わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

青花(染付) 最後に

2011-08-09 20:30:08 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花磁器は、中国元の時代に、景徳鎮で行われたのが、最初と言われています。

イスラムの世界からもたらされて、「酸化コバルト」を用いて、藍色に描かれた作品は、イスラム圏への

輸出品として、生産されます。

特に青色は、イスラム圏で好まれた色であり、作品の形や、文様もイスラムで使われていた銅器大盤を、

陶磁器で再現しようとした物です。

特に我が国で、「芙蓉手」と呼ばれる様式は、盤(大皿)の中央に芙蓉の芯の部分を表し、

その周囲を、花弁に見立てて、幾何学的に分割して、各々の区画に文様を、描いています。

1) 絵付けは当然手描きです。それ故、描き手によって微妙に差があり、同じようには行きません。

   磁器の製作は、分業化しており、生地を作る人、轆轤を挽く人、絵付けをする人、窯を焚く人等と

   分かれていました。絵付けは主に、女性の仕事との事です。一つの作品に。絵付けをするのに、

   数ヶ月を要する事も、有ったようです。

2) 絵柄や文様も、輸出先(需要先)によって、差をつけています。

  一般には、花鳥文、唐草文、牡丹文、龍文、鳳凰文、人物文、蓮池魚文など、吉兆文が選ばれます。

   ‘辰卜曲犬蓮古代より、中国を代表する文様です。

   顱法ゞ想上の生物である龍は、雷や竜巻をイメージしたものとも言われて、恐ろしい雷や、落雷を

     もたらしますが、恵みの雨を降らせる、龍神様でもあります。

     更に、最大級の霊力を持ち、皇帝の権威を表す、象徴ともされていました。

   髻法‘は駱駝、角(つの)は鹿、目は鬼、耳は牛、頸は蛇、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、口には髯、

     喉の下には「逆鱗」があり、背中には81枚(9x9)の鱗がある姿をしています。

     元時代では五爪の龍が、皇帝の紋章でり、一般人は使用禁止になっていました。

  ◆)英爐粒柄も、目出度い文様ですがは、皇后の象徴とされていました。

    鳳は雄を、凰は雌を表しています。尾羽の姿の違いで、描き分けています。

    雌雄一対で飛び、鳴く事で、天下泰平を願っています。

3) 我が国の染付けの絵柄

   中国の絵付けが、余白を余す処無く、描かれているのに対し、染付けでは、比較的簡単な文様が

   多く、余白を残した描き方をしています。

   即ち、木賊(とくさ)文、秋草文、唐草文、蛸唐草文、市松模様、網目文、青海波(せいがいは)、

   矢羽文、捻り文などが、多い図柄です。又、和紙染めも我が国特有の、絵付け方法です。

   (現在では、安物の陶磁器は、転写紙による、絵付けが主流になっていますが)

4) 青花磁器の終焉

  18世紀に成ると、景徳鎮の青花磁器や、五彩磁器は、従来とはまったく別の物になっていきます。

  即ち、用いられる顔料は複雑になり、伝統的な上絵の顔料に、ガラス粉末を混ぜ合わせ、微妙な

  グラデーションを表現しています。これは、ヨーロッパの無線七宝の技術であり、白と青で表現した

  青花磁器から、カラフルな宝石の様な美しい磁器へと、変化していきます。

  ここに、青花磁器の時代は、終焉を迎える事に成ります。

5) 青花磁器のコレクション

   .肇廛プ宮殿の青花磁器コレクション

    オスマントルコの首都「イスタンブル」の宮殿には、600年に渡り、収集された青花磁器が、

    豊富に(総数20,616点)存在しています。(現在は、宮殿博物館に所蔵)

  ◆.肇Ε哀襯宮殿の元磁器コレクション

    現在のインドの首都デリーに有った、イスラム王朝の、トウグルク宮殿の庭園跡地から、

    大量の、青花磁器が出土します。

    尚、インドでの伝世品の多くは、大英博物館や、ロックフェラーコレクションに、収められて

    います。

   大英博物館、アルバート美術館(いずれも、英国)

  ぁ.好─璽妊鷙餡Δ涼羚馥磁コレクション

  ァ.襦璽屮詒術館:フランスの個人のコレクションを、1894年に美術館に寄贈。

    後に、ギメ美術館に移管されます。(清朝磁器を中心に、約三千点余り)

   ・ スイスのジュネーブにある、バウアー・コレクションも、東洋陶磁の屈指のコレクションです。

  Α.▲瓮螢のコレクション

   顱法.侫蝓璽◆Ε灰譽ション:ワシントンD・C

      中国陶磁器とともに、日本の陶磁器や絵画なども、収集されています。

   髻法.屮薀鵐如璽検Ε灰譽ション:サンフランシスコ

      20世紀以降の、中国陶磁器が中心で、日本人好みの作品が、多いののも、特徴の一つです。

  その他にも、公の美術館や、個人的なコレクションなど、中国陶磁器に関する収集家は、非常に多いです。


以上にて、青花磁器に関する、話を終わります。 次回より、別のテーマで、お話します。

  参考資料: 「中国やきもの入門」別冊太陽 (株式会社 平凡社)
      
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青花は世界へ(海揚がり3)

2011-08-08 20:24:05 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花(染付)の話を続けます。

2) 沈船の実例

  ぁ,修梁召猟請ァА…惜廚靴秦イ蓮∪こΤ特呂埜つかっています。

   顱縫汽鵝Ε妊エゴの沈船

    16世紀後半に成ると、中国が独占的に支配していた、インド洋の交易は、ヨーロッパ勢が、

    主導権を握る様に成ります。即ち、大航海時代へと、発展して行きます。

    その切っ掛けは、1517年ポルトガル人が、マカオに到着した事です。

    a) 1600年12月14日、スペイン船籍のサン・ディエゴ号は、オランダ船隊との海戦に破れ、

      マニラ沖で沈没します。総トン数7〜800トンと言われ、長さも35〜40mありました。

    b) 1991〜1993年にかけて、フランスとフィリピンの合同調査が行われます。

      1994年パリ郊外のヴィレットの博物館で、「サン・ディエゴ沈船」の特別展が開けれました。

   c) 積荷は、中国産の陶磁器を中心に、メキシコ産の土器もありました。

     その他、ヨーロッパ産の、金銀製品、ガラス製品、日本刀の鍔、中国、イスラム、メキシコ等の

     コインも確認されています。即ち、この船は、世界を航行する船で有った事が、証明されます。

   d) 青花磁器では、芙蓉手の壷、鉢、瓶類、皿(45cmの大皿)、香炉などですが、これらは、

     ヨーロッパ向けと。思われます。

   e) 引き揚げられた、これらの陶磁器類は、現在、マニラ国立博物館に、展示されているそうです。

  髻法.凜ッテ・レウ沈船とハッチャー沈船

    a) ヴィッテ・レウ沈船は、1976年大西洋のセント・ヘレナ沖で発見されます。

      オランダ東インド会社の船籍の、同船は1613年頃、沈没したと思われています。

      積荷には、景徳鎮の青花磁器等があり、大皿(口径50cm)、中皿、水注、乳瓶、碗、

      カップ(コヒー、紅茶用)が有りました。これに類する作品が、堺(日本)を始め、

      世界各地の近代都市で、見つかっています。

    b) マイケル・ハッチャー沈船

      シガポール沖で、1980年代初頭に、大量の景徳鎮産の陶磁器を積んだ、船が発見されます。

      焼き物の総数だけでも、二万点以上有ったそうです。

      この船は1640年代に、沈没したと見られ、積荷の総数は、五万〜六万と言われています。

  鵝法.屮鵝Ε織沈没船

    a) ホーチミン市(ベトナム)沖の、ブン・タオで、1990年に発見されます。

      オランダ東インド会社の船籍で、ジャカルタのバダビアへ、向かっている途中でした。

     約五万点の中国陶磁器が、引き揚げられます。積荷は、飲食器(ティーカップ、ティーポット、

     ゴブレット、皿等)と、室内装飾品(花瓶、白磁人形、観音像、置物など)が、主なものです。

     絵柄は、牡丹、山水、蓮、詩文などが、簡略に描かれています。

     製作年代は、青花磁器の様式から、清朝初期(1662〜1772年)と見られ、沈没は17世紀後半と

     見られています。

   堯砲修梁沼燭の沈没船が、発見されていましす。

     a) 「碗礁(わんしょう)一号沈船」

       2005年、福建省福州市沖で発見、清朝景徳鎮産磁器を、多数引き揚げる。

       その数は、約一万七千点(引き上げ以前に二万点ほど、盗難にあったようです。)

       東南アジア、中近東、ヨーロッパ向けの、日用磁器と見られます。

     b) オースターランド号、ベネブローク号、ブレイドロード号

       以上三隻は、南アフリカのケープターン沖で、発見されます。

       各々、1697年、1713年、1785年頃沈没したと、見られています。

       中国の陶磁器の他、わが国の伊万里の白磁や、染付けも含まれていました。

       ヨーロッパへ向かう途中に、遭難したものと、思われます。

     d) 以上の沈没船以外にも、近年多くの船が、世界各地から、発見されています。

        更に、これからも、多くの沈船が発見され、多数の陶磁器が引き揚げられる事でしょうが、

        話が長くなりますので、海揚がり品についての、話を終わります。

以下次回に続きます。
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青花は世界へ(海揚がり2)

2011-08-07 22:26:45 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花磁器について、話を続けます。

沈没した船から、引き揚げられた作品の研究は、1970年代より、ヨーロッパを中心に、発展して行きます。

これまで、沈船から引き揚げられた、中国の陶磁器は、数十万点とも言われる、膨大の量です。

しかしながら、引き揚げられた、陶磁器類は、オークションに掛けられる事が多く、一箇所で保存管理

される事は、少ない様です。

2) 沈船の実例

  沈船、レナ・カーゴ

   1996年フィリピン本島の南のパラワン沖で、15世紀後半〜16世紀初めの景徳鎮磁器を満載した

   沈没船が発見されます。総トン数約100トンで、全長24m程有りました。

 顱法\儔戮話羚顱▲戰肇淵燹▲織ぁ▲潺筌鵐沺爾瞭磁器と、鉄器、銅器、漆器、ガラス製品などです。

   船体内かは、陶磁器類が箱詰めの状態で、発見されます。

   中国産の陶磁器は、青花磁器(水注、瓶、壷、大皿、鉢など)、白磁、竜泉窯青磁等、種類も

   豊富でした。文様も、牡丹唐草文、草花文、龍文、鳳凰文、麒麟文、人物文など多彩で、

   民窯青花磁器らしい、自由闊達な絵が、施されていました。

 髻法,海料イ、陶磁器や絹を積んでいました。その様式から、15世紀末〜16世紀前半、ベトナム産は、

    16世紀前半の作品ですので、15世紀後半〜16世紀初と思われています。

    積荷に東南アジアの製品がある事から、ベトナムやタイ、ミヤンマーの港に立ち寄り、

    そこで、その国に荷を下ろしたり、新たな産物を積載して、イスラム世界から、最終的には

    エジプトを目指したものと。思われています。

    即ち、エジプトのフスター遺跡から、14世紀〜16世紀に架けての、中国産の青花磁器や、

    ベトナム、タイ産の青花磁器や、白釉陶器が出土されています。

    更には、紅海にある港に、荷揚げされた陶磁器類は、オスマントルコの首都、イスタンブールに、

    運ばれます。又、トプカプ宮殿(オスマン帝国の 君主が居住した宮殿。イスタンブール旧市街)

    の博物館所蔵の、青花磁器と類似する作品が、多い事が、証拠とされています。

  鵝法\儔戮肪羚饂紺奮阿痢品物があるという事は、輸出先の需要と、好みが関係している結果だと

     思われます。その国に合わせて、積荷を考慮しています。

     それ故、当時は、中国の船のみならず、各国々の船も、貿易の為、航海していたと、

     類推されます。

  堯法,海譴藐魄廚、単に経済のみに依存していたのかは、不明で他の意味が有ったかも知れません。

     即ち、中国の皇帝が、周辺諸国を属国と考え、下賜した物とも考えられるです。

     (但し、ここでは、この問題は、取り上げません。)

 ぁ,修梁召猟請ァ沈没した船は、世界各地で見つかっています。

以下次回に続きます。
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青花は世界へ(海揚がり1)

2011-08-06 22:02:32 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
中国で開発された「青花」は、真っ白い磁器に、鮮明な青い色で、文様が描かれる事によって、

その優美さと華麗さで、世界の人々を魅了します。特に中国の景徳鎮窯で作られた作品は、完成度が高く、

中国の輸出振興策もあって、世界中に広がります。

最初は王侯貴族の様な、特殊の身分の人が、独占していましたが、ヨーロッパで磁器の焼成が成功

するに従い、一般市民でも、使う事が出来る様に成ります。

1) 沈船からの引き揚げ(海揚がり)

  近年注目を集めているのが、沈没した船から、引き揚げられた、陶磁器類です。

  |羚颪ら積み出された陶磁器は、船に乗せられ、東南アジア、インド、オリエント、アフリカへ、

   更には、喜望峰(南アフリカ)を回って、ヨーロッパに伝わります。

   尚、一部は駱駝に乗せられ、シルクロードを通って陸路、中近東などの、内陸部に運ばれた様です。

 ◆…垢で月の間には、海難事故も多かったはずです。陶磁器を積んだ船も、悪天候などで、

   沈没する事が、珍しくなかったと、思われます。

  これら沈没した船は、漁師達の網にかかり、偶然発見される事が、ほとんどです。

   当然、破損した作品も多いのですが、梱包がしっかりしていた為、無傷の作品もかなりあります。

 ぁ‥時の物が、そのまま出現した事に成りますので、タイムトンネルを通ってきた感じがします。

 ァ^き揚げられた品から、どの地方にどんな作品が、輸出されていたのかも、判明する様に

   成ります。ここから「水中考古学」と呼ぶ、新たな研究領域が、開拓されていきます。

2) 沈船の実例

  ヾ攅颪凌薫族の沈船

  顱法1975年沈船から、引き揚げられた陶磁器が、骨董屋に持ち込まれた事から、本格的な引き揚げが

    始まります。注目すべき点は、この船が中国から、我が国へ向かっている際の、事故でり、

    当然、積荷も我が国に輸出する、陶磁器であり、作品の種類も多い事です。

  髻法1975〜1984年にかけて、11次の引き揚げ調査が行われます。

    船底に杉材の木箱に梱包され、重ね合わされた積荷が、確認されます。

    陶磁器の他に、香料、胡麻(ごま)、食物、銅銭、薬などが、詰められていました。

    総数、約5万点との事です。

  鵝法‘磁器は18,825点で、青磁が一番多く10,645点で、次い青白磁、白磁、黒釉磁等で、

     高麗青磁も7点あったそうです。

     特に注目は、景徳鎮産の白磁と、龍泉窯の青磁で、青磁は碗、鉢、瓶、香炉などで、

     日本伝世の、鎌倉や博多などの作品に、近い物も積まれていました。

     但し、「青花磁器」は一点も積まれていませんでした。

  堯法,海料イ浙江省 の寧波を1323年に出港し、韓国西海岸を経由して、博多を目指したと

     思われています。

 ◆…請ァ黒岩号(ブリトゥン沈船)からの、海揚げ

   1999年ジャワ島付近で、沈没した船が引き揚げられます。

   1997〜1998年に、陶磁器を始め、金、銀製品や、漆器、銅鏡、銅銭などが、引き揚げられます。

 顱法‘磁器の作品は、長沙窯鉄絵磁器、白磁、白磁青花、三彩陶器、白釉緑彩陶器などです。

    文様は、初期イスラムの陶器に似ています。年代は、唐の時代9世紀前半と、思われています。

 髻法‘瑛佑虜酩雰欧、インドネシア、スマトラ、タイ、スリランカ、パキスタン、イラク、イラン、

    エジプト各地で、出土している事から、ジャワ島からマラッカ海峡を超え、インド洋を航海

    していたものと、思われます。調査はまだ途中の段階で、新たな発見があるかも知れません。

以下次回に続きます。

 参考文献: 「青花の道」中国陶磁器が語る東西交流 弓場紀知(ゆば ただのり) NHKブックス



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青花(染付け)について4(コバルト)

2011-08-05 20:56:50 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
「青花」(染付け)は、酸化コバルトを、主成分とした、下絵用の発色剤を使用しています。

5) 酸化コバルトについて

  .ぅ好薀犹困離灰丱襯

   最初に使われた、元の時代コバルトは、イスラム世界より、シルクロードを通り、もたらされた

   物です。これは、かなり純粋なもので、鮮やかな紫色を 呈しますが、このままでは、高温に耐えず、

   更にザラザラしていて、描き難い為、マンガン、鉄、クロム、ニッケル、銅等の、天然の金属原料を、

   微量に混入させ、扱い易くして、深みの有る青藍色を、発色させています。

 ◆|羚饂困離灰丱襯函弊津擇噺世い泙后

   政権の交代や、戦乱、世界経済の変化などにより、しばしばイスラム産のコバルトが、輸入停止に

   成ります。その為、中国本土でも、幾つかの場所で、コバルトが発見され、使用されています。

   顱法\化〜正徳年間: 江西楽平産=平等青

   髻法\菊繊漸徒年間: 高安産=石子青

   鵝法)暦年間以降 : 浙江省 =浙江青

   これら以外にも、福建、広東、広西、雲南等で、青土は発見され、使用されています。

   但し イスラム産よりも、鮮明さが欠け、黒っぽく濁った感じのものが、多いです。

   この発色の違いによって、作られた時代が推測されます。

6) 呉須(ごす)に付いて

  コバルトを主原料にした、下絵付け用の青色顔料を、「呉須」と呼びます。

   ゞ忘拱緩を水に溶き、更に乳鉢等で、細かくして、使います。

   顱法\里茲蝓∧緩状の呉須は、お茶(の水)を入れて、乳鉢で擦ると、お茶に含まれるタンニンに

      よって、素地への接着性と発色が、良くなると言われています。

   髻法ゝヽEに粒子を均等に擦るのではなく、不均一の方が良い色が出ると言われ、手に乳棒を

      持ち、気長に乳鉢で擦ると、良い結果が出るとも、言われています。

   鵝法仝什澆任蓮絵の具の様に、チューブに入った物が市販されていて、そのまま絵皿などに

      出して、使用できる物もあります。粉末とどちらが良く発色するかは、不明です。

  ◆/紊領未砲茲辰董⊃Г貿暫犬鯢佞韻觧が出来ます。

    下絵付けで、この様に、しっかり濃淡が付けられるのは、「呉須」のみです。

    (鬼板なども、ある程度の濃淡を、付ける事も可能ですが、薄過ぎると、消えます。)

   濃淡を付ける事により、水墨画風の描写が、可能になります。

  ぁ仝什澆任蓮▲灰丱襯醗奮阿龍眤阿隆淪量によって、色違いの「呉須」が市販されて、います。
    
    古代呉須、墨呉須、青呉須、紫呉須、焼貫呉須などが、あります。

  ァ仝什漾天然の「呉須」は手に入れる事は困難で、ほとんどが、合成品です。

    それ故、昔の「呉須」の色とは、若干違いがあると言われています。

7) 呉須の使い方

   基本的には、素焼き後に筆を用いて、文様を描きますが、土物(陶器)の様に、素地が真っ白でない

   場合などでは、白化粧を施し、その上から絵付けすると、発色が良い様です。
 
  ”で塗る: 水彩絵の具の要領で、文様を付けます。

    鉛筆などで、下書きする事も、可能です。(鉛筆の線は、焼成すると、消えます。)

  顱法|躇嫖世蓮一度描いた所は、手を触れない事です。素地の表面に載っているだけですので、

    触ると、直ぐに手や指に転写します。呉須はどんなに薄く塗っても、必ず発色しますので、

    この汚れた手で、他を触ると、そこに青い色が移ります。

    絵を付ける際、作品を持つ場所を、確保しながら、描く必要があります。

    但し、釉を掛ける前までの話で、施釉してしまえば、触る事が出来ます。

  髻法”舛方は、線状に輪郭を描く方法と、濃(だみ)と言い、輪郭線内を、塗りつぶす方法が

     有ります。濃の場合濃専用の、筆があります。根元が太く、先端が極端に細くなった形を

     しています。

 ◆/疔蓮覆佞すみ)による方法: 霧吹き(スプレー)やブラシング(金網とブラシを使う)の

   方法で、呉須を霧状にして、作品に吹き付ける方法です。作品に切り抜いた絵柄を、貼り付ければ、

   絵柄には、呉須が掛からず、模様が抜け出ます。

  呉須は、水の量を調整する事により、濃目〜薄目へと、連続して濃淡を付ける事が出来ます。

  他の下絵の絵の具では、このような事は困難です。それ故、水墨画の様な、描写も可能に成ります。   

8)コバルト釉: 透明釉に添加する事により、青い釉を作る事が出来ます。

  酸化コバルトを、呈色剤に使った、紺青色系の釉で、我が国では、「瑠璃(るり)釉」が有名です。

 
以下次回に続きます。
   
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青花(染付け)について3(日本への影響)

2011-08-04 20:30:39 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
「青花」の話を続けます。

 「青花」の技術が広がったのは、白い肌の白磁に描かれた、青い模様の美しさと、清々しさが、

   大きな魅力に成っているからです。

4) 我が国への影響

  中国の陶磁器は、宮廷や、中国国内の需要だけでなく、輸出(貿易)をも念頭において、作られて

  いました。 東南アジア、インド、イスラム世界、西洋(ヨーロッパ)、アフリカ、朝鮮、日本など、

  世界各地に作品が、輸出されています。

  当然、作品と共に、その絵付けの技術も少しずつ、世界各地に伝わって行きます。

  (尚、輸出先に応じて、作品の種類や、文様も違って、作られています。)

   峺点付」

   明代末期(1620年代)に、呉須で、絵付けされた、日用品である小皿等が、日本に伝わります。

   薄手の作りで、略筆ながら、趣ある味わい深い、文様が描かれています。

 ◆ 崔禊鏝点付」

   この絵柄や文様に着目し、我が国より中国へ、茶道具が発注されます。

   中国に無い、富士山型の器や、動物や魚介類を形取った、懐石料理用の、鉢や皿や、意図的に、

   変形させた器などですが、陶器風に厚手に作られています。一説によれば、古田織部好みの

   影響と言われています。

  「祥瑞(しょんずい)」: 明代末に、焼かれた染付けの、色絵磁器で、丸文と幾何学模様の

   組み合わせに、特徴があります。

   これも、我が国からの注文による作品で、素地の質の違い、コバルトの発色の違い、更には、

   艶の有る釉、幾何学文様を組み合わせた、的確な表現方法など、「古染付」とは、まったく

   異なる作品です。当時の景徳鎮における、一級品と見てよいでしょう。

   これらは、茶人の小堀遠州が指導した、遠州好みと言われています。

 ぁ 峺眇楴蝓

   明代末〜清朝始めにかけて、福建省の窯で、景徳鎮の「芙蓉手」の文様を模倣した、作品が

  作られます。これが我が国にもたらされ、「呉須手」と呼ばれた、染付け作品で、いかにも我が国の

  好みに合った作品になっています。古くから、大いに愛好されている作品です。

  即ち、素地は粗く、成型もおおらかで、文様も粗雑ながら、自由闊達に表現され、施釉も簡略

  されています。

  更に作品の底裏には、砂粒が付着しています。これは窯詰めの際、砂床を使用した為です。

 ァ_罎国で、最初に染付の作品が、焼成されたのは、17世紀初めの、初期伊万里(有田焼き)と

   言われています。但し、色調も不安定(色がくすんでいる)で、文様も素朴な物でした。

   やがて、良質の磁土の発見により、滑らかな肌の磁器が焼かれ、コバルトで絵付けされた、

   染付磁器、更には、藍の下絵と、赤、黄、緑、紫などの上絵と併用した、染錦手が発明されます。

  顱法〔逝緞〜清代初めにかけて、動乱が続いた為、景徳鎮の生産は大幅に落ち込みます。

    その為、ヨーロッパ向けの陶磁器は、オランダの東インド会社を通じて、我が国に大量注文が

    なされます。

  髻法ヽ善Ρ厂舁夕阿紡緝修気譴襦⇒田焼きが、伊万里港から大量に、輸出されます。

    作品の種類は、皿、鉢、壺を中心で、ヨーロッパの王侯貴族の、室内装飾品として、人気を

    博します。ウイーンのシェーンブルン宮殿や、ベルリンのシャルロッテンブルグ宮殿の

    「磁器の間」が有名です。

    尚、景徳鎮製の磁器では、リスボン(ポルトガル)のサントス宮殿の「磁器の間」が著名です。

    更に、柿右衛門様式は、ドイツのマイセンでコピーされる様に成ります。

  鵝法\付けは、本来白磁に施されるものですが、我が国では、陶器にも描く様に成ります。

    即ち、京焼の野々村仁清や、尾形乾山なども、染付けを手がけています。

以下次回に続きます。

   
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青花(染付け)について2(歴史)

2011-08-03 21:25:54 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花(染付)の話を、続けます。

3) 中国の「青花」の歴史 (前回の続きです。)

  ァ_徒(かせい)年間((1522〜1566年)

   顱法,海了代に成ると、作品の種類も多くなり、大型の作品も、作られる様に成ります。

     一時途絶えていた、コバルトも、イスラム(ペルシャ)より輸入される様になり、明るい

     色鮮やかさが、復活します。

   髻法‐しずつ「官窯」から、民間に制作委託されていた作品も、この時代に成ると、

     更に「民窯」で作られると共に、その技術も、民間に伝えられます。

     その結果、自由闊達さや、創造性が刺激され、多くの種類の作品が、作られる様に成ります。

   鵝法‘瑛佑瞥由により、文様の構成や、筆の使い方(力強さ、又は繊細な描き方等)、

     伸び伸びとした線や、自由奔放さが、出てきます。

     文様も、「唐子文」などの、子孫繁栄を表すものや、「福」「寿」などの、目出度い文字

     (吉祥文字)や、更には、これらを図案化した、文様が表れます。

  Α)暦年間(1573〜1620年)

    この時代の作品は、白地の余地が無い程に、濃密濃厚な文様構成で、埋め付くされている作品も

    多いです。しかしながら、自由奔放性は、発揮されています。万暦年間は長く、二期に分れます。

   顱法〜梓は、胎土が厚く、肌目が細かく、滑らかな作品群で、釉も華やかさが有り、形も

      比較的整っています。

   髻法仝經は。薄作りで、「青花」の発色も、今一鮮明ではありません。

      文様も、細かい線描きが、顕著に成ります。

  А\胸代(1662〜1908年)

    万暦帝によって、廃窯に成った、景徳鎮が「官窯」として再開(1681年)されるまでに、

    60年を要します。再開後、色絵や上絵の分野では、目覚しい技術的発展がありましたが、

    下絵の分野では、大きな発展は見られませんでした。

   顱法々煕(こうき)年間(1662〜1722年)

     清時代の中でも、康煕の時代は、「民窯」の陶工を集め、「官窯」が再出発に当り、

     その意気込みが、感じられる作品も多いです。

     即ち、中国産のコバルト(青土と言う)を使いましたが、良く精錬された為、鮮やかな色調に

     成っています。

     描写方法も、水墨画の様に、濃淡を駆使して、描かれています。強い光沢の有る釉を薄く掛け、

     一層発色を鮮明にしています。

   髻法‘磁器に関しては、康煕を頂点として、以後衰退の一途と成ります。

      即ち、過去の優れた作品を手本にして、模倣した作品が多くなり、新たな発展が成されま

      せんでした。「青花」に付いても、同様に模倣した文様や作品が多く成ります。


以下次回に続きます。

  参考文献: 別冊太陽「中国やきもの入門」(株式会社 平凡社)
  
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青花(染付け)について1

2011-08-02 22:15:24 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
陶芸では、絵を付ける方法に、下絵付け(釉下彩)と、上絵付けの技法があります。

1) 下絵付け(釉下彩)

   一般に素焼き後、作品表面に、筆などを用いて、鉄、銅、コバルト等の顔料を用いて、文様を

   描き、その上に透明釉を掛けて、本焼きします。

   釉の下に、絵を描くので、釉下彩とも言います。

   歴史的には、最初に酸化鉄を顔料とした、鉄絵が登場します。中国の南宋の金の時代(12世紀)だと

   言われています。14世紀前半には、景徳鎮でこの技法が、盛んに取り入れられていました。

   「釉裏紅(ゆうりこう)」は、銅を顔料にした下絵付けで、やはり景徳鎮で、始まったと言われて

   います。

  ・ 現在では、上記三種類以外に、赤、ブルー(明るい青)、黄色、茶色、金茶、オレンジ、ピンク、

    各種緑系等、下絵の具は豊富に成っていますが、当時は、本焼きで発色する絵の具は、

    限られた色しか、有りませんでした。

2) 青花の出現

   「青花」とは、中国語で、「青い模様」を意味し、コバルト顔料が高温で、青藍色に発色する事から、

   名付けられた様です。

   我が国では、染色の藍染(あいぞめ)に似ている事から、「染付」と呼ばれています。

  |羚颪慮気了代(13〜14世紀)に、イスラム世界より、コバルト顔料が、もたらされます。

   景徳鎮では、すでに存在していた鉄絵は、鮮明さが劣り、「釉裏紅」では、高火度焼成では、

   発色が不安定でしたが、安定した発色と鮮明な藍色は、瞬く間に、広がって行きます。

  顱法仝祇腸屬蓮◆峪蠕詰夕亜廖覆靴擦い茲Δ靴)が代表的な作品で、それまでの、イスラムの

     形や紋様から、脱却して中国的な「青花」が描かれる様に成ります。

     即ち、白地が多くなり、力強い筆さばきで、洗練された文様に成って行きます。

3) 中国の「青花」の歴史 

   〔世了代(1368〜1644年)に成ると、宮廷で使われる、生活用品の焼き物は、

     景徳鎮で専用に焼く「官窯」が、設置されます。「官窯」では「青花」が焼かれました。

     明の初期の洪武(こうぶ)年間(1368〜1398年)の「青花」は、やや暗い色調の作品が、

     多いです。これは、イスラム産のコバルトが輸入停止となり、中国の国産を使用した為と

     言われています。その為「釉裏紅」が復活し、多くの作品が残っています。

  ◆ 〔世留奮據∪詁素間(1403〜1435年)では、永楽帝が首都を、南京から北京に移し、

     大都市を建設します。それに伴い、国威発揚の為、海外貿易が活発化し、陶磁器と、絹織物を

     積んだ大船団を組んで、遠くアフリカ方面まで、交易したと、言われています。

     又、この時代には、イスラム世界より、再びコバルトが、輸入される様に成り、発色の良い

     「青花」が焼かれる様に、成ります。

     「大明宣徳年製」「宣徳年製」と記された作品は、宮廷用の器物に作られた物です。

    永楽、宣徳年間の景徳鎮では、色々な技術の発展が見られます。格調高い白磁「甜白」

     (てんぱく)が作られ、釉も「橘皮文(きっぴもん)」と呼ばれる、微小な気泡を含み、

     その気泡が蒸発した痕に残る凹凸が、柑橘類の肌の様になり、光沢が抑えられ、落ち着いた

     釉面になります。

     又、釉を厚く掛ける事により、コバルトが滲み、味わい深い作品も、作られています。

  ぁ \化(せいか)年間(1465〜1487年)この期間コバルトの輸入が停止し、鮮やかさが失われ

     ますが、「甜白」素地が更に洗練され、黄色みを帯び、鮮やかさが失われた青と、良く

     マッチした作品を、作り出しています。

     又、白地を生かした文様で、一段と洗練された作品に成っています。

  ァ_徒(かせい)年間((1522〜1566年)

以下次回に続きます。

  参考文献: 別冊太陽 「中国やきもの入門」(株式会社 平凡社)
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陶磁器の絵付け(まとめ)

2010-01-25 22:21:35 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
上絵付けや、金彩、銀彩の有る、陶磁器の、取り扱いについて、述べます。

1) 絵付け陶磁器の、扱い方

  ‘器を、電子レンジで使用しても、割れたり、ヒビが入ことは、ほとんどありません。

   但し長い時間、連続して使用しない方が、安全です。(温める程度の時間)

 ◆ー召辰討い覺錣鮖箸Δ函⊃器が加熱されます、特に油物は、高温に成り易いので、避けて下さい。

  食器洗い機については、上絵がある物は、傷つく恐れが、有りますので、止めた方が、

   良いでしょう。

   上絵付食器に、食器用の耐酸、耐アルカリの絵の具を、使用してる物は、食器洗い機利用に、

   問題ないとの事です。

   ただし、食器同士の、ぶつかり合いや、衝撃には、弱いので、注意して下さい。

   上絵付けの無い、陶磁器は、使用しても、トラブルは無いと、思います。

 ぁ/器洗い機の問題点は、吸水性があ為(特に陶器)、洗剤や汚れを、吸い込んでしまう可能性が、

   あります。 使用前に、水で目立つ汚れを流してから、利用すると、良いでしょう。


2) 金の付いた食器の選び方、扱い方。

   ‘澆深味のある物は、“金”の純度が高く、“金”をたくさん使用しています。

    ピカピカと、あまりにも明るく、輝いている物は、反対に純度が低く、“金”の使用量は、

    少ない傾向にあります。

  ◆ 閥癲匹良佞い真器を、電子レンジに入れたり、金属たわし、クレンザーなどで、強くこするのは

    厳禁です。 “金”がスパークしたり、傷ついたり、剥がれたりします。

    最近は、電子レンジが使える、特殊な、金絵付けの物もあり、こちらは、大丈夫です。

    それ以外は避け下さい。使用中に、火花が散り、危険です。


3) 国家資格、陶磁器、絵付け技能士について

  国家検定、 陶磁器製造(絵付け)技能士

  国が職業能力を、評価する目的で、実地しているものです。

  現在137職種について、検定が行われ、合格すると、「技能士」と言う称号を、与えられる。

  同じ技能検定には、漆器製造やフラワー装飾、貴金属装身具製作(ジュエリー)などの、

  工業的技術を、公証するも、のがあり、合格者には、厚生労働大臣名、又は県知事名の合格証書が

  交付されます。


・ 絵付けについて、述べて来ましたが、今回で終わりにいたします。

 次回より、別なテーマで、お話したいと思います。
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絵の具の話(和絵の具、洋絵の具)

2010-01-24 23:07:20 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
絵付けの、絵の具について、お話します。

1) 和絵の具と、洋絵の具

  絵の具には、下絵付け用と、上絵付け用と、分ける方法と、和、洋で区別する方法が有ります。

  ここでは、後者について述べたいと、思います。

  和絵の具(硬彩)と、洋絵の具(軟彩)の違いは、描かれる柄にも、それぞれの特徴が出ます。

 ・ 多くの絵の具メーカーが、有りますが、品質に大差は無いと、思われます。

   尚、和絵の具より、洋絵の具の方が、色の種類は多い様です。

   (洋上絵の具 :赤、 黒 、グリーン 、青、 黄、 白 、小豆茶 、透明、紺青 、深緑 、ヒワ 、

   ピンク 、オレンジ、ブラウン、グレー、ライラック、マロンなど)

   (和上絵の具: 紺青、赤、黄、黒、緑、小豆茶、白 など)

  ]続┐龍颪砲弔い

   和絵の具というのは、色のついたガラスだた、思って下さい。(即ち、透明感が有ります)

   唐の土(鉛。発色を良くする)、珪石(絵具を溶解する)、白玉(ガラス。透明度を出す)を

   ベースに、色によって異なる、着色物質(顔料)を、加えます。

  顱法]続┐龍颪蓮∪岾┐覆匹領祿旭奮阿蓮一般に焼成後は透明です。

     上絵の赤と黄色は、透明な絵の具が、出来ないので、不透明なものと、なります。

     透明になるのは、ベースに対して、金属が少ない為で、焼成後は透明の、ガラス質になります。

  髻法ヽ┐龍颪髻屬佞里蝓廚筺◆帛院覆砲わ)」液など、水溶性の液で、練りや、濃淡の調整、希釈を

     行います。 油と違って、臭いもなく、後か片付けも、簡便に済みます。

  鵝法‘明な絵の具なので、濃い色を、出そうとすると、厚く盛り上げる、必要があります。

     和絵具は別名、「盛り絵具」と呼ばれ、水で溶いた絵具を、筆で置く様にして、盛り上げて

     着彩します。 こうする事で、半透明の、美しい色ガラスが、発色をします。

     (なお、柿右衛門赤の絵具だけは、洋絵具と同じ様に、使用します。)

  堯法 峩綯和絵の具」の特徴は、透明感、表面の艶、層の厚さが醸す、深みのある発色と言えます。

     化学的に精製された、洋絵の具と違い、和絵の具は、ガラス質を形成する、調合材料や色素に、

     古九谷時代から、継承されてきた、生の珪石や、金属酸化物を使用します。

  ) 和絵の具は、赤以外、焼く前と、焼いた後で、かなり色が変わります。

     ピンク色は赤茶に、グレーは鮮やかな緑に、薄いグレーは紫、等に成ります。

 ◆〕粒┐龍颪砲弔い董

  顱法〕粒┐龍颪鷲堝明で、塗料(ペンキ)と同じように、油の様な溶剤に、顔料の粉が、混ざった

    状態のものです。 顔料は、化学薬品の様に、純度の高い物が、使われます。

    金属が多い為に、エナメル質の、不透明なガラスになります。

  髻法‘明感がない分、塗りムラが気にならず、使い易いですし、粉末以外に、チューブ入りもあって

    扱いやすいです。
    
  鵝法ヽ╋颪録紊罵呂い燭蝓▲船礇ぅ淵撻ぅ鵐謄ングと呼ばれる方法では、乾性油で絵具を溶いて、

     濃淡や、グラデーションの表現が、できます。

  堯法〕粒┐龍颪蓮着色剤に融剤を、混ぜたもので、和絵の具のように、厚く盛らなくても発色します。

     厚く盛り上げると、釉切れを起こしたり、釉が剥離してしまいます、出来るだけ薄く着彩し、

     エナメル質を際立たせます。

  ) 洋絵の具が、多くの場合、バルサム、テレピンなど、油性の材料と、練り合わせて、使いますが、

     水溶性「メジュウム」などを、利用する場合もあります。

     特に、最近は、安全、衛生面から、ヨーロッパでも、水溶性の絵の具を、使う機会が増えており、

      日本でも、鉛対策とともに、様々な方法が、取られています。

  ) 混合割合は、バルサムと絵の具を、ほぼ同量、これを、テレピン油で1、0%程度希釈します、

     混合する比率を、変えることによって、乾燥時間を、調整することも可能です。

     水溶性メジュウムの場合も、メジュウムと絵の具を、ほぼ同量を練って、使います。
 
  和絵の具 洋絵の具
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