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さっぱりと布団を干すとは裏腹に・・・

2012-02-22 00:30:17 | 随想たち
昨日に引き続き、暖かく穏やかな晴天。
遅めの花粉飛散が、本格的になる前に、2日続けて布団を干した。
空気が乾燥しているから、いっそうよく布団は干せる。
窓を開け放ち、掃除をし、部屋の空気に澱みはない。
5時間ばかり干して、布団を取り込むと、かなり軽くなって嵩が増したように感じる。
目に見えて体感できる満足感。
眠るとき、ふんわりさらっと暖かい布団に、さらに充実を覚える。
その印象が、布団を干そうとする行動を後押しするのだ。
たかが布団干しといえども、干すまでにはベランダの掃除というちょっとしたハードルがある。
風で飛んできた葉や埃を箒で掃き、手すりと床を雑巾掛けするのだ。
悪天候が続いたりすると、簡単な掃除とはいかない。
しかし、その面倒くささを乗り越えないと、布団を干すことは適わない。

何をするにしても、行き着く先に良い結果が思い描けなければ、また、一度なりとも満足感を味わわなければ、人のやる気はでるのだろうか。
小さくても成功体験があれば、更なる快感を得たくて努力するだろう。
その繰り返しをして得た経験値が、他の要素にも当てはめて、意識と行動範囲を広げていく。
なすこと全てがある一定の成果を挙げられるはずがなくても、人の中に幸せの小さな島は点々と浮かぶだろう。
この島を心に持てるかどうかで、人の未来が決まるのではないかと考える。
幸せの小さな島、自分で見つけられたなら一番良いが、もちろん人に気付かせてもらう場合もある。
なにかの不運が重なって、見つけられないこともあるだろう。
幸せの小さな島が浮かばない心の大海原には、不安な波のうねりと焦燥感の嵐が吹き荒れ、絶望の雲が空を蔽い、孤独の雨を降らせる。
時には、希望の光が射したり、救いの音が聞こえてくることもあるに違いない。
それに気が付けるきっかけをつかめるものは、幸いだ。
孤独の雨が海を満たし、雲と海がくっついてしまった者は、心の深海に沈んでいき、何者も分け入ることはできないだろう。

他からは窺い知ることのできない、心の海を抱えている人間。
その深さを自ら知ることもまた不可能。
なればこそ、お互いを思いやり、励ましあい、個の特異性を尊重し、ともに生きていこう。
人それぞれ違う、幸せの小さな島が、一つでも心の海に浮かべるように。

だがもし、幸せの小さな島が持てなく、心の深海に沈んでしまったものたちは、どうしたらよいのだろう。
それは、想像するにしても辛すぎる。

ただ、干した布団に感動を毎回してしまう自分は、微小なりとも幸せの小さな島が、たくさん浮かんでいる幸せ者だとあらためて思い知り、その幸運に感謝している。

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