ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

字「幸福」の誕生(10) 英華字典

2012-10-22 | Weblog
『英和対訳珍袖辞書』が普及するまで、英語を学ぼうとする日本人は、中国・清国の「英語―中国語辞書」に頼ったそうです。勝海舟も新島襄も、いつも利用していたといいます。たいへん高価な辞書ですが、当時「英華字典」「華英字典」とよばれました。日本幕末期の代表的な字典は下記の通りですが、やはり「幸福」は出て来ません。
 『康煕字典』をみても「幸福」はありません。中国でも字「幸福」は、比較的あたらしい近代語のようです。なお編さん者はすべて欧米の宣教師です。清国人は手伝いはしていますが、外国を知ろう理解しようという意識は現代中国と違って、あるいは同様に脆弱だったようです。

(1)ロバート・モリソン(漢字名:馬礼遜1782~1834)イギリス人宣教師。

 はじめての聖書中国語訳と、大著の『字典』(英華・華英辞典全6巻)を13年の歳月をかけて完成。1822年、最後に完成した『英華字典』(収録語数約1万字)から、「さいわい」「しあわせ」関連語をみてみました。

 FELICITY ・慶・吉之事
 FORTUNATE 吉
 FORTUNATELY 幸・恰好・好采・好采數・好造化
 FORTUNE 命(destiny of life)
 HAPPILY 幸然
 HAPPINESS ・納・享・
 LUCK 好造化(good)
 LUCKILY 恰好的
 LUCKY 好運・良時運・良機会・僥倖


(2)S.W.ウィリアムズ(衛廉士1812~1884)アメリカ人宣教師。

 1853年と翌年、ペリー艦隊に同行し中国語と日本語の通訳として来日しました。
 『英華韻府歴階』1844年(収録語数約13400語)。後に日本翻刻版『英華字彙』が明治2年(1869)に刊行されています。柳沢信大校正訓点のHappy関係語。
 Happily 幸然ニ・幸ニ得ル・幸トス可キ・恰モ好キ
 Happiness 分大ナル・ヲ納ル


(3)W.H.メドハースト(麦都思1796~1857)イギリス人宣教師。

 いち早く1830年、バタビアで『英和・和英語彙』を刊行しています。残念ながら未見です。『華英字典』全2巻を1842・1843年に刊行。『英華字典』全2巻1847・48年刊。これも見たいのですが、所蔵図書館が見あたりません。


(4)W.ロプシャイト(羅存1822~1893)ドイツ生まれ、イギリス宣教師。

 1854年、中国語ドイツ語通訳としてペリーに同行して来日し半年間滞在した。通詞の堀達之助に、メドハースト編『華英字典』をロプシャイトは寄贈しました。現存する同書の署名はドイツ語で「達之助殿 思い出に 下田にて W.ロプシャイトより 1855年2月」

 ロプシャイト『英華字典』(1866~69年)より。
 Felicity(happiness) ・禧・祉・
 Fortunate 好彩・好造化・幸・吉・・幸事・吉事・有幸(fortunate amidst disasters不幸中之幸)
 Fortunately 幸得・好彩・幸遇
 Fortuneless 無・貧
 Happily 幸・幸而・好彩・幸得・幸遇・幸到
 Happiness ・禧・・祉・蟢・氣・…
 Happy 幸・好彩・有・好命・喜・樂・歡・欣喜・享…
 Luck 造化・際遇・遭際・吉・有幸・有
 Luckily 幸・倖・好彩・好分・有幸・恰好的・幸而
 Lucky 幸・吉・彩・有・好彩數・吉兆・兆・瑞・好運・大吉・好機會

 『訂増英華字典』井上哲次郎訂増(明治17年1884)は、ロプシャイト『英華字典』の日本翻刻版ですが、Happy関連語のみを記します。
Happily 幸・幸而・幸然・好彩
Happiness ・禧・祉(示偏)・福祉・祚・氣・吉・
Happy 幸・好彩・有・好命・喜・樂・歡・欣喜・享

 「幸福」はまず上田秋成『雨月物語』(1776年)に登場します。そして『諳厄利亜興学小筌』(1811年)と『諳厄利亜国語林大成』(1814年)に載るのみだと、幕末まで確認してみてやはりそう思います。ところがどちらも読みは「さいわい」なのです。「こうふく」「かうふく」と読むのは、明治に入ってからです。
 退屈な連載ですが、もうしばらくお付き合いいただければうれしいです。そろそろ明治に入ります。
<2012年10月22日>

 ありがたいコメントをいただきました。孫引きばかりで恥ずかしい次第です。いつか確認にうえ修正します。ただ字典からの引用記述は子引きで、孫引きではありません。言訳いたします。
 「ロプシャイトについて (てる)」 2012-11-24 18:04:42
大変興味深いブログをありがとうございます。今日、はじめて拝見いたしました。
私はロプシャイトを調べている者ですが、先行研究でペリーに同行して来日とされているのはどうやら間違いで、ペリー帰国後、日米和親条約批准のためにアダムスの通訳として来たのが最初のようです。通訳したのは中国語の他、ドイツ語ではなくオランダ語であることが、大日本古文書 幕末外国関係文書に出ております。
謎の多い人物ですが、さらに解明されることを願っております。ブログ、楽しみにさせていただきます。
<2012年11月24日 南浦邦仁>
コメント (5)