがなくて、
こういう場所にも良い所が多いのだろう。


【鐘楼堂】



【御朱印】

蟹満寺(2014年0月26日参拝)

2014-12-13 | 仏閣
大満足の寿宝寺の次は国宝釈迦如来坐像がおわす蟹満寺。
おもしろい名前のお寺です。

こちらもずっと前からおとずれたかったお寺。
ようやく参拝です。



所在地:京都府木津川市山城町綺田36
宗派:真言宗智山派
御本尊:釈迦如来
創建:飛鳥時代
開基:伝・秦和賀
再興:正徳元年(1711)


【歴史】
この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、
周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。

その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。

古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、
白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。

平安時代以降は今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名。

村の娘の父が蛇が蛙を飲み込もうとするのを見て、
何とか蛙を助けてやりたい父は蛇に向かって、
「もしおまえがその蛙を話してやってくれたら娘の婿にしよう」と言うと、
蛇は蛙を逃がし何処へともなく姿を消したのであった。

その夜、人間の姿に変えて家に訪れた蛇は約束を守るように父に迫るも、
雨戸を固く閉ざして約束を守ろうとしない父娘に腹を立てた男は、
本性を現し蛇の姿となって荒れ狂います。

ひたすら観音経の普門品を唱えると、いかにも麗しい観音様が現れ、
「決して恐れることなかれ汝らの娘は慈悲のここ深く常に全量な行いをされ、
又我を信じて疑わず、我を念ずる観音力は悉くこの危難を除くべし」と告げられた。

夜が明けてみると戸外にはハサミで寸々に切られた大蛇と無数の蟹の市街が残されていた。

親子は観音様の御守護に感謝し、娘の身代わりとなった蟹と蛇の霊を弔う為に、
御堂を建て観音様を祀りました。

蟹によって救われた因縁で建てられたので蟹満寺と名付けられ、
観音経の普門品を読んでいたので普門山と号せられたのです。


【山門】


綺麗な山門ですね。

無料駐車場はすぐ近くにありました。


【本堂】


本堂のみという小さなお寺です。
こちらも再建されてそう間もないことですので綺麗でした。


庫裏で拝観料500円を支払い本堂内へ。

黒々としたどっしりと座られている釈迦如来坐像がお出まし。

快慶作の美仏に比べると美的感覚では国宝とは思えないのですが、
今から1300年前の白鳳時代に造られたことが凄いんですよね。

幾多の戦乱を耐え抜き、
ずっと同じ場所に座ってらっしゃるというのが国宝に値します。

堂内は残念ながら撮影禁止でした。


【観音像】



【七重石塔】



【地蔵尊】



【修行大師像】



【御朱印】

寿宝寺(2014年10月26日参拝)

2014-12-12 | 仏閣
今回のお寺巡りの仏像の中で一番見たいと思っていた
十一面千手千眼観音立像がおわす寿宝寺へ。

こちらの千手観音は明るい時は薄暗い時に見せる、
二つの顔をお持ちになられています。

本当に楽しみにしてました。(^^

基本的に事前に拝観予約をしておくといいでしょう。



所在地:京都府京田辺市三山木塔ノ島20
宗派:高野山真言宗金剛峯寺派
御本尊:十一面千手千眼観音立像
創建:慶雲元年(704)
開山:不明



【縁起】


慶雲元年(704)天武天皇の時代に創建されたと伝えられる。

古くは山本の大寺と称せられ七堂伽藍の備わった大きな寺であったが、
度重なる木津川の氾濫により、享保17年(1732)、現在の小高い地に移転。
明治維新に際し近隣の寺々を合併し現在に至る。


【山門】


山門横に無料駐車場がありました。


【本堂】



【観音堂】


庫裏で拝観予約をしていたことを奥様にお伝えし、
収蔵庫である観音堂の扉を開けていただいた。

藤井寺と唐招提寺の観音と共に実際に千本の手を持つ観音として、
三大傑作のひとつである観音様とご対面。

なかなか厳しい目つきをされている。
悪いことをしたら懲らしめられるような。

一通り奥様の説明を聴いた後に、
今度はお堂の扉を閉めて蛍光灯だけの明るさになると、
さきほどまでの観音様のお顔、特に目つきが変わった。

明るい時に見るよりも優しいというか、
仏様特有の何でも見通しているようなお顔になられた。

光りによってこれほどまでにお顔が変わるとは。

明るい時と暗い時に違う顔に見えるように、
細工した仏師にスタンディングオベーションですよ。

平安時代にこれほどの仏師がいたなんて信じられません。

感動しました。

拝観料400円はこちらで支払ました。


残念ながら堂内は撮影禁止。


こちらのサイトの方が写真撮影されていましたので、
見たい方はどうぞ。
http://butsuzoworld.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html


【御堂】



【鎮守社】



【御朱印】



いや~素晴らしい仏様でした。
南山城地区のお寺は侮れませんなぁ。

銭司聖天・聖法院(2014年10月26日参拝)

2014-12-10 | 仏閣
海住山寺に行く前に木津川沿いにある見知らぬお寺が見えた。

ちょっと怪しそうだったんで華麗にスルーしたんですが、
同じ道をまた通ったもんだから、どんなお寺か知りたかったし行ってみた。




所在地:京都府木津川市加茂町銭司美ノ畑26番地
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来
開山:宮野英順



【縁起】
銭司聖天はその名の如く「金銭を司る聖天様」をお祀りしております。
この銭司(ぜず)という地名は、慶雲5年(708)武蔵国から銅が産出し、
これによって年号が和銅と改められ、日本最初の広域流通通貨である
「和同開珎」が鋳造されました。

当時、都として栄えていた奈良にも近く木津川の水運の利用等もあり、
この地に鋳銭司、今の造幣局が設けられ貨幣を鋳造していた為、
現在の銭司と呼ばれるようになりました。

現住職である宮野英順が御霊告を受け、大阪府八尾市に開基し、
その加持祈祷の力を以て多くの人々を救い導き、その篤信の方々の協力により、
その地に七世代の財を一度に集める力を持つ聖天様をお迎えし、
本堂諸堂を開堂した。

本堂には大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来の各宗旨、宗派のご本尊をお祀りし、
全てのご先祖様を供養できるようにお願いしております。


【参道】


無料駐車場に車がいっぱい停まっていた。

今日は何かあるんだなと思いながら本堂へ行く。


【茶畑】



【参道】


どうやらタイミング良く秋季大祭柴燈大護摩供養が行われているようだ。


【本堂】


女教祖と信者の皆様。

先着300名は無料で抽選会に参加出来るということで、
私も抽選に参加させていただいた。

1等から6等まであって、1等は大型液晶テレビでした。

6等から始まるとくじ引きに当たった人達が呼ばれていった。
くじに当たった人達の顔を教祖が見ると「○○さんおめでとう」と言う。

どうやらここにいる人達は私を除いて顔見知りの信者ばかりのようだ。(^^;

完全に部外者だなと意識するようになった。

もし私が1等なんか当たったらヒンシュクだなと思っていたけど、
良かったのか悪かったのか当たりませんでした。(苦笑)






「先祖を正しく祭り日々供養する事」を主旨に、
如来三尊が祀られていました。

大仏師松久朋琳、宗琳親子により建立されたもので、
まだまだ新しい仏様達でした。

ここの賽銭箱はなかなか商売上手だなと思った。
というのも、賽銭箱に10の仕切りがあって、家内安全、良縁成就、交通安全等、
それぞれ自分の叶えたい所にお金を投入させるシステムとなっております。(笑)


【大師堂】


弘法大師が祀られていました。


【閻魔王】



【和同開珎】



【大根】


意味不明なんだけど、大根に願い事を書くといいらしい。(苦笑)


【聖天堂】




ヒンズー教の神、シヴァ神の息子ガネーシャが祀られていました。
なかなか荘厳で良かったです。


【稲荷社】


出世稲荷として就職、起業に対して特に御利益があるらしい。


【鐘楼堂】



【六地蔵】



【不動明王】



【護摩堂】





【護摩道場】


今日は盛大に護摩供養が修されていました。


【鈴】


この前衛的でモダンなモノに鈴がありました。

これは要らんでしょ?(苦笑)


【毘葉羅園】




何故か不釣り合いな枯山水庭園がありました。

このお寺の雰囲気に合わないと思います。


【聖寂堂】


これは何だろうなぁ?

納骨堂のような感じかな。


これにてこのお寺の参拝終了。
新興宗教ですね。

御朱印はありますが、
準備で皆さん出払っていていただけませんでした。