転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうは舅姑の墓に行った。
実家の墓には24日に参ってきたので、もう良いことにした。
昨日は神社で正月準備の労働をしたので、きょうは若干、腰が痛い(^_^;。
ぎっくり腰系ではなく、地味な筋肉痛ではあるが、
このまま正月労働に突入したくないので、明日はよく休もうと思っている。
そう、明日は私の、年内最後の休日。
そしてそのあとは16連勤。←昨日決まった(T_T)。

秋に父が亡くなったので、今年は年賀状は無しで、
マンションのドアも実家の表玄関も、注連飾りをつけていない。
ただ、お正月の花だけは、私の楽しみなので買った。
「おう、おう、買うたらええ、あんたが欲しいんなら」
と父も言いそうな気がした。

一昨日の夜中から、また母が38度の発熱をしていて、
昨日受診し、当面は解熱剤で様子を見ることになった。
これまでの経験からは、どうもまた誤嚥性肺炎ではないかと思うが、
本人は主観的には大して自覚症状もなく、
私と話しているときも、体の具合のことは母は何も言っていなかった。
サ高住の看護師さんのお話では、食事もできているとのことだった。

父の臨終から葬儀までと、その後の様々な手続の日々、
母はとても元気で機嫌良く、協力的に過ごしていてくれた。
とてもとても有り難いことだったと思っている。
超高齢だし、腎機能ももともと良くないので、
体調を崩すことがあっても何の不思議もない。
母には、せめて暖かくして、ゆっくり過ごしていて欲しい。
できる限り苦痛のないように、穏やかに、と心から願っている。
(↑我ながらカタチばかりの言い様だとは思うのだが、
この超多忙の年末年始、私も身ひとつなので致し方ないのだ。)

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ワクチン接種後にはなるべく予定を入れないようにしていたので、
昨日は全く何もなく、今日は来客が二件あった程度で、
普段のように朝から村に行って駆けずり回っているのとは
かなり異なる、穏やかな二日間を過ごすことができた。
このあとはまた、年末年始の怒濤の日々がやって来るので、
12月後半のこの時期は、まさに嵐の前の静けさ。

ということで、花を買った。ピンクと赤の薔薇。
部屋を掃除したあと、熱い珈琲を淹れて、
ひとり静かに過ごす午後は至福だ。

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両親がお世話になっている(いた)某サ高住のスタッフさんが、
父のためにと花束をくださった。
私はこういう白とグリーン系だけの花束というのがとても好きで、
活けたらまたことのほか巧く行ったので、とても嬉しく思った。
ありがとうございました~~!!

本日、ようやく休暇である。いつ以来か!?
この日記の更新が月に10回未満というのは、2020年3月以前と同様で、
そういう意味では、コロナ禍が社会的には終わったことが、わかる。
私が自分のペースで休むことが、全く許されなくなった。
コロナ前より更に若くないんで、まじキツいんですけど(^_^;。

きちんと仕事を果たす、責任感の強い人に限って、
「過労うつ」その他のメンタル不調に陥りやすい、
という話がよくあるが、私は今のところその点はまだ大丈夫だ。
そもそも私は、きちんと仕事をしていないんだろうよね(^_^;。
いかなる場面でもおよそ、
「悲しさ」「寂しさ」「空しさ」「孤独感」「無力感」「絶望感」
などの陰性な感情は、私にはほぼ、縁の無いものだ。
クヨクヨと「涙が止まりません」というのも全く経験が無い。
かわりに往々にしてあるのが、烈火の如き「怒り」(^_^;。

「残りあと10分!間に合ってくれ~~!!!!」
みたいな瞬間が日に何度もあるのに、
横合いからそれを中断させる者・物が現れると、
私は容易に爆発しそうな怒りを覚える。
今、私に話しかけるな!邪魔じゃ!構っとれんのじゃ(--#)!!と。
特に嫌いなのが電話だ。
何をしている最中であっても、手を止めて相手をしてやらないと、
ヒトを急き立てる呼び出し音が鳴り続ける。
スマホを叩き割りたいと思ったことも一度や二度や三度ではない。

このようなことを言う自分が自己中なのは、よくわかっている。
しかし、自分の状況を適切に分析できるのは、
時間的余裕があるときだけだ。
これが天将星&総画39の晩年、ということなのでしょうか(^_^;。
50代になってからの多忙さ・時間の無さは、これまでの人生最高だ。
いくら90過ぎの父親だと言っても、死んだのがこうもなんともないなんて、
私はやはり多少おかしいのではないかと、我ながら思っている。
親が居なくなったことの意味が、自分の心に全く染み通って来ていない。
何しろ、焼き場から帰ったその場で十日祭どころか忌明けの祓いまで済ませ、
すぐに普段どおりの生活に戻ったので、喪に服する暇も皆無だった。
文字通り忙殺されていて、まともな情緒など消し飛んだ感じがする(汗)。

幸い、娘が独立して久しく、転夫ころもんも自立したヒトなので、
同居家族の世話はほとんど要らなくなった。
むしろ私が世話して貰っている(^_^;。
主人に洗濯をやって貰ったり、晩ご飯を調達して貰ったり。
なんてよくできた夫なのだろうか(T_T)。
そういう意味では、有り難い巡り合わせだったと感謝しているのだが、
もうちょっと、こう、スケジュール的なバランスを取りたいというか……。
具体的には、仕事量が今の半分くらいにならないかな、という。
59歳は、昭和だったらとっくに定年退職しているトシだ。
自分、能力的にも老化で落ちてきている筈だし、無理を感じる(汗)。

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きょうも外の用事は入れておらず、在宅。
……というか、在宅していないと片付かない用事を、
本日一日に固めたのだ。
電話モデムの修理、インターフォンの携帯電話アダプタ取付と設定、
書留の受け取り1件、宅配便の受け取り3件、等々。
私がまともに在宅している日がほとんど無かったので、
先月後半からの用件が溜まりに溜まっていた。

インターフォンの関連工事の間、よその人が居るというのに、
居間の椅子に陣取って、私は大胆にもうたた寝してしまった(^_^;。
工事は担当者二名の間でやりとりされて進行中であったので、
私は、とりあえず何も要求されていない、誰の話も聞かなくていい、
という気楽な立場になり、その途端に気が緩んで、意識が途切れた。
僅かな時間だったとは思うが、極楽であった(殴)。

きょう受け取った荷物のうちの一つは、写真の花のアレンジメントだった。
父への御供えと、自分を癒やすための両方で、
白とグリーンのみのアレンジをネットで買った。

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今回の花は、葬儀屋さんが花束にして下さった白百合。
普段は私は匂いが嫌で百合は極力買わないことにしているのだが、
これは香りのない百合で、有り難かった。
花の姿としては、百合は大変に優美で素晴らしい。
時間差でひとつひとつ花開いて行くところも、
長く楽しめるのでとても良い。
かたい莟(つぼみ)が徐々に開き、盛りを迎え、やがてしぼんで終わる、
……大過なく過ごせたなら、どの命も同じということだねぇ。

さて、本日も半日のみ休暇。
午後からは、12月に予定されている年越祭の案内状作成の仕事がある。
尤も、「○時○分までに!」という分刻みのシバりまではなく、
○日までに終わっていれば良い、という緩い締切の範囲でやるので、
この作業は私はさほど嫌いな仕事ではない。
しかし、数百枚の紙を、印刷して折って組んで封入して、の反復は、
肉体労働としてそれなりのものではある(^_^;。

そして、明日からは村の例祭とその前後の準備片付けがあるので、
途中で朝帰りの日も含む怒濤の五連勤である。
私は喪中!と称して家に籠もっていたいのが本音だが、
父が若い頃から懸命に奉仕を続けていた村の神社なので、
やはり今年の例祭も、盛大に執り行うことができるよう、
力を尽くすのが父への供養というものであろう。
神主さんも3人、お願いして、大祭式で行うことになっている。
「今年から献饌(=御供えものを祭壇に上げる作法)も
全部正式にやろうよ」
と祭員の神職さん等が先日、打ち合わせされていたので、
もしかして、いつにもましてハデな祭典になるかもしれない(汗)。
鯛の尻尾を逆に上げたりしないよう、気を付けなくては(大汗)。

コロナ禍前同様に、神楽・露店・御神輿・餅まきなど、
余興もフルに行うことになっており、
子供会からの参加人数の集計や、お弁当や餅や菓子の発注、
道路使用許可願の提出など、総代会としても仕事が多い。
父の通夜祭の前々日あたりから私は若干、風邪気味で、
この十日ほど、熱は全然なかったが、咽喉の痛み→咳→鼻炎と経過して、
今、まだ鼻炎や咳がうっすら残っているのを感じている。
あともうちょっと頑張らないと終わらないのだが……。

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涼しくなってきたので、この秋として最初の花を買った。
花束の王道「ピンクの薔薇」。ちょっと張り込んだ(笑)。

毎日があまりに忙し過ぎて、時間が飛ぶように過ぎて行き、
さっき午前中だった筈なのに、もう夕方だ。
およそ実感の3~4倍以上の速度で時間が経ってしまう。
私が「先々週くらいの話だったか?」と感じる出来事は、
軽く数ヶ月前、どうかすると去年のことだったりする。
せめて切り花くらい、買いたいと思ったとき、即、買わないと(--#)。
いつか買おうなどとゆっくりしていたら、
この調子だと3~5年くらいすぐ経ちそう。

実はこの花を選ぶときも、私は一瞬だが変な錯覚をした。
オンシジウムの花束を眺めていて、
「星空のイメージだよな~、こういうの」
と思い、
「これから七夕になるから、いいかもな」
と考えたのだ(爆)。
今、涼しいのは、夏前の梅雨時だからという気分になっていた。
そして一瞬で自分の誤りに気付き、
「いや、んな訳ない、七夕なんかとっくに済んだじゃないか、
これから来るのは(=涼しい、夜の何かは)お月見だったよな」
と考え直し、それもまた既に過ぎたことだと気付いて愕然となった。

今、何月、というかこれから季節は何になって行くんでしたっけ???

手帳とカレンダーを見て、改めて自分で確認した。
既に秋。これからもっと涼しく、ひいては寒く、なる。
寒くなったら、じきに年末が来て、あの正月奉仕の日々がやって来るのだ。


うそ~~~。
正月って、三か月くらい前にやったばかりよ??(大汗)。

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束の間の休日の今日、約1ヶ月ぶりに花を買った。
デンファレ、トルコキキョウ、カーネーション。
季節的に、そろそろ暑くなって来るので、
生花を楽しむことができるのも、夏前としてはこれで最後か、
もう一度くらい何か飾れるだろうか?

*************

ときに、きょう6月12日は、アンネ・フランクの誕生日だ。
彼女が、あの日記を書き始めるきっかけとなった日。
私が、ちょっとしたアンネ・フランク・マニアであることは
以前、書いた
とおりだ。
彼女は1929年生まれなので、日本で言えばこれは昭和4年、
うちの母と同い年なのだった。生きていれば94歳。

個人としては、アンネには幸福な戦後を生きて欲しかった、
とは勿論思っているのだが、存命だったならば、
こういう御時世だし、何かと旗幟鮮明な彼女のこと、
なんか変な(爆)オピニオン・リーダーになられていても困るわね、
……などとも思ったりして(ごめんなさい)(逃&逃)。

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母の日の花束を、自分で買った(笑)。
バラのラウンドブーケと、カーネーションを何本か。

某老人ホームの母94歳にも、アレンジメントと「どら焼き」が届くよう
手配はしてあり、配達済みのメールも来ているのだが、
母はもはや、電話もメールもして来なくなった。
携帯の存在は、覚えているのだろうか。
かつて母から電話があると、内容は「飯がまずい」「泥棒が入った」等の苦情か、
「腹具合が悪い」「薬が自由にならない」等の体調不安の相談だったものだが、
母は今や、私に電話をかけることも思い出さず、
様々なことが記憶に定着せずすぐに流れて、気付けばうたた寝、
……という毎日になった。
つくづく老いたなと思いつつ、穏やかという意味では良くなったのかなと思う、
今日このごろです(^_^;。

 

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ビタミンカラーのガーベラの花束を買った。
今日明日、巧くいけば明後日も、神社や実家に行かなくて良い。
有り難や~~(T_T)。こんな日も無いとね。

****************

昭和の民なら分かってくれると信じてる 缶クッキー独り占めのロマン(おたくま経済新聞)
『ちょっとした特別なときやお中元お歳暮などで家へとやってくる「缶クッキー」。子ども時代の私にとってはとても特別な存在でした。』『3人きょうだいという事もあり、食べるときはもちろん「均等に」山分け。』『そんな子ども時代を過ごしてからうん十年……。すっかり当時の事なんか忘れきっていたのですが、ある日訪れたスーパーで偶然にも「缶クッキー」の特売が行われていました。記憶ってすごいですね、子どもの頃みた缶デザインに似ていた事もあり、見た瞬間思い出がぶわっとよみがえってきました。』『次に出てきたのが「今なら“誰にも邪魔されずに独り占め”できるんじゃ?」という欲望。』『あの頃夢見た「缶クッキー独り占め」が、大人になった今だからこそできる事に気がついたのです。』

私の日記に食べ物ネタが少ないことからも明らかなように、
私は元来が、「食」はどうでもいい人間だ。
健康管理上の栄養面の問題に関心があるだけで、
工夫したり手間暇かけたりして、より美味しいものを食べたい、
という熱意は、日常的にはほとんどない。
しかし、そのような私でも、上記の記事内容は理解できる。
子供の頃に特別だった品には、今でも奇妙な憧れや執着があるのだ。

写真の、丸形の缶のクッキーには、私も見覚えがある。
ロイヤル・ダンスクの青い缶のクッキーではないだろうか。
しかし私にとってはそれよりも、泉屋スペシャルクッキーズのほうが
ハッキリとした、しかも結構切ない記憶となって、心に残っている。
上の記事を読んで、そのことを久しぶりに思い出した。

私は一人っ子だったので、きょうだいと分け合うことへの不満を
日々の生活で経験することは無かったのだが、それ以前に、
「戴きものでなければ、決して我が家にやって来ない品」
というものが、いくつかあった。
泉屋スペシャルクッキーズはその最たるもの(大袈裟)で、
私にとって大変魅力的な品であったにも関わらず、
母が、「乾いたもんなんか美味しぃない」と常々言っていて、
クッキーとかビスケットなどのお菓子を家で買うことは無かったのだ。

泉屋スペシャルクッキーズは、贈答品などで忽然と姿を表すのだが、
神棚に供えられていて、開封する日は親が決めることになっており、
夏休みや正月など、親戚やイトコたちが来ていて大人数のときが多かった。
「乾いたもん」が嫌いな母は、家族だけのときには
食べきれないと考えて、そういう機会を選んでいたのだろう。
もちろん、皆で食べるので、クッキーはあっという間に無くなった。

母の好みは、和菓子では「練り切り」とか、
洋菓子でも「洋ナマ」、つまりショートケーキの類いだった。
私もそれらは別に嫌いではなかったのだが、
誕生日だとか祭だとかには買って貰える可能性が高かったので、
年に一度、登場するかどうかの泉屋スペシャルクッキーズの貴重さと、
それへの絶ちがたい憧れには、及ばないものがあった。
私は、泉屋スペシャルクッキーズへの憧憬を抱いたまま成長し、
学生の頃でも、百貨店の地下などで泉屋のコーナーを見ると、
何かとても好ましいものを感じたりしていたものだった。

時は流れ、今や私はレッキとした大人、というか、
かつての、小学生だった私の母の年齢を、遙かに超える婆さんになった。
母は、私よりもっと婆さんになり、私のほうが保護者になったので、
彼女はもはや、私のすることにとやかく言わない。
私は、誰かの許可を得なければ、クッキーを買って来られないとか、
それを開封できないという立場ではなくなったのだ。
今更自覚を新たにしたのだが、たとえ贈答品レベルの品であろうと、
現在の私には、自分の食べる菓子を自分本位に決定する自由も、
思いつきでそれを購入する財力もある(笑)!

――ということで、私はこのほど、ささやかな決意をした。
次に何か、自分の節目とか、自分をねぎらう必要のある日が来たら、
私はきっと、泉屋スペシャルクッキーズの、いちばん大きな缶のを買おう
5000円超するが、どうってことはない、宝塚大劇場のA席相当ではないか。
今の私には、一存で買える!

『「独り占めした事実」だけを満喫できればいいのです。』『誰にも邪魔されず、誰の手も伸びてこずに、一人でゆったり向き合える缶クッキーとの時間。あれから四半世紀以上の時がすぎて叶えた時間はまさに至福。』『「独り占めした」という体験を得られただけで大満足。』『あの頃の私に教えて上げたい「大人になって夢を叶えたよ!」と。』

まさにコレだ。子供の頃の夢を、今、叶える(笑)!
幼い頃、おそらく多くの人が、親が良いと判断したものしか与えられず、
家族やきょうだいで分け合わなければならず、
自分の望みどおりに買って貰ったり食べたりすることができなくても、
そういうものだと思いながら過ごした筈だ。
育てて貰っている間は、我慢せねばならないことが多いのは致し方ないのだ。
私自身も娘に対して、きっと抑圧的な親であったにちがいない。
しかし、一旦、自分が大人になりさえすれば、すべては思い通りだ。
この程度のことなんて、過去のあれこれは自由自在に、
取り返せるのであり、やり直せるのである(笑)。
例えばガチャガチャだって回し放題!食玩なんか大人買い!
大人になるって、トシを取るって、素晴らしいことですねぇwww

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トルコキキョウとカーネーションの花束を買った。
今日、明日は休日の予定だ(涙)。味わい尽くすぞ。
外は雨。雨音を聞きながら家で過ごすなんて、幸福感が倍増する。
半世紀以上前、雨の日に、部屋にひとりで居て、お絵かきをしながら、
しみじみと満足感に浸っていた、幼稚園の頃の記憶が、私にはある。
三つ子の魂百までじゃないが、昔からお籠もり体質だったんですね(^_^;。

しかし、せっかくの自由時間、そうそう無為に過ごす訳にも行かないのだ。
できることなら時間を無駄使いして、贅沢に休日をむさぼりたいのだが、
9月以降の私は何も私的なことができないほど忙しくなる、
と昨年、骨身に染みたので、今年は昨年にもまして「今のうちに」と思い、
家の手入れと片付けに関して、早速、心がけて、動き出しては、いる。

この春からマンション大規模修繕が始まるので、良い機会と思い、
西側ベランダの、最近は全く使用していないコンテナと、
南側ベランダの物置に残っている不要品とを処分することにし、
併せて古い寝具やコタツ布団、娘の学用品と玩具等々を捨てるため、
『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』の業者さんに、
2年ぶりに連絡を取り、まずは見積もり日を決めた。
実家とは全く次元の違う、分量の少なさなので、
この件は、日程や費用の面で、ほとんど心配はしていない。

それともうひとつ、今年度の私の最大のプロジェクトは、
マンションの洗面室をリフォームすることなので、
やはり2年前キッチンのカップボードでお世話になった業者さんに連絡を取り、
私の希望がどの程度かなうか、まずは現場を見に来て下さるように、
その日取りを今朝、決めた。

先日来、書いているように、昨年末の「お部屋のお悩み相談会」で相談した、
マンションのバスタブの交換と、ほか、細々とした建具の調整や、
クローゼット扉内のクッション材の貼り替えなどは、
管理組合を通じて各々の業者さんに依頼してあるので、
今後の作業日程の決定を待つのみで、夏までに完成&終了できる見込みだ。

我々夫婦は近い将来「前期高齢者」となるので、
今のうちに家の全体的な手入れを終わらせておきたいと思っている。
再三書いている通り、私は本当に、実家の悲惨さを見て、ほとほと懲りたのだ。
人は「まだ、いい」「そのうちに、やろう」と言っているうちに、
あっという間に老い、自分で自分の面倒が見られなくなる。
手入れや整頓の出来ていない汚い家に、住んでいること自体がストレスになるが、
更にそれをまるごと残されると、相続人がどれだけ迷惑することか。
凄まじい実家の有様が、私に、大きな、現実的な恐怖を与えたのだ。
私は、同じテツは踏まぬと心に誓っている(^_^;。

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