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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

長谷寺(2014年11月1日参拝)

2014-12-22 | 仏閣
続きまして藤原鎌足の息子であるが、
天智天皇の落胤であるとの説がある藤原不比等所縁の長谷寺へ。

織田信澄、藤原不比等というビッグネーム所縁のお寺が、
意外にもこの高島市にあるんですね。

無料駐車場に車を停めるもお寺が見えない。
とりあえず納経所の看板が見えたので、
それに従い少しだけ歩く。

山門も無く、広い庭に古い家があった。
どうやらここが庫裏のようである。




庫裏の上に本堂と鐘楼堂が見えた。



所在地:滋賀県高島市音羽495
宗派:天台真盛宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:不明
開基:藤原不比等
札所:近江西国三十三観音霊場、高島郡西国三十三観音霊場


【歴史】
奈良時代の開基と伝えられ、藤原不比等が母堂のた為に、
堂宇を建立したともいわれています。
 
古来、嶽歓音として広く信仰を集め、農耕や運搬に馬が使用された時代には、
馬ともども多くの参詣者が訪れました。

今も7月9日には「嶽の千日詣」が行われます。
 
堂はもともと嶽山頂上付近にありましたが、
参拝者の為に現地に遷されたといいます。
今も山頂近くには石窟があり、石仏が安置されています


【本堂】


何ともボロい、いや失礼、質素なものです。

檀家も少なくお寺の維持が大変だと推測される。


【鐘楼堂】



【稲荷社】



【観音堂・薬師堂・太子堂】


隣の神社を参拝後、鳥居をくぐると見つけました。

本堂や庫裏とは少しだけ離れた場所にありました。
危うく見逃すところだった。(^^;



平成5年(1993)嶽山の中腹にあった観音堂は、里山の大炊神社東側に移され、
新たに観音堂・薬師堂・太子堂が一つのお堂に納められたそうです。




観音様は厨子に安置され、写真が置かれていました。




薬師堂の薬師如来像です。

聖徳太子像は足元しか見えませんでしたね。


【御朱印】


庫裏でお婆さんに聞いたところ、書置きのみとのこと。
近江西国三十三観音霊場の分しかございませんでした。

大善寺(2014年11月1日参拝)

2014-12-21 | 仏閣
圓光禅寺の隣にあるお寺が大善寺。

戦国時代の武将織田信澄所縁のお寺です。
織田信澄はあの織田信長の甥にあたる人物です。


宗派:滋賀県高島市勝野2152
宗派:天台真盛宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正6年(1578)
開基:織田信澄
開山:真順上人
札所:近江湖西二十七名刹霊場、びわ湖百八霊場



【歴史】



【全景】


地域の人口が少ない割に立派なお寺です。


【参道】



【石仏】





【十三重塔】



【山門】



【織田信澄慰霊碑】




織田信澄を偲んで毎年6月5日に信澄忌が行われるそうです。


【本堂】


拝観は事前予約が必要なようです。


【御本尊】


画像はネットで拾ったものです。

実際にこの目で見たかったなぁ。


【鎮守社】



【六体地蔵】



【鐘楼堂】



【御朱印】


プラスティックの箱に入っていました。

バインダー式の書置きタイプですが、
これは普通の御朱印帳に貼るのが難しい。(^^;

圓光禅寺(2014年11月1日参拝)

2014-12-20 | 仏閣
大溝藩歴代藩主の菩提寺であり、
墓が残る圓光禅寺というお寺へ。

なかなか長閑な場所です。



所在地:滋賀県高島市勝野2071
宗派:臨済宗東福寺派
御本尊:釈迦如来
創建:延文3年(1358)
開山:照室寂禅師
札所:高島西国三十三観音


【歴史】
後光厳天皇の勅願寺として伊勢国上野にて創建。
その後天文24年(1555)頃に伊勢国上野城主の分部氏の菩提寺となります。

分部家の転封に従い現在地へと移転。

廃藩置県までの約250年、
12代に亘ってこの地を治めた分部氏の菩提を静かに弔っています。


【地蔵菩薩】


無料駐車場の横に沢山のお地蔵さんと大きい地蔵菩薩が祀られていました。


【山門】



【二宮金次郎像】



【十三重塔】



【鐘楼堂】



【本堂】



【大溝藩分部家墓所】















【御朱印】


御住職がお亡くなりになられたとかで、
書置きをいただきました。

本福寺(2014年11月1日参拝)

2014-12-18 | 仏閣
この界隈もお寺が多く、
伊豆神社近くの比較的大きな本福寺を参拝。



所在地:滋賀県大津市本堅田1-22-30
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:正和年間(1312-1317)
開基:善道


【歴史】
開基はもと御上神社の神職で堅田に居住した善道と伝わる。

善道は八幡太郎義家の弟・義綱の子孫で、
本願寺の第三代法主覚如上人を師として帰依、
上人を助けて本願寺の復興に尽力し、堅田門徒への布教に努めた。

後を継いだ2世覚念は浄土宗に転じたが、
次の3世法住の代に浄土真宗に復帰、最初は佛光寺に属するものの、
紆余曲折の末に巧如によって本願寺直末寺として認められた。

蓮如上人が寛正の法難で大谷本願寺を破壊された際にこれを匿った。

その為、延暦寺と対立し堅田の地元民と延暦寺との対立も絡んで
応仁2年(1468)にはいわゆる「堅田大責」と呼ばれる延暦寺の攻撃で
堅田の町と本福寺が焼き払われた。

特に善道の孫である第三世法住法師は蓮如上人の片腕と言われ、
浄土真宗布教活動の第一歩の拠点を堅田で始めることに貢献した。

江戸時代前期に寺を再興した11世明式は、
松尾芭蕉の門人・千那としても知られていた。


【山門】


本願寺旧址という石柱が山門前にある。
どうやら格式の高いお寺のようですね。


【境内】


物凄く立派な松。


【本堂】


比較的新しい本堂で、浄土真宗のお寺でよく見るタイプです。


【蓮如上人像】



【内陣】




浄土真宗の内陣は何故だか凄く落ち着けます。


【蔵】



【鐘楼堂】




【蓮如堂】





【庭園】


本堂裏手にあります。
牡丹が植えられているようですね。

今はこんな感じ。(笑)


こちらで蓮如上人所縁のお寺に出会えるとは思いませんでした。
何気に訪れた見知らぬお寺でも、後日調べるといろいろ知れて勉強になります。


御朱印は無いと思います。

満月寺浮御堂(2014年11月1日参拝)

2014-12-16 | 仏閣
以前から訪れたかった滋賀県の神社にある多宝塔を見る為に、
生憎の雨でしたが行くことに。

普段、雨の日は参拝はほとんどしないんだけど、
どうしても行きたくなったら気持ちを抑えられなくてね。

こういうことってありますよね。



とりあえず琵琶湖畔の161号線から367号線を、
ぐるっと回るコースにある神社仏閣を巡ることに。

全部行ってたらキリが無いので、
参拝する寺社は前もって選別。

トップバッターを飾るのは琵琶湖に浮かぶ御堂が有名な満月寺浮御堂です。
 
雄琴温泉のエロい誘惑をキッパリと絶ち、
浮御堂を真っ直ぐ目指したのは言うまでもない。(^^



所在地:滋賀県大津市本堅田1-16-18
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:聖観世音菩薩
創建:長徳年間
開山:恵心僧都
札所:滋賀西国三十三所、びわ湖百八霊場


【歴史】
近江八景の一つ堅田の落雁として有名な堅田の浮御堂は、
びわ湖の最狭部に位置し海門山満月寺と称する禅寺で京都紫野大徳寺に属する。

昔一条天皇の長徳年間(995年頃)比叡山横川恵心院に住した恵心僧都が、
びわ湖を山上より眺め湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで
「千仏閣」「千体仏堂」と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したに始まる。

因みに僧都は我が国の宗教思想に大きな影響を与え、
浄土教学の基礎を樹立した「往生要集」の著者である。
真宗伝灯第六祖と仰がれている。

堅田の地はその後、建武の始めより元亀天正に至る間に、度々戦場となり、
当寺も漸次荒廃に帰したが、徳川時代になり、
大徳寺の住持、湘南宗げん、大岫宗般、等によって復興された。

江戸時代より昭和9年までの浮御堂は桜町天皇より
御能舞台の御下賜を仰いで建立したものである。


【山門】




禅寺によく見る竜宮門ですね。

30台分ほどの無料駐車場がありました。
拝観料は300円です。


【客殿・庫裏】




こちらも禅寺らしい前庭と雰囲気でした。


【老松】


樹齢500年を超えるらしい。


【浮御堂】



ほ~、これが浮御堂ですかぁ。
さすがに絵になりますね。

天気が良ければもっとよかったんだけど。(^^;


先代の堂は昭和9年(1934)に室戸台風によって倒壊、
現在の堂は昭和12年(1937)に再建されたもの。






小さい阿弥陀仏が一千体祀られているとか。

堂内は撮影禁止でした。






御堂は一周することが出来ました。
天気が良ければスカッと気持ちがいいんでしょうね。(^^;


【客殿・庫裏】





【芭蕉句碑】


「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」


【観音堂】


重文の聖観音座像が祀られていますが、
残念ながら秘仏で厨子に隠され、写真が置いてありました。(泣)

しかも写真撮影禁止でした。(溜息)


【御朱印】