仕事先で会った方に、水戸の銘菓「吉原殿中」を頂いた。
子供の頃より知っているお菓子で、小学生のとき住んでいた近所に、水戸の大手メーカーの工場があったのも馴染み深い。
しかし、子供の口にはこのお菓子の奥深い味わいがピンと来ず、以来あえて口にすることがなかった。
ところが今日、その印象が、がらりと変わる機会に遭遇できた。
「吉原殿中」を作る和菓子店の中でも一位二位を争うらしく、かつての城下町地域にある老舗のものは、思いのほかずしりと重いものだった。
包み紙を開けると、オブラートに包まれ黄な粉を纏った棒状の菓子がある。
それを一口噛んでみると、内側にややしっとりとした糒があり、その柔らかな香ばしさと黄な粉の風味があいまって、奥深く上品な味わいがある。
一緒に賞味した家人も、これならば世界に誇れる日本の味だと、いたく感心していた。
今回その「吉原殿中」を頂かなければ、思い違いを正すことはできなかった。
ちなみに吉原殿中の歴史は古い。
江戸時代、水戸の第九代藩主 徳川斉昭の時代、奥女中が残ったご飯を乾燥させて黄な粉をまぶしたものが始まりで、この女中の食べ物を大切にする姿に感銘した斉昭公は、「吉原」という姓を与えたところからきているという。
子供の頃より知っているお菓子で、小学生のとき住んでいた近所に、水戸の大手メーカーの工場があったのも馴染み深い。
しかし、子供の口にはこのお菓子の奥深い味わいがピンと来ず、以来あえて口にすることがなかった。
ところが今日、その印象が、がらりと変わる機会に遭遇できた。
「吉原殿中」を作る和菓子店の中でも一位二位を争うらしく、かつての城下町地域にある老舗のものは、思いのほかずしりと重いものだった。
包み紙を開けると、オブラートに包まれ黄な粉を纏った棒状の菓子がある。
それを一口噛んでみると、内側にややしっとりとした糒があり、その柔らかな香ばしさと黄な粉の風味があいまって、奥深く上品な味わいがある。
一緒に賞味した家人も、これならば世界に誇れる日本の味だと、いたく感心していた。
今回その「吉原殿中」を頂かなければ、思い違いを正すことはできなかった。
ちなみに吉原殿中の歴史は古い。
江戸時代、水戸の第九代藩主 徳川斉昭の時代、奥女中が残ったご飯を乾燥させて黄な粉をまぶしたものが始まりで、この女中の食べ物を大切にする姿に感銘した斉昭公は、「吉原」という姓を与えたところからきているという。
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