ふろむ播州山麓

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字「幸福」の誕生(8) 本木庄左衛門の幸福

2012-10-13 | Weblog
江戸時代には、ほとんど目にすることのない新語「幸福」です。わたしは、上田秋成が最初の使用者ではないかと思っています。『雨月物語』(1776年)の幸福(さいわい)です。
 そして幕末にはじめてつくられた英学書『諳厄利亜興学小筌』(1811年)と、同じく日本初の英和辞典『諳厄利亜国語林大成』(1814年)に英語の訳語「幸福」が記載されています。

 まず『諳厄利亜興学小筌』あんがりあこうがくしょうせん(『諳厄利亜国語和解』)全10巻には、2カ所に幸福が出ています。第3巻に<happiness ヘピネス 幸福>と記載され、

 第10巻の最後尾には対訳例文があります。卷10第36。
 「Sir, i Thank you an Eternal friendship and wish you always to simply Fortune, fare well.」
 「シル・アイ・テヤンキ・ユー・エン・エテルナル・フリントシツプ・エント・ウイス・ユー・ アルウエイス・ト・シユツプレー・ホルチエン・ハレ・ウエル」
 オランダ語なまりのきつい発音だそうですが、この読みではわたしの発音と五十歩百歩かもしれません。また常に「私は」アイは小文字です。
 しかし驚いたことに、ここでは「Fortune」の和訳語に「幸福」があてられています。実に格調高い訳文です。
 「我汝に生前の交誼恩沢を謝し 常に君の幸福加倍して健在せんことを 祝するなり 諳厄利亜興学小筌大尾」

 そして辞書『諳厄利亜国語林大成』全15巻には、
 <happiness ヘピネス 幸福 サイワイ>
 <Fortune ホルテュン 幸福 サイワイ>
 <Luck リュフク 幸 サイワヒ>

 幸福を「さいわい」と読むのは、上田秋成と同じです。何かつながりがあるのでしょうか? まったく不明ですが、あまりの偶然に驚きます。

 ところで日本の英語学をはじめて開拓し、英学史上に輝く両著ですが、その後は特別な「秘本」として表舞台からは消え去ってしまいます。鎖国日本では、いくらか許されたオランダ語以外の西洋語は、だれでもが見たり学んだりすることができませんでした。所蔵したのは幕府と、限られた数のオランダ通詞だけです。
 突然やって来る海外からの夷狄を説得し、追い払うためだけに西洋語が必要なわけです。鎖国体制を維持する手段として、英語は学ばれました。『興学小筌』も『語林大成』も、国家の秘本として書庫に厳重に保管されました。ごく限られた関係者以外、だれも見たものがなかったのです。

 明治初年のこと、後に国語辞典『言海』を編さんした国語学者の大槻文彦(1847~1928)が、『諳厄利亜国語林大成』の写本を東京の古本屋で発見した。彼はつぎのように記しています。
 後の英和対訳辞書(『英和対訳袖珍辞書』1862年)は蘭和訳辞書(『和蘭字彙』1858年完成)をもとにつくられた。1814年作成の『諳厄利亜国語林大成』は、明治10年ころに東京の古書店にてその写本を購入したが、この時はじめて、このような本のあることを知った次第である。わたしのみならず、おそらくは当時のだれもが、この本のことを知らなかったはずである。

 1848年、アメリカ人のラナルド・マクドナルドが利尻島に単身漂着しました。長崎に護送された彼は、オランダ通詞たちの英語教師を半年ほどの間つとめる。マクドナルドは翌年にはアメリカ船に引き渡されて本国に去るが、森山栄之助(多吉郎1820~1871)ほか計14人の通詞がはじめてネイティブスピーカーから英語を学んだのがこのときです。テキストには本木庄左衛門編の秘本『諳厄利亜国語林大成』を用い、特に発音を学び語林大成のカタカナ読みを修正しました。
 本木の「ヘピネス」「ホルテュン」の訳語「幸福」などは、マクドナルドや森山たちのなかで、その後も延々と受け継がれていたことは間違いありません。1854年のペリー来航時、森山は首席通訳をつとめ、堀達之助が補佐役でした。
 後のことですが、開港した横浜で福沢諭吉は得意のオランダ語がまったく伝わらず、大ショックを受けます。英語学習を決意し、当時江戸でもっとも有名だった幕府役人の英語学者につこうとしました。しかし多忙を理由に断られてしまいます。その英語学第一人者こそ森山栄之助です。いつかラナルド・マクドナルドや森山のことを、調べたいとも思っています。
<2012年10月13日 南浦邦仁>
コメント (2)
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