6) 現代の「スリップウェア」と作家さん達。
英国の民窯で作り続けられた「スリップウェア」は、20世紀初頭に姿を消します。
しかし我が国では、古典的な「スリップウェア」を更に発展させて、精力的に作品を作り続けて
いる作家さんや、「スリップウェア」を現に手掛けている幾つかの窯元もあります。
① 布志名(ふじな)焼きの窯元(島根県松江市)で作られています。
バーナード・リーチと親交のあった、船木道忠(1900~ 1963年 島根県 指定重要無形文化財保持
者)と、その長男の船木研兒 (1927~2015年)は、民藝運動に参加し、「スリップ ウェア」の
復元に努力し、作品を作り続けていました。
◎ 注: 当ブログでも、現代陶芸78、79(船木道忠、研児1、2)で既に紹介していますので、
興味のある方はご覧下さい。
) 船木道忠氏の作品。
黄釉を生かした作品で、楕円皿、楕円鉢、角鉢などの平面的な作品の表面には、抽象的な
文様が描かれ、花入、花瓶、壷、鶏冠壷(けいかんこ)等の立体的な作品には、化粧土の
流し掛けや藁描などの技法を使い、文様を付けています。
) 船木研兒(けんじ) 氏の作品。
鹿、鶏、兎、獅子、梟(ふくろう)などの動物が、スリップを用いて具象的に描かれた作品が
多く、その他、スリップ技法による、鳥文や河童図の陶板なども手掛けています。
) 布志名焼きの湯町窯。
江戸中期頃から続く布志名焼きの特徴は、来待石(きまちいし)と呼ばれる石の粉を用いた
淡黄釉にあります。湯町窯二代目福間貴士氏(1909~1989年)は民藝運動に共感し、リーチ達
の薦めに応じて洋食器を作り始めます。日曜雑貨の食器には、筒描きによるスリップが施され
ます。リーチは7回も訪れ滞在し、スリップ技法を指導したそうです。
現在は三代目が後を継ぎ、スリップウェアーの作品を作り続けています。
② スリップを用いた陶芸家達。
) 武内晴二郎氏(1921~79年) 岡山市生まれ。
倉敷市西の高梁川の旧い堤の跡に、1960年登窯の「酒津堤窯」を築きます。戦争で左腕を失う
も、型物を中心にスリップ、型押、象嵌などの技法を駆使した作品は、重厚で力強い作品を
作ります。尚、晴二郎亡き後、息子の 真木(マキ)氏が継承します。真木氏は、栃木県益子町
の浜田窯に入門し、その後「酒津堤窯」を「倉敷堤窯」と改名されました。
) 齊藤十郎氏(1969~)静岡県伊東市在住。
齊藤氏のスリップ模様の付け方は、タタラ作りでこの表面全体を赤色などの色土で化粧掛けし
その後、素地が乾燥する前に、白などの色違いの化粧土をスポイト掛けします。但し太めの
縞模様とします。一筆書きの要領で折り返しながら全体に縞模様を付け、縞と直角方向に櫛状
の用具で撫ぜる様に引っ張ります。(フエザーコームの技法です)化粧土がある程度乾燥し
たら石膏型又は土型に合わせて形を作ります。焼成温度は高火度焼成します。
) 前野直史(まえのなおふみ)氏 (京都府南丹市日吉町生畑)
生畑皿山窯(きはたさらやまがま))
スリップウェアとの出会いは、1989年に兵庫県近代美術館で開催された「セントアイヴィス
展」だそうです。 彼の作品は、皿の表面に白化粧を施し、茶色のスリップを用い筒描きの
要領で、螺旋状の「ぐるぐる模様」に特徴があります。近年はしばしば、個展グループ展を
開催しています。
) 伊藤丈浩(いとうたけひろ)氏(1977年千葉県銚子市生) 栃木県益子町在住
・ 掛分(かけわけ)指描文: 二色の化粧土を掛け分け、その境界を指でなぞり、ジギザク
模様を付ける方法です。
・ ヘリンボーン模様: 伊藤氏のトレードマーク的な文様と成っています。
酸化第一鉄を加えた化粧土(茶色系)を、タタラの表面に流し掛けする。次にスポイト状の
筒にやや薄めた白化粧土を入れ、左右折り返しながら縞模様を付ける。縞の間隔はやや広く
取り、化粧土が平らに成る様にテーブルを叩く。細いスポイトを用いて上記縞模様と直角
方向に、先端を模様に付けながら細い線を全面に引く。すると細かい「ジグザク」模様と
なり、ヘリンボーン模様が完成します。」スリップウェア」制作の若手の一人です。
伊藤氏も各種の販売方法で作品を販売しています。
◎ 以上の作家さん達の作品(写真)や展示会等の情報は、ネット上で見る事ができます。
興味のある方は、名前を入力し検索して下さい。
③ 「スリップウェアー」の作品が展示されている美術館など。
) 大阪日本民藝館: 大阪府吹田市千里万博公園
) 鳥取民藝館: 鳥取県鳥取市栄町 651
) 倉敷民藝館: 岡山県倉敷市中央 1-4-11
以上で「スリップウェアー」の話を終わります。
参考資料: 「スリップウェア」(Slipware)
副題: 英国から日本に受け継がれた民藝の器 その意匠と現代に伝わる制作技法
編者、発行所: 誠文堂新光社
英国の民窯で作り続けられた「スリップウェア」は、20世紀初頭に姿を消します。
しかし我が国では、古典的な「スリップウェア」を更に発展させて、精力的に作品を作り続けて
いる作家さんや、「スリップウェア」を現に手掛けている幾つかの窯元もあります。
① 布志名(ふじな)焼きの窯元(島根県松江市)で作られています。
バーナード・リーチと親交のあった、船木道忠(1900~ 1963年 島根県 指定重要無形文化財保持
者)と、その長男の船木研兒 (1927~2015年)は、民藝運動に参加し、「スリップ ウェア」の
復元に努力し、作品を作り続けていました。
◎ 注: 当ブログでも、現代陶芸78、79(船木道忠、研児1、2)で既に紹介していますので、
興味のある方はご覧下さい。
) 船木道忠氏の作品。
黄釉を生かした作品で、楕円皿、楕円鉢、角鉢などの平面的な作品の表面には、抽象的な
文様が描かれ、花入、花瓶、壷、鶏冠壷(けいかんこ)等の立体的な作品には、化粧土の
流し掛けや藁描などの技法を使い、文様を付けています。
) 船木研兒(けんじ) 氏の作品。
鹿、鶏、兎、獅子、梟(ふくろう)などの動物が、スリップを用いて具象的に描かれた作品が
多く、その他、スリップ技法による、鳥文や河童図の陶板なども手掛けています。
) 布志名焼きの湯町窯。
江戸中期頃から続く布志名焼きの特徴は、来待石(きまちいし)と呼ばれる石の粉を用いた
淡黄釉にあります。湯町窯二代目福間貴士氏(1909~1989年)は民藝運動に共感し、リーチ達
の薦めに応じて洋食器を作り始めます。日曜雑貨の食器には、筒描きによるスリップが施され
ます。リーチは7回も訪れ滞在し、スリップ技法を指導したそうです。
現在は三代目が後を継ぎ、スリップウェアーの作品を作り続けています。
② スリップを用いた陶芸家達。
) 武内晴二郎氏(1921~79年) 岡山市生まれ。
倉敷市西の高梁川の旧い堤の跡に、1960年登窯の「酒津堤窯」を築きます。戦争で左腕を失う
も、型物を中心にスリップ、型押、象嵌などの技法を駆使した作品は、重厚で力強い作品を
作ります。尚、晴二郎亡き後、息子の 真木(マキ)氏が継承します。真木氏は、栃木県益子町
の浜田窯に入門し、その後「酒津堤窯」を「倉敷堤窯」と改名されました。
) 齊藤十郎氏(1969~)静岡県伊東市在住。
齊藤氏のスリップ模様の付け方は、タタラ作りでこの表面全体を赤色などの色土で化粧掛けし
その後、素地が乾燥する前に、白などの色違いの化粧土をスポイト掛けします。但し太めの
縞模様とします。一筆書きの要領で折り返しながら全体に縞模様を付け、縞と直角方向に櫛状
の用具で撫ぜる様に引っ張ります。(フエザーコームの技法です)化粧土がある程度乾燥し
たら石膏型又は土型に合わせて形を作ります。焼成温度は高火度焼成します。
) 前野直史(まえのなおふみ)氏 (京都府南丹市日吉町生畑)
生畑皿山窯(きはたさらやまがま))
スリップウェアとの出会いは、1989年に兵庫県近代美術館で開催された「セントアイヴィス
展」だそうです。 彼の作品は、皿の表面に白化粧を施し、茶色のスリップを用い筒描きの
要領で、螺旋状の「ぐるぐる模様」に特徴があります。近年はしばしば、個展グループ展を
開催しています。
) 伊藤丈浩(いとうたけひろ)氏(1977年千葉県銚子市生) 栃木県益子町在住
・ 掛分(かけわけ)指描文: 二色の化粧土を掛け分け、その境界を指でなぞり、ジギザク
模様を付ける方法です。
・ ヘリンボーン模様: 伊藤氏のトレードマーク的な文様と成っています。
酸化第一鉄を加えた化粧土(茶色系)を、タタラの表面に流し掛けする。次にスポイト状の
筒にやや薄めた白化粧土を入れ、左右折り返しながら縞模様を付ける。縞の間隔はやや広く
取り、化粧土が平らに成る様にテーブルを叩く。細いスポイトを用いて上記縞模様と直角
方向に、先端を模様に付けながら細い線を全面に引く。すると細かい「ジグザク」模様と
なり、ヘリンボーン模様が完成します。」スリップウェア」制作の若手の一人です。
伊藤氏も各種の販売方法で作品を販売しています。
◎ 以上の作家さん達の作品(写真)や展示会等の情報は、ネット上で見る事ができます。
興味のある方は、名前を入力し検索して下さい。
③ 「スリップウェアー」の作品が展示されている美術館など。
) 大阪日本民藝館: 大阪府吹田市千里万博公園
) 鳥取民藝館: 鳥取県鳥取市栄町 651
) 倉敷民藝館: 岡山県倉敷市中央 1-4-11
以上で「スリップウェアー」の話を終わります。
参考資料: 「スリップウェア」(Slipware)
副題: 英国から日本に受け継がれた民藝の器 その意匠と現代に伝わる制作技法
編者、発行所: 誠文堂新光社
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