両親がお世話になっている(いた)某サ高住のスタッフさんが、
父のためにと花束をくださった。
私はこういう白とグリーン系だけの花束というのがとても好きで、
活けたらまたことのほか巧く行ったので、とても嬉しく思った。
ありがとうございました~~!!
本日、ようやく休暇である。いつ以来か!?
この日記の更新が月に10回未満というのは、2020年3月以前と同様で、
そういう意味では、コロナ禍が社会的には終わったことが、わかる。
私が自分のペースで休むことが、全く許されなくなった。
コロナ前より更に若くないんで、まじキツいんですけど(^_^;。
きちんと仕事を果たす、責任感の強い人に限って、
「過労うつ」その他のメンタル不調に陥りやすい、
という話がよくあるが、私は今のところその点はまだ大丈夫だ。
そもそも私は、きちんと仕事をしていないんだろうよね(^_^;。
いかなる場面でもおよそ、
「悲しさ」「寂しさ」「空しさ」「孤独感」「無力感」「絶望感」
などの陰性な感情は、私にはほぼ、縁の無いものだ。
クヨクヨと「涙が止まりません」というのも全く経験が無い。
かわりに往々にしてあるのが、烈火の如き「怒り」(^_^;。
「残りあと10分!間に合ってくれ~~!!!!」
みたいな瞬間が日に何度もあるのに、
横合いからそれを中断させる者・物が現れると、
私は容易に爆発しそうな怒りを覚える。
今、私に話しかけるな!邪魔じゃ!構っとれんのじゃ(--#)!!と。
特に嫌いなのが電話だ。
何をしている最中であっても、手を止めて相手をしてやらないと、
ヒトを急き立てる呼び出し音が鳴り続ける。
スマホを叩き割りたいと思ったことも一度や二度や三度ではない。
このようなことを言う自分が自己中なのは、よくわかっている。
しかし、自分の状況を適切に分析できるのは、
時間的余裕があるときだけだ。
これが天将星&総画39の晩年、ということなのでしょうか(^_^;。
50代になってからの多忙さ・時間の無さは、これまでの人生最高だ。
いくら90過ぎの父親だと言っても、死んだのがこうもなんともないなんて、
私はやはり多少おかしいのではないかと、我ながら思っている。
親が居なくなったことの意味が、自分の心に全く染み通って来ていない。
何しろ、焼き場から帰ったその場で十日祭どころか忌明けの祓いまで済ませ、
すぐに普段どおりの生活に戻ったので、喪に服する暇も皆無だった。
文字通り忙殺されていて、まともな情緒など消し飛んだ感じがする(汗)。
幸い、娘が独立して久しく、転夫ころもんも自立したヒトなので、
同居家族の世話はほとんど要らなくなった。
むしろ私が世話して貰っている(^_^;。
主人に洗濯をやって貰ったり、晩ご飯を調達して貰ったり。
なんてよくできた夫なのだろうか(T_T)。
そういう意味では、有り難い巡り合わせだったと感謝しているのだが、
もうちょっと、こう、スケジュール的なバランスを取りたいというか……。
具体的には、仕事量が今の半分くらいにならないかな、という。
59歳は、昭和だったらとっくに定年退職しているトシだ。
自分、能力的にも老化で落ちてきている筈だし、無理を感じる(汗)。
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